katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

杏さんと中学生教室と蛸の椅子

2024-07-22 00:39:16 | モザイクタイル教室
今日は杏さんと中学生教室だったんだけれど、杏さんの画像が撮れていなくて・・・。文字で伝わるかどうか?って話なんだけれど、今日もネモフィラ増産って感じだったのね。そんな中で、

ちょっとしたアドバイスは、犬がネモフィラの上に寝ている・・・単純にお腹が黒く、ネモフィラとなると、黒、青、緑みたいな感じになる。でもそれは予定調和な感じで当たり前なのね。

で、実際は?となると、実際の画像は無く、あくまで想像なんだけれど、果たして必ずこの順番か?となると、もし青、黒、緑だったり、緑、黒、青だったりする事があったとしたら?・・・

こんな事が時より入ると、不規則な事が遠く離れた時の見栄えが、曖昧に見えると、混ざったように見えると、予定調和の決まった色合いとは違ったように見えたら、その違和感がリアルに見える

可能性があったりもする。ただ難しいのは、その写真があれば、良く見て比較は出来るものの、無い事を想像する・・・って言うのは、中々難しいから、Googleでそれらしい何かヒントになる事を

探して見る・・・なんて言うのは参考になると思うのね。そんな後は中学生。そうね、半立体って事で、彫刻では無いが、形を作るって難しさを味わった・・・そこにかなり時間が掛かった。

何しろ2年連続の受賞は、あくまで平面にタイルを切って、張って、絵を作ったって実績で、下地としての形を彫るって言うのは、初めてとなると、事実として判りやすい表現をすると、

未知数のヘッポコになってしまうかも知れない半立体の下地に、実績があり2度の受賞の腕前でカバーするって事なのね。つまり下地が全てになる。こんな時は数字で言うと、初めてで100点の

下地になるか?まず無理だろうね。では一体何点ならOKになるのだろうか?ここ。例えばスイミングスクールに行ってて、2回続けて大会で賞を貰った人が、水球をやろうとしている・・・

確かに泳ぎは認められている。けれど、水の中で玉を投げたり取ったりする実績は0。泳ぎが上手ければ上手いほど、見劣りするだろう。しかし泳ぎに心配が無い分、泳ぐのも初めてって言う人

よりも期待値は高い。でも泳げるからと言って、玉を水の中で投げたり取ったりが上手いとは限らない。ここね。この自覚がどれくらいあるか?が大事で、頑張ります・・・って何の根拠も無い、

こんな言葉が一番不安なのね。それが初心として、初めてモザイクをしに来たあの時の気持ちだったら、不安もありつつ、出来ると良いな・・・くらいなら謙虚な姿勢で、大きく高みを望む事無く

でも、何とかならないかなぁ・・・と期待もしつつ、そんな葛藤で始めるのと、安易に頑張りますで乗り切ろうって言うのは、全く違うのね。何故なら2回受賞が足かせになるから。

そもそも一回ならまぐれで済まされる。だから偶然。でも続けてとなると、これは必然。当然のごとく、親御さんも周りの人も期待値は上がるし、また上手く出来るであろう・・・あんなに上手い

んだから・・・とか、そしてその上、自分も過信してしまっていたら?始まってから、その難易度が判って来る。まず何とか形にするのにどの位の時間が掛かったか?そして何処まで納得出来たか?

例えば大人の人がやったとすると、月に1回の状況で3回掛かったら、9時間で3ヶ月。つまり逆算したら、4月から初めて6月に終わる事になり、7、8月でモザイクをする事になるのね。

この時、確かに子供は夏休みがあるから、凄い出来るけれど、それは夏休みだからであって、子供もそれ以外は条件は一緒だとしたら?・・・つまり下地に3ヶ月掛かっちゃうって事なのね。

今までは、早く来た分貯金が出来たから、9時間分進めたし、もっと言えばパーツの仕込みなんかも出来たのなら、自宅でも相当貯金が出来たけれど、じゃ下地の貯金が出来たか?って言うと、

何とか・・・くらいなら、何とか分の貯金と、何とか分のグレード下地になる。そこを何とか程度では無く、こだわったとしたら?相当な時間を使ったはず。つまりその時間を大きく使ったなら、

いつもよりもモザイクが進んでいない事になる。そして更に平面に張るのと、立体に張る事の難易度の違いを張り始めて知る・・・平面よりも進まないしね。つまり下地を乗り切ったって思っても

また進まないのかよっってね。しかも3年生だから、クラブ活動も最後。思っていたよりも多く時間を割く事になれば、思っていたよりも大きく進まない・・・追い詰められる事になる。

でもこれが3年連続ってプレッシャーなのね。だって取らなくて良いって思えば、とても楽になる。慶応受験を辞める・・・ほら一挙に楽になる。レギュラーでは無く補欠で十分。ほらね。

諦めないから大変なのね。人って欲があるから。それなのに2度の受賞・・・そりゃプレッシャーなんて当たり前。そもそもヘッポコなら期待もされない訳で。良い環境じゃんって事なのね。

何しろ四の五の言わないで、俺と一緒に7月を精一杯やる。そこでどうするか考える。焦った所で何も解決はしない。って事で、蛸の椅子もやるんだけれど・・・・

さいたまのコープみらい下地もある。だからペンキ塗り。

貯金箱の箱の部分。これからメンダコの頭に、更に耳の切れ目を入れ、最後に合体した時に、蓋にマジックテープを張るって工程が残っていて・・・結構俺も、労作展の子供達並みだと思うよ。

ただお母さんの身の回りの世話や、お父さんの送り迎えやお金の心配をしない分、子供特権あるんじゃ無いのぉ・・・だから頑張れ。

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今日は三本立て

2024-07-21 01:32:58 | モザイクタイル教室
今日はお教室の3本立て。まずはリピーターさんから。ミニテーブルサイズなんだけれど、何しろタイルを切る練習とほぼ切るのは宿題で、アトリエで張るってスタイルなのね。

大まかに水色に見えて、中心部に赤いクローバーを入れるってくらいの事だけで、後はその都度考える・・・って完全オリジナルなのね。こんな時は、完成図無しなんで、フィーリングなのね。

でも余りにノープランでは、えっと・・・って時間ばかり経ってしまってはねぇ。だから、全体を通して水色とすると、悩んだら水色で、飽きて来たら箸休め的に色を変える。これで後は切り方。

つまり形。全部切るって大変だから、疲れたら既存の形のままで、調子が良ければ、色んな形を試して見る・・・こんな程度のイメージ。それと考え方は、何でもモザイクとして考えない。

例えば、韻を踏む。きっと、もっと、ずっと・・・みたいな響きが心地良ければ、似た形の繰り返しとか、デコボコしたら、間に入れるとか、一旦段落替えみたいに、線を入れて切るとか・・・

五感って話として、そんな風なもんが良く感じるのなら、音楽なら聴覚として心地良ければ、その仕組みを取り入れて、常識では楽譜に落とす所をモザイクとして視覚に変換するって考え方。

タンタンタン・・・って続ければ、安定感はあっても、単調で飽きる。それをタンタンタタってリズムにすると、メリハリって思うなら、大きい大きい小さい・・・って形を変えると良いし、

そこに色を変えたり、デクレッシェンド、クレッシェンドのように、段々って言うのなら、段々大きく、小さく・・・これもまた手法として良いだろうし、味覚のような隠し味って言うのなら、

隠れキャラ的な模様を入れたり・・・全てが五感に訴える事なのだから、共通な話なのね。そんな事を考える・・・後は配置。そんな事を繰り返していると、いつしか鍋敷きサイズになる。

大きいと思った面積の時は、果てしなさを感じても、鍋敷きサイズまで来ると、それなら経験のある人なら、作った事があるサイズに感じられるし、もっと進めばコースターサイズになる。

例えば、今100mを走ったとする。たどり着けば世界一の人と1時間離される事は無いが、もしマラソンだったら、たどり着く事さえ無理。こんな差がある。でも1日で走れなくても、数回、

数十回・・・と数を増やせば、等分にすれば、極端な話、100m走を何回もすれば良いのね。その時に、繰り返しているだけなのだから、最初の一回も最後の一回も同じなのに、気分が違う。

この気分って事を自分でコントロール出来るのと、出来ないのでは全く違うし、意識って言うのも、出来れば自覚って話になるし、いずれにせよ、そんな話も踏まえた制作なのね。

そんな訳でお次は中学生。

見てすぐ判る人なら、これだけで何を作っているか?判るだろうね。この部分を下に10cm程度降りるだけでも、恐らく3時間から4時間は掛かると思うのね・・・中々果てしないのね。

ただここまでは、労作展の子達の中では一番安全圏内に見えるのね。そして最後は、

この方の場合は、国盗りみたいな事を陪審員や審判のような気分で、中立みたいな感覚で・・・
まずグレー側と水色側って戦いになるがグレーが勝つシナリオなのね。その時にコツは、

料理のしょっぱい、甘い、甘じょっぱい・・・みたいな話で、例えば子供でも甘いのは、砂糖にみりんに金平糖って感じだったり、お金持ちは100万円みたいな表現をすれば伝わる。逆に

しょっぱいは、大相撲の力士がカバっと掴んで、ドバっと撒く・・・これで伝わる。つまり極端であればあるほど判りやすいのね。所が甘じょっぱいって言うのは、キーパーでもフォワードでも

無く、ミッドフィルダーなのね。所がミッドフィルダーってのは、攻撃型と守備型ってあったりして・・・例えば極端とは、0点と100点って感じの話ね。これを甘じょっぱいを50点とする・・・

って言うのなら、数字だと簡単だけれど、じゃみんながみんな50点の味を甘じょっぱいと感じるか?なのね。だから料理本は難しいのね。お好みの味で・・・ってね。ただそれでは指導には、

ならないでしょ?だから、この人が一体どっちよりの人か?を知らないと教えられないのね。イケイケどんどんのフォワード型か、内気かみたいなね。それに寄って味付けが大きく変わるのね。

だからその人の内面が必要となるんだけど、どっちですか?って聞いた事を鵜呑みに出来るなら簡単なんだけれど、それなら調べる必要は無いのね。お医者の問診の問に風邪なりました・・・。

そうですかって有り得ない。なら風薬飲みゃ良いじゃん。ってな話になる。そうじゃ無くて、レントゲンも何も無いから、心療内科のように遠回しな色んな質問で、きっとこんな質問にこんな

答えが返って来るのなら、こんな話にはこう返って来るはず・・・あぁこうかぁ・・・ならこれは?みたいな事を繰り返す事で、メンタリスト的な事と同じような事で、どんな事を考えているか

推測をするのね。それでこう言う事?こんな感じ?って一致を見た時に、それならこんな感じ・・・ってな事で、この人の甘じょっぱいってのは、曖昧ゾーンってここら辺なんだな・・・って事で、

この人の基準を知る事になるのね。勿論あくまで基準だから、その都度感情や気分で変化するから、今日のこの人は?って常に書き換えなきゃならないんだけれど・・・。だってパソコンで

アップデートしないとならないのに、人に無いはずが無いでしょ?人はそんなに簡単じゃ無いのね。何しろ曖昧機能が複雑だから。要するにその人が自分を本当に知っているのなら自覚あり。

じゃ未熟なのは技術だけになる。けれどもし自覚が未熟なら?そこも指導となる。そんなの判ってる・・・って人は良いけれど、ならB'zのウルトラソウルの歌詞で、己の限界に気付いたつもりかい

?良いのかいぃぃって言うのがあるが、自覚を間違えると、かすり傷1つも無く終わるって事になると、ずっと楽をして楽しめば趣味は成立する。けれどもしこの人が、本気で上手くなりたいと

言うのなら、目に見える技術なんてマメに来れば簡単に身に付くが、自覚って目に見えない自分自身なんてもんを知る・・・つまり心技体の心の部分となると、俺もそれと向き合う事になるから、

大きく責任を負う事になる。言いたく無い事もあるかも知れないし、傷付ける事になるかも知れない・・・ただ人が成長して行くのに、何も無く単なる技術だけで良いのなら、心技体の言葉は、

要らないはずで・・・それがカルチャーとは違う個人レッスンって事になると、誰もが同じスタイルでは無く、その人が目指す学校、能力、時間、みたいなものから、何が出来るか?の見極めも

必要になるものでしょ?勿論、ここで一体何をお求めか?ってな話になるんだろうか?だけどね。それが明確なのが労作展なのね。一番判りやすい。ただある意味この方も判りやすい。きっと弟子に

なり、仕事してみたいんだろうな・・・って事になると、本気で教えないと・・・心をとなる。だから今の俺は、時より見て、少しだけ教えて、一番大事なのは自覚・・・何をしたいのか?

今自分はどう言う事にしたいって思っているのか?をザックリとでも、俺に伝えるって練習が大事で、そのさじ加減の曖昧ゾーンをいつかミリや数グラムの誤差で教えられる関係になる。

それにはお互いにどんな人か?を知らないと、どの人も同じ指導って1つの教科書、マニュアルなんて事では済まないのね。みんな型式が違うのだから。しかも取扱説明書も持って無い・・・。

人と本気で向き合うってのは、大変な事なのね。でももしそれが実になり花を咲かせたりした時の嬉しさは、自分が成長した事とは違う喜びになるのね。先生冥利ってのは、作家冥利とは違う。

しかもそれがいつか一緒に仕事をするって言うのなら、ただのアシスタントならローディでも同僚だけれど、かぐやまで来ると、ライバルにも感じるもので・・・そこまで来ると、切磋琢磨が、

同僚と出来る訳で。勿論そうなると、お互いに傷付く事もある・・・し、お互いに喜べる事もある。つまりこう言う育て方は、いつかライバルを作るようなもので・・・それで消えれば、ただ

盗まれた事になるだけ・・・技術も心も・・・結構大変なのね。ただ教えた事と引き換えに何かを得たとしたら?お互い様で・・・常にこっちもアップデートしないと、いつか出がらし先生になる

のね。人に教えるってのも、中々こっちも必死なのね。さてそんなこんなの最後は蛸の椅子。

流石に3本立てではちょっとだけ。

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ほぼペーパー掛けとペンキ塗り

2024-07-20 02:25:46 | 下地彫り
今日はさいたまと東京のコープみらい用の下地のペーパー掛けやらペンキ塗り。肯定としては裏を塗り乾かして、表を塗り1回塗りをやって、それをペーパー掛けをして同じ工程を繰り返す。

2度塗りで完成。そのさいたま分のメンダコを終えてから、今度は東京分。

こっちは糸鋸の切り抜きをしてからの同じ工程なんだけれど、こっちは1回塗りで時間切れ。そして最後に少しだけ蛸の椅子。裏側にして、頭の下の方。何だかあっという間の1日だったのね・・

ただここ数日の蛸の椅子の向き合い方で、あぁこんな感じだったな・・・って思い出した感があり・・・これは体感って話なんだけれど、ピエロの壁画とは全く違うのね。あれこれと。

更にしばらく離れていた分、気持ちが焦ったり、後何日ってプレッシャーも掛かる。ただそれを含めて早目の始動。焦る必要は無いはずなのね。だから、習慣的になれば気分も落ち着くはずで・・

だからいくらか気分が落ち着いた感じ。やっぱり半身が終わった感じがしたからかな・・・。

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とんかつのモザイクとペンキ塗りに蛸の椅子

2024-07-19 07:19:05 | モザイクタイル教室
今日は午後からとんかつのモザイクの方って事で、午前中は、さいたまのコープみらい分のメンダコの下地のペンキ塗り。


そんなこんなでお教室は、随分と果てしない細かさに気持ちが慣れて来た

のね。この気って言うものが整うのなら、技術指導がやっと出来るって感じなのね。例えば、ノリとかフィーリング的なスタートを切ったとすると、安易な気持ちで手を出した場合、勝手に完成の

制作時間を思い込んでいたりして・・・そうなると、安易に思えば思うほど、簡単に心は折れる。これが労作展のように折れてもやらなきゃ・・・って宿題ってハードルがあれば、立て直しも可能

なんだけれど、何と無く・・・とか趣味とか、根拠の無い頑張りますとか、こんな場合、折れたまま終わる事になったりする。所が経験値のある場合、この方の場合は、フェルメールね。

そんな大作を乗り切った経験がある・・・ただあれはぺきぺきであって、今は1cmタイル・・・算数が出来たけれど、数学は?って感じで、難易度はまた大きく変わるのね。この時に大抵の場合、

気って言う、気持ちの部分で、1つの事をやり遂げた自信なんてもんが付く。とても良い事なんだけれど、当然良い事には悪い事も付いて来るもので・・・当初はこんなの出来るかな?って謙虚な

気持ちだったものが、やり遂げた自信で、フェルメールより小さいし、何かころもって同じパーツを繰り返すだけ・・・とか、何らかの思い込みがあったとすると、その自信が裏目に出るのね。

この仕組みが、俗に言う初心に帰るなのね。つまり1cmタイルは初めてなんだから、またフェルメールのように結果が出ると良いな・・・であって、その気持が謙虚に繋がる。つまり初心。

この気持ちさえあれば、あぁフェルメールもこんな感じだったなぁ・・・ってあの時を思い出すはず。こうなれば、果てしなさなんて大した事は無いし、やっていれば、その分は進む。進めば、

いつか、あっ結構進んだかも・・・って気持ちまで来ると、病は気から・・・その気が立て治れば、身に付いた腕は、嘘はつかない・・・って当たり前のシステムみたいなもん。

まぁ何しろ技術指導なんて目に見える事は、教えられなきゃヘッポコ先生なだけで、技術が無いだけなのね。このその人の気の立て直し・・・つまり目に見えない事も技術なのね。外科だけが

先生じゃ無いって事。心療内科も先生なのね。こんな当たり前の事なんだけれど、みんなも知っているはずなのね。作詞が出来るからって作曲が出来るとは限らないし、歌が上手いからって楽曲が

作れるもんでは無い。ってね。当然そこに進級すれば難しくなる・・・って付いて来るし。後は信じるものが救われるのか、触らぬ神に祟りなしなのか?日本語って難しいのね。肯定と否定。

どちらを選ぶか?は自分の問題なのね。いつも常に。って気持ちの問題が解決すれば、今度は目に見える簡単な話。例えば俺の蛸の椅子ね。

見るからに一つ一つのタイルが大きい。ここからクラッシュってランダムな形を切る場合、例えば5cmあったとしたら、ジャイアンからスネ夫まで、かなりいろいろな形や大きさに切れる。

つまりこの方の場合、ぺきぺきって大きなタイルで、それをやって成功をした。俺の蛸はそのタイルより固いって話ね。つまり進級している。そこに立体技術が加わり、複雑怪奇な張り方になる。

ではとんかつは?って言うと、1cmタイル。つまり切った瞬間、ミリになる。この時に全てが決まってしまうのね。結論から言うと、1cmでジャイアンとスネ夫を切り分ける事が出来る?

ここが技術。その時に物の考え方って言うものが必要になるのね。そもそもドットアートって切らずに並べるスタイルがある。あの場合は、切らない事が出来るのは壁画のような大きさだから。

そしてプログラミングされた図面の通りに、同じ大きさのタイルを色を間違えないように並べる。これが仕組みだとしたら、本物と同じ位の大きさで、プログラミングも無し。

つまり切らなきゃ出来ないし、考えないと作れない。ただウチの生徒さんで、タイル切るんですか?って人はいないから、切る事に何の問題も無いのね。ただ時より気の立て直しは必要だけど。

そして大きく違うのは、そのままの大きさを色だけ間違えないように・・・って単純な制作と、どの色にする?って言うだけで無く、切るのだから大きさにも変化が付けられるのね。

それを単につぶつぶにするだけ・・・なら、単なるドットアートに寄ってしまうのね。そしたら、キチンと並んでいるものと、比較したら当然規格の大きさを並べた方が綺麗に見える。

つまり同じ事で比較されては不利なんだから、いかにそれとは違う事を手に入れないと。だから、切らないのなら、切る。では切るって何?適当に決まりが無いのなら、それは割る。切るは必然。

つまり切る時は必然にしないとならない。こうしたルールが理解出来ると、まず1cmタイルを切るとなった時に、まずどう切る?なのね。その時に、大抵の間違いは、ひとまず切る・・・ここ。

ひとまずって何?ここなのね。ひとまず切ってしまってはミリになってしまうのね。その時にその人はどんな人?ここなのね。切る事に困らない人・・・つまり切る事が上手くなった証拠なのね。

だってひるまないのだから。けれど良い事と悪い事は背中合わせ。悪い事はひるまず切れる。だから考えない・・・だからひとまず・・・って切る。違うのね、切れるのだから目的意識。

何をどう切る?ここをピアノが弾けるようになって、ひとまず鳴らす・・・違うのね。タッチって意識で、優しくとか、力強くとか、弾き方を変えるのなら、何をどう切る?意識が大事。

それがジャイアンからスネ夫なのね。でもスネ夫は取り敢えず切ると、半分ぽく羊羹みたいになり、じゃ4mmと6mmに切ったとすると、それをまた意識無く切ると、何か4分の1に見えない?

無意識にスネ夫を量産してしまうのね。だから意識を持ってジャイアンを切る。つまり1cmで1枚しか取れないとか、2枚しか取れないとかを意識を持って切らないと、無意識に小さくしてしまう

のね。それが出来るようになったら、最低の小ささがスネ夫なの?みたいに、もっと大きさに変化が付くと、そこに色合いを乗せれば、より繊細になる・・・そんな仕組みだと思うのね。モザイク

ってもんはね。ただ切れない人にこの指導要らないでしょ?まずは切る練習だから・・・ひとまず切れれば良いのね。それがひとまずに慣れたら、キチンと狙う。狙って切れるようになったら、

意識をする。こんな段階があると思うのね。まっ当然その先もあるけれどね。いずれにせよ、今何処を作っているか?って判って来たようだから、意識は前進しているのね。

そんな後は、蛸の椅子。目以外半身が大体終わった感じになって来たのね。

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高洲のサークルと下地と蛸の椅子

2024-07-18 02:45:59 | 高州のサークル
今日は高洲のサークルから。まずはキョンキョン。文字は美しいし、何とかバラも逃げ切ったと思うのね。ただこれでバックとなるとどうだろうか?勿論、悪くは無いけど・・・けどなのね。

要するにウエルカムボードだから、文字でそう言っている。それが筆記体で初めてならブロック体が安心だが、それが美しく仕上がった。つまり最低限以上になっている。そこへバラが大小付いて

何とか逃げ切った。ちょっと豪華なトッピングと言えるだろう。ってここでバックとなると、全体がほぼバックとなるのね。まぁ悪意のような比喩なら、これをお弁当に例えると、おかずとして

立派な由緒正しいお取り寄せの鮭みたいな文字をどーんと置いて、トッピングのバラおかずを入れたから、後は白いご飯・・・確かに素晴らしい鮭にバラのおかずも入っているけどさぁ・・・

ちょっと白米多くない?って話なのね。これを単品バラをグルっと枝で囲んたりする縁取りにすると、難易度は上がるけれど、緑を多く使えて、リースな雰囲気も出たりすると豪華になるし、

それは流れを作るやり方だから、難易度は上がるが、筆記体が上手く行っているし、可能性として難しいとは思えないけれど、何か果てしないなぁ・・・って言うのなら、小さな丸をグルっと一周

点々で繋ぐだけでも、無いよりは可愛くなるだろうし、ポップと言うのなら、バックをコロの淡さと、ちょっと大きめなのを利用し、バックの色で大小様々な大きさの丸を切って、散りばめる。

こんな事でも無いよりは十分可愛くなる。要するにもう一踏ん張り時間を掛ければ、白米の量を消せる・・・って話ね。ただ後は、キョンキョンの掛ける時間の話になるのね。ではお母さん。

頼まれていたサンタのリースの目地も終えて完成。それととても評価の高いお花の作品。

まぁいつ見てもとてもご年配の方の作品とは思えない美しさ・・・年齢的にはデイ・サービスの方になるのに、もうどうかしていると思うほど達者なのね。何しろ終わりさえすれば完璧。

そしてのりちゃん。

本当にハワイをテーマなモチーフを選ぶと、何をやってもそつなく完成って感じで、楽譜があると、どんな初見の素材でも軽くこなしちゃうのね。何しろ切るのが上手。そしてキウイ。

結構難しい事してんだけれど、全く大変な感じをさせないし、やっとこさ~って匂いをさせないから、とても簡単に見えるのね。まぁある意味、凄い事なんだけれど、上手いってこう言う事って、

技術の判る人達には脅威すら感じさせる、可愛い作品なのに、実力が判っちゃうって言うものなのね。まっここは上手さが安定しているのね。だから目が肥えるし、だからそれが当たり前になる。

そんな後は、コーナンで東京のコープみらい分の下地と、さいたまのペーパー掛け。

そして最後は蛸の椅子。

もう横にして張らないと、張りづらい場所ばかりになって来たのね。

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父の検診と中学生とコープみらいに蛸の椅子

2024-07-17 01:13:38 | 労作展
今日はまず父の検診から・・・その後、午後から労作展の中学生。その前に、さいたまのコープみらい分のメンダコ下地のペーパー掛け。

50枚くらい終わったはずなんだけれど・・・。そんなこんなのお教室は、一番出遅れている子なんだけれど、確かに下絵の是正は終わっていたんだけれど、良く見て描いてねって言ったんだけれど

・・・実際はラフ画を大きくして描いただけだったんで、まずは絵の是正をして貰っている間に、額縁作り。すーさんが持ってたウォールナット。銘木なんだけれど、何しろ端材チックな大きさ。

だから繋ぎ合わせた感じに仕上げたんだけれど、中々上手く行ったと思うのね。

そんな中、下絵も是正って感じになったのを確認したし、そのグレードで描き直しって事にして、少し張り始めたのね。と言う訳で、宿題も出して、予定通りやってくれば、ひとまず4人とも、

張り始めてスタートを切った・・・って事になったのね。後は7月中に何処まで進むか?って様子見って感じかな?そんな後は、東京のコープみらい分の写し。

そして最後は蛸の椅子。

地味ぃぃに進んでいるのね。

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最後のデイ・サービスと蛸の椅子

2024-07-16 06:47:44 | デイ・サービス
今日は7年近く続いたデイ・サービスの最終日。初期の頃から一緒に行ってた事もあり、キウイも同行。そんな最後は10名って事で、ご紹介。

まぁ最後の下地としては、中々凝っていたし、仕込みも先日かぐやが手伝ってくれて・・・。良い終わり方だったと思うのね。ここでは、ご年配の方に毎月提案して行くって練習もさせて頂いたし

何と言ってもデイ・サービスとは?って言う経験もさせて頂いた。金額的には厳しかったものの、何より経験値が上がったって点では、中々経験出来ない事を数年間させて頂いた事が大きいのね。

そんなこんなで最終日も無事に終わって、最後は蛸の椅子。

7月も中盤となると、流石にちょっと気忙しくなった・・・こんな作品いつ終わる?って、終わらないと判らないのね・・・だから、ただ漠然とでも時間までやって、ひたすら終わりが見えるまで

やる。終わらないぞ・・・って自分にはっぱ掛けて。ただそれと同時にさいたまと東京のコープみらい下地もあるんで、まずはそっちなんだけど・・・。だから、余裕が無いのね・・・

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労作展中学生2組教室と蛸の椅子

2024-07-15 02:06:17 | 労作展
今日は午前と夕方の労作展の中学生の2組の教室。まずはモザイクが初めての中学生から。まぁ状況としては、アニメのセル画や浮世絵的に、輪郭線を作り、そこに色を加えて行くって感じ。

そんな感じなんで、まだ輪郭線の真っ最中。ただ何しろ初めてで1cmタイルなんで、そりゃ数ミリの繰り返しなんて中々厳しい状況なんだけれど、幸い選んだモチーフが劇画タッチで、ザッザッと

した線なんで、キチンと統一って感じでは無いのが救いなのね。そんな中、いくらか切る事も張る事にも慣れた感じなんで、心持ちって話をしたのね。例えば何でも良いんだけれど、じゃ受験ね。

何処でも良いから・・・ってスタイルと、ここに入りたい・・・って限定するってスタイル。勉強の仕方が変わらない?例えばスポーツ。相手の取りやすい所に取りやすい玉を投げたり、パスを

する意識を持つのと、何でも良いから投げりゃ良い、パスすりゃ良い・・・この意識の違いは、結果を大きく左右するのね。つまり意識を持つ事で行動が大きく変わって来るのね。

そうする為にはどうしたら良いか?になるから。つまり意識が低いと、初めてだから・・・となれば、下手でも当たり前って低い仕上がりになる。本論最初からそんな事は言わないのね。

言うタイミングは、慣れて来た・・・ここ。慣れるって事は、余裕が出たって事でもあるし、最初の出来るのかな?って初心とは変わって来た・・・ここなのね。ここでその余裕が出たのなら・・

となると、まず切るにしても、ただ切れば良いんじゃ無くて、今度パーツの宿題が出たら、キチンと意識する・・・まずうどんの幅で切ると決めたら、うどん、うどんと狙う事。そして、きしめん

そばを切り直す事。それにはまず先生となるパーツを側に置き、良く見ながら切る。それを失敗と成功を分けつつ、進める事。そうすると、是正するものを見る事になるし、成功の数も一目瞭然。

こんなプレッシャーを掛けるのね。それは何も見ないで楽々書く書道と、オレンジの先生の字をお手本に書くのでは全く違うし、決定的に違うのは、先生のパーツでは無く、自分が切ったパーツが

見本なのだから、切れないはずは無いのね。こんな練習が統一感の練習になるのね。そして何故それが必要か?と言うと、この輪郭線の中も切る事になると、邪魔が無く張れるのと、その間を切る

とでは、難易度が大きく変わるものなのね。今のは切る指導だけれど、張るのもただ張るのでは無くて、ガタガタさせない。もし自分の輪郭線の上を自転車で渡ると考えたら?スイスイ走れれば、

滑らかに張ってあるだろうし、ガタガタしたら曲がっているって事なのね。こう言う違いが理解出来れば意識も変わるもので・・・変わらないと、中を張る時にダメージになるのね。

ただ今の所、順調だと思うのね。そんな後は、蛸の椅子。

いくらか進んだと思うのね。少しやり方も変えて・・・。そんな後は、3年目の子。

まぁここは特に心配も無いし、むしろ今来ている中では、安心した進み具合で、宿題パーツもやってあるし、余程の事が無い限り、質も下がる事も無さそうだし、けれど安心せずに、今まで通りに

進めて欲しいのね。

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今日はサザエさんのような3本立て

2024-07-14 02:13:37 | モザイクタイル教室
今日はかぐやを駅に送ってからの、サザエさんのようなお教室の3本立て・・・中々の強行。って事で、まずは親子3代教室。先月初めてのキャンセルがあってしばらく振りだったんだけど、

確かに何て事は無いただの1回来られなかっただけ・・・なのね。ただここで大事なのは、久しぶりに・・・待ちに待ってた。こんな場合は、いつも通りに戻れるのね。所が久しぶりに・・・って

事が悪く影響すると、億劫になったり、何か習慣になっていた事が壊れてしまう事も多々ある。反復練習って言うのは、無理せずに繰り返す事なんだけれど、その反復が崩れる・・・。

全てに置いて、何事も良い事と悪い事は背中合わせなのね。まぁ様子を見るまでも無く単なる老婆心だったのね。それはそうならない決定的な環境があるのね。それが親子3代教室である事。

そもそも小学生の習い事・・・これがもし誰か友達と一緒に来ていたとする。確かに仲良しで一緒に・・・上手く行けば楽しいだろうね。けれど、楽しいのはお互いに下手な最初だけなのね。

例えばスポーツだとすると、レギュラーと補欠で仲良く出来るかな?そろばんや習字のような級がある場合、差は出ないのだろうか?勉強なら得点、音楽なら課題・・・全て競い合う事になる。

所がここは親子3代・・・ライバルであっても大人、それが親とお祖母様。競い合っても誰も傷付かない。それ所か競う事も出来るし、励ます事も出来る。とても良い環境である。

しかもアトリエまで歩きで来られる。それ所もう1つ・・・それがいきなりの大作。ピカソの泣く女が作りたい・・・そんな小4なんてそうはいないのね。要するに目標がある。これが作りたいと

・・・。こんな場合、何と無く・・・では無く、どうしても・・・の意欲が違うのね。それは慶応の労作展とも違って、宿題って強制力も無い。そんな中での制作を4年生が・・・。

半端無く凄い事が伺えるのね。だからウチの芦田愛菜って言っているのね。つまり大人顔負けの実力派であるとね。ただ終わらない事にはその称号が色褪せるのね。だってこの完成が高校生だった

ら?25だったら?お母さんだったら?・・・段々と普通になってしまうのね。つまり幼いからって言う枠と、お祖母様であるって年齢での制作って事が、人の評価ってプラス加点になったりする。

でもそんなの全く関係無く、この3人は三者三様に上手くなっているのね。競う事無く競いあってね。でもそれが切磋琢磨って事だったりもする。しかも親子で楽しみながら・・・。

とても良い環境なのね。そしてそんな中でお祖母様が

お母さんが

みんな力作なのね。しかもみんな同じタイルで作っているから、技術が判るのね。ここが難しい・・・ここ凄いって具合に。だから単に細かいとか、進んだとかじゃ無いのね。感想が。

そして今日もみんなで評価しあって、今日も満足な結果になったのね。これを終わるまで繰り返すと、凄いね・・・を毎回になり、もっと凄いねになる。つまり進んだ事より内容重視になる。

もう見なくても、結果が凄いのが判るでしょ?そして今日もまた凄かったのね。そんな後は、今度は労作展の中学生。

いよいよ張り始まったのね。ここは2年連続受賞者。確かに立体は初めてな事なんで、未知数だけれど、手慣れない事はあるだろうが、ここさえ逃げ切れば、後は手慣れた平面。だからここは、

いきなり正念場って感じになる。何しろこの2年間掛かった時間は掛かる前提だから、大事なのはその時間のキープと体調管理。これだけあれば、実績が質をキープしてくれるはず。

焦らず向き合えば、結果は後から付いて来る。そんな後は、最後にこれで3回目だったかな?何しろ入りたての方。

まぁ見てすぐ判るだろうけれど、とても3回目の内容とは思えない・・・何だろうか?楽しんでいるのに、結果がいきなり出ている・・・この凄さが伝わるのは、実力者であるのならすぐ判るのね。

勿論、終わらなければ結果として単なる途中経過に過ぎないが、このままの実力で終わったにしても、相当高得点の内容・・・お見事なのね。ただ職業にしようとタイル商社を受けた実績を、

考えれば、とても趣味って感じには思えないし、いきなり3回目で生き甲斐にしましょうってのも、重いかな?とも思うし・・・それで考えたのが、じゃ弟子でも育てる感覚で教えようって事に

したんだけれど、結構話をしてもキチンと付いて来る感じもある・・・とても新鮮な感覚でもあり、懐かしい気もするのね。ただ、それが一番重い気もするんだけれど・・・。

そんなこんな最後は蛸の椅子を少しだけ・・・。

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ピエロの壁画の2枚目

2024-07-12 22:03:33 | モザイク作家
今日もかぐやと引き続き、ピエロの壁画の2枚目。これで2人で5日の10人工となったのね。やはりこれが張り終わるのに、恐らく全部で20人工くらい掛かると思われるのね。中々手強いのね。

ただこれから夏の出張教室分の下地作成に、蛸の椅子があるから、しばらく出来無くなると思うのね・・・。まずはそっちが急ぎになる。そんなこんなで今日の制作となるのだけれど、雨が降って

いて、湿気も多く・・・でも先日、仁科さんにエアコン付けて貰っているから快適で何より。ってそんな中、かぐやはしろくま、俺はゾウとなるのだけれど、バックの色をピエロに合わせた分、

水色の部分が被る事になるのね。だから色を濃くする事になり・・・あれこれ悩みつつ、こうなったんだけどね。まぁこれでも良いペースなんだろうけれど、質に手応えを感じるものの、ペースと

しては?って考えると、仕方無いんだろうな・・・と思いつつ、もう少しペースを上げたい所なのね。まぁただ大体は掴めたし、他の部分のデザインを少しづつ考えないと。

それはそうと、ここ2日間、ブログがトップページに載ったらしく、いつもは3桁なんだけれど、5桁なんて数字になっていて・・・7位になったのね。まぁただ数日の事だろうけれど、ちょうど

ピエロの壁画が張り終わった時だったから、タイミングはバッチリだったのね。

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