katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

カサブランカのモザイク9つ目

2021-02-01 02:15:18 | モザイク作家

今日も引き続きカサブランカのモザイク。9つ目の花も予定通りに終わったんだけれど、これで1月が終了となって、理想は花が全部今月中に終わると良いな・・・だったんだけれど、2つ残して今月が終わったのね・・・。ただ、とは言え2つ残し

なら、まぁまぁなのかな。そうね、一応来月いっぱいが期限なんで問題は無いと思うんだけれど、気持ちが削られるものなのね・・・大作って言うのは。例えば終わるか?終わらないか?って単純な話なら、終わる方向にあるのだから、安心せず

今まで通りなら、何とかなるだろう・・・って気持ちで進めば良いだけになる。所がそんな単純なものでは無く、じゃグレードは満足に行っているのか?って事になると、100点なんてあるのか?となると100点なんてある訳無いのね。

じゃ何点だと進める訳?となると、そのラインが低ければ楽になり、高いと乗り越えられないかも知れない訳で。所が更にあって、それがストレスって言う原因になるのだけれど、低ければ楽になる・・・本当に?って話なのね。

じゃテストで50点取れば半分だから、満足でも無く不満足でも無い・・・中満足って気持ちなのか?となると、確かに数字は半分なんだけれど、だからと言って中満足にはならない。つまり自分の満足は一体何点?となると、それは人それぞれなんだけれど、

その点数を低く設定しても楽にはならず、しかも俺はそれが嫌なのね。更に100点は目指した所で、取れるとは限らないし、俺が仮に100点だと思っても、決めるのはお客さんなのね。だから俺が良くても必ず正解とは限らない。

もっと言えば、自分で自分に100点なんて付けないけどね。・・・話は戻して、

つまり作っている段階で、この花は何点、この花は何点みたいに比較対象が出来れば出来る程、自分で自分に点数を付けているようなものなので、しかもそれが満足されるものなのか?不安とまでは言わないが、堂々巡りな気分になるのね。

そうね、お笑いのM1みたいに10人順番に出て来て点数を付けられる・・・まさにあれを自分でやっている感じで、あの場合、1人目は単なる基準値なんで、審査員に寄っては、余り辛くするとみんなに辛くなり過ぎてしまうし・・・と、なるし

お客の反応も採点の基準に入れる判断をしたり、審査員の価値観もマチマチで色々あったりする。ただ1つだけ言えるのは、結果的には、様子を見られるリトマス試験紙的なモノになり、高得点を得る事は少ないと思うのね。

これがフィギュアとなると、平均値得点みたいに、良くも悪くも高得点や低い得点過ぎるとそこはカットされるような仕組みだと、安定的な得点となり、ある意味実力通りで大逆転って言うのは起こりづらい。

って話を戻し、つまり9つ目ともなると、作り手としても安定し、大きな失敗も無くなる。更に視点を変えると、見る側にしても、また同じモノを見せられる感じになるから、見逃しても大した影響も無い感じもする。

これは巨人の星の飛雄馬のピッチングのように、たった1人に何分掛けるんだよ・・・って場合、ファンなら釘付けになるが、そうじゃ無いとトイレに行っても大丈夫・・・みたいな事にもなる。こんな差があったりして、つまり見る側も、

ご満足してくれている場合、興味を持って貰えていると、進行具合が気になったり、1つ1つ変えて作っているのも判って貰えるし、楽しみだったりもするのね、その過程さえも。所が通行人的な人達は、ある時いきなり現れて、数日で完成。

そんなのを見る事になるのね。まさに進撃の巨人チックに。平和だった通勤や通学路に、いきなり大型の巨人が現れて、何これ?・・・って。最悪なのはそれにも気が付かないってな事を防ぐには、これでもかっ・・・になる。

ただいくらやっても結局、大きさは変わらないし、そうなるとつい腕で勝負となり、技術を見せようと意地になると細かくなる・・・ってのが良くある作り手のパターン。でもそれが室内なら近くでも見る前提で、見せる人も限られるから、

それについてお客さんが、少し自慢もしてくれての説明をしてくれるから、知識入りの解説になる。所が外の場合、必ずしも味方目線では無いし、説明も無いから、見た人の感性だけが頼りになる・・・そうなるとモチーフは大事なのね。

例えば外の1例として龍とヘビの玄関とか、人魚の門灯とか、カエルの玄関とか、今まで作ったものは個性的なものが多く、あっ・・・って言う点では、何これ?って言う事にはなっても、中々お金を出してまで欲しいか?となると、営業面と

しては、中々欲しいな・・・とは思わせずらい。そう言う点では、シドさんの玄関、花台、花壇のリフォームなんかは、お花をモチーフに素敵に見えるし、可愛くもあり、一般受けはしそうである。ただ恐ろしく高級そうに見える・・・

そうなると、これいくらですか?なんて聞けるはずも無く、もっと言えば一般家庭の人に聞ける?勿論、友達なら聞く人もいるだろうけど、そもそも何をいくらで作るか?なんてオーダーものだから、相手と相談しないと判らない訳で。

こんな事が今までなら、今回はタイル屋さんの事務所に説明文字も入って、わざわざ2021って始めました的に入れてある。こんな事からも営業面でもいつもとは違うのね。しかも奥さんが生徒。モザイクの技術も判って貰える。

状況や環境が今までと同じモザイクでも、大きく違うのね。だからいつものプレッシャーとは違う性質のものになる。作る事に対しては、いつも通りだし、何ら変わりが無いのだけれど、期待と不安って言う点では、営業に値する作品に・・

なんて言う気持ちが大き過ぎると、これでもか・・・になりがち。じゃそう言う作品になったから、全力以上にやったから・・・と満足した作品になったからと言って、仕事が来るか?となったら、そう簡単なものじゃ無い。

ただ環境や状況がいつもよりも良いだけ・・・って冷静な自分を保たないと、過剰な意識や期待をしそうになる訳で。そこで月並みなんだけれど、心は熱く、やる事は冷静に淡々といつも通りに・・・になる。

そもそも練習で出来ない事は、本番には出来ない・・・しかもまぐれなんて連続では起きない。そう思っている。これも月並みなんだけれどね。それを踏まえて、この月並みなんだけれど・・・ってこれを外すと、黒子のバスケってアニメに

出て来るゾーンって言う、実力者が実力以上になるって言う仕組みに当てはまると思うのね。実際のアスリートにある話なんだけれど、何千何万の観衆に応援なんかを受けた時の高まりで、いつもの実力以上の力を発揮する事がある。

逆にそれがプレッシャーとなると、イップスと言った、かつてそんな場面で失敗した事を思い出し、実力が出せなくなる。どちらも人の心や気持ちって面の話であって、実力や力量やテクニックなんて目に見える話じゃ無いのね。

まぁどちらも今の俺にはまだまだ先の話で、そんな事を言える立場では無いけれど、その時になって考えていたら遅いのね・・・そうなりたいと思ってやっているのだから。つまり、そんな日が来た時に、この作品は恥ずかしく無いですか?

って常に思ってやれば良いだけなのね。だから今回も同じでそう言う気持ちはいつも通りなのね。ただ、いつもの状況や環境じゃ無い分、余計な期待と不安がその分、増す訳で・・・まぁ当然、そうなるだろうなとは思っていたけど。

それがこうした一区切りみたいに、月末を迎えた時に、今どんな結果?って事になり、2日遅れているのか・・・って気持ちになり、取り戻さなきゃと必要以上にやるのか?になれば、無理をするし、何しろいつも通りにねなんだけれど・・・。

明後日はお袋の眼の手術で半日は潰れるだろうし・・・これも気分転換や思い出作りと思えば、特に問題は無いだろうけど、焦って取り戻そうなんて気分にならぬ様にしないと、ここまではほぼ予定通りなのだから・・・。

って判ってはいるのに、ジャリとしたした気分が少し残るのね・・・ただそれはそれで良いプレッシャーなんだろうけれど。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする