katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

Ducatiのモザイクのバック

2020-06-27 08:06:52 | モザイク作家

今日も丸々1日Ducatiのモザイクのバック。この山形のタイルが山周タイルさんの新しいタイルで、6種類の色があって、大体の感じは3色が茶色系、そして残りの3色がこのグレー系なくんだけれど、置いて見て茶色系は違うかな?と外したのね。

理由は道の線とDucatiの赤い部分と幾分被る感じがしたのね。あくまでDucatiメインなんで。ただ1つ気になるのは、だったら機械部分のグレーに被る事になると思う人もいるだろうが、仮にそこが幾らか被っても、赤が被るよりも良いかなと。

こんな理由から、このグレー系の2色に白を足した3色にしたのね。その時に前輪タイヤ付近のデザインの山形の繰返しは山周さんのネット張りの基本の形だったので、このデザインのまま2色使いにしたのね。ただこの逆にすると、Vにも見える。

ただ離れた画像をかぐやに見せると、恐らくハートに見えたんだろうな・・・余りかんばしくない反応だったのね。上を向けるか?下に向けるか?だけでも、かなり雰囲気は変わるもので、当然、これを縦にするなんて事でも大きく変わるのね。

ただこのスペースに入れるデザインとなると、1つのパーツで縦長と横長を比較すると、縦長では、すぐにぶつかってしまい、柄を見せるにはいささか不便な感じがしたのね。そんな理由から、色も形も決まって行ったんだけれど・・・。

そんな中、右上の模様なんだけれど、これもまた定番な使い方なんだけれど、単なる組み合わせが、立体の階段みたいに見えたりする。これはヨーロッパの床なんかで見掛けるデザインだったりするんだけれど、これを見てかぐやが違和感を感じたみたいで・・・。

そこで説明なんだけれど、そうね、確かに和風のバック・・・って言う事からは外れている感じがしたんだろうね。ただここが問題で、筑前煮、きんぴら・・・これなら和風。けど風味って言う考え方で言うのなら、イカ墨やキノコなんて、

パスタもある。これも和風だったりするのなら、この考え方が通るのなら・・・。そもそも形と色って言う2通りあるとして、色はシックにグレー系で押さえた事。いつもなら6色使おうかな?と考えるのにね。つまり地味目にしようとした。

この時点でシックで良いってよりも、地味目にしてDucatiを目立たせるみたいな感じで・・・そこで、華やかさみたいな部分を右上の一番大きく使える場所で、洋風な柄であっても、色が地味なんで、和風にも見えないか?みたいに。

ただ今の段階でかぐやは、洋風が勝っているみたいに見えているから、和風に・・・に絞って考えているから、この考え方とぶつかる事になる。ここが難しい所で、仮に和風にする・・・に縛られると、六角形に見えるように同じ色でくるみ

中の色を変える。そしてその隣を今度は中の色を外に使って逆転させる・・・そうするとお花みたいな模様が2色になる。そうね、さっきの被るって言った話で、お花に見えるものは要らないのね。桜があるから。そんな大きい柄でお花に見えたら、ほんの少しの後輪の花よりも目立ってしまうのね。出来れば無機質的なものが良い。

実は下部に桜の模様が元々描かれていて、それは何とか再現出来たのね。それに道のような模様を付け加えた事で、ちょっと動いて見えれば・・・と、後輪付近に桜の花びらを飛ばしたのね。そこから剥がれたみたいに。

そもそも、Ducatiってバイクはバイクが好きなら誰でも知っている名車で、尚且つ安いモノでは無い。しかもカスタマイズされているって事になれば、かなりのこだわりを持っていると思われる。そんな高級車に桜の絵柄。確かに和風好きと

言えるだろう。ただその名車は洋風なのね・・・そう考えると、純和風なのかな?と・・。モダンな・・・とか、ハイカラな・・とか、そうね、あくまで感じとしてだけど、八千草薫さんじゃなくて、加賀まりこさんとか、夏木マリさんとか。

そんなイメージなんだけれど。そんな中、中の六角形を最初は全部白にしていたんだけれど、かぐやには違和感があって・・・そこで判ったのは、どうやら白が違和感の原因のようで・・・。ただきっと、この白も目地でシミみたいに、

くすんで行くはずなんだけれどね・・・でも、こんな事が大事で、弟子の眼として一般人では無いし、腕もある。その意見は玄人。ただ和風と言われたから・・・とあくまで純和風の考え方。逆に俺は師匠であったとしても、並べるだけの、

スタイルでは腕の差なんて関係ない。それならイーブンとして、けれど和風風味・・・つまりここが違う事になる。方や教科書通りの規定演技、方やここしか個性を出せないよ・・・って自由演技。所が、そうは言っているものの、3色削った

・・・つまり実は消極的なのかも知れないのね。もしそうなら、自由演技と言いつつ、消極的になっている・・・としたら?それはDucatiの出来栄えにビビっている自分がいると言う事でもある。本来ならもっと責めているはずだろうし。

そんな中、削ってはいるものの、積極的に行ったと思っている右上のデザインの洋風部分。和風なのに・・・と。けれど逆のかぐやは、一見守りであって、言われた通りの純和風の意見を言っているようでも、実際はこの六角形を市松に変更

したのを見せた時、白1色よりもこっちの方が良いと言うのね・・・本来シンプルな方は白1色の方であり、市松にするとモダンに見える。そうなのね、気が付いた人がいると思うんだけれど、今度は立場逆転なのね。守っていたのは俺で、

攻めたのはかぐやになる。こうしたやり取りは、大変難しく常に変化してしまうもので・・・。だから人とのやり取りは難しく、でも売って独りよがりには

ならない為にも、このやり取りは必要で、自由演技って大抵何も無しから始まるが、お題が合っての自由は規制合った上の自由。やり過ぎもダメ出しやらな過ぎも消極的になる。ただそれもこれも自分の気持ち一つな訳で。

それが気持ちはちょっとした事で変わるもので。いずれにしても、方向性は段々決まりつつある。


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