平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「欧米回覧私記」を読む 9
家康が江戸へ国替えになった時、駿府には秀吉の家臣中村一氏が封じられ、城を築いた。その城跡は、隠居した家康が駿府に移り、天下普請した駿府城の城跡に重なるようにあり、そこから秀吉の城の特徴である金箔瓦が出土した。そのため、中村一氏の城は実質、秀吉の城であったと推定された。写真はその金箔瓦であるが、金箔の部分は僅かにしか残っていなかった。
午后、「大井川流域のお茶の歴史と文化」という演題の歴史講演会を聞きに行く。講師は中村羊一郎氏。話は一般的な静岡の茶業の歴史で、どこかで聞いた話で、耳新しいものが無かった。こういう講演会では、何か一つ、初めて聞く話があれば、それで満足なのだが、少し残念であった。
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「欧米回覧私記」の解読を続ける。
二十一日晴れ。
明後朝、当地出発の旨、大使より申し来たる。日本に送るべき書状を、大使の書記官に托す。
二十二日晴れ。
二十三日陰(くもり)。
朝七時半、ホテルより馬車に乗り、オクランドに渡り、同処より気車に乗り、十二時、ラテラップにて昼食を為す。この辺り桑港より、八十一英里なりと云う。一時、ストックトンに着く。癲狂院を見物す。大院にて、男女の狂心者、合計一千一百人ありと云う。
※ 気車(きしゃ)- 汽車。蒸気機関車によってレールの上を走る列車。
※ 癲狂院(てんきょういん)- 精神病院を指す。
病室の様、甚だよく整頓し、劇症者と軽症者とはその室を別になし、劇症者の為には一室に壱人を入れ、四壁を若(わか)干し皮にて包み、中に棉花(めんか)の毛を入れて柔(やわ)らかになし、身体を触(さわ)るゝも疵(きず)つかぬ様には様(さま)になせり。軽症の者は、二十人位ずつ同居せしむ。狂者の事ゆえ、我々の来るを見て、大声にて罵(ののし)り叫ぶもあり、または笑うもありて様々(さまざま)なり。
四時、乗車。夕六時、サクラメントに着。この地はカルホルニヤ州の首府にて、州庁など立派なるあれど、近年開きたるの地ゆえ、未だ人家も少く、静かなる土地にて、田舎めきたる様あり。この地に投宿す。
二十四日陰(くもり)。
朝九時、政庁に到る。庁の入口に、十四、五の少年居り、引きて案内す。何れの人にて、勝手に入りて見物するを許す。庁中、酒、菓子などを商う婦人居るを見る。議事堂も広くして立派なり。この日、議事あり。婦人など小児を連れて、傍聴席にある者を見る。我々も暫時、傍聴の席に入りて聴聞す。議長(スピケル)の席は小高き所にて、その前に書記官と見えて、議事を筆記す。議員凡そ八十名程なり。
※ スピケル - チェアマンの外に、スピーカー(SPEAKER)という呼び方もあり。
十二時、ホテルに帰り、食事の後、サクラメント橋に赴く。この橋は東京大橋位の長さにて、大船の通る時は、中程の処より開き、通船の後、閉る仕掛なり。鉄造りにて堅固の橋なり。夕八時より劇場に案内を受く。夜十二時、蒸気車に乗る。
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