平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
猛暑の夏、冷茶から考える(下)
(一昨日から続く)
熱湯で出しても苦くならないお茶が欲しいと書いた。素人が何を言うかと、お咎めを受けるのを覚悟して、書いてみようと思う。これ以後の話は科学的根拠が何も無い話である。
目標は熱湯で出しても苦くならないお茶である。苦味の成分はタンニンやカテキンである。この成分が少ないお茶を作ればよいわけである。お茶になるすべての工程でそういうお茶を作る努力が出来ると思う。つまり品種改良-栽培方法-製造過程-仕上過程の各工程で考えられる。
まず第一に品種改良について考えてみる。何年前であったか、熱湯で入れても苦くならないお茶が発売された。「マリシ」という名前であったかと思う。量が少ないこともあって高い値が付いたにも関わらず、飛ぶように売れたと記憶している。靜岡の山奥でひそかに作られたお茶で、自分も飲んでみた記憶がある。作っていた人が亡くなって、茶園の場所が判らず、幻のお茶になってしまった。その茶園が最近見つかって、その穂が採られ、増やす試みがされていると聞いた。その茶の樹が量産が出来る平地に植えられて、なおその性質を保つならば、そのまま朗報に繋がるかもしれない。
少し観点を変えて、苦味の成分をどうして茶の樹が持つようになったのかを、考えてみれば、茶樹はその葉を動物や害虫に食べられないように、自己防衛のために苦味成分を持つように進化したのだと思う。茶樹の進化の過程で苦味成分の少ないものもあったはずで、それらは動物や害虫に葉を食べられて、淘汰されてきたのだと思う。茶樹の品種改良の中でも、苦味成分の少ないお茶は害虫などに弱いものとして、品種改良では排除されたと想像できる。苦味成分の少ない品種を得るためには真逆の品種改良をすればよい。
栽培方法では白葉茶の栽培方法が一つの方向性を示している。被覆をする栽培はすでに広くなされている。肥培管理にも工夫が出来るかもしれない。玉露は一つの到達点かもしれないが、大量生産と大衆化という点で課題が残る。
製造過程では様々な工夫がされているが、熱湯で出すことが出来るというハードルは越えられていない。製造過程で苦味成分を分離することが出来れば面白いのだが、煮出して抽出では意味がない。何か新技術が欲しい。紅茶のように発酵によって性質を変えてしまえばよいが、それでは緑茶ではなくなり、緑茶が持つ旨味成分も損なわれる。
仕上過程では色々と工夫がされている。焙煎もその一つだし、水出し冷茶などもその一商品かもしれない。しかし、熱湯で入れても美味しく飲めるお茶にはまだ至っていない。
茶業界で一つの目標を示して、コンテストとしてそれぞれの工程で工夫が始まれば、色々面白い商品が出来てくると思うのだが。それは急須と湯飲みで湯冷ましして飲むことを啓蒙するよりも、ダイナミックで大きな可能性を秘めていると思う。
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