映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌(2013年)

2016-06-08 | 【い】



 1961年のNY、フォーク・シンガーのルーウィン(オスカー・アイザック)は、どんづまり。ライブハウスで歌うもののパッとせず、彼女(?)のジーン(キャリー・マリガン)には妊娠したと告げられ、何より“文無し&宿無し”で知り合いの家を泊まり歩く日々だった。レコード会社に印税を請求しに行っても無視を決め込まれそうになるが、どうにか40ドルをもぎとる。

 その日も、知り合いの大学教授の家に泊めてもらうが、翌朝、出掛けようとしたところ、教授の猫が玄関ドアからすり抜けてしまい、と同時にオートロックのドアは閉まってしまう。鍵を持たないルーウィンは、茶トラ猫を抱えて行動せざるを得なくなり、、、。

 究極のだめんずシンガー・ルーウィンが、自分の音楽と人生を見つめ直す旅に出て帰って来るまでのロードムービー。茶トラ猫のおかげで、幾分、悲哀がオブラートに包まれた味わい深い逸品。

 

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 ポスターに惹かれて公開中に劇場まで行こうと思いながらも行けずじまいになってしまった、、、。やっとこさDVDで見ました。


◆ルーウィンのぐたぐだな日々in NY

 どんよりとした灰色のNYの風景をバックに、根無し草のごとくフラフラと行き当たりばったり的に生きているように見えるルーウィン。カネ無し、宿無し、仕事無し、、、のないないづくし。

 背に腹は代えられないと、ルーウィンからすればおよそ受け狙いのダサイ歌のレコーディングに助っ人で駆り出されて応じることもある。ジーンには罵詈雑言を浴びせられ、姉にもロクデナシ呼ばわりされ、八方塞がり状態。

 とはいえ、シカゴへの旅に出るまでは、常に憂いをまとってはいるもののさほどの悲壮感はないように見える。


◆これでもか、これでもか、、、のシカゴ旅

 しかし、シカゴへの旅は、見ていてだんだんキツくなってくる。

 ほとんど喋らないでタバコばっかり吸って車を運転している男ジョニー(ギャレット・ヘドランド)と、後部座席に座る巨漢のジャズミュージシャンらしきローランド・ターナー(ジョン・グッドマン)は杖で助手席に座るルーウィンを小突いて人生論・音楽論をぶってくる。

 そしてこの巨漢との会話から、ルーウィンがかつての相棒を自殺で亡くしていたことが分かる。

 途中入ったトイレの壁の“What are you doing?”という落書き、シカゴで雪の塊に足がはまってびしょ濡れになる靴下、「金の臭いがしない」等と分かり切った評価をするプロデューサー、、、。これらはどれも、カネ無しよりも、宿無しよりも、仕事無しよりも、遙かに強力なボディブローとなってルーウィンを追い詰める。


◆再びのNY

 尾羽うち枯らしてルーウィンはNYに戻って来るが、もはや彼はフォークシンガーとして生きることを辞める決意をしていた。元の船乗りに戻ることを決めたのに、、、しかし、それすらままならない。

 もはや、進むことも退くこともできないルーウィン、、、。見ていて苦しくなってくる。


◆さまよえるミュージシャン

 人生には、“彷徨する時期”というものがあって、それがない人生などは実に味気ないものであり、彷徨い終わって一定の型 にはまることがまた良いことなのかどうかも分からなくなるときがある。多くの場合、彷徨う理由は、「どう生きたいのか」と「どう生きられるのか」という“理想と現実問題”に集約されると思われるが、大抵の人は、現実に理想を引き寄せる(=妥協する)ことで、どうにか折り合いをつける。

 だが、ルーウィンのように、意志によるものか否か関わりなく、現実に理想を持ち込む人(=夢追い人)もいる。どちらが苦しいか、惨めか、情けないか、などとは一概には言えない。

 本作でのルーウィンは、どこを切っても、どんづまりだけれども、作品全体には悲壮感はあまりない。灰色がかった画面と寒々しいNYやシカゴの光景は悲哀を感じさせるには十分だが、ルーウィンの歌う自作の歌とその声、そして何より茶トラ猫の存在が本作をじんわり味わい深いものにしているように思われる。


◆要所を締める茶トラ

 この茶トラ猫、終盤でその名前が「ユリシーズ」と判明する。しかし、本作ではもう一匹別の茶トラが登場している。ユリシーズももう一匹も、本作における茶トラは、ある意味、ルーウィンの理想(=フォークシンガーとして生きること)を象徴する存在のように思われる。

 序盤で、ルーウィンがユリシーズを抱えて公衆電話から教授に、ネコを連れていることを伝えようとするシーンが面白い。教授は授業中のため、受付の女性に言伝を頼むルーウィンだけど、そこで“Llewyn has the cat”と言うルーウィンに、受付の女性は“Llewyn is the cat”と復唱するわけ。笑っちゃいました。でも、これが後の展開でも効いていた。

 何といっても印象的なのは、シカゴへの道中、やむなくもう一匹の茶トラを置き去りにするシーン。茶トラと一瞬見つめ合う。そして、踏ん切りをつけるかのようにバタンと車のドア閉める。その一瞬の茶トラの表情に、何とも胸が締め付けられる思いがする。

 しかも、その茶トラ(と思われる猫)を、NYに戻る車を運転していて轢きそうになる。でも、NYに戻ってみると教授宅にはユリシーズが帰って来ていた。そして、ルーウィンは船乗りに戻れない、、、。


◆その他もろもろ

 猫映画というと、ロードムービーだと『ハリーとトント』が真っ先に思い浮かぶけれど、『ロング・グッドバイ』も印象深い作品。冒頭のマーロウとのやりとりだけで、心鷲掴みにされてしまう。犬も好きだけど、猫のあの気ままさ、人の思い通りにならなさは、本作ではまんまルーウィンのままならなさだったように思えて仕方がない。

 ユリシーズの名から、ホメロスの「オデュッセイア」云々については、語れるほどの知識もないので詳しいサイトへどうぞ。

 コーエン兄弟作品は、『オー・ブラザー!』『ノーカントリー』の2作し か見たことがなく、どちらもピンと来なかったので食わず嫌いだった感があるけれど、これから積極的に見て行こうかなと思った次第。






茶トラに最優秀助演賞!!




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