平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
老中御通行時、荷物滞りの一件(1) - 駿河古文書会
午後、駿河古文書会で靜岡へ出掛けた。
昨年、府内、町内年行事組合の「萬留帳」をしばらく読み進めたが、今回はその続きである。正徳六年、七代将軍家継(御歳8才)へ皇女八十宮吉子内親王の降家が決定し、老中阿部豊後守はその納采(結納の取りかわし)のため、京へ登る。荷物滞りの事件はその帰りに起きた。
なお、家継はこの2ヵ月後に死去し、皇女八十宮吉子内親王が江戸へ下ることは無かった。
覚え
阿部豊後守様、二月九日、京都へ御登り遊ばされ、閏二月十三日、御下り、この表(府中宿)御通り遊ばされ候に付、盛砂、掃除など仰せ付けられ、その上、年行事組合三町丁頭、麻裃(かみしも)着し、川端まで罷り出候、この訳御触れ控え帳に記す、十三日夜に入り、御通り相済み申し候
※ 盛砂 - 儀式のときや貴人を迎えるときなどに、車寄せの前の左右に砂を高く盛り上げたもの。
一 暮六つ半時、御番所様より急御用の由、年行持組合召し寄せられ、御用懸り、友左衛門様、忠右衛門様、仰せ渡され候は、豊後守様御荷物、伝馬町人馬差支え、滞りこれ有り候に付、御家中、もっての外、御立腹、問屋年寄役人も、罷り有らず候に付、大切の御通りに候えば、殿様(駿府町奉行)御意遊され候は、年行事に申し付け、何方にも相働き、唯、今、町人足なり次第、伝馬町へ差遣わし、右御荷物相送り候様に仕るべく候、畢竟御忠筋にも罷り成り候間、情出し申すべき旨、重き御意に御座候間、年行事三町家持家別に札ノ辻へ罷り出、町々丁頭中へ、右の趣、申し達し、尚又、追々催促いたし候えば、段々人足出で、五つ半時、御荷物残らず相済候由、伝馬町に年行持より付け置き候家持、注進これ有り候、右御両人様札ノ辻へ御出で、御世話遊され候、首尾よく早速埒明け候に付、年行持へ骨折りの段、御家老様御立ち合いにて仰せ渡され候事
※ 家持(いえもち)- 江戸時代、屋敷持ちとして公役の権利・義務が与えられ、本来の意味で「町人」と呼ばれた者。
一 同夜、山田源五郎様と申す御祐筆衆、これも右御用御朱印にて御下り遊され候所に、御荷物差しつかえ御立腹成られ候えども、右一同に、首尾よく相済み申し候事
一 友左衛門様、忠右衛門様、仰せ渡され候は、町中より今夜差出し候人足、御用に立ち候分、外に札辻まで相詰め、御用相済み候に付、戻し候人足、町々より人足出方、多少、遅速、明細書付け、明日、御番所へ差し上げ申すべき旨、仰せ渡され候事
老中阿部豊後守は無事に府中を通行されて江尻宿へ到着されたが、荷物が着かないと御立腹だとの連絡に、奉行所の役人は真っ青になった。大変な失態である。なぜか分からないが、伝馬町の町役人がもぬけの空で、町中に触れを出して、人足を集め、集り次第、荷物を江尻宿まで運び、何とか荷物を済ませることが出来た。ちなみに、府中宿から江尻宿へは10キロほど距離がある。運ぶのに2時間以上掛かったはずである。(つづく)
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