キンドル(Kindle)その3
キンドルの魅力はその安さであり、キャンペーンともなれば1万円を割るコスパではあるのですが、1年も使っているとすでに早くもバッテリーがバテてきます。公称では数週間は充電不要等相当な電池寿命を謳ってはいますが、使用当初はたしかに電池の持ちが良かったものの、1年も経つと2日に1回は充電しないと心細い状態となり使用条件は不変ながらも劣化度合いが激しい。当然ながら電池交換をできるものではないため、電池交換=買い替えとなります。安いハードを供給して囲い込まれた高いコンテンツを売るという任天堂ファミコンモデルのため端末が安いのは分かりますが、実態面では電池の冴えなさが安さの秘密なのかもしれません。さらにこれに追い討ちをかけるのがバックライトの劣化。暗い場所でも読めるようにLEDバックライトがついていますが、こちらも劣化してくるようで明るさの設定を次第に強くしていかないとなんだか暗く感じる具合に。バックライトを次第に強くするので電池の持ちにも影響するところであり、その相乗効果で電池が劣化するのではないか、というのが感覚値であります。(一旦、完)
キンドル(Kindle)その2
それを上回るデメリットとして思うのは(2)電子書籍化されていない本をほぼ購入しなくなること。読みたい本が電子化されないことは多く、特にマイナーな本であったり、電子化に一家言の著者であると電子での入手は困難となり、どうしても購入の優先度が劣後しがちです。電子に転向したキッカケは、実は読みたいが高価な本が電子かつ割引で販売されていたことだったのですが、これはレアケースだったようで紙でしか読めない本はかなり多いもの。これは読者毎の購読ジャンルにも大きく依存するでしょう。ちなみに、数多くの端末の中でアマゾンを選択したのはこのデメリット2つが他より少なかったからですが、それ以上の魅力はKindle。Eインクの独特のコントラストがなんとも洒落ていることに加え、電池の持ちもよい(一年使っているとさすがに持ちが弱くなってきていますが)。またEインクは目に優しいとも言われますが、顕著な違いは感じません。一方、バックライトがついているので暗い寝床でも読むことができ、非常に便利。これまでヘッドライトを額につけて読んでいたのとは快適さが大違い。もっと端末自体が軽くなればいう事ないのですが。(続)
キンドル(Kindle)その1
これまでの紙の書籍から電子書籍に移行して早一年。それまで「本は紙だろ」派だったのが完全に「本は電子のみ」派に転向です。振り返ってみればこの一年間で電子で購入したのはおよそ300冊(漫画を除く)。サブスクリプションの雑誌も合わせれば年間700冊以上ともなり、ほぼ完全に電子のみの生活に。月並みながらメリットは(1)本の値段と(2)容量。(1)値段面では、紙の本はなかなか値引きされない一方、電子は値引きして販売されており、アマゾンにリストを作って値下がりした時を見計らって購入すると平均20~30%オフという感覚。アマゾンのプライシング・アルゴリズムも自ずと会得できます。また当然ですが(2)本の容量たる”場所”も全く不要。ちなみに活字本300冊で3GB程度。(2)容量を減らそうと自炊して電子化すればさらにコストなのでとても経済的です。また、Kindleで常に複数冊持ち歩けるので「外出中に本が切れたら(=読み終わったら)…」という活字禁断症状の恐怖も逓減します。一方、デメリットは(1)アマゾンの電子書籍撤退リスク。従来の他社撤退例を見ると競合他社へ移管されるようですが、蔵書が瞬間蒸発する可能性がリスク。その時は再読したい本のみ買い直せば良いか、と。(続)
前回のギタマガに引き続き、書店で一見して買う価値ありと判断したが、これまたサンレコ誌も思えば買ったのは数年来記憶になし。購入してみて何だか違和感を拭えなかったが、よく見てみれば雑誌がA4サイズになっているではありませんか。記事の文字サイズは不変のように見えるため、ページ数嵩増しのための方策にも見える。今回は内沼映二や吉田保を筆頭に11人のエンジニアがその秘技を披露しているのだが、何とも興味深く、この手の企画は素晴らしい。これまで自身で経験してモヤモヤ感のあった録音上の課題に対して画期的な解決方法も掲載されていたりして、非常に興味深くて帰宅後一気に読了したが、確かに最近は曲のド頭のバスドラ一発を聞いて俄然聴く気が盛り上がるミックスって少なくなったよな〜と実感。全般的にペラリしたあっさり風な音作りが多く、その反動からか最近は1980年代ミドルのソニー録音盤、それもテクノロジーがアナログからデジタルに移行する過渡期の音が最も良いと感じるようになってきており、その時期の録音を探しては聴くようになっているのだが、記事中にある寺田康彦氏いわく「レンジが広く中域の密度の高い音をよく聴くように」というコメントは我が意を得たりの感。アナログのレギュレーションの下で技術を磨いたエンジニアが、デジタルのレギュレーションに戸惑いながらも試行錯誤してレベルを入れているような作品は確かにミドルの飽和感とバランスが凄まじく良く、楽曲そのものではなく、そのミドルのパリパリ具合を聴きたいために音楽を聴いているという「オレ何やっているんだ」という状態にあるのだが、ここら辺の栄養不足が最近のミックスにはあるのだな〜と改めて痛感。
ギターマガジンを買ったのは何十年ぶりだろうか、記憶は全く辿れず恐らくは高校生以来に違いない。直近でPRISM最新作を聞いて愕然とし(余裕があれば後述予定)、数ヶ月前には角松敏樹「SEA IS A LADY 2017」を聴いて愕然とし、一方でその死去に伴い再発される松岡直也の旧譜を聞いて刮目する等、懐古主義に完全に染まっている一環として本屋で立ち読みして刮目してそのままレジへ! 240ページの冊子中140ページほどがこの特集記事で、(無常な時の流れを残酷に指し示す)新旧対比の構成になっているのだが興味深いのは「旧」部分、つまり3〜40年前当時の記事。リアルタイムで読んだ記事も多く、特に高校生当時に穴の開くほど読み込んで研究した和田アキラの巨大ラックの中身等、古本的なアーカイブ感覚で読めるのがなんとも素晴らしい(一方で雑誌編集的には過去記事を引用掲載すれば良いだけだから労力は低く、win-winであるともみえる)。若き日の野呂一生曰く「アドリブというものを、単にスケールの羅列だと思っている人には、人の耳にインパクトを与えるフレーズなど、到底作れるはずがないのです。」等の”至り”的な語り記事もあってなかなかに微笑ましい(そのアドリブが今回掲載のギタリストの中ではもっともスケール的であるように聞こえるのは私だけでしょうか…)。思うに「Japanese Fusion/AOR」興隆期は日本経済のバブル形成期とほぼ同時期で、日本人のマインド自体も高揚中だった時代。それが作風に与えた影響は多大と思うが、今ここにきてこのような特集が組まれるのは、1)苦境の出版業界が売り上げアップ目的に、もっとも可処分所得の大きい年齢層が青年だった時に流行した音楽を取り上げることで懐古的売り上げアップの効果を狙ったか、もしくは2)「ニューズウィーク現象」、つまりテーマが雑誌の表紙となって取り上げられる時にはすでにピークアウトし、あとは下落、崩壊を辿るというその前兆であるのか(そもそもピークを形成しにいくほど、昨今のFusionにヒート感は皆無と思われるが…苦笑)。もしかしてアベノミクス=バブルの崩壊を予見している?
本屋の音楽コーナーにて発見。今時フュージョン、しかも日本の?という違和感から、当初は「はあ~?」(北斗の拳登場の悪者風)と上から目線で中身を眺めるになかなか興味深い古い写真が多く、早速購入。文章が稚拙で水準は低く、シンコーミュージックと言えば「ヤングギター」という出版社ではやむを得ない、というよりむしろ当然(そういうものを求めてはイケナイ※1)なのだが、知識的には「へえ~」的な内容多く、豆知識に一歩前進感。これを読むとバンドによって情報格差甚だしいこと明白。情報公開が当時から進んでいたのは圧倒的にカシオペアだが、メンバーチェンジ部分での情報密度の薄さが逆に浮かび上がるという皮肉な結果に。内容はカシオペア、スクエア、ナニワという御三家?で8割程度で全般的に新味はないのだが、新発見が多かったのは(これまであまり積極的には聴いてこなかった)ナニワエキスプレス記事。というわけで、ナニワエキスプレスのほぼ全曲を聞き直しました。
※1
昔、ヤングギター誌を読んだところ、読者からの質問コーナーがあり、「アラン=ホールズワース(AH)のように弾けるようになりたいのですが、どうしたらイイか」という風な質問に対し、回答者はまじめに回答するのが面倒だったのか、それとも回答を持ち合わせていなかったのか「AHのように弾こうとすると、あまりに速過ぎて手の神経が破壊されるからヤメとけ」。練習しすぎで腱鞘炎になった人は数多く見てきましたが、手の神経破壊は見たことないのですが...まだまだワタシは練習不足なのでしょうか?
一方、当方に翻って見るに、先日、非常に久々にSSのVideo-CDR「Bootleg2(Video)」を観る機会があったものの、それに収録されている91年の六本木ピットインでの演奏で激しく鳩運動をしており、「ああ!(当時から黒人だった?)」と思うも、それは単に首がクニクニしているだけであって、お客様のアンケートにも「首の動きが激しすぎ!」とご指摘?を受けたのでもあったが、その後15年後にやっと正規の鳩運動を体得せんとしているのであった(なお、現在は”体得中”であり、練習に余念がない。独りの車内が最適な練習場所であるものの、信カーステにあわせて練習中に右折レーン車のドライバーに目撃され、何度恥ずかしい思いをしたことか...黒人への道は遠い)。(完)
※写真は鎌倉名物、豊島屋の鳩(はと)サブレー。黒人リズムのソウルフード。美味。食べて鳩運動すれば効率的。
著者は広島のディスコで踊りまくるうちに黒人リズムの秘密に触れ、「オレは黒人になった」と直感(当方も一度でいいからそのような直感を得てみたい...)。これを検証するために渡米し、ダンス界の頂点付近に上り詰める。これまで黒人のリズムについては検証がなされてこなかったのは、黒人のリズム感は先天的なもので、検証・研究したところで、体得不可能=よって検証・研究の意味がない、と考えられていたことが大きいというし、研究者=ダンサーというケースは著者以外に無い。しかし、著者はその研究から、黒人のリズム感=黒人フィーリング(先天的因子)+ノリのリズム(後天的因子)であるとし、ノリのリズム感は後天的に体得可能とし、その神髄を本書にて著わしている。踊りの下手な黒人は「ノリのリズム感」を培う環境がなかったと結論する。ではその「ノリのリズム感」の神髄はどこにあるか。勿論、正確なリズムを刻めた結果としての「タメ」や「ずらし」というテクはあるものの、基本は「体幹でビートを刻む」=インターロック、が重要とする。様々な動物に模したリズムの基本動作があるものの、本書ではダンスを基本においていることから、(特にギターやベースといった)楽器を携えた状態で出来る動きというのは限定的であるものの、その中で採用可能なのは、鳩のポーズ。リズムの起点は首であり、「鳩の首運動」と言われるものだが、鳩が歩く時に首を突き出すあの動きがそれ。動物というのは意識的にリズムを取っているということなんて勿論あり得ず、これらは本能的で自然な動きであることから、体幹での動きと言える。
朝日の書評で発見。「この絵、みたことある...」と思うが、丸ビル地下のコンビニのアイスコーナー上に陳列されている”植物栽培缶詰”(推定では種子と栽培土が入っておりデスク上等で栽培できる植物と思われる)の絵柄なのであって、毎回アイスを購入する際にちょっと気になっていた、ソレであった...。早速、本屋に立ち寄った際に物色するが、どこにもない! そんなに(売り切れるほど)人気なのか...とも思うが、内容が内容だけに店員に聞く勇気も湧かず、そのまま無念にも断念して帰ろうと思ったその矢先に女性コーナーにて発見!そういうコーナーだけに周囲は女性だらけの中、勇気を振り絞って手に取り、ちょっと離れた場所でパラパラと内容を見遣る。活字は恐ろしいほど少なく(しかもカタカナ...)、絵が中心ながら、スパイシーな内容に衝撃を受けるも、基本的には比較的やる気のあるトリと、楽天的グータラなクマという内容で、「一般ピーポー(people)は前者ながら、ツラくなったらタマには後者でいいんじゃない?」という、落としどころは前者と後者の”中庸”という安易な内容ながら、なかなか考えさせられる内容+愛嬌のあるイラストは、トレード中の座右の書としては良いかも知れないと、オフィスに置くつもりで購入。840円、活字がナイせいか、ビビるほど安い!
●斎藤貴男『空疎な小皇帝 「石原慎太郎」という問題』
空疎な小皇帝=石原慎太郎、選挙民たる都民は必読か。ちなみにこの作者、至極真っ当で最近の最注目株、大学学部の先輩であることが最近判明(笑)。
●日垣隆 『そして殺人者は野に放たれる』
刑法39条(心神喪失及び心神耗弱ー心神喪失者の行為は罰しない、心神耗弱者の行為はその刑を軽減する)の存在が引き起こす不条理について、考えさせられます。