映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

ソーシャル・ネットワーク(2010年)

2015-05-29 | 【そ】



 マーク・ザッカーバーグ氏はフェイスブックのシステムを構築し、起業家として成功を収める一方で、かつての仲間らに訴えられる。揉め事の顛末を描きながら、そのきっかけとなった出来事を振り返りつつ、若い起業家の成功に至る数年を巧みな演出で描く。

 フェイスブックが、なぜアメリカで急速に浸透し、世界に広まったのか、その理由の一端を垣間見られる作品。 

 
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 実話モノは基本的に苦手なんですが、BSでオンエアしていたので録画しました。

 このブログをちまちま書くぐらいが関の山で、SNSなんてとんでもない、という身にとって本作はチンプンカンプンかなぁと思ったのですが、フツーに見ることができました。

 しかし、、、あのフェイスブック(以下Fb)も、もとはと言えば、女のコのルックス対決サイトが起源だったとはね・・・。出会いサイトじゃない、クールな自己紹介サイトだとか言いながら、結局、出会いサイトみたいなものと割り切ってどんどん機能を強化させていくあたりの描写とか、なるほど、人間の本質的な欲求を踏まえたものだったからこそ支持されたのだと、その人気の理由が分かりました。

 私の周囲にもFbやっている人そこそこいるんですが、(仕組みを完全に理解しているわけじゃないので勘違いしているかもですが)Fbって、それまでの人生で一点の曇りなき人間関係を築いてきたと確信している人じゃないとできないと思うのですよ。

 例えば、ある日突然、名前と顔が一致するかも怪しい古い知り合いから接触がある可能性もあるわけでしょう? 公開範囲の設定次第では、どこで誰が見るか分からないわけで。私なんか、金輪際顔も見たくないって人が、パッと思い浮かぶだけで10人はいるので、もしそんな人々の目に私なんかの情報が触れたらなんて想像しただけで卒倒しそうです。ハッキングによる個人情報の漏洩なんかより、そっちの方が百倍オソロシイです。

 つーか、接触してきてくれればまだマシ。あくまで傍観しながら、それでいてしっかり状況把握されているかも知れないだなんて、オソロシイというより、メチャメチャ不気味です。

 別に私は人を殺したことも故意に騙したこともありませんが、それでも、もう絶対に関わりたくない人が結構な数いるのです。だから、いくら排他的システムでも、到底登録する気になどなれません。恨まれて刺されるとか、そんな心配しているのではもちろんありません。ただ、関わりたくもない人に、今自分がどこで何をしているか、いやそこまで詳しくなくても、私の気配を感じとられることさえ嫌なのです。もう、それらの人々の脳裏に一瞬でも私のことが思い浮かんでほしくない、永久に絶対に忘れてほしいわけです。でも、Fbでたまたま見てしまったら、完全に忘れていた記憶が呼び起されることもあり得ます。、、、考えただけで鳥肌モノです。しかし、現実に何億人もの人がFbに登録しているのです。すごいですよね、、、。

 余談が続 いてすみません。

 何年も前ですけど、実際、ネットの掲示板で、「もう封印したつもりの交友関係なのに、ある日突然鍵がこじ開けられたようで非常に怖かった」というFbに対する思いの書き込みに対し、「わたしにはそんな交友関係ありません。逆に何年も会ってない人とは連絡をとりたくないという人生を送るあなたが怖い」というようなレスを見た時、何とも言えない気持ちになりました。そこまで屈託なく人間関係を信じられる生き方って、どうすればできるのか、、、。この人は過去に自分が誰かを傷つけたという自覚は一つもないのだろうか。

 でも、そういう方たちに共通しているのは、たとえ封印した関係でも、相手から接触があってもスルーすれば良いだけのこと、という考え方なのです。そう思えるからこそSNSに参加できるのでしょう。私みたいに、接触どころか相手の意識のうちに一瞬でも上ることさえ拒絶反応を示すような輩はそもそもSNSなんぞに参加する資格はないのだと、その掲示板を読んで改めて思いました。同窓会でさえ苦手な私にとって、そりゃそーだよなと。

 もちろん、現在Fbを楽しんでいる方を批判する趣旨ではありません。リアルではなし得ないレベルで人の輪を広げるツールなのは間違いないし、自営業の方や名前を売ってなんぼの職業の方には便利なツールだと思いますし。

 ただ、、、先の掲示板では「堂々と実名登録して公開できるか、実名や居住地を晒せないかの差は、その人がどういう人生を送ってきたかという篩にかけられているということ」とか、「高学歴の人ほど公開している。Fbを効果的に使えない人はそれだけで成功者やコミュニティから疎外される。社会性の観点からも怪しい」とかいうレスもあり、こんな選民意識持っているのも、正直滑稽だと思っちゃいました。たかがSNSで、、、。

 さて、やっとこさ本題です。

 本作を見て、長々余談を書いてきたことについて、納得した部分が結構ありました。それは、Fbがアメリカ生まれであるということと深く関係していると思われます。

 本作に限らず、アメリカの映画やドラマ見ていると、アメリカ人ってものすごくパーティー好きですよね。やたらパーティーシーンが描かれます。パーティーってのは、その目的が恋愛かビジネスか、、、などの違いはあっても、要は人脈づくりの場です。また、あちらはもともと、 自己主張してなんぼの文化、いかに自分をアピールするか、実物より素敵に魅力的に見せるか、ということに皆が血道をあげている社会です。

 そんな文化・社会で、ネットというバーチャルな世界において、自分を、本来の自分と全く別人ではなくてもほんの少し理想とする像に近づけた人間として演じることは可能だし、ある種、楽しいことかも知れません。バーチャルとリアルの境界が曖昧になってくると、ますます中毒になるのでは。もちろん、人の輪が広がることが楽しいというのもあるでしょうが、自己演出の妙にハマる、というのは非常によく分かる気がしました。大げさに言えば、変身願望が叶えられるのに近い感覚ではないかと。

 そして、アメリカでは、いろんなシーンで、もはやFbは名刺代わりだとか。日本でも就活生にとっては必須だと聞きます。となると、先ほどの選民意識バリバリのレスを書いていた人たちみたいな価値観が蔓延していく可能性は十分ありますよね。そういう意識が出てくる理由が分かりました。まあ、私は世の中がそんなんになったら、山に籠るしかないかなぁ、、、。

 ・・・新興IT企業が舞台の映画ってことで、もっと金・カネ・金!!みたいなイメージかと思っていたけれど、そんな金儲けばっかの話ではゼンゼンありませんでした。訴訟ですから、最終的に金で解決ってことになるけど、原因は単純な人間関係のもつれです。それが、アイディアを取(盗)った取(盗)られたになり、果てはビジネス上の契約に及んでしまうという、、、。極端に才能があるザッカーバーグという人をめぐる有象無象の思惑入り乱れるドラマ。新興IT企業という目新しいセットで、極めて普遍的なテーマを描いた作品でした。

 あと、私、早口な喋りが苦手でして、、、。ザッカーバーグを演じたジェシー・アイゼンバーグは、すごい早口。しかも無表情。感じ悪いったらありゃしない。なんか、ザッカーバーグ氏の描写がちょっと悪意を感じますね。頭の良いオタクで、マシンガントークの人の話を聞かない自己中イヤな奴、という・・・。彼が映画というバーチャル世界でこんな描かれ方されているのを見て、リアルに溜飲を下げている人たちがいるのかも、と思うと、なんかイヤですね。





私には一生縁のないフェイスブックのお話。




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