Side Steps' Today

裏版Side Steps' Today

散財日記

2020年08月29日 | CD批評
Silje Nergaard 「Live In Cologne」
Silje Nergaardはノルウェー語と思われ「セリア・ネルゴール」と読むようだが、ノルウェーの女性ボーカル。都内の大きいレコードショップでは女性ジャズボのCD棚に専用スペースが大抵あって数作並んでいるのが通常だが、スペーサーにはカタカナで「セリア」とあってなんだか毎回興醒め。この不必要な興醒めはどこからくるのかと思っていたが、それは100円ショップのセリア(2782)の連想によるものと想像(殆ど利用経験がありませんが…失礼)。10数年前に初めて知った時から継続的に聞き続けている数少ないボーカリストだが、この度そのライブ盤に遭遇! ちなみに「Live In Cologne」のCologneも普通「ケルン」(独の都市)って読めない…。ワタクシの場合、20数年前にいきなりロイターDDで欧州系銀行のCologneからコールされて「コレどこ?」となって以来、読めるようになりました…。ボーカルに限らず、ライブ盤は演奏に勢いがあって良い反面、技術もそれなりに露呈してしまう印象ながら、ボーカルでさえPC上で余裕でピッチ修正等できる現代(しかも今は演算速度が良くなっており、ライブでリアルタイム修正=マイクで集音したのをすぐピッチ修正してPAから出力できるというから驚き!)となっては、ヒドいライブ盤というのもアマチュア作品でさえ滅多に御目にかからないのだが、これは少なくともデジタル的な修正感は全くなく相当に歌が巧い。経験則的にも、若い頃にこのような技術がなく、実力で歌わなければならない時代(40代以上?)の歌手は歌が抜群に巧いと感じる今日この頃。バックの演奏も熟れてのびのびとしており、歌物とも思えないアグレッシブな演奏も良い。ミックスも音質も決して悪くない。ライブスケジュールを見るだに結構な頻度で欧州大陸ではライブを行っているようで、いつかは実際の歌唱を見てみたいもの。

トラウマ夢日記 (5)

2020年08月22日 | 畸観綺譚
2020年某月某日。今日も目覚めは悪夢から。今夜は非常にリアルを追求した内容。場面はライブ会場のステージ上。ステージ上からの目線の高さ、ステージの広さ、ディテールに至ってはステージ上のカーペットの様子から明らかにココは六本木ピットイン。まさに以前、六本木ピットインの最終期にSSでよく出演していた時のステージ上から場面はスタートしたが、次の曲はInner SpaceⅡ。さあ演奏、という場面ながらドラムのF氏がイントロの入りをド忘れした模様で曲のスタートに失敗!通常であれば、温かい観客の皆様による爆笑によって事態は終息して「さあ気を取り直してもう一回」となるのだが今回は恐怖の無反応…。観客は完全に硬直している一方で、F氏はイントロの譜割りを完全に忘却している模様でステージ上で譜面を確認している。相変わらず客席は無言でそれが非常なる重圧でのし掛かる中、なんとステージや客席が急に明るくなり、PAによる「(いつまで経っても始まらないので)ライブを一旦中断します」というアナウンスが!(注:実際の六PのPAの方は当然ながらこんなに意地悪ではなく、とても親切でした)「あちゃ~」と思いながらF氏に駆け寄って口頭で譜割りを伝えるが、フト「自分はキチンと曲の終わりまで覚えているのか?」と急に不安となり慌てて曲を反芻するが、思えば中間部のドラムがアウトした静かな場面の音が定かでなく、確認のために慌てて譜面を探すもその場所が見つからない…。「嗚呼!次に曲を止めるのはオレか~!」と、ステージがまた明転するシーンを想像して思いっきり絶望した瞬間に覚醒。今時の表現を借りれば「あるある」な内容に起床後もしばし愕然。

散財日記

2020年08月15日 | CD批評
Gino Vannelli 「Live In L.A.」
従来よりスタジオ盤を聴くだにライブでの再現性が乏しいアレンジ・構成ばかり、さらにこれまでライブ盤での演奏もなかったことからこの時代の楽曲は封印されたものと思い込みがあったが、既に一曲目のイントロから失禁。このライブ盤には全く期待値が低く、逆に幻滅とも思って、マイナスの期待値を持って聞いたが、中でもかなり再現性が低いと思っていた「Nightwalker」がその失禁必至の冒頭曲。全般的にホーンセクションが入っており、なかなかの再現性。スタジオ盤の再現性が良いということがよい演奏ではないのだが、ホンセクを入れたことのサンクコスト(=折角お金払ってホンセクを雇用しているだから使わなければ損であるという考え)を意識しない抑制の効いたアレンジがよろしい。ベース(Damian Erskine)がライン的にフラフラしているのが玉に瑕だが、総じて演奏や録音は悪くない。ライブ再現性に乏しい「Appaloosa」「Brother to Brother」と「Nightwalker」も合わせたマイ御三家が演奏されており、これだけで十分満足。歌は相変わらず巧いが、この2010年のライブ当時で58歳になる勘定だから喉は鍛えれば加齢を物ともせず、か。ジャケはなんだか往年のマイケル・ジャクソンのようだが、ジャケを見て思い出すのは数年前の実際の恐怖体験。夜遅く帰宅して近くの公園まで来ると前の暗がりからマイケル・ジャクソン(もどき)が登場!黒のタイトスーツと白シャツに蝶ネクタイそしてハットを着用。真っ暗なのに当然サングラス着用だが、エナメルの黒靴に白い靴下が暗闇でも異様に光る…。思わずヒッと声が出掛かるも、異様にも腰に日本刀を帯刀している!それも明らかに300円程度の幼児用のプラ玩具…。瞬間的にヤバい人だと直観して足早にスルーするも、あれは何だったのだろうか(街方向に歩いて行ったがハロウィンの季節でもなし…全くGino Vannelliとは関係のない話で失礼 )。

トラウマ夢日記(4)

2020年08月08日 | 畸観綺譚
2020年某月某日。今日も目覚めは悪夢から。昨夜は豪華ゲスト、ビル=ブラフォードが登場! 場所は秋葉原の楽器屋前。曇天の夕刻、おもいっきりグレーな雰囲気の中、これからライブというのに我々の出番が最後で、余裕をかましながら直前に楽器屋訪問。F氏がスティックを買いに行きたいということで来たのだが、当方も本番で使用する弦を買う予定。しかし、横にはF氏と一緒にツインドラムで出演のビル=ブラフォード、さらにはビルの奥様もなぜか同伴。F氏は楽器屋に入るが、なぜかビルは入らず奥様と揉めている。揉めている内容は、ビルがステージで水色のセーターを着たくないと言っているのだが、奥様は「貴方は寒がりだから着るべき」と譲らずに会話は平行線。膠着状態を打開すべくビルから「自転車で浅草橋に行きたいがどのくらいかかる?」と御下問。「電車なら二駅分だが、行きは下り坂だからイイが帰りは上り。行きはヨイヨイ、帰りは怖い、それでもよければどうぞ」と当方回答はニベもなし(正確には1駅かつ坂道ではなくフラット)。ビルへのリスペクトもなければ有名人オーラに怯むこともなし。しかし、弦を買いに来たはずの当方は「そういえば今日はベースを借りるんだった…」と思い出す。「じゃあ弦は買わなくてもイイや」と思うが、借りるベースがJacksonだったことを思い出し、ネックに対して傾斜しているあのヘッドをなぜか思い出し、「Jacksonのベースでのローポジションは(ヘッドと干渉して)弾けるかな…」と急に不安になるが、そういえば演奏するのは『Strap Hangin`』(ブレッカー・ブラザーズ)だったと思い出して一気に不安が解消した瞬間に覚醒。お目覚め時には『Strap Hangin`』のリフがしばらくの間リピートし続ける…。

フォアグラ日記

2020年08月01日 | フォアグラ日記
ロッダグループ(スリランカカレー/大阪)
スリランカカレーがスパイシーで良いと聞いて早速に訪問。場所柄的にはなんだか東京でいう北千住のような雰囲気の場所にひっそりとある。ロッダグループなる名称のため、なんだか勝手にコンツェルン感が醸成されており、スリランカカレー・チェーン王国を想像していたが、単独で存在している様子。入店するだに強烈なる香木臭パンチ。通常、嗅覚たるものは時間経過とともに慣れ(麻痺し)ていって次第に感じなくなるものだが、時間が経過しても全く嗅覚が衰えないほど強烈。早速、一番人気というギャミラサをオーダー。サラサラとしたバスマティ・ライス仕様でイノシシ等のジビエ系食肉も選択できるが、今回はチキンを選択。肉によってマッチする辛さも違うようで、チキンは中庸の辛さとのこと。客は4人ほどだったが、カウンター奥ではスリランカ人と思しき客と日本人おっさん客が会話。①日本人「スリランカのカレーはインドのカレーと何が違うの?」→②スリランカ人「全然違います」→③日本人「分かってるよ、現地の人は皆そういうんだよ(怒。何が違うの?」→④スリランカ人「全然違うんです」→⑤日本人「何が違うの」→⑥スリランカ人「全然違う」その後、③→⑥を永遠ループしており、流石に周囲をも会話で飽きさせないナニワ魂を堪能させられるが、カレーが供されるとともに「よく混ぜた方が美味しい」と店主からどこかで聞いたようなアドバイス(写真は混ぜる前)。仰の通りによく混ぜて食するも、ファーストタッチは辛くないが、次第に体が熱ってくる。傾向としては前述のポンガラカレーに似ているが、より奥深みがあって美味。カレーと共に供されるのはミルクティーとバナナで食後の口直しには最適。店主はとても気さくながら、この店内に充満する香木臭をスパイス香だと主張するのだが、明らかに単体の香木臭の気が…。この時の会話も、①当方「この香りは何の香りですか?」→②店主「スパイスの香りです」→③当方「何というスパイスの香りですか?」→④店主「スパイスの香りです」→そしてまた③へ(以降無間ループ…)となる…。このように隔靴掻痒なのは、日本語とスリランカ語(シンハラ語)の言語構造の違いによるものなのだろうか? 帰宅して気がつくが、手にもこの香木臭がバッチリ付着。悪い匂いではないが、如何せん強烈。