Side Steps' Today

裏版Side Steps' Today

本自炊惹(ほんぢすいじゃく:本地垂迹) (5)

2021年04月10日 | 文芸批評
裁断済みの本はドキュメントスキャナーで読み込んでいきます。読み込み設定は各自のお好みで良いと思いますが、当方の場合、通常の本の場合はグレーのカラーモードを使用して300dpiで読み込み、PDF化します。白黒だと画面で表示した際に見にくく、挿入写真も酷くなってしまいます。自動判定の機能もありますが、ページごとにモードが変わることでガチャガチャしていてイマイチなので、全てをこの設定で統一してスキャンします。この設定であれば1冊300ページ程度の書籍で容量は60MB程度です(図表や写真によって異なる)。なお、文字検索可能なPDFにもできますが、実際に書籍名以外に文字検索をする機会が乏しいことに加え、OCR(文字認識)の精度も高くないので、単に処理時間とメモリを食うだけ…と思っています。しかし、このスキャンという作業が意外に時間がかかるものです。スペックでは20枚(1分間・両面)ですので、300ページだと全てスキャンするのに7.5分かかる計算ですが、横方向でスキャンすればさらに時間短縮にはなるものの、この際に大敵なのは「紙の重なり」。フィードする際に2枚同時にフィードしたことを検知してスキャナが止まってしまうという事態が意外に発生します。ピンチローラー等の消耗部品の限界が来ているのかもしれませんが、これが発狂です。原因は①静電気、②切断不足のためにノリで2枚ついているのが主な原因ですが、①ではなかなか良策がなく、スキャナの買い替え時かも知れません。ちなみに縦方向でスキャンした方が「紙の重なり」エラーは少ない一方で読み込む時間が要するので悩ましいところです。最後に出来上がったPDFのファイル名を「作者名_書籍名」に変更して完成。さらにファイル名一覧をエクセルにコピペで一括転写することで書籍データベースも同時に完成します。以降はこの書籍データベースを検索することで、同じ本を2度買ってしまうというミスも無くなります。(が、最近はタイトルと表紙絵を変えただけで再出版される書籍も多く、まったく油断はできません…)(完)

本自炊惹(ほんぢすいじゃく:本地垂迹) (4)

2021年03月20日 | 文芸批評
②カッターマットにこだわりはありませんが、大きい方が雑誌にも対応するため便利。コクヨのA3版のマットを使用しています。③金属定規ですが、通常の定規であるとカッターで次第に切れてしまって直線が出ないことから金属定規を使用します。TAJIMAのカッターガイドを使用していますが、接地面に滑り止めの発泡ゴムが付いており、安定感抜群です。これは非常に重要で定規が滑ったためにカッターで手をザックリ…というのは絶対に回避すべきです。この三種の神器を使って本をバラしていきますが、300ページ程度の本であれば1冊あたり2分ほどで裁断できます。まずは半分量(300pであれば150p)のページ部分にカッターで切り込みを入れ、本を2分割します。2分割したそれぞれの綴じ代を落としますが、金属定規を当ててカッターを引くこと数回。これで綴じ代が落ちます。残りも落とせば裁断は完成。この場合、(綴じ方にもよりますが)糊がハミ出てページが接着してしまっている場合もあるので、7~8mmほど落とします。実際多めに落としてしまっている感覚がありますが、文字さえ切り落とさなければスキャンにて十分に使用に耐えうる範囲です。これを気が向いた時や隙間時間にでも音楽を聴きながら裁断します。くれぐれも指を切り落とさぬよう。「自分でカッターで裁断」方式の利点は、「いつでも裁断できること」と「道具が場所を取らない」こと。ちょっと面倒ではありますが総合評価は最上と思います。「いつでも裁断できること」は意外に重要でありまして、これによって紙の本への抵抗感が一気になくなりました。従来はできるだけ電子書籍を選択し、電子書籍化されていない本はリストに残したまま数年も放置し、「いずれは電子書籍で…」と思っていたのですが、意外にもなかなか電子書籍化されない。読みたい本の4割程度は電子書籍化されず、それは紙の本しかないという感覚で、これまで2年ほど紙の本の購入を完全に見送っていましたが、これから遠慮なく紙の本も購入できる。さらには古本も、という具合です。これが「自分でカッターで裁断」方式の最大の利点かも知れません。

本自炊惹(ほんぢすいじゃく:本地垂迹) (3)

2021年03月06日 | 文芸批評
購入した本をスキャンするには本を解体する必要がありますが、これにも紆余曲折がございました。当初は溜まっていた本を一気に電子化しようと意気込んでいたため、業者に依頼して裁断してもらっていました。本の綴じ代を切り落としてもらうのですが、配送料を含めて1冊あたり50円程度のコストが掛かります。さらに段ボールに詰めて発送する手間も必要です。本が150冊程度入った段ボールを持って階段を降りる時は転落リスクに加えて、腰を大いに痛めるリスクもあり、生命の危機を感じます…。次に検討したのは裁断機を購入することです。まともな裁断機は3万円ほどしますので600冊がブレイクイーブン(3万÷50円)。600冊以上裁断すれば初期投資をリカバリしますが、裁断機はデカい! なにより邪魔ですし、しっかりとした裁断機は重く、置き場所も選びます。またよく調べると裁断機の刃は消耗品で、これもそれなりにお高い。置き場所や替え刃のコストを考えると自ずと購入する気は失せました。ただ、購入せずともレンタルという手もあります。実際にレンタルも検討しましたが、短期間でレンタルして昼夜問わず裁断作業を行ってから返却というのはどう考えても無理でした(細かい計算過程は忘れましたが費用と冊数を計算するとかなり無理な裁断計画になったと記憶)。そして最終結論は「自分でカッターで裁断」です。必要なものは、①カッター、②カッターマット、③金属定規です。全て揃えて2千円くらいでしょうか。ちなみに①カッターは定番のNTカッターL-550、通称「赤ギザ」です。自宅にあったのでこれを流用しますが、カッター刃は通常のモノでは心許ない。ついてはOLFAの特専黒刃(大)LBB10Kに差し替えます(OLFAというメーカー名は「折る刃」に由来しているのは有名なお話)。鋭利なので取り扱いは十分に注意が必要ですが、これは強力です。また、ケチケチせずに、カッターの刃は折ることでキレる刃を用いるのがよろしい。数をこなすとキレなくなる状態が感覚でわかります。キレる状態だと紙に吸い付くように刃が入っていきますが、鈍い刃だとカッターを引く回数も増えます。不必要に力を入れてカッターを引くことにもなり、滑って手を思いっきりザックリ…というのは本当に最悪です。折る刃のコストとリターンを考えれば、頻度多く刃を折っていった方が身のためでもあります。

本自炊惹(ほんぢすいじゃく:本地垂迹) (2)

2021年02月20日 | 文芸批評
しかし、捨てられない最も大きな要素はおそらく③「捨てると本の内容も忘れてしまいそう」というものです。捨てなくとも、実際には内容なんか忘れてしまっていたり、果てには、読んだかどうかの記憶も曖昧で同じ本を購入してしまうケースもあったりします(記憶に新しいところではトランプが米大統領になる10年以上前に「トランプ自伝」を2回購入したことがある…よりによって…)ので、もともとの本の記憶自体が非常に脆いのではありますが、そうとは自覚していても「捨てると忘れてしまいそう」という感覚がどうしても残ります。逆に、忘れるということを自覚しているが為に「忘れた時にすぐに読めるように」という心理があるのかもしれません。ただ、大量にある本の中からそれがどこにあるのかを探すことから始めなければならないので、「すぐ読めるように」というのも実現困難なのですが。そしてこれらの課題を反芻した後に得た答えは②電子化でした。俗にいう「自炊」というものです。「自炊」はスキャナーが一般化しつつあった2000年からやっていましたが、当時のスキャナーは自動フィーダーのついたドキュメントスキャナではなく、一枚一枚コピーをとるようなスタイルでしたので、どちらかといえば重要なページのみをスキャンして保存し、その後は①古本屋に売却、もしくは③廃棄という感じでした。①古本屋に売却について、かつてはそうしたことはありましたが、2000冊売って数万円にしかならずに愕然とした記憶があり、売りに持ち込む手間も考慮すればそれ以降は売却せず、引っ越し時にどうしようもなくなって③廃棄しました。その後はまた本が増え続け、生活を徐々に脅かすようになってきたので、②電子化(自炊)を本格的に開始しました。まず購入したのはドキュメントスキャナー。もう購入してから10年ほど経過しますが引き続き現役。カウンタを見るとかれこれ26万ページ超をスキャンしています…。元々はMac用のスキャナでしたが、ドライバのアップデートが止まってしまって随分経っており最新のMacOSでは使えないため、Winにて使用しています(こういう点ではWinの方が圧倒的に優秀です)。

本自炊惹(ほんぢすいじゃく:本地垂迹) (1)

2021年01月16日 | 文芸批評
コロナ禍という環境下での成果は「本の整理」。これまで本の整理といえば、①古本屋に売却、②電子化して保存、③廃棄という3パターンでしたが、どうも③廃棄というのは気分が悪い。書籍は内容の充実度の割には驚異的に安価であり、作家の労力と価格とが見合っていないのでは…と思われるほどパフォーマンスの良い娯楽(?)と思うのですが、この場合通常であれば「コスパが良い」なんて表現するのが申し訳ないくらいに貴重なプライシング(価格設定)になっているものだと思います。よってそれを捨てるというのはどうしてもできない。世の中には同類の人が多いようでして、その意味では非常に心強いものがあります。この辺りは「本で床は抜けるのか」(西牟田靖・著)等蔵書についての悩みを綴った本は多く出版され、これらが参考になるとともに、同じ悩みを持つ者として共感至極なのです。が、廃棄できない要素を鑑みるに①「書物を跨いではいけない」という類の「勿体なく申し訳ない」という感覚に加え、②再入手できないかもしれない、という漠然たる不安もあります。実際に読み返す機会というのはごく稀であり、インフローの方が圧倒的に多いので再読の暇さえもないのですが、読んだ本が溜まっていくというだけでも心理的な安心感は十分。最近ではネット環境により古本へのアクセスも非常に容易になっていることから、この手の不安はやや和らぎつつあるものの、反面では中古市場での貴重さが露わにもなりやすくく、文庫の古本で1万円以上、新品本もなく電子化もされていないという書籍にブチあたると何とも絶望的な気分になり、絶対廃棄してなるものか(かなり歪んでますが…)とも思ったりするもの。余談ながら、通勤途上には資源ゴミとして書籍を軒先に出している家が多くあります。もし許されるのなら、全て中身を確認して面白そうなものはピックアップしたいという衝動に毎度駆られます。(続)

※写真は東日本大震災(2011.3.11)で倒壊した本Tower(本棚に入りきらない本を平積みで数棟のTowerにしていたもの)

キンドル(Kindle)その3

2019年11月23日 | 文芸批評

キンドル(Kindle)その3

キンドルの魅力はその安さであり、キャンペーンともなれば1万円を割るコスパではあるのですが、1年も使っているとすでに早くもバッテリーがバテてきます。公称では数週間は充電不要等相当な電池寿命を謳ってはいますが、使用当初はたしかに電池の持ちが良かったものの、1年も経つと2日に1回は充電しないと心細い状態となり使用条件は不変ながらも劣化度合いが激しい。当然ながら電池交換をできるものではないため、電池交換=買い替えとなります。安いハードを供給して囲い込まれた高いコンテンツを売るという任天堂ファミコンモデルのため端末が安いのは分かりますが、実態面では電池の冴えなさが安さの秘密なのかもしれません。さらにこれに追い討ちをかけるのがバックライトの劣化。暗い場所でも読めるようにLEDバックライトがついていますが、こちらも劣化してくるようで明るさの設定を次第に強くしていかないとなんだか暗く感じる具合に。バックライトを次第に強くするので電池の持ちにも影響するところであり、その相乗効果で電池が劣化するのではないか、というのが感覚値であります。(一旦、完)

✴︎余談ですが、このKindleの絵は「藤城清治の世界」という感じで、Amazonにしてはとても素敵ではないでしょうか。

キンドル(Kindle)その2

2019年11月09日 | 文芸批評

キンドル(Kindle)その2

それを上回るデメリットとして思うのは(2)電子書籍化されていない本をほぼ購入しなくなること。読みたい本が電子化されないことは多く、特にマイナーな本であったり、電子化に一家言の著者であると電子での入手は困難となり、どうしても購入の優先度が劣後しがちです。電子に転向したキッカケは、実は読みたいが高価な本が電子かつ割引で販売されていたことだったのですが、これはレアケースだったようで紙でしか読めない本はかなり多いもの。これは読者毎の購読ジャンルにも大きく依存するでしょう。ちなみに、数多くの端末の中でアマゾンを選択したのはこのデメリット2つが他より少なかったからですが、それ以上の魅力はKindle。Eインクの独特のコントラストがなんとも洒落ていることに加え、電池の持ちもよい(一年使っているとさすがに持ちが弱くなってきていますが)。またEインクは目に優しいとも言われますが、顕著な違いは感じません。一方、バックライトがついているので暗い寝床でも読むことができ、非常に便利。これまでヘッドライトを額につけて読んでいたのとは快適さが大違い。もっと端末自体が軽くなればいう事ないのですが。(続)


キンドル(Kindle)その1

2019年10月26日 | 文芸批評

キンドル(Kindle)その1

これまでの紙の書籍から電子書籍に移行して早一年。それまで「本は紙だろ」派だったのが完全に「本は電子のみ」派に転向です。振り返ってみればこの一年間で電子で購入したのはおよそ300冊(漫画を除く)。サブスクリプションの雑誌も合わせれば年間700冊以上ともなり、ほぼ完全に電子のみの生活に。月並みながらメリットは(1)本の値段と(2)容量。(1)値段面では、紙の本はなかなか値引きされない一方、電子は値引きして販売されており、アマゾンにリストを作って値下がりした時を見計らって購入すると平均20~30%オフという感覚。アマゾンのプライシング・アルゴリズムも自ずと会得できます。また当然ですが(2)本の容量たる”場所”も全く不要。ちなみに活字本300冊で3GB程度。(2)容量を減らそうと自炊して電子化すればさらにコストなのでとても経済的です。また、Kindleで常に複数冊持ち歩けるので「外出中に本が切れたら(=読み終わったら)…」という活字禁断症状の恐怖も逓減します。一方、デメリットは(1)アマゾンの電子書籍撤退リスク。従来の他社撤退例を見ると競合他社へ移管されるようですが、蔵書が瞬間蒸発する可能性がリスク。その時は再読したい本のみ買い直せば良いか、と。(続)


サウンド&レコーディングマガジン 2017年12月号「名匠の秘技」特集

2017年11月03日 | 文芸批評
サウンド&レコーディングマガジン 2017年12月号「名匠の秘技」特集
前回のギタマガに引き続き、書店で一見して買う価値ありと判断したが、これまたサンレコ誌も思えば買ったのは数年来記憶になし。購入してみて何だか違和感を拭えなかったが、よく見てみれば雑誌がA4サイズになっているではありませんか。記事の文字サイズは不変のように見えるため、ページ数嵩増しのための方策にも見える。今回は内沼映二や吉田保を筆頭に11人のエンジニアがその秘技を披露しているのだが、何とも興味深く、この手の企画は素晴らしい。これまで自身で経験してモヤモヤ感のあった録音上の課題に対して画期的な解決方法も掲載されていたりして、非常に興味深くて帰宅後一気に読了したが、確かに最近は曲のド頭のバスドラ一発を聞いて俄然聴く気が盛り上がるミックスって少なくなったよな〜と実感。全般的にペラリしたあっさり風な音作りが多く、その反動からか最近は1980年代ミドルのソニー録音盤、それもテクノロジーがアナログからデジタルに移行する過渡期の音が最も良いと感じるようになってきており、その時期の録音を探しては聴くようになっているのだが、記事中にある寺田康彦氏いわく「レンジが広く中域の密度の高い音をよく聴くように」というコメントは我が意を得たりの感。アナログのレギュレーションの下で技術を磨いたエンジニアが、デジタルのレギュレーションに戸惑いながらも試行錯誤してレベルを入れているような作品は確かにミドルの飽和感とバランスが凄まじく良く、楽曲そのものではなく、そのミドルのパリパリ具合を聴きたいために音楽を聴いているという「オレ何やっているんだ」という状態にあるのだが、ここら辺の栄養不足が最近のミックスにはあるのだな〜と改めて痛感。

ギターマガジン 2017年10月号 「Japanese Fusion/AOR」特集

2017年09月16日 | 文芸批評
ギターマガジン 2017年10月号 「Japanese Fusion/AOR」特集
ギターマガジンを買ったのは何十年ぶりだろうか、記憶は全く辿れず恐らくは高校生以来に違いない。直近でPRISM最新作を聞いて愕然とし(余裕があれば後述予定)、数ヶ月前には角松敏樹「SEA IS A LADY 2017」を聴いて愕然とし、一方でその死去に伴い再発される松岡直也の旧譜を聞いて刮目する等、懐古主義に完全に染まっている一環として本屋で立ち読みして刮目してそのままレジへ! 240ページの冊子中140ページほどがこの特集記事で、(無常な時の流れを残酷に指し示す)新旧対比の構成になっているのだが興味深いのは「旧」部分、つまり3〜40年前当時の記事。リアルタイムで読んだ記事も多く、特に高校生当時に穴の開くほど読み込んで研究した和田アキラの巨大ラックの中身等、古本的なアーカイブ感覚で読めるのがなんとも素晴らしい(一方で雑誌編集的には過去記事を引用掲載すれば良いだけだから労力は低く、win-winであるともみえる)。若き日の野呂一生曰く「アドリブというものを、単にスケールの羅列だと思っている人には、人の耳にインパクトを与えるフレーズなど、到底作れるはずがないのです。」等の”至り”的な語り記事もあってなかなかに微笑ましい(そのアドリブが今回掲載のギタリストの中ではもっともスケール的であるように聞こえるのは私だけでしょうか…)。思うに「Japanese Fusion/AOR」興隆期は日本経済のバブル形成期とほぼ同時期で、日本人のマインド自体も高揚中だった時代。それが作風に与えた影響は多大と思うが、今ここにきてこのような特集が組まれるのは、1)苦境の出版業界が売り上げアップ目的に、もっとも可処分所得の大きい年齢層が青年だった時に流行した音楽を取り上げることで懐古的売り上げアップの効果を狙ったか、もしくは2)「ニューズウィーク現象」、つまりテーマが雑誌の表紙となって取り上げられる時にはすでにピークアウトし、あとは下落、崩壊を辿るというその前兆であるのか(そもそもピークを形成しにいくほど、昨今のFusionにヒート感は皆無と思われるが…苦笑)。もしかしてアベノミクス=バブルの崩壊を予見している?

日本のフュージョン

2013年06月13日 | 文芸批評
「日本のフュージョン」(シンコーミュージック)
本屋の音楽コーナーにて発見。今時フュージョン、しかも日本の?という違和感から、当初は「はあ~?」(北斗の拳登場の悪者風)と上から目線で中身を眺めるになかなか興味深い古い写真が多く、早速購入。文章が稚拙で水準は低く、シンコーミュージックと言えば「ヤングギター」という出版社ではやむを得ない、というよりむしろ当然(そういうものを求めてはイケナイ※1)なのだが、知識的には「へえ~」的な内容多く、豆知識に一歩前進感。これを読むとバンドによって情報格差甚だしいこと明白。情報公開が当時から進んでいたのは圧倒的にカシオペアだが、メンバーチェンジ部分での情報密度の薄さが逆に浮かび上がるという皮肉な結果に。内容はカシオペア、スクエア、ナニワという御三家?で8割程度で全般的に新味はないのだが、新発見が多かったのは(これまであまり積極的には聴いてこなかった)ナニワエキスプレス記事。というわけで、ナニワエキスプレスのほぼ全曲を聞き直しました。

※1 
昔、ヤングギター誌を読んだところ、読者からの質問コーナーがあり、「アラン=ホールズワース(AH)のように弾けるようになりたいのですが、どうしたらイイか」という風な質問に対し、回答者はまじめに回答するのが面倒だったのか、それとも回答を持ち合わせていなかったのか「AHのように弾こうとすると、あまりに速過ぎて手の神経が破壊されるからヤメとけ」。練習しすぎで腱鞘炎になった人は数多く見てきましたが、手の神経破壊は見たことないのですが...まだまだワタシは練習不足なのでしょうか?

黒人になる!(2)

2006年09月12日 | 文芸批評
図らずも、当方が大学4年の時に組んでいたジョン=スコフィールドのコピーバンドのバンド名について、「ハト派とタカ派」(dovish&hawkish)と命名したものがあったが、この命名についてはキーボードのA君(そういえば彼は直木賞作家を目指していたと記憶するが、どうなったのだろう...?)の日常的動作が「鳩」に似ていたから、という単純明快なる理由なものの、今から思えば、独自(というのも本書は1999年刊であり、当バンドは1992年に結成されていた)に”鳩のポーズ”を編み出していたというのか!当時、彼はあまりリズムは良くなかったと記憶するが(失礼)、黒人リズムの秘密を徐々に体得している最中であったのだろう(結果、今では”黒人”に違いない!)。恐るべし!。
一方、当方に翻って見るに、先日、非常に久々にSSのVideo-CDR「Bootleg2(Video)」を観る機会があったものの、それに収録されている91年の六本木ピットインでの演奏で激しく鳩運動をしており、「ああ!(当時から黒人だった?)」と思うも、それは単に首がクニクニしているだけであって、お客様のアンケートにも「首の動きが激しすぎ!」とご指摘?を受けたのでもあったが、その後15年後にやっと正規の鳩運動を体得せんとしているのであった(なお、現在は”体得中”であり、練習に余念がない。独りの車内が最適な練習場所であるものの、信カーステにあわせて練習中に右折レーン車のドライバーに目撃され、何度恥ずかしい思いをしたことか...黒人への道は遠い)。(完)
※写真は鎌倉名物、豊島屋の鳩(はと)サブレー。黒人リズムのソウルフード。美味。食べて鳩運動すれば効率的。

黒人になる!(1)

2006年09月06日 | 文芸批評
『黒人リズム感の秘密』(七類誠一郎[しちるいせいいちろう]/著)

著者は広島のディスコで踊りまくるうちに黒人リズムの秘密に触れ、「オレは黒人になった」と直感(当方も一度でいいからそのような直感を得てみたい...)。これを検証するために渡米し、ダンス界の頂点付近に上り詰める。これまで黒人のリズムについては検証がなされてこなかったのは、黒人のリズム感は先天的なもので、検証・研究したところで、体得不可能=よって検証・研究の意味がない、と考えられていたことが大きいというし、研究者=ダンサーというケースは著者以外に無い。しかし、著者はその研究から、黒人のリズム感=黒人フィーリング(先天的因子)+ノリのリズム(後天的因子)であるとし、ノリのリズム感は後天的に体得可能とし、その神髄を本書にて著わしている。踊りの下手な黒人は「ノリのリズム感」を培う環境がなかったと結論する。ではその「ノリのリズム感」の神髄はどこにあるか。勿論、正確なリズムを刻めた結果としての「タメ」や「ずらし」というテクはあるものの、基本は「体幹でビートを刻む」=インターロック、が重要とする。様々な動物に模したリズムの基本動作があるものの、本書ではダンスを基本においていることから、(特にギターやベースといった)楽器を携えた状態で出来る動きというのは限定的であるものの、その中で採用可能なのは、鳩のポーズ。リズムの起点は首であり、「鳩の首運動」と言われるものだが、鳩が歩く時に首を突き出すあの動きがそれ。動物というのは意識的にリズムを取っているということなんて勿論あり得ず、これらは本能的で自然な動きであることから、体幹での動きと言える。

気になり本

2005年07月25日 | 文芸批評
『トリダヨリ リラックスマ生活(3)』 コンドウ アキ著 主婦と生活社 
朝日の書評で発見。「この絵、みたことある...」と思うが、丸ビル地下のコンビニのアイスコーナー上に陳列されている”植物栽培缶詰”(推定では種子と栽培土が入っておりデスク上等で栽培できる植物と思われる)の絵柄なのであって、毎回アイスを購入する際にちょっと気になっていた、ソレであった...。早速、本屋に立ち寄った際に物色するが、どこにもない! そんなに(売り切れるほど)人気なのか...とも思うが、内容が内容だけに店員に聞く勇気も湧かず、そのまま無念にも断念して帰ろうと思ったその矢先に女性コーナーにて発見!そういうコーナーだけに周囲は女性だらけの中、勇気を振り絞って手に取り、ちょっと離れた場所でパラパラと内容を見遣る。活字は恐ろしいほど少なく(しかもカタカナ...)、絵が中心ながら、スパイシーな内容に衝撃を受けるも、基本的には比較的やる気のあるトリと、楽天的グータラなクマという内容で、「一般ピーポー(people)は前者ながら、ツラくなったらタマには後者でいいんじゃない?」という、落としどころは前者と後者の”中庸”という安易な内容ながら、なかなか考えさせられる内容+愛嬌のあるイラストは、トレード中の座右の書としては良いかも知れないと、オフィスに置くつもりで購入。840円、活字がナイせいか、ビビるほど安い!

最近のお薦め本

2004年12月20日 | 文芸批評
基本的にCDとは違って、読んでいる本のタイトル・内容を知られるというのは恥ずかしいというのが正直なところです。有名人の本棚を見せてもらうという特集等が雑誌や書籍でありますが、本棚をみればその人の思想や知的レベルまでもが知れてしまうので、全裸で外を闊歩するに等しい行為であるとも思うのですが、それを顧みず、乱読した中から一部でもよい内容があれば記載することにします。CDとは違い、思想性がありますので、むやみにオススメはしません。今回は手始めに2冊。
●斎藤貴男『空疎な小皇帝 「石原慎太郎」という問題』
空疎な小皇帝=石原慎太郎、選挙民たる都民は必読か。ちなみにこの作者、至極真っ当で最近の最注目株、大学学部の先輩であることが最近判明(笑)。
●日垣隆 『そして殺人者は野に放たれる』
刑法39条(心神喪失及び心神耗弱ー心神喪失者の行為は罰しない、心神耗弱者の行為はその刑を軽減する)の存在が引き起こす不条理について、考えさせられます。