katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

今日も新モンゴル日馬富士学園の追加分の続き

2020-04-27 08:33:41 | モザイク作家
今日は・・・と始めたいのだけれど、昨日の分のブログが下書きになってて、公開になって無かったのね・・・って言う事に触れてからの、今日は、昨日に引き続きなんだけれど、新展開としてリップルの青を入れたのね。こんなやり方になるのは、リップルってタイルは色んな形があって、良い面もあるんだけれど、片寄って

使うと、量は足りているけれど、形が足らない・・・なんて事があるから、足りるの?足りないの?が見たいからなのね。それが中心部のピンクは足りるのは一目で判ったからなのね。そんなこんなで足りる事が判り、結果は後2枚残しって感じで青が終わったのね。そうね、昔、手塚治虫さんの不思議なメルモってアニメがあ

ってね、赤と青のキャンディで大人になったり子供になったり出来る・・・なんて話があったんだけれど、更に昔ね、お客さんに透明な半丸のガラスを貰ったのね。良くそれを目玉に使ったりして・・・ただ使えば減るんだけれど、その時に後何個作れるんだろう?なんて思ったりしたのね。何しろ特殊なものだったから。あのキ

ャンディみたいにね。リップルならまた足りなきゃ注文すれば良いけれどね。無くなるってあんまり良い気分じゃないのね・・・でも常に特別、特殊なものってそう言うものだったりする。勿論、いつもある・・・って思っていても、急に無くなる事もある。今までも廃番なんて見て来たし、売れれば継続されるけれど、売れなきゃ

無くなる・・・仕方無い事だけれど・・・。勿論、他人事とは思わないし、俺の存在自体でも、同じ事だと思って続けてもいる。しかも、客観的に見ても良く生き残れている・・・とも思っている。そんな中、この仕事にしても、こうして張ってしまうと、残りは・・・みたいに無くなって行く訳で。本来は量からすると、まだ全く終わりが見

えないはずなのに、もう振り返りになってしまって・・・終わりな気分になる。果てしなさって1cmタイルの部分が終わってしまったからなんだろうが・・・。何か考えたり、悩んだりする1点モノと違って、それが無くなってしまうと、その分の余裕が、勝手に色んな事を振り返る時間になってしまうのね・・・それもまた面倒な話で、

例えば、前回は日馬富士、モンゴル、日本、そして相撲と色んな事を考えて作った。でも今は何も考えないように作っているのね。単なる模様として。同じ場所に設置されるのに、作り方が全く違うのね。方や、色んな事を踏まえて考えたもの。方や何も考えずに、ただ遂行するって感じのもの。ただどう作っても根本は一緒

なのね。誰に作ったか?って言うと、生徒さんへ・・・・なのね。でも方や楽しかったりさせられるかな?みたいな気持ちはカジュアルにも思えるし、方や面白味は一切無く、フォーマルにも見えるし、方や個性的であるし、方や普通でもある。ただこれとて、単なる俺がそう見えるだけで、当日お開きされるのは、どちらか1つで、

比べられるのは、ここを見た人だけ・・・何も知らない人は、それだけを見るだけだから、普通なんだろうね。まぁいずれにせよ、淡々と粛々とは、ノリなんて気分の制作じゃないんで、地味に終わって行く。けれど終わるって事は、今の現状から考えると、備蓄の米はどの位ある?って兵糧攻めされている感じもしたりするの

ね。ただ、微妙に違うのは、終わればお金が貰える。今の現状では制作しか無いのだから、お金が入る事は有難いが、仕事が終わるってのは、やる事が無くなるって気持ちになる訳で。ただそれも違っていて、依頼されている作品はまだまだあるのだけれど、それに手を出すって言うのは、果てしない時間が掛かる訳で。

それに今、手を出して、時間と備蓄のお金を使ってしまうと、更に追い込まれる事になる・・・依頼作品って言うのは、重みが全く違うのね。何せ時間がエンドレスだから・・・終わるまでとね。これが建築のようなものだと、工期納期の範囲内になるから、時間制限があり、終わって見れば依頼作品のような時間は掛からずに

終わる事になる分、貯蓄にもなる。そうなれば手を出す余裕もあるが、お教室が全滅の中では、依頼作品に手を出すのは、かなりリスクを負う事になるし・・・いずれにせよ、あぁだの、こうだのと考えてしまう時間が増えるのは、創作活動では無いからなのね・・・まぁ堂々巡りになるんだけれど、ただそれも俺なりの解決策

はあって、昔とは違う近代兵器がある。それがタブレット。これを使って、日常のラジオでは無い時間を過ごす・・・勿論、聞きながらね。駆け出しの頃は、テレビを聞いていたのね・・・ほぼ見る事無く。それはとても難しいのね。何故ならラジオは見えないから、丁寧に解説、説明してくれるけれど、テレビは見る前提だから、

雑になりがち。やれ、美味しいだの、綺麗だのって、誰でも同じコメントになる。ただそんなコメント抜きでも、百聞一見にしかずで、見りゃすぐ判る。でも制作しながらでは、見られないから、想像するしかない・・・・いっつもこんな事をしていた。こんな事を踏まえて、黒子のバスケなんてアニメを知ると、どう生きるか?まで、

教わる感じがして・・・まぁ話としては、パッとしない体格にも、身体能力も劣る子が、何と無くバスケを始めると、そこはバスケの名門で、3軍スタートになるのだけれど、日々居残って練習をしていると、1軍の人が一緒に練習をしてくれる事になり、それが次期キャプテンに見出される・・・そんな感じ。ただ、見落とせないのは

、名門である事、その練習相手の1軍の人って言うのは、今後の日本バスケを背負うような逸材である事、そしてそれが見出される事・・・俺と同じような年代の人なら、この話見なくてもエースをねらえに変換すれば、ほぼ同じなのね。最初は憧れ、そして何しろ練習、そして追い付こうとして、目指す・・・良くある事なのね。

最初から目指すなんてのは、親がその分野でたけてた場合であり、大抵は何と無く始まるものであって、普通は何と無く終わるものだったりする。けれど、まれに同じ道なのに、良き指導者、環境、みたいなたわいも無いような事が揃う事があって、それを継続した人に、そんな権利が回って来たりする。ただここが厄介なの

ね。最初は何と無く楽しそうだから・・・と始め、上手くなりたいと努力して、みんなと同じだったとしても、人よりも上手くなるって言うのは、歩調が合わなくなるもので・・・例えば勉強。今は誰でも塾に行っているだろうけれど、俺の子供の頃の江戸川じゃ、そんな人はクラスの半分以下。ほぼあんまりいなかった。それをそろ

ばん、習字、ピアノ、水泳・・・みたいに習い事なんてもんがあって、何かしらの習い事をやっているって人でも、半分って感じだったのね。そうなれば習った人は当然上手くなる。泳げない人がいて、アップアップでやっとこさ泳ぎ切る人がいたりする中、クラスの中で習っている2.3人だけ、ぶっちぎりで早い。しかも、その習

っている奴の中には、そこで選手として活躍している人だったとしたら?・・・もうレベルが違過ぎるから、本気を出せば、みんなのやる気すらも奪う事になる。ただそれとて、今度は習っている場所になると、そこにはいくらでもそんな程度は、ゴロゴロしていて、もっと言えば2軍かも知れない。ただね、そこで伸びしろって話。

その段階では・・・の話で、その秘めた才能を見出す事が出来る人がいたか?いないか?で差は出るし、見出す事が出来ても、その人が続けられるとも限らない。ただ努力だけでは難しいのも事実であり、けれど人には役目があって、ホームランを打てる人もいれば、バントが上手い人もいる。同じプロとしてね。つまり、自

分を知れば、合った場所が見つかったりする事もあるが、人といれば、比較されるし、それによって褒められたリ、けなされたり、そんな中に身を置く事になるが、上手くなろうとすれば、努力すればするほど、格差は生まれる。でもそれは、普通の中での話で、上手い人だらけの環境では、またそこにも切磋琢磨はあって、そ

れは、辞めるまでずっと続くものだったりもする。けれど、ちゃんと続けていると、結果は必ず努力した分、後から付いて来るもので・・・しかし、人と会わない分、色んな事を考える時間があるのね・・・。こんな事もいつか終結して再開した時の糧になるような話として、引き出しを千と千尋のかまじぃのように増やしとかないとね。


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