katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リピーターさん教室と港区立郷土歴史館下地

2023-06-13 01:09:41 | モザイクタイル教室

今日はリピーターさん教室から。プチクローバーを2辺を落として棒状にするってパーツがどうしても上手く行かない・・・って感じらしいのね。

極端な例を並べたんだけれど、ここの所良く掘り下げている話になるんだけれど、どっちが正解なのか?・・・ただその正解は自分がどっち寄りなのか?なのね。その時に、右なら右をずっと同じように切れば良いし、左なら左を同じように繰り返す。ただそれが同じであれば正解に見えるのね。

それがこうしてマチマチになると、良く使う比喩で、蕎麦、うどん、きしめんって事になると、凄く下手っぴに見えるのね。統一感って言うのは、うどんならきしめん、蕎麦ならうどん・・・みたいな違いならまだしも、蕎麦ときしめんみたいな組み合わせは最悪なのね。

でもそれって意識って話で、それが何か?って人は全く用事の無い話なのね。ただそんな場合、例えば切る張るって技術がある程度身に付いた時に、そこからどうする?となった時に、今のようなこだわりが意識にあると、繊細さなんて事になるから、より精度が上がると思うのね。

それがその意識が無いと、進み具合は良くなり、スピードはアップするけれど、繊細さって部分からは遠ざかる。それが個人レッスンかみんなとか?でまた大きく変わるんだけれど、個人レッスンでは比較対象が無いから、自分が気が付こうとしないと、是正するって気持ちにはならない。

逆にみんなと一緒な場合、比較対象が色々ある分、良い意味では思い付かない事を気が付けるのね。ただ逆に同じ事をやると、色合いだけの違い程度になるから、早さだったり、繊細さだったり、同じものでの比較になるから、意識をしなくても一目瞭然になる。

勿論個人レッスンの良さは、その比較が無い分、ゆったりもするし、先生の指導は独り占めになったりもする。ただ考え方の違いが生じたり、違和感を向き合わう事をしないと、先生と生徒の関係なんで言いづらいなんて人もいると思うのね。だから、常に色んなパターンの説明とその良し悪しの

違いなんかを、また説明したりするのね。そうね、良くある勘違いは、例えば今の2つのパーツのどっちが正解か?って質問。そもそもどちらでも良いのね。ただ統一すれば、とても繊細な事になり、比喩としてまるでこんなパーツが元々売っているのかと思うくらい・・・なんて事になる。

勿論それは意識あっての繰り返しなんだけれどね。それが右の細身の統一となると、仕上がりがシャープに見える。逆に左の丸い方は、可愛く見えると思うのね。つまり自分の作品の仕上がりがどっち寄りなのか?次第で使い分ければ良いのだけれど、そこもまた意識の問題になるのね。

そこを別にそうは思わない・・・なんて人であれば、思わないのだから、気にする必要は無いのだから、じゃそのままで・・・となる。あくまで、良くも悪くもその人の作品はその人の考えになる。ただここ数日の人達は、もの凄くそこを向き合う人達だったので、感じ方のすり合わせに時間を割いたのね。

では今日は?と言うと、凄く過敏で出来ない・・・って感じで、意識し過ぎな傾向があるんで、まだそこまで必要は無いから、切っているだけで良い・・って話。まだ硬いタイルが始まったばかり・・・しかもプチだから、一回り小さいし・・・練習しているって段階だから、大きく違う事だけ

直せれば十分なのね。ただ見る目は中々で、これは違うな・・・とか、ここが尖っているとか、出来なくても目が良いのね。それが判るのは、意識しているからであって、意識と言う点では、中々だったりするのね。ここまでは仕上がりもまずまずだと思うし、次回は終わるんじゃ無いかな。

そんな後はコーナンで港区立郷土歴史館下地の続き。

これで20枚分の1回彫り終了。このアカシアの木って粉塵が細かいから、吸ってしまうと咳が止まらなくなったりして、中々厄介なのね。まぁこれも暫定なんで、足りるかも知れないし、足らないかも知れないし・・・いずれにしても、7、8月の予定が詰まる前の前倒し下地作りなんで、今の内に、

あれこれ下地を暫定で彫って置く・・・ってそんな感じなのね。ただ暫定だから足りないのは足せば良いけど、余るのはねぇ・・・まぁ腐るもんじゃ無いから、良いけどね。ただ彫るのは中々ハードだから疲れるのね。


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