katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどり教室とCreema(クリーマ)始めました・・・

2016-11-09 01:55:32 | モザイク教室
今日は午後からみどり教室。とその前に、6の制作。


まっ、これについては特に広げる話は無いのだけれど、一体どうやって販売する?って事になると、結局今まではネットで販売したいものの、発送など色々とハードルがあって、それを俺が全てやる・・・って事になると、モザイクは得意だが、全く持って他の事は見劣りする・・・。

そもそも写真を撮る・・・こんな事でつまづいてしまう・・・そんな感じ。ただそれでも、移転したって事で、今までと同じ・・・って訳には行かず、・・・そんな中、みどりがそこを手伝ってくれる事で前向きにやって見よう・・・と言う事になる。

そもそもかぐやと2人で何かを進める時、どうしても遠慮無くやり合う事になる。それは簡単な事で、制作以外苦手である・・・と言っているのだから、最低限しかクリア―出来ないと言っているようなものなのだが、かぐやにしてはそこが気に入らないから、明らかに不満満載なのね。

例えば、では写真を撮る・・・となった時、こっちは緑の布で良いの?と聞く・・・そんな事からお伺いを立てる事になる。更にどんなカットを撮れば良いの?となり、正面、アップ、側面・・・と言うのだが、普通の人ならスルーなんだろうが、そう言う訳には行かない。

例えばモザイクを教えるに当たって、丸を切って見て・・・と言ったとする。それが例え初心者だとしても、丸と言う形は見た事無い人はいない。つまり技術は無くても意識は出来る。では楕円は?となった時、楕円は色んな楕円がある。つまり好みでいくらでも変わってしまう。

これでは統一感は生まれない。これを踏まえれば、正面は丸に相当する。ではアップは?じゃ側面は?何処なの?って話になる。指示をするとは?誰がやっても同じにならないと、統一感は生まれない・・・つまりこの時にいかにかぐやが、誰がやっても同じようになる・・・って指示をしないと、

この先、他の人がやった時に、同じくならない・・・って事になる。しかも、サイズが判りづらいなんて話が出たので、スケールやらニッパーを用意するも、いらない・・・と言われ、側面もどの側面って指示が無いから、角を撮って2方向にワイドに撮ると、真横で良いと言われるのね。

つまりこの時点で、何でも良いも無いし、もはやきちんとかぐやに思い描くものがある・・・って事になる。それではかぐやにしか判らない。
そんな事でいつもつまづくのだが、ここに1人みどりが入る事で、陪審員がいるって感じになる。つまり言い方1つも意識しなくてはならなくなる。

とても大事な事で、この伝わらない事が、みどりがはっきり言う事で、是正が起こるし、そこでやって見ないと判らない事が、やって見る・・・って行動になったりするのだけれど、2人だけの場合、全て良くも悪くも俺がやる事になる。

ここが大事な事で、教えるとは?上手くなればなるほど自分がやった方が早いと言う事・・・常に言っている教える先生と、作品を作る作家とは生き物として別物だって事。例えどちらも自分でも。更にそこに師匠と弟子って関係すら忘れた会話になれば、当然結果が出なければ、チェッと言わずに、

チェッって態度になる。まっ、簡単な話で、こう言う場合はマニュアルがあれば良いだけ。つまり最低限のキープって言うのは誰がやっても同じくなる・・・そのレシピ的なやり方を作ってしまえば、上の段階を目指さない限り最低限は守られる。

ただそれにはそのレシピなり、マニュアルのような決まりみたいなものが無いとならない。つまりそれを作り上げれば、やる側が何も考えずに同じ事を繰り返せる事で、負担も無くなるし、結果もそこそこ出る。要するに実はこのやり取りは、俺の体験教室のサンプルみたいなもんなのね。

ただ、こんな事も判っていても、方や遠方でもどかしい、方や作品自体作る事は問題無くても、販売に関しての事は全て見劣りする事を判っているので、やる前からチェッって思われる事で、また始まった・・・になる。お互いにね。それは俺が最低限であって、かぐやが最高を目指すから・・・。

そこにみどりがいる事で、必要以上馬鹿にされているような気持ちが軽減される事で負担は無くなるし、かぐやは1から伝えなくても女同士だったり、お母さんだったり、普通に判って貰えるのでそこも負担は軽減される。そんな事1つでも進み具合が良くなる。

ただ良い事と悪い事は背中合わせで、俺の場合、出来ないから・・・がスタートなんで、もし仮にみどりがかぐや寄りの意見であっても、受け入れる事はたやすいが、仮にかぐやさん今のは判らない・・・とみどりが言えた場合、つまりそんな判らない?チェッ・・・って態度は無くなる。

要するに伝わる事が当たり前って思っている者と伝わらないものなのだから・・・を前提な者とでは受ける意味合いが大きく変わる。今、これをしっかりやる事が今後、場合に寄っては担当が変わった時の練習であって、俺はかぐやに言い返す事は出来ても、他の人は言えない・・・。

先に進む事も大事だけれど、こう言うやり取りは大事で、これ1回なら先に進む事が大事だけれど、今後も続けるのなら、マニュアル作りも重要な事で、みどりが弟子になって、こう言う話に参加出来るようになったのも大きい。

ここに賃金が発生すれば、これは仕事なのだから・・・趣味の販売では無くて。モザイクだけで生きて行く俺の・・・。重いわっ・・あはははは。
ただ、本気でやればやるほど、苦労は絶えない。けれど、苦労しないと判らない楽しみもある。

まっ、これについてはお母さんをやった事があれば、子育て・・・って俺に経験の無い辛さや苦労も知っているし、楽しみも知っているはず。
何でもそうで、本気でやる・・・って言うのと、1日一緒に遊んだ・・・では、その分だけの楽しみを味わう事になる。

弟子の2人と共有出来るんだから、かぐやと2人でやっている時よりも良くならないと意味が無いが、新しい大変さも生まれる事もある・・・ここもしっかり考えて置かないと、常に良い事だけが生まれる訳では無い。全てが老婆心で終わるなら、それはそれで助かるんだけれど。

さてそれでは、みどり教室なんだけれど、ほぼ本人はここを見るだけで十分だと思うのだけれど、組み立て方ばかりが先行していて、そもそも一体って・・・根本的な部分を忘れる癖がある。しかも自分自身の話なのに、気が付かず立ち止まる事も無く疑わない・・・。

具体的にすると、この扉は老婆心の扉。つまりみどり自身なのである。ここを踏まえて、じゃどんな扉?って考えると、鉄扉にした事で重い感じになる。つまり格式みたいな雰囲気が出たような・・・って。じゃ模様は?となると、蜘蛛の巣のような・・・ここで重みに不気味が加わった。

開けてはならない言い伝えみたいな・・・こうやってアイテムを増やすのだけれど、そもそもが自分なんだ・・・って事を忘れて、進めると鉄扉は歴史で錆びる。錆びれば腐る。腐るは朽ちる・・・って悪い方向へしか進まない。それが自分なんだよ・・・って話。

これをもし考えていたのなら、そんなのは無理ぃぃ・・・・と言えるのなら、もう少し抑えたい・・・そんなに悪いのは嫌だって思えば、何か良い事に繋がるアイテムを考えようと出来るでしょ?それを若々しくなんて安易に考えると、その鉄扉を開けられまい・・・と最後の綱のツタを青々と、

作ってしまったりする。ばかちんなのね・・・それでは。そんな事をしたら、扉が開けられたのに、反対している絵になっちゃうでしょ?違くて、それでも少しだけでも・・・と悪あがき程度なんだから、数本が開けられまい・・・と粘っていて、しかしながら若々しくないツタ・・・となる。

ただまたそのアイテムは滅びる、朽ちる方向になる。そもそもこの扉が自分であるのなら、その扉に自分の良さが入っていないと、いつか歴史は繰り返し、いつかこの女の子はまたその扉になり、同じような扉になる・・・・それなら悪い事だけを超えた地獄絵図になる。

そうでは無くて、たった1つだけでも自分の良さに繋がるアイテムが入る事で、この扉はただ重い鉄の扉だったり、お母さんのエゴの比喩にはならないんじゃないのかな?・・・って話。ただそこに大事なのは娘2人だから、そこにアイテムとして・・・って入れそうな感じなんて、先に潰した。

それこそばかちんなのね。それでは2人目が去った時、錆びて朽ちて誰もいなくなり、守る事も出来ない鉄扉になる。もう少し何とかならんもんかね。そこに希望だったり・・・に繋がるアイテムが無いとね。大抵はそこにそんなものが無いと、ただ重い作品になるだけ。

もののけ姫で欲望で崩壊した国に、草花が生えて来て・・・そこを描かなかったら、苦しいのね。ほんの少し、そんな事に繋がる何か?が入らないと、作り手も見る側もヘトヘトになるのね・・・・これがみどりへのアドバイス。

そもそも人の人生なんてもんを作ろうなんて、軽くは終われるはずが無い。たっぷり苦しむと良い。その向こうに見える景色は超えたものにしか見えないものだから・・・。ただ得るモノだけでは無い・・・常に良い事と悪い事は背中合わせ・・・。辛かろうけれど・・・。

いずれにせよ、そんな作品だからこそ評価も楽しいモザイクとは違うものに見える事になるとは思うが・・・。

そんなこんな夜、かぐやがクリーマなる販売サイトに出展してくれた・・・と連絡が入った。



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