katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

中学生のオンライン教室と新モンゴル日馬富士学園の額の追加分

2020-04-30 01:02:41 | モザイク教室
今日は前半は中学生のオンライン教室で、後半はモンゴルの追加分の続き。今までキウイ教室、そしてのりちゃん、キウイのサークルメンバーの教室を経て、初の中学生・・・何しろこの状況では、簡単には終わらなそうな事と、必要な人への配慮としては、もうオンラインでのお教室は必須になりそうだったので、こちらも

良い機会だったのね。例えば、楽しむ事の割合と指導の割合なんて言うのがあって、これがいつものお教室なら、当然指導もするけれど、日常の会話部分なんかもあり、その部分の会話で趣味趣向などを聞き出すような事をしたりもする。その時に相手の眼がどう動くか?とか、様子や反応が見られる事で、その人の考

え方などが、判ったりもする。昨日のテレビとラジオの話では無いが、百聞は一見に如かず・・・つまり、画像がある、無しで伝わり方は大きく違うし、ラジオは最初から画像無しなので、丁寧な説明をする傾向があるが、テレビは画像ありきなので、画像を見ないで聞くなんて事をすると、同じ条件にすると想像力が問われる

のね。つまり指導するにも、同じ指導であっても、いつも通りには絶対にならないのね。ただ、画像はあっての指導だから、少し不便なだけで・・・でもラジオとテレビの例えとは違うじゃん・・・って思うだろうけれど、そう単純では無くて、それがいつもなら、その会話の部分は息抜きにもなり、趣味趣向を聞き出す事も出来て、

ではそれが何割あるか?になるのね。仮に3割あったとすると、指導は7割になる。ではこんな事を踏まえてオンラインでお教室をするとどうなるか?なのね。確かに画像はあるから、ラジオとテレビの話とは違うように思えるが、では同じように3時間で同じ料金としたら?とか、同じようにラジオとテレビを3時間過ごすとした

ら?どう思う?そうなると、目的意識の問題になるのね。つまり同じ料金ならラジオよりもテレビの方が良く感じるし、でも何かをやりながらなら、ラジオの方が良くなる。これは比較対象があるからで、誰もまだ何も言われてはいないけれど、準備や用意って点では、そんな事もある・・・って方が良い訳で。もしそんな事がある

としたら?労作展の宿題として、目的意識が高い場合、指導色が濃くても構わないけれど、そうなると息抜き部分の3割がやりづらくなる。何故なら画像では常に作品を写しているから。それを見つつ話を進めれば、顔が映らない訳で。それでは反応が判りづらいし、そうなると、他の事を考えなきゃならないが、まだ始まっ

たばかり。でも、それと比較した時に、楽しみ部分をいつものように入れようとしても、余り意味が無いし、そうなると7割の指導の専念になる訳で。つまり簡単に言えば、実際の3時間katsuは持っても、オンラインのkatsuでは3時間は持たないって事になる。単純に2時間程度になるのかな?しかも真面目に。これがのりちゃ

んやキウイだと、楽しみの分量が多くなり、息抜きとしてとなると、趣味の部分と退屈だった解消となると、会話として盛り上げる事だったり、その楽しんだ会話ありきで、ただ話すのでは無くて、ラジオじゃ無いけれど、話しながらの制作で、1人じゃ無い・・・楽しみながら進められたりする。ただこれには期限が無いから、気

楽でもあり、労作展の宿題とは違いはそこなのね。だから8割楽しむ、2割指導でも、成立したりもする。とは言え、10割楽しむでお金払いたい?ってなれば、もはや芸人の域に達しないと、流石にね。何しろこんな事をがあるだろうな?・・・って思いながら、手探りの1回目。全面的に丸々指導は初めてだったが、正直一方的

に発信する感じになっていた気はするのね。何故なら時間が短くなるであろう事と、次はいつ?となった時の事を考えると、迷ったら、残して置いて・・・の徹底と、手順の確認みたいな事、切り方や基本な事、材料の確認、ボンドの蓋を必ず閉める事など、もはやお母さんのティッシュとハンカチ持った?・・・のあの話のような

事だったりして・・・。いずれにせよ、初回にしては、良く逃げ切ったとは思うんだけれど。ただこれが掛け合いのように進む事になれば、もう少し、らしくなるのかな?とも思ったりして。そんなこんな後はモンゴルの追加分。もう切る量よりも、張る方が多くなったのね。


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