katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ゆづ教室

2017-07-31 06:37:42 | モザイク教室
今日はゆづ教室。そうね、先日相談の電話を貰ったんだけれど、正直その内容が本当に中学生の宿題に必要なのか?・・・と思ったのね。ん・・・そうね、聞き流せば、たわいも無い話なんだろうけれど、1を知れば・・・人はそう変わらないのなら、もっとそう言う事にこだわるって事になる。

例えば、質問が靴はどちらから履けば良いでしょうか?みたいな事を聞くと言えば、この先、シャンプーの後のすすぎはどの位時間を掛けるか?とか、熱中症対策の水分は何リットルか?とか、夕飯は何時に食べるか?みたいな、細かい事にこだわり続けるんじゃないか?って思うのね・・・。

そんな中での教室で、自宅でやって来た状況は、先生の俺には何処の何が気に入らない部分や悩み事なのか?が判らないのに、本人が納得出来ていない部分がある・・・と言う。しかも、それだけ素晴らしいと言っても、じゃ良いのかぁ・・・って真からの納得を得られていない。

正直、悩んだのね・・・中学生にこれからやる指導が必要かな?・・・ってね。けれど、本人が納得していないんだし・・・ただ、その指導の内容は、受け入れる体制で無い場合、俺はどうかしちゃった先生?みたいな、おかしな人扱いになるだろうな・・・って覚悟でやらないとならない。

ん・・・じゃ俺の問題なら、やるかぁ・・・と、今から本気でつまらない事するから、真面目に付いて来て・・・内容はこんな話。水泡眼って言う金魚がいて、ほっぺの部分にブヨブヨな水のようなものが入っている奇妙な部分を作ろうとしている・・・そんな場所をこうやって切るんだよ・・・みたいな、

指導をし終わって出来た・・・これで良いですか?ってやり取り。普通ならそれで何も起こらないし、普通は完璧なんだろうね・・・きっと。けれどね、それは答えありきでの話で、ただ上手く切れていますか?って言っているだけ。本当の制作って言うのは切る事じゃなくて感じる事からなのね。

まずどう感じるか?なのね。ウロコを触っても、尻尾を触っても、そのブヨブヨほっぺを触っても一緒なの?・・・そこで、パントマイムのように、両手に水泡眼のほっぺを持っている気持ちでブルブル震えながら、ほら手を出せよ・・・はいどうぞ・・・と渡したのね・・・いきなり。

はぁ?って目が泳いでいるし、すっとんきょうな顔していたのね・・・しかもそこにお父さんもいて・・・・まぁやっている俺は地獄だわってな話。けれどね、演者が恥ずかしくやっていると、見ている人も恥ずかしくなる。やるなら本気でやらないと・・・・。ほら、持ってみっ・・・。

次はどうせ中には何も入っていないんだし、入っているフリすれば良いんでしょ・・・って態度の渡し方で、はい・・・って渡したのね。えっ?って戸惑っているのを無視して、またブヨブヨが入っている感じで揺らしながら渡して・・・また機械的に、はいって渡して・・・何も答えない。

じゃ話を変えて、きちんと立って・・・整列するみたいに・・・・じゃ、だらしなく立って・・・と繰り返して、やって貰うと、きちんとはほぼきちんと立ったけれど、だらしなく立ってと言ったのに、きちんと立った人が休めって言われた休み方をしたのね。だろうね・・・きっとそうすると思った。

何これ?これの何処がモザイク教室なの?・・・それが本音だろうね。それが普通。だから、今のゆづは普通。じゃ普通に作りたいのね?作品は自分自身だって先人の立派な人達が言うのであるから、きっとそうだろう・・・ならば、普通の自分が作る作品は普通だわ。それならそれで良いはず。

けれどね、もしオリジナルの作品を作りたいのなら、まず感じる事。こう言う話の前に、この画像のパーツは見事にきちんと切ってあったのね。でももしこれが全てエッジの立ったパーツで切ってあった?さてどう感じるか?・・・その質問にゆづは、きちんと普通に見える・・・って答えたのね。

ふぅぅぅん、きちんと普通ね・・・普通・・・。だから、普通って言葉を連呼したのね。じゃ更に質問。きちんとが普通なんだから、この画像は、ゆづにはどう感じるの?・・・って聞くと、ん・・・って答えない。そこでゆづの言葉を借りると、きちんと切るのが普通なんだから、そうね・・・

だらしなく異常ってのはどう?・・・えっ?・・・まぁこうなるだろうね。要するにきちんと切る事が普通って表現をした人は、きちんとが当たり前なのね。そのきちんとを追求すればするほど、機械的なパーツだけの追及になって行く。それでは綺麗なだけになる。勿論悪く無いけれどね。

でも、そこには限界がある。だって機械じゃないんだもの・・・手で切るのだから。いくらそこを追求してもただ自分の身を削るだけで、何か変、何か変と良い所を喜ぶんじゃなくて、悪い所探し・・・ここまで切れるんだから中学生の宿題なら十分だと思うのに、まだ身を削りたいのなら・・・

じゃ感じれば?果てしないから・・・そのやり取りだったのね。つまりゆづはどうすれば良いですか?と聞いて、これで良いですか?と繰り返していた。けれどこの先は、こう見せたいんですけれど、これで見えますか?・・・じゃないのかな?つまりこれが本当の質問なんじゃないのかな?

だってオリジナルなんだから。けれどそれは難しい・・・だってそれは俺がプロとして満足な結果を出せないからもがいている位、時間も掛かるし悩みながらやっている事なのに、中学生の宿題で、時間も限られている中で果たして出来る事なのだろうか?そして必要なのだろうか?・・・。

そんな葛藤ありでの話。それが、感じるって話だったのね。感じるって言うのは、俺にはプリンみたいに見えた水泡は、ブルブル震えるように見えたからそう言う表現をしたのね。それを以前なら、ブルブル震えているんだから、カチッと切ったらダメだよ・・・って教えた。

けれど、これからはこんな感じに見えた・・・俺は。ゆづはどう見える?・・・って話で、俺はブルブルだっが、ゆづは?・・・って話だし、きちんと立って・・・も、きちんとは誰もが似ているけれど、だらしなく立って・・・では、ゆづは休めのポーズだったが、果たしてそれはだらしないか?

つまりゆづには、休めのポーズはだらしないと判断した事になる。つまりちょっとのズレはゆづにはだらしなく、普通はきちんと・・・になる。だってそうさっき表現したもの・・・ゆづがね。でもね、画像はだらしなくないかな?レロレロしているラインでね。ゆづには有り得ない。けれど・・・

じゃどう見える?・・・さっきよりも良いって。ならそう言う話なのね。それには思い込まずに、あれこれ聞いてからでは無く、自分発信で考えるって話であって、そうするには?まずどう感じるか?になる。感じなきゃ埋めれば良いんだから、もうテクニック論はおしまい。だってもう簡単に埋まる。

これだけのテクニックがあるんだからね。でも、もし感じる事を実現するには?・・・と考えたのなら・・・それこそが本当のオリジナルであって、考えるって言うのは誰にでも平等にあるのね・・・だって想像なんだから。それを結果ありきで真似ばかりしていては、それ以上にはならないのね。

ただ考えるってテクニックじゃないから、思い描く想像は広がるし、逆に浮かばないのなら何も浮かばない。一番嫌いな言葉で言うなら、人それぞれ・・・まぁインチキな言葉だが、使い勝手が良いのであえて使うが、要するに夢オチみたいな言葉で、何でも夢だった・・・って最低な終わりが、

やってはいけないテクニックみたいな話で、超一流の人がやれば、まさかの・・・って話にもなるが、腕も無いのに夢オチになんか頼ると、もはや何でも良い話になるのと同様で、人それぞれって言葉も、色々議論をしてまとめに入る時に、まっ、人それぞれなんで・・・と〆れば、ご納得。

何とも曖昧にするには都合の良い言葉。それをあえて使って見るけれど、人それぞれって言うのは、十人十色みたいな話だけれど、十人十色は考え方は1つじゃないって事から言えば、どちらも一緒だがそれを、色に例えた訳で。美しさが違うのね。比喩も使ってね。

それが大体曖昧にする時や、自分と一緒にならない言い訳に使ったりする事の方が多いのね。そんなの十人十色だから・・・ みたいにね。おっと話はそれてしまったけれど、単なる綺麗なパーツの繰り返しで埋めて行くのと、柔らかい、固い、やら喜怒哀楽やら、感じたままに表現しようとした時、

その表現は無限大になる。しかし、そう見えるように作るにはテクニックもいるし、そうしたくとも見えない事も多々ある。だからストレスにもなるし、その通りに見えて人に評価される事もある。正直、それの繰り返しなのね・・・。ただ、ゆづがそうしたいのなら・・・・。

それが少しでも体験が出来るようにアシストはする。ただ、当然良い事と悪い事は背中合わせ・・・その代わりに今までは好きにさせていたけれど、終わらないとならないので、ある時間を超えた時は、全てこちらの条件通りにして貰う。そしてその条件は、ゆづが一番嫌うだろうと思う事。

それが単なるクラッシュ。きちんと切らずに、流動的な誰にでも簡単に見えるそんなパーツ・・・常連が苦手と言い、初めての人が簡単って言う厄介なパーツ・・・そしてきちんとが普通と思っているゆづには、苦痛になる可能性が多いパーツ・・・それで最後は埋めろ・・・となる。

それは終わらせる為に。こだわる事に時間を費やし過ぎた場合、それで埋めるのも悪く無い。それも1つのテクニックでもあるし、しかもいままできちんとして来たから効果的でもあるのに、心の中にきちんとでは無い・・・こんなパーツ・・・と思えば苦痛になる。ただの思い過ごしなんだけれど。

気持ちの問題なんだけれど・・・いずれにせよ、それが保険と言う事にして、後はその時間になるまでは、好きにすれば良いと思うのね。流石に2年目。中々手ごわいのね・・・向き合う側も結構大変なのね・・・何しろ成長の度合が早いからね・・・子供はね。

しかも労作展の子供達は、本気で夏を過ごすと夏期講習のような時間を使って制作をするから、当然その結果が次の欲を生んだりするし・・・。それが3年生ともなれば、集大成なんて言葉になったりもするだろうし・・・それがまだゆづは2年生・・・。手強いのね。

そんな後は、気疲れみたいな事もあるし、こんなのはどうかな?・・・・





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