katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生のオンライン教室とDucatiのモザイク

2020-06-21 07:49:49 | モザイク教室

今日は中学生のオンライン教室。支度をして出掛けようとすると、・・・見慣れない番号で電話があって・・・何だろう?って出て見ると、その子のお母さん。どうやら俺の勘違いで、1時間間違っていたみたいで・・・すぐにアトリエに。

そんな訳で30分弱遅刻でスタートになって・・・何ともお恥ずかしい限り。ここから挽回しないと・・・。ちなみに彼はオンラインは初めてで、ただ実際始めると、ほぼ毎日のブログの内容と同じなのね。

つまりこのDucatiをどうやって進めているか?と言う事なのね。何でもかんでもがむしゃらに・・・では、中々思うようには行かないのね。人には美味しい、まずい、綺麗、汚い、上手い、下手・・・みたいに感じてしまうもので。

それを感じるって事は、それによって気分が大きく変わってしまう・・・って事になる。今のコロナでも、解除って事で、不安ながらも動ける人と、不安だから動けない人になると、気分は大きく変わってしまうもので。

動ける人は動いた事で、リスクは負うものの気分は晴れたと思うのね。逆に動けない人は動けないのだから、昨日と同じなだけ。つまり変わらない。ってこれなら判りやすい。けれど人の気持ちって言うのは、そう簡単じゃ無いのね。

動ける人は自分の判断。つまりリスクあっての事なんだから、その覚悟をしていれば、後悔をする事もあるだろうが、判った上の判断になる。だから、そのリスクを負って何も無かったら、当然楽しさは倍増な感じがする。

所が動けない人って言うのは、仕方ない・・・って言う判断。これが動かない、であるのなら、前者と同じ自分で選んだ事になるから、自分の判断になり、結果として相反するだけで、逆も真なり。真向反対はどちらも一緒だったりする。

でも動けない・・・これは見えない誰かに操作され、仕方ない・・・って感じにも思えると、これが厄介で、一見結果としては、動かない人と同じ結果ではあるけれど、もしそこで同じ気持ちと判断して話して行く道中で大きく変化する。

そもそも動かない人は動ける人と一緒で決めた覚悟がある。だから相手の結果を見て、仮に結果が悪くても相手の方にすれば良かったとは思わない。でも動けない人は、動かない人と同じ側にいるけれど、問題は結果で左右する。

もし動いた側に良い事があると、あっちにすれば良かったかな?・・・と思うだけなら良いが、動かない側でそれを言えば、あっちに行けば良かったじゃん・・・になるし、逆にこっち側に良い事があれば、良かったラッキーって事になる。

けれどそれは今回がラッキーなだけで、また何か決断しなければならない時、必ずラッキーが起こるとは限らない。つまりラッキーと何でだろう?の繰返しをする事になる。しかも、これが更に厄介で、動いた人がリスクを負うなら良いが、

動かない人も動けない人も動かなければ安心って言う事では無いから、理不尽な結果になる可能性もある。どんな結果になっても、どれを選んでも後悔の無い事は無いが、動けないって人も、実は動けないを選んだ事になるのね・・・。

そうね、見えない人の判断を選んだのだから・・・。ではそれを踏まえて、当然中学生となれば、労作展なのは明確。じゃ労作展ってそもそも開催されるの?されないの?されれば、やらなきゃならないけれど、いきなり間に合う?

逆にされなければ、お金と努力は無駄になる・・・そんな事を踏まえて教える側になれば、なるべく適度に・・・となりたいが、大抵は大作を作りたくて来るものだから、自然とハードルは上がるもので・・・。ただ今年は夏休みも限られて

いるだろうし・・・それと、ここに来るから、来れば強制力もあるけれど、果たして自宅が多くなる中、薄れる強制力で、終われるか?・・・となると、不安はある。こちらも初めての事なんで、何か工夫しないとならないだろうな・・・。

いずれにせよ、誰もが初めてのコロナの中、いつも通り・・・って経験値で乗り越えられる事は少ないだろうし、ただ初めての事なのだから、そこにもきっと良い事があるだろうし・・・悪い事ばかり考えると、気持ちが削られる。

そうなると、気が病になり病気って事になってしまうだろうから、何か良い事に向かえるきっかけ・・・そんな事を見付けないと。そんな後はDucatiのモザイク。もうこの場合、片付けて一旦、進行具合を確認してもう終わるから・・・って

自分の気持ちを高めないと・・・って。終わらないって焦れば質が落ちる。しかし、まだ時間はある・・・と安心は出来ないし、むしろ時間が迫っているって気分が勝っているのも判っている・・・そんな中、ここからの1週間はラストスパートって感じになる。その気持ちを整える為にも再確認。そうしてまた進めたのね・・・

 


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さくら教室とDucatiのモザイク

2020-06-20 07:46:11 | モザイク教室

今日は午後からさくら教室。って事で、その合間にいくらかDucatiのモザイク。

微妙に進んではいるのね。さてそんな中、さくらは新作に取り掛かるんだけれど、フクロウを作りたいって事なんだけれど、指先が相変わらず調子が悪い事で、上手く切れないんじゃないか?果たして出来るのだろうか?って一番のワードが、

大作として自分と向き合うような事はしたくない・・・まぁこれだけあれば、何が良いか?って提案は十分だったのね。つまり、牛では無く牛肉、カンガルーじゃ無くて、オーストリッチ・・・単純にこんな感じになると思うのね。

本来、大作を作るって言うのは、長丁場になり、しかも表現をするって言うのは、自己表現なんて言う事を考えれば、長い時間掛ける自己表現の事を大作って呼ぶみたいになると思うのね。所がそれをしたく無いけれど大作を作りたい・・・

正直、矛盾しているように思えるが、例えば家族の分のおにぎりを作るとする。まぁ10個をちょっと超える程度・・・勿論、初めて握る人では、どうやるの?から始まり、単なる塩握りだとしても塩の分量は?大きさは?みたいな事にもなる。

そこに具材となれば、例えば梅干しなら、大体同じ大きさだから入れる時、気を付けるのは数のみ。まぁ数も1個だけどね。でももし鮭なら?分量もさることながら、部位で味だって違うだろうね。それがフレーク状なら、分量だけで済むけど

・・・。テーマをおにぎりって事にしても、初めてなら塩の分量と大きさで済むが、中に入れるモノ1つで、更にハードルが上がる事になる。更に数となった時、いつもの家族の数なら、常に作れば慣れて来る。慣れれば普通になる。

でも大作は何度もやったさくらでは、それを作る為の難易度など経験がある。つまり知っているから、それをやりたくない・・・って事に繋がったと思われるのね。つまり今までの大作の作り方と向き合う事が嫌なのは、もしかすると、技術

の不安では無くて、心の部分だったとしたら?思い入れを一切無くす・・・それなら向き合うのは技術のみになる。さくらが思う技術の不安と考える事が、実は自分の心と向き合う事と勘違いしているとしたら?

って仮定して、おにぎりの話に戻ると、そもそもおにぎりを作りたくないのなら、作品を作る所から否定になるから、この話は終わりになる。しかし、大作を作りたい・・って事は、自ら大変な事を知ってて選んだ事になる。

けれど、知っているが故に不安になる。あの時出来ても今の自分で出来るかな?と。そして出来れば向き合いたくない・・・けれど、大作は出来無いものか?って話になる。じゃ全部満たされれば良いのね・・・もはや一休さんのトンチ。

そうじゃ無きゃ良いだけ。そもそも料理がしたく無いって人は、おにぎりも嫌なはず。それなのに大作。そこでまたおにぎりに戻って、子供でも安心して大丈夫な事なら、上手く行くか?どうかは別にしてカッコにはなる。それを大きさや形、

具などを均等にする事で、上手さの差を付ける。段々判って来たと思うけれど、つまり難しい事は考えずに繰り返す。体に沁み込ませる・・・それが慣れるって事なのね。それが技術。でも自分と向き合うって言うのは技術とは違う部分。

その時にどうしたい?と自分と相談する事になるのね。でもね、大抵何と無く・・・なのね。つまりさくらの場合なら、フクロウが作りたい、大作作りたい、でも不安があるから向き合いたくない・・・まぁこんなとこ。それを踏まえた答えが

一休さんのトンチで、そうじゃ無きゃ良いのね・・・じゃあ、フクロウを作りましょう、大作にしましょう、不安があるから向き合うの辞めましょう・・・これで出来るのねって事になる。だから難しい料理じゃ無くておにぎり。何個握るか?

果てしなく・・・家族分なんて量では無くて、おにぎりセンターくらい。果てしなく。でも余計な事は考えなくて良い。ただ握れ・・・なんで、ひたすら切るだけ。でもそれにもルールはあるのね。何故なら考えるな・・と言われると、不安

が増すのね。大丈夫だから・・でやれるのは、愛に包まれた子供だけ。大人はそんな簡単じゃ無いのね。増してさくら。謙虚は通り過ぎて卑屈の極み。そんな人に何をどう言っても無理だから、おにぎりルールの元、今度は最初の牛では無く

て牛肉とか、カンガルーじゃ無くてオーストリッチ的な話で、牛を食べるのに頭を取って血だらけになったモノを、血を抜いて・・・牛肉って死んだ肉の事だよ・・・とか、オーストリッチって、中身よりも皮を大事に丁寧な仕上げ・・って

考える?って事になると、それじゃ食べられないし、使えない。つまり考えていない事になる。しかしながら、本当の達人レベルなら、命を頂きます・・であり、私が生きる為、幸せの為であったりする訳で・・・かなりのエゴ。

でも、普通は考えないでしょ?だから、さくらも達人じゃなくて良いから、考えずに行きましょうって事にする。って言っても、きっと考えちゃうと思うのね。そこでフクロウを作るのでは無くて、フクロウに見えたら良いねを作る発想。

普通はフクロウに見えるように、これでもか、これでもか・・・と見えるようにとプラスする考え方をする。そこをマイナス的に、これが無くてもフクロウに見えるかな?これも無くてもフクロウに見えるかな?と削り落とす、マイナスの考え

にして、落とし過ぎるとフクロウに見えない・・・それでは本末転倒。その時に、いつもなら、実物よりもなるべく大きめで・・・となるべくなのね。そして結果の出た人達は?となると、7.8.90cm級になる。全体で・・。

じゃフクロウをそんな巨大に作りたい?となると、物理的に無理だから、発想の転換で、フクロウに見えたら良いね、のマイナス的な考えで、眼は口ほどにモノを言うのだから、眼付近だけでフクロウに見せちゃえよになる。

更にそれを巨大化させちゃえよ・・・となれば、顔だけ60cmってどう?しかも、そこから削り落として・・・そうなると、フクロウなのにフクロウを作る感覚では無くて、模様を正確に切る事になる。つまり牛では無く牛肉感覚。

単なるパーツの繰返し。ただおにぎり作りと同じで、何しろ精密になら均等に、けれど元々生き物・・・均等とも限らない。何しろ考える事無く、ひたすら良く見て、あるものを正確にまずは写す。出来るか?出来無いか?切れるか?

切れないか?は別にして。そして写し終わったら、次に切る段階で、どの線が大事で、どの線が切れて・・・とやれる事と、やれない事を分ける。その時に1番大事な事だけを選んで行く。あれもこれもと選ばないでね。

スーパーの買い物みたいな・・・大事なモノを買ってからの余力や、カゴの余白、持って帰れるか?は、車の人、自転車、歩きと様々で、人それぞれ。であっても、大事なモノを1つだけ・・・なら、何とかなるもので。大事なモノはどれ?

って1つ。それが出来たら余力で2番目。あれもこれもじゃ無く、全て順位。本来ならいつもなら、丸く切るんじゃ無くて、眼を作っている・・・何を作っているか意識を持つって教えるのに、向き合いたくないのだから、いつもとは違う。

だから、いつもとは矛盾が起きる。でも簡単に言えば、まるで何々のように・・・みたいに見たもののまんまじゃ無くて、その人その人の作り手の思いや感覚が個性って事に繋がり、昇華すると美術、芸術になるのなら、その反対の作り方

は、模写的に、そのまんま、見たまんま、聞いたまんま、食べた通り・・・全てそこにある通りであって、作り手はそれに従えば良いので、一切考えるな・・・それが自由演技と規定演技の違いだと思うのね。

今のさくらは考える事が嫌だって言うのなら、規定演技が良いんじゃないかな?って。でもいつも通りって言うのもなんなんで、やった事の無い刺激も必要だろうって事になると、こうなると思うのね。そしてこの作品を作り終えた時に、額を

焼いた木でくるむと、大木の木の隙間から、エサのネズミを昼間の間、確認をしている鋭い眼光のフクロウが完成するはずなのね・・・。リアルって言うのはそう言うものなのね・・・。しかも本人の意識無く。

いずれにせよ、進んで行けば意味が判るとは思うのね。

 

 


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Ducatiのモザイク

2020-06-19 07:35:20 | モザイク作家

今日は丸々Ducatiのモザイク。細かい残しはあるものの、大きなブロックはハンドル付近だけとなり、いよいよラストな感じになって来た。ただやりにくいのね・・・何せこの付近は正面で張ろうとすると1mくらい上の場所なんで、

うつぶせって感じで、息苦しくなっちゃうのね。まぁここまで騙し騙し良くやったと思うんだけれど。そんな中、山周さんからタイルが届いたんでご紹介ね。

形のタイルって、クローバーとかハートや丸やランタン・・・色々あるけれど、何とも和風で色が6色あるのね。しかもこのへこみ部分にまた6色の六角形を入れられるって事になると、かなり色んなバリエーションが増えるし、しかも今回の

和風のバックにピッタリで、今までに無い変わった事が出来そうなのね・・・ただまずはバイクが終わらないとね。しかし流石に長いな・・・と感じて来た。ただモンゴルの作品と時間的には同じ位だと思うんだけれど、何しろ今の所、

時間で解決的な部分が1つも無く、ただ今日の分を進む・・・って感じなんで、ドラマチックにガラッと変わるような、段落変えのような部分が無い分、気分転換が無さ過ぎなのね。ただ、それが木の額だったり、さっきのタイルになれば、

今までとは違ってアイデアだけで、急な展開なんてのがあるとは思うんだけれど・・・。何しろ今はバイク。


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高洲のサークル再開とDucatiのモザイク

2020-06-18 07:45:28 | モザイク作家

今日は午後から高洲のサークルが再開となったのね。何か月ぶりなのかな?先月までは公民館自体が他所の地域からの入館規制があったんだけれど、今回から解除になったらしく、いよいよ再開と言う事になったのね。

しかしながら、急きょなんで、果たして集まるかな?と思ったけれど、のりちゃんがオンラインの参加となり、1人欠席だけなんて出席率が高かったのね。そんなこんなで、いつものように駐車場に止めると、お昼過ぎからの利用は珍しい事な

んだけれど、車の数が相当少なく、もうここからいつもの雰囲気では無い感じはしたのね。それから入り口で検温をしてから部屋に入るも、扇風機があって換気対策だろうか?それと除菌セットが渡され、まずはその作業から始まったのね。

それと当然ながらみんなマスク・・・それでもみんな口を揃えて会えてよかった・・・って。これを1つ取っても、ここの人達はモザイク以外の仲間意識があるのが伝わるし、その上でのモザイクって点では、ここに来たい意識が高まるのね。

要するに単なる趣味なら、単純に自分の中のランキングは簡単に下がる。こんな環境下では、危ないから・・・って言うのなら、安全が確保された感じがするまで辞めようって意識が高くなり、再開は遠い道のりになったりもする。

所がここは、趣味のモザイクではあるのだけれど、仲間意識が高い。こんな場合、みんなに会いたいから・・・って言う、モザイクとは違う魅力がある訳で・・・これは、ちはやふるのアニメで、原田先生の言葉の中に、最初はそう言う仲

間がいるって言う事は結構重要な事で、一緒にって気持ちが続けるって気持ちに繋がる・・・これが相当な覚悟じゃないと、1人で続けるって言うのは中々難しく、こんな状況下で、さっ行こうか・・・とは中々ならない事が多いと思うのね。

例えば食事。この買い物は嫌でも行かなきゃならない。むしろ何としても家を出る。例えばペットのエサや散歩。これも家族と言う人がいるのだから、かなり上位。こうして、スーパーや薬局みたいにどうしても・・・って場所は生きる為に

直結するもの・・・って事になる。しかしながら、震災と同じ事で、衣食住が整えば良いのか?となると、それでは人では無くなってしまうもので、それらが揃い安心となってくれば、娯楽と言うものが必要となって来るもので・・・。

つまりそこに属するのね・・・俺もモザイクも。だから相当順位は低い。ただその低さをカバーしてくれるのが仲間意識だったりして、そうした具合で集まってくれれば、来たらモザイクやるでしょ?こんな当たり前の事なんだけれど、みんな

集まらなくても自宅で1人やる・・・そんな事が出来る人は中々いないのね。それが趣味と言うくくりならね。それが労作展のように宿題なんて事になると、くくりは趣味では無いから、やらなくても良いや・・・の選択は無い訳で。

つまりその強制力みたいな縛りがやる気に繋がったりするが、それが縛りって言葉だと、若干嫌な気分になるでしょ?でも、やる事にはなるのね。でも趣味・・・縛りは無い。所が仲間って言うくくりがあると、じゃ私も行く・・・。

こんな事で重い腰が浮いたりもするし、もし自宅でやっていた人とやっていない人が出くわしたら?えっ?って気持ちになったりして、それが1つの刺激になったりすると、それが連鎖になり、より励んだりしたとしたら?それこそがライバル。

向上心なんてものになったりするもので。これが例えば仕事などで、人に接する人なら、趣味くらい、人に気兼ねしないでやりたい・・・こんな気持ちなら気ままに来られる個人レッスンの方が良いんだろうね。

けれど、グループにはグループの良さもあって、中々難しいけれど、みんなに引っ張られたりすると、良い意味では色んな人の作品を見られて刺激になるし、向上心にも繋がるし、心が折れ掛けていても、私もそうだった・・・って経験談も

聞けたりもする。しかしながら、逆な面は、気兼ねしてしまったり、気を使い過ぎてしまったりすると、疲れちゃうし、そしてこんな事が多々あるが、人と比較されるのが嫌だから・・・なんて理由なのね。ただ、例えばそれが嫌なら、早く

サンプル教室的なみんなと同じものを作る事から足を洗わないとなのね。そりゃ同じモノ作ったら、誰だって比較しやすいでしょ?そしたら切る事が上手い人が一番上手く見えるのね。それを色だよ・・・って言う人がいるのなら、じゃ子供に

素晴らしい色を決めた通りに切らせてみ・・って話。絵画ならその通りって言うけれど、モザイクって言うのは人の作った色の選択であって、それ程の差は少ない。けれど切るって技術は大きく影響するのね。例えば赤1枚で、りんごとトマト

を表現して見て・・・となったら、色が同じなだけに、いかに輪郭の線通りに切れるか?になる。それが技術だったりするから。勿論、俺が切る側の先生だからだけれどね。これが大きい作品を作ったり、素敵な素材を使ったりする先生なら、

大きい作品をドットって言う並べる作り方なら、切る技術が問われない分、人との差は色になる。何色を選ぶか?しか差は生まれないから。それと素敵な新素材を使う先生なら、常に新しい素材を見つけて、いかに提案し続けるか。

これはすごく大変な事で、一定の値段の中で、新作サンプルを作り続けるって言うのは、簡単過ぎれば飽きられるし、難し過ぎれば諦められてしまうし、俺はデイ・サービスで修行中なんだけれどね。ただ、お洒落な新素材ってタイルは無い

けれどね・・・いつも目先を変えた工夫のみだけどね・・・。話は戻って、個人には個人の良さもあるし、グループにはグループの良さがあり、個人には個人のもろさがあり、グループにはグループのしがらみみたいなものがあったりする。

いずれにせよ、きっかけはどちらでも良いけれど、食わず嫌いな事もあるから、いつもとは違うスタイルなんて経験も良いし、逆に安定したいつものスタイルなんて言うのも、今の自分の環境にあったスタイルで・・・って事で。

さてそんなこんなのキョンキョンから。例えばひまわりって何色?まっ普通黄色って言うでしょ?これがね、ぺきぺき以外ならもう少し色数も多いから、グラデーションなんて言葉も使いたくなるんだけれど、ぺきぺきは切りやすいけど、

色数が少ないのね。それでメインのひまわりに黄色を沢山使ってしまったら、重なったひまわりに何色使う?って事になるのね。そこがテクニックなのね。重なった部分に黄色を使うと被ってしまって、どっちもひまわりに見えなくなるのね。

だからいかに、メインのひまわりに被らないように、重なったひまわりを作るか?となったら、何しろ花びらを均等に切って形で見せるって技術をキープしつつ、黄色じゃ無い色で影に見せるのね。それに見せるひまわりと、それを引き立てる

ひまわりと・・・みたいに。ひまわりは黄色だから・・・じゃなくてね。さっきの順位の話と同じ。何を優先するか?なのね。何しろ選択なのだから・・・モザイクって言うのは。それを同じぺきぺきのキウイの場合では、

今度は赤やピンクのバラだらけの絵。だから似たような色ばかりになる。キウイの趣味で言えば薄いとか、綺麗とかって色を使いたくなるんだろうけれど、バラとバラの隙間とか、葉っぱとかに濃い目の有り得ない色を入れる事でクッキリさ

せるテクニックを使うとなると、大袈裟に言えば黒なんて悪く無いし、ピンクの脇ならこげ茶なんてのもありだと思うし、勇気があったら、黒の目地なんてのも1つの案かもね。さっきのキョンキョンの場合、花の数が少ないから、バックの

スペースが多い。それなのに黒なんてえぐくなるでしょ?安心なら、黄緑とか青空とかみたいに水色とか可愛いと思うのね。それが上級者のキウイとなると、そのバックの隙間は少ないし、花は同じ色が被りっ放しとなると、いかにこの花は

こっち、こっちの花はこっち・・・って分断してやらないと、何処から何処までが1つの花?って事になるのね。これがぺきぺきでは無くて、1cmタイルやガラスの色数の多い作品のお母さんになると、

色数が多い分、花と花の境目のグラデーションなんてテクニックを使えるので、微妙なバランスを取りやすいのね。元に戻って、同じぺきぺきでも、被るって事の無いはっきりした絵のオンライン参加ののりちゃんは・・・

こう言うハッキリとした絵には、ぺきぺきは向いているのね。これは絵の選び勝ちって感じなのね。ただそれだけでは無くて、三者三様で、花びらを統一させて切る練習のキョンキョン、上級者のキウイの花びらのレロレロみたいな切り方の

テクニックとか、のりちゃんのボンネットや窓の1枚切りや、タイヤのピザのような切り方など、ありとあらゆるパーツのオンパレードみたいに、それぞれが同じぺきぺきで、それぞれの課題みたいな作品になっているのね。

それがお母さんとタピオカの作品のように・・・

1cmタイルやガラスを使うと、より繊細な仕上がりになる。ただ当然、切るのが難しいけれどね。更に言えば、同じぺきぺきを使ってキウイのように比較されても上手く見えるって言うのは、相当な腕前って事でもあるけれどね。

とは言え、そもそもここは質の高いモザイクだらけで、何処にも趣味感が感じられないのね。ただ上手いって感心する。それはひとえにみんなが仲間って意識が高いから、作る時の姿勢が違っていて、弱気になった人へハッパ掛けたり、

楽をしようかな・・・なんて人に、ダメって引き留めたり、良かった時にはみんなで褒めたり、全ての感想が良くも悪くも素直に表現するって事がきちんとなされているから、その評価がみんなに反映されているのね。個々の作品がみんなの

刺激になっているからで、しばらく振りにみんなの作品を見て、改めて凄いな・・・って俺も刺激になったし、またこうして集まれて良かった・・・って言うのが本音。そんなこんなでアトリエに戻ってDucatiのモザイク。

 


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Ducatiのモザイク

2020-06-16 22:15:48 | モザイク作家

今日は丸々Ducatiのモザイク。何か前輪に四苦八苦な感じがあって、気分転換にタンクに手を出したのね。ただ何処に手を出しても楽な場所は無いんだけれど、黒っぽい色ばかりからの解放は多少気分も変わったのね。ったとは言え、そんなに変

わったか?って言うと、御覧の通り・・・やはり気分って問題だけで、大きくは変わらないのね。ただ気分としてのダメージは幾分少なかった・・・って話。ただかなり後半に入っているのね。そんな中、バックの話になって、かぐやが山周さんの

Facebookを見て、ちょっと見て・・・って事で確認すると、これは・・・って思う新作タイルがあって、すぐに注文。まだ手にしていないから何とも言えないが、このバックにピッタリで和風色が濃くなると思うのね。中々のレトロ感もあり、

到着が楽しみなのね。

 


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デイ・サービスとDucatiのモザイク

2020-06-16 01:52:19 | 出張教室

今日は午後からデイ・サービス。そんな訳で支度をしてちょっと早めに出発したのね・・・向こうのホームセンターで額縁の木を買おうと思ってね。予定通りに買えて、そんなこんなの8人。

常連さんも久し振りに会えて何よりだったのね。その後、来月分の下地の事で、足らずのものがあって帰りの道中に100均に・・・それが思わぬ苦戦をして・・・何軒も回ってしまったのね。そんな訳で、左程は出来なかったけれどDucati・・


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来月分のデイ・サービスのサンプルとDucatiのモザイク

2020-06-15 01:28:41 | モザイク教室

今日は何しろ明日持って行くデイ・サービスのサンプル作りから。こんな土壇場まで追い込まれたのは初めてで、それでどうすんの?になる。しかも外は雨。もう神様が彫るなと言っている気もして・・そうなると、一番得意な事封印になる。

でも、普通提案ってサンプルは何かいつもと違った変わったモノを・・・とか、季節モノとか、何らか意識して作ろうとするのね。ただやる人の事や持ち時間を考えたり、更に1人で行く事も踏まえると、かなり消極的になるのね。

そんな事を踏まえた時に、今回は彫った下地にしたのも、2回連続張るだけの下地にしたからなのね。でも1つ目は鏡で、その下地も彫ってはいないけれど、割と凝ってて、彫ってはいないけれど、そこそこ時間は掛かったのね。

そして2つ目では、下地は100均のもので何も手を加えていないけれど、タイル自体をレトロに見せる為にわざと欠けているようにとか、傷を付けたりして、そっちに時間を掛けたりして・・・そんな後の今回は彫る下地。

それによってタイルを切るスタイルに戻したのね。それでどうする?って次回となると、Ducatiの事もあるし、もう時間も無い・・・ただ今日までノープランだった訳じゃなくて、今までやった事の無いって事でマグネット・・・

ってワードは出ていたんだけれど、普通にマグネットを作ると大きさは10cm以下になると、いくら彫った下地でやりやすくなると言っても、パーツが小さ過ぎて年配の方ではきつ過ぎる。それとマグネットにしたのも、以前の余りがあって、

買いに行かなくても済むって言う事もあったりしたのね。つまり時短・・・ん・・・何かが違うんだよな・・・そこで、更にマグネットの下敷きサイズの材料があったので、何らかの下地に作ったマグネットを更に下敷きのようなマグネット

にくっつけられると、その縁取りも張れるかな?とも思ったが、それもやり過ぎだし、そもそも小さい下地の解決はしていないし・・・そこで悩んだ末に昨日、100均に行ったのね。そこでマグネットのこの下地を見つけて、これに決めるも、

1店舗では数が足りずにはしごになり、何とか数は揃っての今日、それでどうする?だったのね。それで最初はこの入れ物が鉄なんで、そこにマグネットの何かをくっつける・・・なんて考えたものの、結局小さいのは変わらずな訳で・・・。

そこでここに直に張れないか?と考えたんだけれど、普通なら木をくっつけないと張れないし・・・となると、何で張る?になるし、何も張らずに直に張るとなると、いつものボンドじゃなくて、強力なボンドになると、扱いが難しくなる。

もっと簡単に、もっとアイデアで解決出来無いか?・・・そんなこんなでこうなったのね。今回は一度もやった事の無い事で、正直こんな事で良いのかな?って位、実験的な事なのね。しかも何とかこうしてサンプルは出来たものの、明日どうな

っているか?って様子を見ないと、流石に手の内は明かせないし・・・。ただ一応ここまで出来たって話。そんな後は、夕方からDucatiのモザイク。ここの所、丸々1日やれていない事の焦りもあるんだろう・・・気持ちがね。

相変わらず進まないし・・・ただ、そんな中でも、やればいくらか進むし、必ず終わりは来る。慌てずに何しろ今はバイクを終わらせる事に専念して、バックは二の次。


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亀有カルチャー

2020-06-14 01:29:12 | 出張教室

今日は4か月ぶりの亀有カルチャー、ただ1人退会になって残りは1人になっちゃったんで、相談になり、今年いっぱいはカルチャーの方で退会しても再入会にお金が掛からないらしく、そんな訳でひとまず無くさずに、でも1人の間は休講。

そんな中、色んな感染対策が見受けられでのスタートとなったが、何しろマンツーマンでの広さを考えたら、これで感染では誰のせいでも無い気がするし、これからは何処であっても安全で、危険は無しって話は無いだろうから、

その中でって事になるんだろうな・・・。さて、それではスタートとなると、1つはアトリエに張り終えて預かっていたもので、他に自宅で切ってあって、張ってはいないで仮置きしていたものが2つあったのね。デザインは全て別で。

これが非常に大事な事で、仮にデザインが同じで色違いだったとする。その場合、1回だけ悩んで1枚目とは違うデザインを考えた事になる。そしてそれの色を変えた・・・悩んだのは1回でしょ?これね、作った人が自分1人だから想像付かない

かも知れないけれど、2人いたとして考えて見て。自分が四苦八苦してやっとの思いで作ったものを、もう1人の人が色違いで真似をした・・・ここまではどうでも良い話なんだけれど、その時に真似をした人が器用で完成度が良くて、

自分のよりも上手く見えた。これだとどう?何か理不尽な気がしないかな?そんな感じに思えた人は、真似された側に感情移入をした人ね。それでは逆になろう。器用で完成度が高く出来たって事は、初めてやったのに、結構良い出来だし簡単

じゃん・・・こんな気分かな?もしこんな感じだとして、もう一回それを自分に当てはめてみると、1回目の自分は悩んで色々やって考えて完成させたのね。それはもしかすると、まだ改善の余地ありきだったかも知れないけどね。それを2回目

では、1度やった事がある分、是正も出来るし、何より悩みは1つで色を何にしようかな?と言う事だけで楽しいし気楽。つまり1回目程困らずに質が良くなる。まさにそんな状況の中で仕上がったものなのね。もしそれを色違いで家族分なんて、

作っていたとしたら?統一感はあるだろうけれど、多分1枚目の出来は見劣りするかもね。でも今回は3枚共にデザインが違う。つまりこの話は当てはまらないのね。ではどんな良い事悪い事があるか?って言うと、まず良い事は、色んなデザイン

が思い浮かぶ人は、色んな事をして見たい訳で。しかも数か月会っていなくて、でも始めたばかり。普通ならついついさっきのように色違いをしたくなるのね。だって安全だもの。失敗したら嫌だし・・・それとやっと考えて出来たデザイン

って思うと、また考えるのが大変・・・ってね。こんな事がある。ただこの場合でも、切ってはあったけれど、張って無いから安全な方法を取っていたのね。もし張っていたら直せないけれど、まだ張っていなかったから大丈夫。

そう言う点では、やりたい事は満載で、切るだけ切って張るだけまでにしてある・・・お見事。ではここまで出来た人へのアドバイスとしては、ここまで出来るのなら・・・。ここね。つまり色違いを選択してしまう人は恐らく楽しみ。

そっちの分量が多いのね。つまり持て余した時間の制作って感じにね。所がデザインを変えるって人は、考える事を重視した事になるのね。だって1枚終わってまた考えないとならない・・・それって考える事が嫌な人には苦痛な話だから。

でもこの方は左程苦にならなかったんだろうね。きっとね。それよりもあんなのは?こんなのは?って感じだったのかも。そうね、例えば責めると守るとかみたいに正反対的なものってあるでしょ?この場合、デザインって言う技術とモザイクの

技術って話だと思うのね。つまりこの方はデザインには困らないんだろうね。つまり困っているのはモザイクの技術であって、切る張るみたいな反復練習な部分。そう考えると、複雑な模様を考えたとしても、切れないぃぃって悩みなのね。

これが普通は、思い付かない・・・何しよう?どうしよう?って言う感じでも、切る張るだけは反復しているから、ここに来ている人の多くは、絵が苦手だったり、新作どうしようかな?って考えるのが苦手・・・って言う人なのね。

そうなると、この方の場合、何しろ切る張るの反復を繰り返せば、自分のしたい事や理想に近づくって話は簡単なのね。だから、このデザインやスタイルが好きでなくなるまで続けられるのね。逆にデザインが不得意でも、それでも切る張る

技術で、カバー出来るから、自分の作りたいもの探しになるのね。全く逆なのね。ずっと何作ろうかな?探しになる。そんな話で言うと、デザインにひとまず困らない状況で、尚且つただ困らないじゃなくて、このグレード。実は3枚目も中々で

それって凄いと思うのね。例えば新曲を出します、新車を出します、新作発表となると、1作目は比べる事は出来ないけれど、2作目以降は比較対象がある。しかも自分自身。しかも大きさも同じとなると、同じバラードでとか、同じ排気量、

みたいな事で、制約が1回目よりも多い気持ちになる。既に1つやってしまっているから。しかも1作目が大ヒットだとすると、それを超えるって。それをそんなの好みじゃん・・・って言うのは簡単なんだけれど、そもそもがまず初心者な事。

この時点で、曲がっているとか、パーツの大きさが・・・とか、どうでも良いのね。それを抜きで見る事はデザイン。そう見ると、完成度が高く、今の段階でこんな事を考えられるのなら、ここに反復した腕が乗れば・・・と考えると、それ

だけで凄い・・・と思うのね。つまりこの方が例えば3年続けば・・・単純に1か月1回3時間X36回として108時間やったとする。絶対今よりも切る張る技術が上がるでしょ?でもそんな単純じゃなくて、こうして自宅でやっているのね。

そうなると最低108時間以上って話であって、そこに上乗せして行く事になるのね・・・さて何時間?何十時間?何百時間?3年の間に・・・お気付きの方はいらっしゃるだろうけれど、そうなのね、労作展の子供達と同じなのね。

アトリエに来る時間よりも自宅の方が多い。その時に彼らは大作として1作品に時間を掛けた結果があれ。この方は同じ大きさの違うデザインを繰り返す・・・何個作れるかな?もし100個、200個とこのグレードで出来たとしたら?もはや全部を

組み合わせたらタペストリー的な壁掛けとしての大作になるし、ガラスを引いてテーブルトップとしても使えるし、十分彼らに負けない大作になると思うのね。つまり彼らは2か月の集中夏期講座的な100時間超えであって、大人の人はそれを

分割して何年もに分けたとしたら?結果は中々のモノだったりすると思うのね。その時にこの方の例外は、この大きさなのね。わざと鉛筆削りを置いといたんだけれど、1作の大きさがコースター以下。このスペースに作るには、相当切らないと

凝ったデザインは作れない。つまり切る練習になるのね。しかし同じデザインの繰返しでは飽きるのも早い。けれど、たった1回でデザインを捨ててはそんなには、出て来ないものだったりする。だから、本当に出尽くすまで。もし詰まったら

色違いに手を出すのはOKなのね。そうすると、いつかとてつもない数になったら、恐らく見た事の無い大作になっているはずなのね。それとこれがそこまで行ける要素は、本来の大作と違って、やっぱり無し・・・って無かった事に出来る。

小物だから。本来の大作はやり直しが利かない・・・だからプレッシャー度が高い。でもこの方は初心者。そんなプレッシャーは要らないし、今は慣れるが一番なんだけれど、この大きさの中なら、切る張るに慣れる為の大きさには丁度良い

し、飽きも来ないし、悩み事としても、完成時間としてもね。短編を10個で一冊的に。それでも長編と同じ厚みにはなる。それを1人でやるのに、やりやすい・・・色んな条件が揃っている気がするのね。今後が楽しみなのね。そんな中、

Ducati制作をブログを見ていてくれて、しかも昔、ライダーだったらしく、1人でツーリングとか行っちゃったりしたらしいのね・・・だから、Ducatiってドゥカって言ったりして・・・と詳しかったのね。ちょっとビックリだったのね。

そんな中、そうもう1人詳しそうな女の人がいたいた・・・今日は土曜日。江戸川FMのかおるさん。そこでリクエストして見ると、やっぱり知ってて、イタリアの暴れ馬って言うんですよね・・・って。流石元ライダー。

何か2人共、そうは見えないからビックリなのね・・・ただバイク乗ってた・・・ってだけでも、えっ?って思うのに、ライダーってなると、かなり本格的だし、今だってそんなに多くの女性ライダーって見掛けないんだから、その頃にって、

かなり目立ったんじゃないのかな?・・・そんなこんなのその後は、月曜までに仕上げないとならない、再来月分のデイ・サービスのサンプル・・・・100均行って一応材料は買ったものの、まだ悩み中・・・さてどうしよう?

 


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ローラ教室とDucatiのモザイク

2020-06-13 01:45:35 | モザイク教室

今日は午後からローラ教室。それまでの間はDucatiのモザイク。

まぁそう簡単には終わらないとは思っているけれど、それにしても終わらない・・・何か果てしなさにいくらか参っているのね。長いな・・・ってね。そんなこんなでローラ教室。ある意味、こちらもそんな気分だったと思うのね。

何しろ張り終わっていたんだからね・・・そんな中でのコロナ。やっと目地をして完成。その目地なんだけれど、どうする?って時に、例えば一体何を言うか?なのね。この時に一体何を見ているか?なのね。その時に例えばバックを見ていたと

すると、普通は折角こんなにしっかりしたパーツを見せたい・・・って言うのなら、白やクリームのようにバックの白いタイルと被る色は避けたくなるから、その2つが消えるのね。じゃ逆にメチャクチャ目立つよ黒・・・って言うとどう?

大抵はそこでひるむのね。昔は結構、俺も全くひるまずに意外と好んで使っていたんだけれど、色んな生徒さんなんかの作品に影響を受けたりして・・・そうすると、どぎついって黒よりも、いくらか薄めなブラウンを選ぶ人が多くて、

確かに仕上がりが上品な感じに見えるかな?って思えたりもするのね。勿論それが生き物だったりすると、そのえぐみもリアル感に繋がって、黒を選ぶなんて事をお勧めするけれどね。話は戻って、この決め方が消去法の決め方だと思うのね。

いきなりこれ・・・って言うのなら、例えば、ボンドだらけになる初心者なら、そこを隠せる白い目地って言う事になる。ほぼ決定事項。逆に上級者のリアル感を考えれば、生き物の黒の目地なんて言うのも鉄板。

これなら悩む必要は無くすんなり決まる。でも、これだけの作品になると、ここまで張って来て、ここまでの出来に満足感や完成度が気に入っているのなら、最後の目地は慎重になる。より良くしたくなるからね。だからこそ、その慎重に

どうする?って時に、消去法って選択は悪く無いと思うのね。その時にどんな感じに消去するか?って言うのが、一番大切だと思う事・・・それを悪い例は一番って1つなのに、あれとこれとそれ・・・みたいに何個も言うと、あっちを立てると

こっが立たずみたいになっちゃうのね。今回のローラの場合は、バックが消したくない・・・これが一番だったから、決めやすかったのね。更に言えば逆も真なりなんて言葉があって、例えば折角のバックをわざと消すなんて手法もある。

お洒落なんて言う事の中に、見えないお洒落なんて言うのもあって、見える場所では無い・・・そんな考え方。つまりわざと最初に消した白やクリームの場合、消えたのはバックを見せたいからであり、消したいのなら真っ先にありだった。

それによって、一見バラだけに目が行くのに、近くに寄って良く見ると・・・あっ・・・って感じに、更にって凄さが増すのね。ただそれは興味を持って良く見て貰えないと、バラか・・・って通り過ぎられちゃう可能性もある。

常に良い事と悪い事は背中合わせなのね。そこんなこんなでその後、頼まれていたトイレのプレートを始めたんだけれど、途中だったのでスルーにしたのね。次回までに張って来るって事で。小物作品は1回で見せないと、ネタバレすると、

興味が薄くなるんでね。って言う事で、久し振りのお教室は色んな話が満載で、気になる話も多かったのね。そんなこんなで、その後も少しだけDucati・・・。


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やっぱりDucatiのモザイク

2020-06-12 07:32:32 | モザイク作家

今日もやっぱりDucatiのモザイク。そんな中、5年振りとおっしゃっていたが、予約の連絡を頂いたのね。その間にイベントにいらしてくれた事があって・・・福山君のラジオを聴くきっかけの人でもあったのね。

いずれにせよ、久し振りなんでね・・・どんな感じになるのかな?そんな中、カルチャーから連絡があって、退会の方が出て、1人だけになったのね。そこでもう1人の方と連絡を取って、今後の事をお話して・・・

今回を最後の回として、一旦休講とする事にしたのね。その後の事は今週のカルチャーで店長とお話して決める事にしたのね。これからは判断が難しい状況になって来るだろうな・・・って言う事が始まった。

そうだろうな、やっぱりなって。自粛は考えずに済んだが、解除となると自己判断。何を選ぶか?は個々の判断だから。そう言う点では、6月中はDucati制作で受け付けてはいないけれど、7月になったら解禁とした時にどうなっているのかな?

お教室の方の見通しは全く判らないのね。そんなこんなの制作の方は?と言うと、昨日の暑さでやられてしまった感じはあるものの、流石に連日遅いんで、慢性的な疲れもあるのかも知れないけれど、それだけじゃ無くて、やはり限界の細かさ

なんだろうな・・・これ以上は再現するのは難しいって。後輪よりも小さい分、細かさが増しているんだろうし、思うように進まない事も疲れを感じてしまう原因なのね・・・きっと。例えば、今日は朝は天気だったけれど、

夕方から結構な雨・・・って天気予報で言ってたが、いつも通りに始めたんだけれど、昼までの時間はいつも通りの体感だったが、三時までがいつもと違って長く感じたのね・・・そもそも時間はいつも一緒で、いつものように過ぎて行く。

けれど、気分ってものに左右するもので、昨日までは常に、もうこんな時間かよ・・・って言ってたのに、昨日の炎天下の中の下地作り・・・蓄積疲労もある中、日頃外に出ない俺が1日中となれば、その上・・・って事になる。

そんな中、いつも通りに戻っても、いつものようには簡単には戻らない・・・そんな単純な事なのね。これもまた同じ事で、また気分なんて事で何か?が変わると、またそれに変わった何か?となるし、それにまた慣れて、

また変わったいつも通りに戻ったりもするんだろうし・・・作家katsuって言うのは、終わってまた始まって、同じ事って言うのはタイルやガラスを切って張っての繰返し・・・けれど同じ作品を作り続ける訳じゃ無いから慣れる事は無い。

ただ姿勢とか気分とか、時間とか、そんな事がいつも一緒で、目に見える事は左程変わる事は無く、目に見えない事が、その日によって変わって来るものでね、常にそこに左右されそうになる。それをどうやって元に戻すか?それが一番難しい

・・・ただこう言う規定演技の場合、考える事は少ない。何しろ良く見て真似る。思い込まずに慣れずに、良く見る。簡単に反復しない・・・そんな事に注意してやるだけ。これが自由演技だと、決められたモチーフ以外自由なんで、いかに

それを使って、・・・らしく作るか?って考えないとならず、そうね、例えばバラを使って・・・みたいなお題をどうこなすか?になる。もっと言えば、大根使って新作料理って感じなのね。そもそもバラの作品なんていっぱいある。

そのモチーフを使ってオリジナルとして、自分だけの作品にするって言うのは至難の業なのね。つまり大根料理。何処にでもあるものを使っての新作って言うのは、ただ初めて作ったブリ大根って話じゃないのね。

そもそもある料理じゃなくて、名も無い料理を作るって事なのね。そしてただ作るじゃ無くて、それを見た人に共感を得られないとならず・・・自己満足にならない為にも、共有出来てこそ成立するもので・・・。そこが難しいのね。

それがオリジナルの難しさ。では今回のDucatiの場合だと、そもそも調べた事は無いが、恐らくこんな大きなバイクのモザイクなんて、世界を探してもそうそうは無いものだと思うのね。つまりネッシー的なモノ。あるのかないのか?みたいな

・・・それじゃ出来ただけでも珍しい事になる。その時にいつもなら、決められていないバックは自由演技となるものの、流石にこんなに時間が掛かっては、バイクを終わらせる事がやっと・・・。それと、ありがちなバラだの、大根なら

何か爪痕を・・・と工夫しないと変わらないが、もう十分変わっているから、余計な事をするよりもシンプルなバックで十分だとも思っていた訳で。だから先方のバックを和風に・・・って言う事もあって、線だけは入れていたけれど、

その先が無かったのは、こんな時間が掛かるかも知れない・・・って事も踏まえてだったのね。流石にこの辺が限界か・・・?って思えて来たのかな?ただ昨日の疲れなのかな?いずれにせよ、今日は1日が長かった・・・。

 


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