所用で京都に。Hで夕食用のお弁当を調達し、市役所付近にあるホテルへと向かう道中、みたことのある景色にふと記憶が蘇り、横を見遣ればそこはライブハウス「京都ラグ」。Side Stepsが出演したのは2002年で今から17年前!ですが、いまだにラグは健在。あの時の記憶が蘇り、帰宅後にファイルを探すと当時書いた紀行文(笑)を発見。コロナウィルス問題で逼塞な方が多い中、超長文(原稿用紙55枚分!)ながらこちらに再掲します。2002年当時の内容そのままですので、いろいろ現在とは異なっていますが、そんな時空の隔りもこれまた一興です。
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7月5日6時に起床、最近は仕事の関係もあってネットに常時接続しているPCでメールを見るとメンバーからの多くのメールが。遠足の前日は早く寝るということは幼稚園以来の鉄則ながらも、皆仕事でハマっているよう。早々に京都行きを一日遅らせた田村さんを始め、伊東さんも仕事でトラブルが発生し、この対処で昨晩は徹夜の模様。府川さんも午前まで自宅で仕事をしていたようだ。僕の場合は、前日が米国の独立記念日であったこともあり、マーケットは完全に休場。ロンドンがクローズする午前2時まで見ていれば良かったこともあり、いつもより安眠。休暇を取るということで、ポジションを軽くしていたことも幸いしており、すべて計算づくであった。
機材の用意は前日で完了しており、着替えをバックに詰めると自宅を午前7時過ぎに出発し、府川邸へと向かう。ちなみに府川邸の到着予定は午前8時半。車内では大音量で椎名林檎を聴く。椎名林檎は1作目が最も秀逸であったことを発見、繰り返し聴く。平日金曜の朝はマイカー通勤なのか、車が多く、都内へ向かう17号は異常な混雑。時間に追われていることもあり、早々に発狂する。通常の土曜や日曜の午前であれば40分程度である府川邸への所要時間も、今回は1時間20分程度。定刻の5分間前に府川邸へと到着。もちろんのことではあるが、府川さんは出発準備完了しており、ドラムの機材等々を積み込む。府川邸前は細い一方通行であるものの、朝の通勤時間帯なのか、異常に通行量が多い。忘れ物のないことを確認して府川邸を出発。ここまでは比較的順調な進捗。
府川邸を出発し、5分位走行した段階で突如忘れ物を発見! それは演奏を録音するためのポータブルDATであった。西部警察が如くUターンを決めると(うそ)、府川邸へと逆戻り。やっとのことでDATを探し出して一安心、出発する。ちょっと幸先の悪いスタートか。車内でポケットロイターでオープンしたシンガポールのレートをチェックすると、売られており、吐き気を催す。府川さんとの車内の会話は、まずは昨日徹夜だったらしい伊東さんについて。その後は「ふーいわ」のネタになるような、いつもの会話を楽しみながら発狂的な混雑、渋滞を耐えしのぐ。向かう先は駒沢にある小野寺さんの家。初めて行くので迷うか、と思ったが渋滞を除けば難無く到着し、ピックアップ。
その後はR246を通って東名高速へ。東名の入り口である用賀で伊東さんに連絡をすることになっていたので、府川さんが携帯電話で電話。徹夜のため完全に寝ており、電話にさえ出ないという最悪のパターンも予想されたが、既に起きており、最悪の状況は回避。しかし1~2時間程度しか寝ていないようで、ロングドライブに耐えられるのか、かなり心配。発狂的に混雑していた都内とは違い、東名は快適。10時に予定通り用賀から乗って、10時30分には伊東さんとの待ち合わせ場所である海老名サービスエリアに到着。
ここで3人とも空腹を覚えたことから、伊東さんが到着するまでの間に軽食。なぜか府川さんはサーティーワンのアイスを食べていた。京都までの高速料金等を調べて、もっとも効率的なハイウエイカードの購入に知恵を絞る。ちなみに目的地である京都東インターまでは9850円(普通車)。伊東さんは30分程度遅れて到着したが、それを待つようにしてすぐに出発(午前11時)。伊東さんが先頭、僕が追従するようにして並んで走る。当日は曇りのため、富士山の姿は最後まで見ることができなかったが、府川さんとの車内の話題は景色についてであり、完全に観光モード。最近、最新の携帯電話を購入したという府川さんはしきりにi-modeをチェックしており、完全に取り憑かれた模様。現在位置をおおまかに把握し、その付近の有名スポットを表示するサイトで「登呂遺跡」とか「田子の浦」等の話題で大いに盛り上がる。田子の浦については「田子の浦に うちいでみれば 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」とかいう適当な首を引きながら、これに何の疑問も感ぜず、談笑する(アホ丸出しだが、静岡の田子の浦と奈良の香具山が同居する異変にも感覚を喪失していた)。府川さんの携帯電話のパケット通信料も相当な金額となっただろう。
昼食については、浜名湖で鰻を食そうと決めていたので、最初の休憩はそこと決めていたが、浜名湖まであと一時間というところで、伊東さんから電話。会社から電話で呼ばれているようで、サービスエリアに停まりたいとのこと。これまで100キロ程度で走行していた先頭の伊東車のペースがやや鈍ったので、「もしや寝ている?」と話していたのだが、このような事情によるもののよう。直近のパーキングである日本平で停車、休憩する(午前12時半)。伊東さんの会社への電話が予想以上に長引き、ここには30分程度停車。昼食予定地である浜名湖までは、あと一時間程度。2時前には浜名湖サービスエリアに到着。お目当ては名産の鰻だったが、一般食堂の手前にちょっと豪華めな鰻屋を発見。一般食堂との価格スプレッドを調査すると、櫃まぶしで300円程度であったことから、迷わず豪華めな方を選択。そしてメニューを精査するまでもなく、全員が「お櫃まぶし」(2000円)をチョイスする。
待つ間は、伊東さんが携帯にてHPの掲示板をチェック。すると、予想されたかのように、まだ東京で仕事をしている田村さんからの恨み言のような書き込みが。田村さんが「居残り組」と書いていることに対して、「”組"んではいないので、正確には”居残り”である」旨を指摘。また、9時の新幹線に乗って12時前には着くと書いてあった以前のメールに対して、「ひかり」ではもっと時間を要するはずであり、「のぞみ」なのかも、もしかしてグリーン?等々の話で盛り上がる。そうこうするうちに櫃まぶしが配膳。食する。一見、量は少なめに見えるものの、お茶づけにすると結構な量。気を抜くと、そのまま意識を喪失して寝てしまいそうなほど満腹になる。
その後は浜名湖を見て、一服。個人的に「グリコ屋」というのが気になったので、独り散策。単なる「なつかし系のグリコ専門ショップ」であり、物足りない。キャラメルのグリコがあれば、大量購入しようとしたが、それもなし。残尿感あり。その後は渋滞しているかも知れない名古屋方面に向けて出発。途中でふとバックミラーを見遣ると、パトカーが背後についており、ロックオンされそうになるも、エンジンブレーキで回避。持ち点が底をついていることもあり、焦る。名古屋市内はガラの悪い運転をする名古屋ナンバーが多く、発狂。
名古屋の手前では、通行券交換によるキセル(?)防止のため、通行券の検印。伊東さんがハイウエイカード(考えた挙げ句に割引率を考慮して3万円を購入)を呈示して、先に料金を払い、後続の僕の車の分も併せて払おうとしていたのだが、ここは検印のみ。しかし、どうやら伊東さんと係員との意思疎通が巧く行かなかったようで、係員は必要のないカードを渡されたため、それを怪訝そうに後続の僕に渡す。混雑を予想していた名古屋市内は比較的スムーズ。名古屋空港へ進入する航空機を見ながら名古屋の風景を楽しむ。反対車線は事故があったようで、現場では4駆がガードレールにぶつかり、大破している。その後はもの凄い渋滞になっており、これがこちらの車線であれば、まさに発狂モノ。今回も事故の可能性について考えなくはなかったものの、安全運転を心に誓う(が、すぐに忘れる。。。)。
名古屋市内を抜けて養老インターで最後の休憩。ここで京都まではあと一時間であることを確認、ホテルには6時くらいにはチェックインできるだろうと話す。個人的には以前、新幹線に乗っていて見た伊吹山の景色が気になる。この時は、山の名を検札にきた車掌さんに教えてもらったのだが、当時は雪が降る季節だったこともあり、荘厳な景色だったと記憶。これをもう一度見たかったが、実際は雲に阻まれて行きも帰りも拝むことはできず。その後は琵琶湖に沿う格好で南下し、京都に向かう。あと一時間で着くと思ったが、最後の時間は異常に長く感じる。琵琶湖を見ることができるかとよそ見がちに見るも、わざと見せないようなフェンスがあり、ちらとしか見ることができず、そのチラリズムが余計見たい欲求を誘う。府川さんと比叡山はあっち等々の地理の話で少々盛り上がる。京都市内に近付くにつれてやや混雑してきたものの、そのまま京都東インターで降りる。すでに空はちょっと夕方気味。
山科市内を抜けて京都市街地を目指す。高速の降り口で方向を間違えたためか、山科駅前に出る道に出てしまい、やや混乱したものの、無事に1号に復帰。やや渋滞きみの中、京都市内へと向かう。途中「マンボウや」というパチンコ屋があるも、「マンボウを食わせる店か」と会話。海から遠い京都にマンボウを食わせる店があることを全く疑問に思わないほど、疲労している様子(実際伊豆にはマンボウの刺身を食わせる店が街道筋に存在している→萬望亭。しかしあんな人畜無害な魚を食するというのも人間とは残酷な存在である)。トンネルを通って京都市街。五条を河原町通へと右折。京都は僕がやや詳しいため、伊東車を先導する。向かうホテル「京都ロイヤルホテル」は三条河原町付近にあるため、河原町通を北上。途中、四条河原町の交差点で渋滞するも、懐かしい京都の繁華街を目の当たりにし、また、もうすぐ到着という安堵感もあり、発狂せず。金曜の夕方だからか、四条河原町の交差点は結構な人。そのまま北上し、ホテルを探すが容易に発見、エントランスへと進入する。
てっきりビジネスホテルと思っていたので、ベルボーイのいるホテルとはかなりの意外感を感じる。車を駐車場へ入れ、鞄一つでチェックインしようとすると、伊東さんは車からなにやら楽器を降ろしている模様。まさか楽器を全部部屋に入れて練習か?、と思いきや、EWIだけを降ろして音色等のチェックをするとのこと。この際、伊東さんはベルボーイに「演奏旅行ですか?」と言われたそう(演奏旅行というのも何か古臭い感じの言葉だ...笑、ラグの近隣だけに出演者の宿泊が多いのか?)。
まずは、各々チェックインし(部屋はみな別々)、20分後くらいにロビーで待ち合わせようと決めて、部屋へ。僕と府川さんは隣同士の部屋だった(515と511)。部屋はシングルだったが予想していた通り。可もなく不可もない。ちなみに、このホテルは田村さんがインターネット経由で格安に予約したものだったが、当日午後2時に東名の車内からリコンファームとチェックイン時間(当初午後2時と設定)の変更を連絡した時、ツインで予約していたものがシングルで予約されていたり、混乱を生じていた。また遅れてきた田村さんについては、1日だけキャンセルしたものが、全キャンセルとなっており、こちらもやや混乱。結果としては問題なかったものの、ここらへんの問題はインターフェイスにあるのではないかと府川さんとの議論。
その後、ロビーで落ち合い、早速明日出演するラグを見にいくことに。ラグはホテルから非常に近いと聞いていたが、なんと歩いて1分程度の距離。これならホテルに車を置いたままで機材を運ぶことができる距離にある。ラグはビルの5階、今日の公演がもう始まっており、気になる内部までは見ることが出来ず。入り口まで行くも、そこでビラ等を取って早々に引き返す。何だがちょっと陰気な感じで、第一印象はあまり良くない。というのも、事前情報で「飲食店が多くテナントとして入っているビル」というのがあり、我々の想像では渋谷「ちとせ会館」(大学時代に数度行ったことがあるが、常に前では学生が嘔吐、酔いつぶれているイメージ)を想像していたから(笑)。その後は、皆で夜の京都の街を散策しようということで、四条河原町方面へと徒歩。もう午後7時であり、夕食の時間であるものの、昼の鰻が予想以上に効いており、空腹感はなし。四条河原町や先斗町付近を歩きまわり、風情を味わう。鴨川には夏らしく川床。ここで府川さんは別行動。京都の友人(=明日のライブのお客さん)に会うとのことで、独り京都駅方面へと向かう。
土産で「ようじやの油取り紙」を買いたいとのことから「ようじや」へと向かう。先斗町のお店が化粧品専門店になっていたことから、一力茶屋前の店へ。ここは昨年きたときにはまだ工事中だった。ここで油取り紙を購入(僕が購入したわけではない)。男性には分かりにくいが、ここの油取り紙は女性に異常に人気があるようで、紙にしては高価なそれが飛ぶように売れている。値段をみて「世の中にはボロい商売もあるものだ」とジツと掌を見る。会社の女性にお土産として買って帰ろうかと思うも、「これであんたの顔をテカらせている皮脂でも取りなよ」と言外の意味に取られても困るので断念。なお、携帯(foma)でマーケットを見ようとするが、京都にはfomaのi-modeサービス用アンテナが少ないのか、殆ど使用に耐えず、発狂。「ようじや」での買い物後は、花見小路のお茶屋街を散策、京都らしさを満喫。その後は四条河原町へと戻り、修学旅行生のように新京極を見て回る。すでに午後8時前だったため、店は閉店しはじめており、ちょっとした寂しさを味わう。新京極にあった神社にお参り。明日の演奏の成功を祈る。
散策しながらも気になるのは、当地の人が話す言葉(京都弁)。是非明日のMCに取り入れるべく、必死でヒアリングを試みる。特に、若い女性の話す言葉にそれが多く聞かれることから、変態視されても仕方が無いほどに聞き耳を立てる。ヒアリングした言葉を実際に何度も練習。京都の人に石持て追われても止むない所業ではある。依然夕食を食べる余裕もなく、コンビ二で飲み物のみ買い物をして伊東さんとは別れ、独り部屋に。暑い中散策したせいで汗だくだったので、シャワーを浴び、午後9時30分に発表される米国雇用統計を待つ。i-modeの受信状況は相変わらず悪い事から、窓際に椅子を移動し、携帯を窓に着けるようにして、レートを見つめる。9時30分に発表された雇用統計は非農業部門雇用者数増減と製造業のそれが弱い内容だったものの、時給/残業時間がやや強めであり、ちょっとポジション対比嫌なムード。総じては弱い内容だったのに、売りが引かないのが気になったが、やはりその後爆落。ヤバいと思ったものの、京都からトレードするリスクも感じて、不貞(ふて)寝に転ずる。
ちょっと寝かけたところに、部屋の電話のけたたましいベル。誰かと思って取ると府川さんがロビーから。友人と会って帰ってきたようで、皆で飲まないかという誘い。気が紛れるかと思ってロビーへと降りる。向かったのはラグ裏のこじゃれた洋風居酒屋で午前3時まで開店。もう午後11時くらいなのに結構人が入っており、活況。窓に近い場所に座り、携帯はi-modeに常時接続にし、レートをアップデートさせながら、ワイン等を飲む。まだ止まらず下落しており(これはダウが爆騰しているため)、完全に発狂する。ポジションを少なくしたとは言え、債券先物で1フルポイント以上も動くと結構ヤラれることから、頭の中に損失額がグルグル回ると同時に酔いも回る。
バンドの事等をいろいろ止めどなく話すうちに、気が付くともう午前1時。明日に差し障るといけないのでホテルへ引き上げる。明日は8時に集合して朝食と観光の予定(笑)があるため、寝ることに。ベットに入るともう記憶が無くなっていた。2日目朝。完全に日々の習慣で午前5時に自動的に目覚める。睡眠時間は4時間ということになるが、これでは夜に破綻することが見えているので、TVでニュースをつけたまま、もう一度微睡(まどろ)みを試みる。無理やり寝るともう7時。シャワーを浴びて着替え、外出する用意。ロビーで集合した後は、有名な珈琲店であるイノダコーヒー店へ徒歩。三条にある本店まで10分ほど歩く。天気良好で、朝からやや強い陽射しを感じ、爽快な気分。完全に観光モード。天気予報では夜から雨ということで、ライブの客入りを心配させるものだったが、それが想像できないほどの好天気。道に迷うことなく、イノダコーヒー本店着。ここは前テレビで見たことがあるが、朝食を取るにはまさに最適の雰囲気。ここでみなモーニングセットを注文する。コーヒーはネルドリップで酸味の効いた濃いタイプ、あらかじめミルクが入っている。
時間をかけて優雅に朝食を済ませた後は一旦ホテルに帰り、いざ清水寺へ。途中三条通りで楽器屋を複数発見、興奮する。ホテルからは車1台に乗り込み、清水寺。格安の駐車場を探して寺付近を回るが、最も寺に近い市営駐車場に駐車。徒歩で清水寺へと向かう。寺への参道は土産物屋が軒を列ねるが、早くも修学旅行生の大軍を遭遇。土産物屋は、アイドルの写真等「なんで京都で?」的なものを売っている店も多く、その軽さだけが取り柄の茶パツのお兄ちゃんが、修学旅行生を必死に呼び込んでいる。職業に貴賎なしと言えども、それを強く感じる。このことをメンバーで議論しながら、同時に自分たちの土産物も物色。スケジュール的に土産はここでしか買えないため、修学旅行生に混じって買い物の目星をつける。その後は清水寺。
この間まではなかったと記憶する「胎内巡り(100円)」をトライ。これは長野の善光寺にもあるが、真っ暗やみの通路を手探りで進むというもの。アトラクション的要素も多分に含まれるが、人生真っ暗やみの中で仏(いわゆる光)にあった時の有り難さを感じ取るため、という「建て前」がある(しかし、今の心境にも似ているものがあるのは否定できない)。脱いだ靴を入れた袋を右に持ち、左で壁にある手摺(これは数珠の形状)をつたいながら進む。咄嗟に右左の分からない僕は左に袋を持っていたため、案内のオヤジに「左手(を壁の手摺から)離すと帰って来れないよ」と笑って冷やかされる。
中は本当に真っ暗で、何も見えない。目も暗さには慣れず。その先に置いてある大きな円盤状のものをまわして、願い事を「ひとつだけ」言えと言われるが、この後に及んで「ひとつ」には絞りきれず。結局、汎用性が高いと思しき「幸せになれますように」(苦笑)という苦し紛れのお願い。人間の弱さを痛感する。
ここを出て石段をのぼると、いよいよ有名な清水の舞台。しかし、石段では日頃の運動不足か、府川さんともども情けないことに「はあはあ」と言ってしまう。これまで何度も来たことがあるものの、実際の清水の舞台を目の当たりにするとやや興奮。欄干まで寄って下を見るが、舞台は庇(ひさし)状に欄干方向へ行くほど傾斜しており、やや高所恐怖症気味な僕は長時間留まることができず。その後は、順路にそって進むも、正面に絵馬を吊るしたスペースあり。イケナイとは思いつつも、その内容を見るに、「(具体的な学校名を挙げて)受験に成功しますように」とか、「○○ちゃんと幸せになれますように」等のダイレクトな欲望がむき出しで、人間の深い業を思い知る。
ここで小野寺さんが引いたクジは大吉、内容で盛り上がる。清水の舞台第二を見た後で、上から落ちてくる水を柄の長い柄杓で受け取る、これまたアトラクション的色彩の強いコーナーへ。この柄杓(ひしゃく)にダイレクトに口をつけて水を飲む人がいることを考慮してか、この柄杓は紫外線滅菌装置の中に入れられており、滅菌済み。異常なる配慮であるが、滅菌前になにか事件が起きたのか、その事件内容についてあれこれ想像を巡らす。世の中の無菌化/滅菌化の流れはついにここまで波及。なお、この際の水は別途販売(500円だったか?)もされており、あまりの商魂逞しさに唸る。ついでにお守りも売っていたので、つい、商売柄見てしまうが(ちなみに僕は一応無神論者なので会社にお守りの類いは一切無い)、内容は「商売繁盛」程度は許すにしても、「出世」というタイトルのものは異常に欲望がマル出しなネーミングであり、げんなりする。見るところ汎用性の高い、包括的なお守りはなく、個別に専門化しているのは世の中の「専門化/特化」の流れに沿った現象がお守りにも波及しているのかと思いきや、単なる商魂の為であることを理解するには時間を要せず(つまり、多くの願いをお守りに託そうと思えば、その願いに沿った数のお守りを購入しなければご利益もないというものだ)。
その後は、舞台を下から眺める道を歩いて出口方向に向かう。舞台は木造建築だったと記憶しているが、あの木の柱の中には実は補強の鉄筋が入っているのだと冗談。
その足組付近には侵入者を発見するのか、赤外線防犯装置のようなモノが設置されており、その意味について議論。その後、峠の茶屋風の休憩所を通過。見るに「冷やし飴」なるメニュー発見。どうやら冷たい液体のようだが、その味について議論。違和感を覚えるのは飴というイリキッドさと飲み物というリキッドさの矛盾。値段的にはコーラ等より安い(コーラ300円に比して200円だったか)ことから、その質素さ、素朴さは理解できるが、具体的イメージはできず。試しに飲む勇気もなく、議論のみで通過。
その後は仁寧(二年)坂へと向かう。ここは修学旅行生がまったくおらず、非常に静かな雰囲気。府川さんは以前学生時代にきた印象に比べずいぶん異なるらしく、京都はもっと勉強して大人になってから来た方が、その良さが分かる、という持論をぶつ。ここでは、香を売る店に入り、試香しまくる。会社で気分を鎮静するために、香でも焚きたいところだ(前回6pでもMCで紹介したがアロマテラピーは実践済み)が、火が必要なので断念。家でも夜仕事時に焚きたいが、家人にますます変態視されるのでこちらも断念。香で黄色の粉末状のモノがあり、ターメリックではないものの、嗅いでみるとまさにカレー。皆で「カレーだ!!」と、店の人の苦々しい表情も気にせずに盛り上がる。発見、カレーもお香であった!
その後お香屋を出て先を進むと、道端で「冷やし飴」を売っているのに遭遇。それはやや褐色をした完全な液体であり、高流動性(撹拌しながら販売していてこれは判明)。ここでも飲んではみなかったものの、味的には黒砂糖ベースを想像。その後、高台寺付近で突き当たり、そのまま今後は爺ちゃん婆ちゃんの団体一行に混じって元来た道をUターン。そろそろ午前11時付近、ラグには13時入りであることを考えると、そろそろ帰りモードに入らなくてはならない。しかし気分は完全に観光モードであり、この後演奏があるとは全く想像し得ない状況。ここで今日朝東京を出発して新幹線で追い付いてくる筈の田村さんの動向が気になる。携帯で電話してみるも繋がらず、車内で駅弁でも食しているかと想像。時間が合えば京都駅まで迎えに行ってもよいかと話していたが、時間が合いそうになく、とりあえず断念。最後に、目星を付けていたお土産について、修学旅行生に混じって購入に走る。僕個人では、聖護院八つ橋と豆煎餅を大量購入。八つ橋は生(なま)だが、10日は持つとのことなので、この際この場で購入。他の皆も購入している模様。
その後は駐車場へと戻り、ホテルへ。清水下の交差点で信号待ちをしているところで、京都駅に着いたという田村さんからの電話。ここから京都駅までは10分程度であり、急遽迎えに行くことに。田村さんには「京都駅前は人が多く、探すのに苦労するから、目立つようにライブのビラを配りながらギターを弾きつつ待っているように」と指示しようとするも、リーダーにそんなこと言えるはずもなく、提案段階で却下。京都駅が正面に見えてきた段階で田村さんに再度電話。烏丸口に出てもらうよう伝えるが、既に烏丸口にいるとの事。車を停めた後で目印を指示することにして、駐車場所を探す。駅前に停めて田村さんに目印となる看板を指示するも、そんな看板は見えないとのこと。おかしいと思い良く確認すると、逆の七条口に出ていた模様。皆で「ガ~ク~」を連呼。10分ほど待つとバックミラーに田村さんの走る姿。無事に合流し、ギター/荷物を積むとホテルへ向けて出発。
1台にドラム/ベースの機材を積んで、5人乗る状況。警官に見つからぬよう走る。車内ではまたもや椎名林檎。府川さんがメロディの良さについて力説。思いきり影響され、今日のライブではベースを歪ませてみようかな、と思うが、今日は大切な演奏なので、無茶も出来ず断念。明日の朝食については「瓢亭」にしようと提案、田村さんの了解もとり、伊東さんが車内からすぐに電話で予約。予約も難無く取れ、明日東京に帰る日の朝食は9時から超高級料亭の「朝粥」に決定する。田村さんは東京発9時の「のぞみ」で来た模様。さすがにグリーンではなかった。
土曜の昼近くであることからか、四条河原町付近の交差点は異常なる混雑。八坂神社方面に急回避してホテル着。時間前ではあったものの、田村さんは一応のチェックインを試みる。一流ホテルならこの程度全くokであるものの、京都ロイヤルは二流以下だったためか、しばし待てとのこと。聞こえよがしに罵倒する。EWI用意のために伊東さんは部屋へ。残りの三人はホテルのラウンジで喫茶。三人は皆、観光後の寛(くつろ)ぎモードで緊張感皆無、完全にライブのことは失念。府川さんは注文したカフェオレが沸騰しており、熱くてカップさえ持てないと発狂。その後、ロビーでもう一度集合し、いよいよラグへと向かう。
機材はホテルの駐車場から直接手で運搬。毎度のことだが、ラック等が異常に重い。今回は全く手抜きもなく、皆、いつも使用している標準のセットを持ち込んだ。ラグ店内に機材を搬入。事前に六P程度の大きさと聞いていたものの、ややそれよりは狭い印象。シルエレよりは広いものの、ステージについてはシルエレ程度の広さか。ラグでは今回の企画者でもある藤井さんのバンド「荘園」がリハの最中。とりあえず客席に機材を搬入する。リハの時間は各バンド一時間程度だったものの、初めての場所ということもあり、機材のセットに時間を要する。通常シルエレならば2時間、六本木pitinnでも1時間はリハ(演奏のみ)をするので、かなり焦るが、対バン有りなのでこれは全くやむを得ず。結局演奏は15分位、基本的にはサウンドチェックとモニタのバランスをチェックして終了。ただ短時間のわりにバランスは比較的良好だった(リハの時は、という前提条件付きながら)。
次に出演バンドの全員が集合すれば良いのは4時ということで、それまではランチ。
ランチの場所については、京都らしいところを、と考えるも、昼にそんな場所もあるはずもなく、三条の路地を入った「カフェパリ」という、ランチもできるこじゃれ系な喫茶店。ここでサンドイッチやパスタをとりながら1時間程度を雑談に費やす。その後、午後4時前にもう一度ラグへ。戻ると、最初に演奏する「igzit-nine」のリハ途中(基本的に逆リハ)。聞くが、出音のバランスの悪さに不安が過(よぎ)る。ギター/キーボードの中高音パートがピーキーで耳に来るほどにデカく聞こえる一方、ベース/ドラムのローエンドが非常に線細く、僕らもこうだったのかとしばし愕然、かなり不安になる。最悪、手元のベースアンプからの出音でカバーするしかないか、とも思う。その後、午前の観光の疲れが出てきたのか、異常な睡魔に襲われ、リハ演奏の爆音の中、椅子に座ったまま睡眠。リハ後はCD等の販売割り振りのミーティングがあり、その後は開演まで自由時間。本番に備えて、ホテルの部屋に戻り、シャワー。その後、15分程度仮眠。
ラグに戻ると、結構なお客さま。中には見知る人もいて、ちょっと心強くなる。外人のお客さんも複数名いて、この状況が理解できなくなるが(後で聞くところによれば、一人は“Tower of power”のメンバー、他はラグの常連とのこと)、これまで異常なまでに凪いでいた緊張感も否応なく高まる。ミキサー付近に生録用のdatとマイクをセットする。ライン録音については、一応録れるものの、モニターかメイン系統の音であり、バランスは保証できないとミキサー氏の言。ラインを捨ててマイクのみにする。遠くから来て下さった、こはらさん等と談笑するうちにいよいよ本番。開会の挨拶の後は「igzit-nine」からスタート。このバンドは今回出演するバンドの中で、我々に比較的近い感じと予想していたバンド。初めてのライブということでやや緊張気味であったものの、複雑なリズムを織り込んだ演奏はなかなかのもの。バンド全体としてはリハの時にあった低音/アタックの無さが本番でも同様で気になったが、これはどうやら各プレイヤーの出音に起因するもののよう。PA以前の出音/タッチの重要性を認識させられる。初ライブということでややリズムがズレる場面はあったものの、このバンドの持つポテンシャルは相当なもので、将来性を最も感じたバンドだった。個人的には、機材のセッティング等を含めて、個性的なプレイをしていたギター氏を最も気に入る。
一時間程度の演奏後は「荘園」。ちなみにこのバンドは今回のライブ主催者であり、我々に声をかけてくださったFさんのバンド。演奏が始まると、前の「igzit-nine」とは相当違う出音に、出番を前に待機していた楽屋でビックリ(ちなみに楽屋はこれまでの出演者のものと思しき多くのサイン/落書きが壁一面)。バランスもよく、パンチが効いており、3ピースであることも要因ではあるが、それぞれの音が明確に聞き分けられる。曲もリフ等で目を見張るものがあり、演奏面では今回出演したバンドの中で最も良い出来だったのではないかと思われた。楽器各人のバランスというものが非常に重要であることを痛感、まさに三脚の椅子を連想。どの脚も長短過不足なく、バランスが取れていることで全体として非常なる安定感/一定感を生み出すものだ、と改めて痛感。バンド運営上はこの「どの脚も長短なく」というのが重要で、これが崩れることで、バンドが音楽的/組織的に崩壊する例はかつてのフュージョンバンド「カシオペア」を見ればあまりに明白。かつての栄華を失って余り有るカシオペアの瓦解ぶりはこれに起因するか。
他のバンドの演奏を聴くと、鼓舞される一方でより緊張感が増す。今回は移動もあって、前日に練習できなかったこと、リハも十分ではなかったこと、等々の不安要因のみが浮かび上がり、不安感も増す。そういった意味では、ここ最近のライブの中では最も緊張した状況。東京と同じく、出番前には皆で握手をし、保守的にならず思いきり演奏することを確認するといよいよステージへとあがる。今回はもちろん聴衆の前での機材セットから始まるわけで、転換時間として用意された15分で全てが完了するかが一番のネック。時間に潔癖なサラリーマンということもあり、他の人に迷惑をかけたくないという気持ちも一層の焦りを誘う。しかし、大きなトラブルもなく、予想外に早くセッティングは完了(後で聞くところによれば結構、セッティング不足があったようだが)。そして、ついに演奏が始まる(例に漏れず、演奏内容についての自身のコメントはここでは割愛)。
個人としては中盤で左手人さし指がツって(コムラ返りを起こして)非常に難儀。準備運動不足かと悔やむが、唯一あった静かな曲の時に、泣きそうになりながらも回復運動をし、結果としては演奏を止めてしまうこともなく、無事に終了。もっとも緊張したと言っても過言ではない関西初MCの方も、お客さんみなさんに暖かく迎えて頂いたという感じ。MCについては「おばんどす。SideStepsのライブによう来てくれはりました~。」で始めようと堅く心に誓っていたものの、関西人に石持て終われる姿を想像し、いきなり本番で断念。「皆さん、僕らの話す標準語分かりますか?英語の方がいいですかね?」とかいう、顰蹙/喧嘩必至のMCも用意していたが、全くそれどころではなかった。ちなみに、演奏内容は持ち時間が一時間であったということもあり、一曲を除く全てが激しい曲のみという濃い構成。プログレというイベントの性格上も考慮して、SSの中ではプログレ色の強い曲を中心。
演奏終了後は急いで撤収、最後のバンド「interface」の演奏となる。「interface」については演奏の核となるボーカル+stick(!!)が虫垂炎(いわゆる盲腸)で欠席という波乱の中、3ピースでの演奏。内容としては個人的にイメージするところのクリムゾンに似ており、抽象的な雰囲気が良い具合に醸し出されていた。何にも増して面白かったのが、MC。関西弁ということもあり、ドラムとギターとの絶妙なやり取りには関西人のポテンシャルを非常に感じる。特に東京からきた我々には異常に新鮮で、メンバーの座席付近は爆笑し通し。最後の演奏も終了、閉会の挨拶とともに今回の「progressive-rock workshop vol.1」も成功のうちに終了。これほど強い印象/刺激を4人に与えたライブはなかったろう。
残った機材を撤収し、ホテルに停めてある車まで運ぶ。外は雨が降ったようだが、この時には既に止んでいた。伊東さんの車は立体駐車場に入っており、そこは完全に電源が落ちていたため、機材が積めないか?=ホテルの部屋に搬入するか?と一瞬不安になるものの、ホテルのベルボーイが稼働させてくれて問題なく積むことができた。終了後にCDを販売している場所にいると、女性に握手を求められる。その小さい手でどうやって弾いているのか等々を質問(よく言われるものの、毎回適当な回答が見当たらない。。。)され、左手/右手別々に握手を求められたのには少々焦るものの、この方は某バンドのボーカルであったことが帰りの車内で判明。曰く、「さっきMCでサラリーマンと言ってましたけれど、昼間はどんな仕事をしているのですか?」と聞かれ、(正確には夜もなのだがと思いつつ)「僕は銀行なのですが、他の3人はメーカーです」と、まるで就職活動時の希望業種を答えるかのような応答をしたところ、「そうですか、どうりで演奏がキチンとカチカチ決まっているわけですね~。堅い職業の方ではないかと想像していました」といわれ、思わぬ発見に唸るとともに、目ウロコ。社会通念と比較して、それぞれメンバーは同業者中では相当くだけていると思ってはいるものの、それが演奏にまで出ているとは、今回初めて指摘されて発見した事象。
機材搬出が終わると、ラグでそのまま打ち上げ。ラグはライブ終了後は深夜営業のバーとなるため、そのままそこで打ち上げを行う。乾杯をした後は、いろいろなバンドの人と話す。音楽という共通項があるだけに、それぞれ最初は緊張気味に話すのだが、打ち解けるのは早い。楽器について、音楽について熱く語るところをみると、皆の音楽に対する情熱/エネルギーが伝わってくることで、こちらも同志やパワーを得たような非常に心強い、爽快な気持ちになる。当日はお客さんに対して全バンドについて質問した一枚のアンケートが配付されており、回収されたそれに目を通す。初めての京都/関西ということもあり、お客さんの反応については、非常に興味あり、かつ、不安があったものの、内容をみるとどれも好意的な内容で一安心。京都まで来た甲斐があったものだ、としみじみ痛感す。
その後は再会を期して三々五々解散となるが、帰るホテルが近くである我々は、気が付くともう最後に近い。ラグではステージ上にプロジェクタを置いていろいろなライブ映像を流していたが、それがフュージョン/プログレだったのは、本日の公演が「progressive-rock workshop」だったからであることは容易に想像される。かなり古い映像でみるELPやSoft Machine、King Crimsonのかなりエキセントリックさに衝撃を受け、皆で盛り上がる。演奏もそうであるが、演奏者の表情等もクスリでもやっていなければ、ああはならないといったほど、イッている感じで素敵。特に印象に残ったのが、The Niceの”Hang on to the dream”。久しぶりに聞いたが、映像を交えて聴くそれは感涙ものだった。ELP等でもそうであったが、エマーソンは最高だった。
そうこうするうちに時間はもう午前1時。明日はまた500キロ以上のロングドライブになるため、もう帰って寝なくてはならない。最後まで残っていて下さった藤井さん、西尾さん達に挨拶をするとホテルへ帰る。明日は8時30分にロビーで待ち合わせることを確認すると、それぞれの部屋へ。昨日と同様、部屋に戻ると完全に意識を失い、すぐベットへ。泥眠する。翌日はいつもの如く、寝ていなくてはならないと思いつつも、どうしようもなく午前5時頃目が覚める。もう一度微睡みを試みるが、やはり6時が限界。
本(ちなみに京都で読もうと思って持ってきた本は清沢洌「暗黒日記1」)を読む気にもならず、シャワーを浴び、鞄を整理して帰りの支度をする。
整理している最中に、突如「鞍馬/貴船方面へいってみようか」という気が起き、即実行する。誰かメンバーを誘おうかと思うが、未だ寝ていたら悪いと思い、独りで出発。鞍馬への方向感は分かっているものの、地図がないので、ホテルのフロント横にある非常に大雑把な京都市内観光マップ的なものを貰って、車で出発。出たのは午前7時前だったので、いくら何でも集合時間の8時30分までは帰って来られるだろう。外は雨、河原町通りを北上し、鞍馬街道にいくつもりが、単に出る方向を示す看板に沿って走り続けると岩倉/修学院方面から住宅街をクネクネと高速でラリーして鞍馬にアクセスするという異様なコース。途中何度も「この道で良いのか」と非常に不安になるが、とりあえず人気(ひとけ)のない道を爆走する。ようやく鞍馬街道に当たると、その後は実質対向車とはすれ違いにくい細い一本道。ここを十数分登りきるとついに鞍馬寺。
市内で降っていた雨はもう既に止んでいた。門前に車を路駐して山門へと向かう。
山門を抜けてから思い出したのだが、ここは山門から本殿までが登山で、そのためにケーブルカーもある位であることを思い出す。もちろん、登山なんかしていると時間に帰って来れないばかりか、体力的にも無理があると感じて、山門までで早々に引き返す。そのまま、元来た道を戻って、貴船方面に行くことに。貴船方面は貴船神社付近に雰囲気の良さそうな旅館が川沿いのこれまた細い道沿いに軒を列ねているのだが、ここを再び十数分登る。貴船川(?)沿いにはここにも川床が設けられており、市内鴨川のそれより一層風情のある様子。ここを抜けると貴船神社となる。さらにその奥にある小さな神社にお参りをし、貴船神社にも参る。勿論人は全く居ない。鞍馬山の深い緑に覆われた暗い、幻想的/神秘的な雰囲気をちょっと満喫した後は、急いでホテルへと戻る。
帰りは大きな道に沿ってひたすら南下すればよいので、道に迷う心配は全くなかったものの、日曜朝に車で通勤する人も多いようで、ちょっとした混雑。結局ホテルに滑り込んだのは集合時間の5分前。ロビーを抜けて部屋に荷物を取りに戻るも、ロビーにメンバーの姿はなく、間に合ったことを一安心。荷物を取ると、忘れ物がないかを確認して、ロビーでチェックアウト。一泊7800円。他メンバーも時間通りに集合。車に荷物を積むと、朝食を取りに南禅寺前「瓢亭」。駐車場に車を停め、茶屋風入り口で20分ほど待つ。ここの朝食は予約制で朝8時からだったのだが、前のお客さんが押している模様。案内されると、その大きな庭園には川や池がはり巡らされ、大きな錦鯉が泳いでいる。それをみながら離れ風の建物へと案内され、L字型に座る。朝の爆走も影響してか、畳にそのままごろりと横になり、手足をバタバタさせたい気分ながらも、できず。皆やや緊張の面持ち。
出てくる朝粥定食は、結構な量。粥が中心かと思いきや、完全な会席。小鉢や吸い物、焼き物(小鮎)で、朝食にしてはしっかりとした量で、また昼食が時間に食べられなくなるかも、と話す。ここに来てやっと京都らしい食事にありつく。味的に派手さはないものの、丁寧な作り。当然のことではあるものの、焼き物、吸い物は常に温かい状態で配膳され、給仕の方のマナーもしっかりしている。メンバーはこの建物の構造に興味があるらしく、周到に隠された冷房の吹き出し口を発見したり、畳にある半月上の取り外し可能な板の意味を女中さんに質問(当初は鍋のための火器を置くためという説が有力なるも、答えは座敷で正座出来ない場合に脚を降ろすことのできる穴であった)したりして、興味津々。満腹の中、お茶を飲んで少し休憩をした後は会計(一人5500円)を済ませて、車へと戻る。
お土産を買い増したいというメンバーの要望のため、四条にある井筒八つ橋。その後は1号線→京都東インター。さようなら、京都!。また来ることを皆で誓う。ちなみに帰りの配車は、岩井車に田村さんと府川さん。京都東インターから名神自動車道に乗る前にガソリンスタンドで今回初めての給油。その後、車内で「どうしても昨日録音した演奏を聴きたい!」となり、カーステレオを駆使してdatに電源アダプタを接続。ボルトがやや合わなかったものの、見事にdatは駆動。FMトランスミッターで音声をFMに飛ばして受信することで、完璧に聴くことに成功。自らの頭の良さに感服する。さらにFM電波化したことで、伊東車もこれを聴くことができるはずなので、携帯で伊東車に電話、FMの周波数を89.1に合わせてもらうよう指示する。
その後はしばし演奏を聴く。伊東車とあまりに離れると電波は届かないこともあり、ぴったり追尾する。マイクの録音状況は良好。各楽器のバランスも比較的良く、リハの時にあったような懸念は完全に杞憂だったことが判明。演奏上のミス等もあったが、比較的良い演奏だったと自画自賛。府川さんは演奏上のミスをテープを巻き戻しながら検証。帰りは早く帰りたいとの気持ちもあり、行き以上にスピードが出る。平均110キロ以上で、パトカーを常に警戒しての運転。行き以上に休憩も取らず、ひたすら東京を目指す。京都東インターに入ったのが午前11時。名古屋市内も比較的空いており、順調に進む。行きの時はその後の疲労を考慮して2時間に一回程度は休憩をするも、帰りは走れるところまで走るスタイル。
まず休憩したのは名古屋を越えた上郷サービスエリア。助手席に座っていた田村さんが連日深夜まで仕事をしていたせいか、グロッキー気味だったので、後部座席へ移動、そこで横になってもらうため。ここでソフトクリームを購入し、東名をひたすら東京方面に爆走する。次は時間的にも都合良く、景色もよいだろうということで、由比SAに決定。途中はジョンスコの新譜を聴いて盛り上がる。寝ていたはずの田村さんも突然起きて、府川さんにこのようにドラムを叩けるか等々の議論。由比SAは遠州灘を一望できるところで、唯一東名が海岸線に面している場所。2時間程度で難なく由比に到着、小腹が空いたということで、食堂でちょっと遅い昼食。ここはサクラエビが名産とのことで、桜えび天そばを食す。駅の立ち食い蕎麦屋と同様に、マズ上手い味。結構美味しくいただいた。展望台に登って海を見る。対岸に見えるのが伊豆半島で、本来なら富士山も見えるのだが、ここでも雲に覆われており見えず。
その後は御殿場方面に向けて、最後のSAである海老名に向けてもう一走り。車内では富士山について田村さんが登ったときの苦労話。一言でいえば二日酔い。個人的に二日酔いになったことはこの方ないので、ビビる。日本人なら一度は登るべしとのお達し。その後は、今後の活動についていろいろ議論、昨年は水戸、今年は京都と毎年1回は遠征があるという状況になってきており、機材の軽量化等について議論をするが、結局機材は減らないだろうとの結論に落ち着く。厚木付近(よく聞く”綾瀬バス停付近”というやつだ)は慢性的な渋滞ポイントであり、当日は事故もあったようで、渋滞にハマる。この渋滞で相当時間をロスしたものの、海老名SAには午後4時頃到着。今回の京都行の交通料金等々の清算を済ます。
これを済ますと、ここで解散。といっても伊東さんのみが青葉インターから降りることになるため、小野寺さんが当車に搭乗。SAを出ると、ちょっとした渋滞に飲まれるが、青葉インター過ぎにはもう解消。並走していた伊東さんは独り青葉インターで降りる。お疲れ様でした。車内ではブレッカーブラザーズ。昨年夏の水戸遠征の時に演奏した曲もあり、その時の話で盛り上がる。その後は順調に東京インターまで進む。ここも慢性的に込むが、その横、全く車が通らないECT専用レーンを横目に、それについて議論する。府川さんが米ボストンでは、複数が乗り合う車が優先的に通行できる専用レーンがあるという話。違反防止の為にカメラが設置されているとのことだが、それでは空気で膨らむ人形を助手席に乗せることで対抗したら、そのマネキン販売も商売になるかも、と盛り上がる。また、料金所の係員に走ってきた距離に応じてそれなりの労(ねぎら)いの言葉をかけてもらいたい旨の話。しかし京都東からの走行も労われず、普通に料金支払い後は用賀で東名を降りる。この時点で午後5時前、京都からは6時間程度の走行だった。往きに比較すると渋滞に巻き込まれたにも関わらず、相当早いペースでここまで来たことになる。
環8→R246→環7とすすみ、小野寺さんを自宅付近で降ろす。時間は午後5時過ぎ。
お疲れさまでした。その後は田村邸へ向かう。こちらも空いており、到着は午後5時半前。楽器等を降ろすが、田村さんはこれからまた出社とのこと。重ね重ねお疲れ様でした。その後は淡島通り→山手通りと走り、府川邸に向かう。夕方の都内は結構混雑、渋滞気味なるも、府川邸には午後6時半前に到着、機材を降ろす。お疲れ様でした。最後の気力を振り絞り、いつものようにR17を北上。比較的空いており、午後7時過ぎには到着。ふとメーターを見遣ると、3日間での総走行距離は1101キロ。勿論、楽器を降ろす気力もなく、鞄とお土産だけを降ろすと、そのまま夕食も取らずに爆睡。気が付くと月曜の朝であった。お土産を忘れないよう、会社へ行く用意をする。(完)