Side Steps' Today

裏版Side Steps' Today

ハンズフリーで寝たままスマホ…人間失格(1)

2021年01月30日 | 機材マニアック
第一の手記
恥の多い生涯を送って来ました。自分には、寝そべったままハンズフリーでスマホを見たい、という欲望がどうしても抑えきれなかったのです。そうしたいと思ったのは、よほど最近になってからのことでした。自分はその欲望を満たす商品は、世の中に普通に存在するものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。そのような気のきいたサーヴィスは世の中に普通に提供されるものとばかり思っていたのですが、のちにそれを完璧に満たすものはなく、実利的な段階にあるものはないのを発見して、にわかに興が覚めました。自分は子供の頃からテレビをみることは少なく、つくづく、それをつまらないものだと思い、それが案外に実用品だった事を、五十歳ちかくになってわかって、人間のつましさに暗然とし、悲しい思いをしました。つまり自分には、人間の営みというものが未だに何もわかっていない、ということになりそうです。そこで考え出したのは、これからはテレビをみたい、できることなら、寝そべったままハンズフリーでスマホでテレビを見たい、ということでした。お茶目。自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。これを作り出す事に成功しました。けれども作り出したものは、そんなお茶目さんなどとは、凡そ対蹠的なものでした。購ったのはショートブームマイクスタンドでした。ドラムのスネアやバスドラを蓄音するさいに使う、マイクスタンドです。ショートブームというのがポイントです。これまでは床に肘を立てた格好で、仰向けにスマホを見ていました。しまいに血流が下り、痺れをきたして、これでは永くはもちません。肘から手首までの長さは、足の裏の長さと同じ、というトリビアがあるようですが、これがまさにショートブームの部分の長さになります。なんだ、ベース奏者がショートブームのマイクスタンドを購ったのか?へえ?お前はいつドラマーになったんだいと嘲笑する人も或いはあるかも知れませんが、安物のスマホスタンドへの不信は、ドラマーへの道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。(続)

映画「音響ハウス Melody-Go-Round」

2021年01月23日 | CD批評
(4)
(まだご覧になっていない方にはネタバレの危険性あり、ご注意)
その他、印象に残ったコメントをいくつか。インタビューなので脈絡がない構成になっているのは前述の通りだが、デジアナ論争(アナログからデジタルレコーディングへの移行の話)が映画中になぜか出てくる。これはスタジオとは直接的には関係ないが、このスタジオや登場するミュージシャンの全盛が80年代ということが影響している。「アナログのテープ巻き戻しの時間が重要」と云うのは大貫妙子。テイクを重ねる時にこの巻き戻し時間で次のテイクへの心の準備や戦略を練るのだが、デジタルではその時間が少ない、と。現代のPCによるレコーディングなら、非破壊的にループでほぼ無限にテイクを録ることができるので、さらに心の準備や戦略を練る時間はない。その結果、偶(たま)さか録れた良いテイクを採用、という偶然に依存した内容であり、当時の(精神論的だが)「一球入魂」のレコーディングスタイルとは随分違う様相ではある。良し悪しは微妙だが、個人的には(古い人間なので)「一球入魂」が志向だが。また、松任谷正隆は「アナログをデジタルレコーダーに流し込んだ時、重箱に詰まった料理を皿にぶちまけたようにスカスカになった」と述べているが、会話の流れやトーンからアナログ賛美なのかデジタル賛美なのか捉えかねたが、体感的によく理解できる表現方法で、言語における表現能力も流石に卓越。(続)

本自炊惹(ほんぢすいじゃく:本地垂迹) (1)

2021年01月16日 | 文芸批評
コロナ禍という環境下での成果は「本の整理」。これまで本の整理といえば、①古本屋に売却、②電子化して保存、③廃棄という3パターンでしたが、どうも③廃棄というのは気分が悪い。書籍は内容の充実度の割には驚異的に安価であり、作家の労力と価格とが見合っていないのでは…と思われるほどパフォーマンスの良い娯楽(?)と思うのですが、この場合通常であれば「コスパが良い」なんて表現するのが申し訳ないくらいに貴重なプライシング(価格設定)になっているものだと思います。よってそれを捨てるというのはどうしてもできない。世の中には同類の人が多いようでして、その意味では非常に心強いものがあります。この辺りは「本で床は抜けるのか」(西牟田靖・著)等蔵書についての悩みを綴った本は多く出版され、これらが参考になるとともに、同じ悩みを持つ者として共感至極なのです。が、廃棄できない要素を鑑みるに①「書物を跨いではいけない」という類の「勿体なく申し訳ない」という感覚に加え、②再入手できないかもしれない、という漠然たる不安もあります。実際に読み返す機会というのはごく稀であり、インフローの方が圧倒的に多いので再読の暇さえもないのですが、読んだ本が溜まっていくというだけでも心理的な安心感は十分。最近ではネット環境により古本へのアクセスも非常に容易になっていることから、この手の不安はやや和らぎつつあるものの、反面では中古市場での貴重さが露わにもなりやすくく、文庫の古本で1万円以上、新品本もなく電子化もされていないという書籍にブチあたると何とも絶望的な気分になり、絶対廃棄してなるものか(かなり歪んでますが…)とも思ったりするもの。余談ながら、通勤途上には資源ゴミとして書籍を軒先に出している家が多くあります。もし許されるのなら、全て中身を確認して面白そうなものはピックアップしたいという衝動に毎度駆られます。(続)

※写真は東日本大震災(2011.3.11)で倒壊した本Tower(本棚に入りきらない本を平積みで数棟のTowerにしていたもの)

玉肌日記

2021年01月09日 | 玉肌日記
【草津温泉(群馬県吾妻郡草津町)】
再びの草津温泉。ニュースを見ていて思うのは今年は北陸中心にクマによる被害が多く出ていること。北陸ではないが、同じく群馬県のみなかみ町では深夜の露天風呂に向かったところクマと遭遇!という事件が発生(軽傷とのことで、なによりです)。宝川温泉汪泉閣と報道にあるが、それは大露天風呂が有名なところ(当方は未訪問)。深夜に独り、その大露天風呂に浸かりたい気持ちは非常に分かるが、クマ・リスクがあるともなるとこれは怖い。こちとら入浴なのでマッパ(=真っ裸)な状態でクマに襲われるのは本当に御免被りたいが、この写真のような開けたシチュエーションでは時節柄どうしてもクマ・リスクを考える。しかも深夜、その闇と同化したクマが突然現れたら…。クマに遭遇した際に重要なのは「動かないこと」なので、入浴中であれば動かずにずっと温泉に浸かり続けるべし。なのだが、草津の湯は熱く、クマが早く立ち去るのが先かこちらが上気(のぼ)せるのが先か。極度の近眼な当方にとって、草津の湯はメガネレンズに大敵なので草津に限っては入浴時に眼鏡を外すが、これではクマの出現さえ分からないながらも、どうしても周囲を警戒。露天風呂から出た状態で遭遇した場合、距離がある場合は背中を決して見せず、ジリジリと後退するのがセオリーだが、マッパでタオルで前を隠しながら(クマ相手に敢えて隠す必要ないが)冷静に後退できるか?近距離の場合は頭を手で覆い、地面にうつ伏せになるのがセオリーのようだがそれもできるのか?などなど、様々なシチュエーションでのクマ防衛策を考えていると、せっかくの温泉入浴も全く落ち着かない。しまいにはアホらしくなり、すくなくもと襲撃リスクは圧倒的に低いと思われる内湯へと移動。こちらの湯は万代鉱を引湯しているが、泉質素晴らしく、しばらく硫黄臭が残る。嗅覚に優れる(人間の2000倍、警察犬の10倍と言われる)というクマは硫黄臭、さらには硫黄臭をしたヒトを好むものだろうか。

本年もよろしくお願いいたします

2021年01月02日 | 時事批評
2021年もよろしくお願いいたします。
2020年末はクリスマスや年末といった季節感が全くなく、正月も最も曜日の並びが悪いパターンにて全く正月感もなし。その一方でパンデミックは収まる気配は見えず、予測中央値では正常化するには来年(2022年)初旬まで要するとのこと。ニューノーマルとか言われる新生活様式も根付いたのか根付いていないのか微妙な感覚で、今年もいろいろな意味で我慢の一年となりそうです。引き続き、本や音楽といったインドア系に勤しみたいと思います。
まずは心身の健康を第一に、みなさまには今年こそは良い一年になりますよう。