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「御巡見御触写」-喜三太さんの記録

(ムサシの散歩道のブルーサルビア)

午後、掛川の古文書講座に出かけた。先月は講座がお休みで、2ヶ月ぶりである。本日のテーマは喜三太さんの「記録」より「御巡見御触写」である。

10月3日に「検見廻村御触れ文書」を解読した。この「検見廻村」と「御巡見」の違いを述べておこう。「検見廻村」は代官所などの役人がその年の米の取れ高を想定するために、村々を調査しながら回る。それに対して「御巡見」は幕府が旗本に命じて諸国を回らせる。将軍が代替わりしたときなどに行なわれた。今回取り上げる巡見は、天保8年、将軍が11代家斉から12代家慶になったときに行なわれている。天明度というのは、その前に行なわれた巡見で、10代家治から11代家斉に変わったときである。

巡見は全国を畿内、北国(北陸)、西国(九州)、中国(中国地方)、東国(東海地方)に分けて、旗本に命じて巡国させる。地方の状況を見るぐらいで、確たる目的があったようではない。

この文書はその前触れの文書である。巡見使に対して目に余る接待などが過去にあったためであろうか、特別な処遇を諌める条がくどいほどに並んでいる。現代でも、綱紀粛正の声がかかると、まず末端の役人に厳しい対応がされる。出したお茶も飲んで行かなかったと礼を失するほどの厳しい対応がされる。天保といえば、この後、天保の改革が出され、倹約を領民に強いる政策が出る。そのような背景もあったのかもしれない。書かれていることはすべて過去に巡見使に行なわれたことなのだろう。裏読みすればけっこう面白い文書である。

少し長くなるが、書き下した文を示す。

御巡見御触れ写し
一 この度巡見御用仰せ付けられ、伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、遠江、駿河、甲斐、美濃、飛騨、信濃国罷り越し候、これより天明度の通り相心得られ、書付差し出さるべく候
一 道筋並び休泊、先規之場所相違の所これ有り候わば、その訳書付差し出さるべく候
一 巡見通行場所、郡村町名など並び休泊の里数書付差し出さるべく候
一 休泊の儀、天明度巡見の通り、その処、差し支えこれ無く候わば、この度も休泊いたしたく候、もっとも手狭まに候とも、または二階家、寺院にても苦しからず、別家の下宿これ無き様、成るべくだけ一組一軒にて相済し候様致したく候、さりながら新規に取り繕うなどの儀、これ無き様その向き向きへ申し付けらるべく候
但し畳替えなど、その外取り繕う、これ無き様、これまた相達せらるべく候
一 通行の節、先触れの外、余計の人馬差し出し申すまじく候、もっとも山坂難所あるいは弱き馬一駄分一疋に付け難きこともこれ有り、御朱印人馬、先触れの人馬にて不足の分は雇い申し付くべく候、万一俄に病人などこれ有る節は、賃人足、山駕籠掻き、その所雇い申し付くべく候あいだ、前広手当して余計に人馬用意の儀、決して無用のことに候、これらの趣き、兼ねてその所の宿役人どもへ相達せらるべく候
一 巡見の節、休泊の旅宿あるいは道筋取り繕い、掃除など、その外、野間の休所取り建ての儀、堅く無用たるべくこと
一 巡見通行の節、農人耕作、売人家業、構い無くはたらき候よう相達せらるべく候
一 旅宿夜具の儀、有り合せの品にて、古く候とも聊か(いささか)苦しからず候、もっとも絹布などの類、無用に候、休泊宿賄い(まかない)の儀は木銭にて罷り通り候の間、一汁一菜の外、余計堅く差し出し申しまじく候、もしまた心得違いにて酒肴などはもちろん、少々の余菜差し出し候ても諸用致さず、差し戻し候あいだ、万一心掛け置き候の儀もこれ有り候わば、はなはだ無益の儀に付、かつてこれ無きよう、並びに膳椀などの儀、有り合せの品にて間に合せ候よう、きっと相達せらるべく候
但し野菜、魚類はもちろん有り合せの品何に限らず外より取寄せ候儀、決して無用のことに候、自然物ごと不自由なるところは、一汁一菜には限らず香の物ばかりにても苦しからず候
右の趣き申し達し候あいだ、その所々宿役人並び旅宿のもの厳しく被申し付けらるべく候、何に限らず新規に仕立て候儀、無用の事に候、諸事古例に拘わらず無益のことどもこれ無きよう、精々申し達せらるべく候、この外とも万端手軽の方、専一にいたしその所の難儀痛みに成らぬよう申し付けらるべく候
   天保九(戊戌)年二月
   御巡見役人
 本使 土屋市左衛門 添使 設楽甚十良 水野藤次郎
   右三人にて一組
御書付の趣意は前文の通り相心得申さるべき事
  戌二月
                     荒井九十九
              長谷川佐野四郎殿

※ 先規(せんき)- 前からのおきて。前からのしきたり。先例。
※ 前広(まえびろ) - 以前。前々。

この文書に出てくる名前と役柄を説明すると、巡見使は、本使が土屋市左衛門、添(副)使が設楽甚十良、水野藤次郎の2名の、計3名である。荒井九十九は代官所の役人、長谷川佐野四郎は各和村の名主である。

来月の講座では、巡見使の御通行の様子を記した文書を解読する。巡見使が何をして回ったのかがうかがえると思う。
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