katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

キウイ、お母さん、さくらの相席教室

2016-08-04 05:22:46 | モザイク教室
今日は午後からキウイ、お母さん、さくらの相席教室。それまでの間は家族の紋章をやっていたんだけれど・・・・撮り忘れ。
ではお母さんから。この位の腕の付いた人が一番難しい所で、この先どうする?・・・・って感じになるのね。

要するに人に上手いね・・・・って言われ始まった。ただ何となく根を詰めなくてもそこそこ結果は得られる。けれど更なる・・・って気持ちになれば、当然難しい事に手を出したくなる。けれど、そうなれば益々大変になって時間も掛かる。経験値があるだけに判断する目を持っている・・・・。

これをやれば大変だわっ・・・、これは簡単ってね。その時に、この位で良いかっ・・・と判断をしたとすると、それが果たして正しい選択だったか?って事になると、実は大事になるのは今までの自分は何をして来た?・・・って事なのね。

それはどう言う事か?と言うと、バラの花をどう作って来たか?・・・もしきちんと資料と見比べて作って来たのなら、葉っぱもその通りに習って作ると良いのね。そうすればこの文字通り、一貫して同じ姿勢で臨むのだから、腕の付いた分段々と上手くなっているのだから、花に見劣りする葉っぱになる事は

無いのね。所がもしそれと違う姿勢でやったとしたら・・・?今までの花とは違う仕上がりになる。ではどんな事が起きるか?となると、果てしなさに気持ちが負けると、進み具合を気にするばかり、資料を見ずに何と無く・・・って作ろうとしてしまうのね。実はそれで質を落としてしまうのね・・・。

こうなると負の連鎖が始まっちゃうのね。つまり美を意識し進み具合を度外視してコツコツ積み上げて来た花に、今度は何と無くって葉っぱを作ろうとすれば、比較するまでも無くなる・・・しかも本人の目も肥えているから比較すれば一目瞭然。そうすれば上手く行かないわ・・・まっこんな感じか・・・

と立ち止まらずに進んでしまう・・・しかもそれが上手くなってしまった事で、スピードもアップしているからもう止まらない・・・・。上手くなった分、失敗と思う事もとんでもないスピードで進んでしまう。もはや美の意識よりも進むだけになるのだから・・・・。しかも意識無く・・・。

今日はそんな感じになった・・・・しかももしこの相席が楽しかったとするのなら、気分も悪くないはず・・・だとすれば、気持ちも楽にどんどんと気分良く進んでしまう・・・ますます悪化してしまうのね。それを引き起こしてしまう原因の1つは大きな作品があると、手狭な事で目を離す時間が出来る。

ただ初めての葉っぱで1枚目だから、そうそう進まないだろうから・・・と安心していた俺がいるのも事実。もう半分位終わったかな?と思って見ると、あっ・・・やったかぁ・・・・って事で、手を出す事になったのだけれど、確かにサンプルで俺が1つ見せればそれを真似してね・・・は簡単なんだけれど

お母さん位の腕の人にサンプルなんて最初から見せたら、もう判ったぁ・・・ってそこからアレンジしてどんどんと量産してしまうのね。つまりそのサンプルのような1つ目は自分の腕で作った方が2つ目以降は身の丈で超えやすい。しかも自力で考える・・・って考えながら作るって練習にもなる。

だから今日はそんな時間だったんだけれど、じゃ果たしてご年配のお母さんにそれ以上の飛躍を・・・と望むか?となると、無理されても困るし、つまらなくなるのも困る。かと言って、これだけの作品の質をガタっと落とされても、納得もしないだろうし・・・。

言い方は悪いが、少しだけ悩んで貰えれば、自分でも考えて貰ったのだから・・・そこからどんな是正をして行くか?を見て貰う為にも、直して見たのね。見てしまえば恐らくこの位の事は難なく出来るだろうから・・・って程度ね。では何をどう是正したか?と言うと、第一は資料を良く見る。

単なる思い込みで、何と無くは作らない。これは取り組む姿勢の問題。それと並行にテクニックとしては、大きい葉っぱと小さい葉っぱは同じテクニックでは出来ないと言う事。つまりタイルを切るに当たって、細さ、細かさには限界があるのだから、繊細に作れるのは大きな葉っぱになる。

何せ葉脈を繊細に切るには小さい葉っぱでは不可能なんだから。この意識を持てば、今自分の選んだ葉っぱの大きさはどっちよりなのか?の判断が出来る。そうした時に、大きい葉っぱは葉脈も、パーツの形状も、更に色も・・・と色んなバリエーションを考えられるが、小さい葉っぱは?となると、

葉脈は作れないし、パーツの形状も大き過ぎれば雑にも見えるし、細かくしただけでは手間を掛けた割には結果は付いて来ないし、そうなると色に依存したくなる・・・・悪循環。そこを一体どの程度のパーツで何粒位で終わると収まりが良いんだろう?・・・って考えた上に、色を上乗せすると?

さっきの色に依存よりもテクニックが乗った分、上手くすれば当然質も上がる。って単純な理屈なのね。そんなの難しいぃぃと思う人はお弁当を思い出して貰いたいのね。良く、色合いが悪い・・・とか言うじゃない?そこを気にする人は、当然色合いを意識した人のセリフになるよね?

じゃ何だっけ?区切る入れ物・・・機能性と言うだけなら銀ので良いじゃん。味が混ざらなければ・・・。でももし可愛い色合いなんて気にしたのなら、機能性だけじゃなくて見栄えも気にしたよね?更におかずの数だったりを気にすると、ここのスペースとか、品数とかを気にするでしょ?

つまりこのお弁当箱にはこう言う風に配置をして、栄養のバランスと色合い、そして毎日の事なのに、昨日とかぶらないように・・・とか満載になったりするでしょ?その姿勢で作れば良いだけなのね。ただね、喰えれば良いんだよっ・・・ひっくり返ったって味が混ざったって大丈夫・・・

こんな男前の人は繊細に作ろうとはしないだろうし、その人にそうして・・・と言っても難しい事は誰にでも判るだろうから言うまでも無いが、本当に難しいのは気分で変わってしまう・・・そんな場合。例えば今日は時間が無いから・・・でも今日は時間がたっぷりあるから・・・となると、

振り幅が大きくなり過ぎるでしょ?こう言う作り方が作品作りには良く無いのね。こんな話で気が付いた人がいれば、つまり考える事無く教えてしまうって言うのは、料理で言う所のレシピみたいなもので、オリジナルとは?創作料理を意味するのに、はいこれを真似て・・・では想像力が付かない。


さくらも一見違うもののようだけれど、似たような話で、このモチーフでの制作は2回目。さっきのお母さんの話で言うのなら、サンプルみたいな1作目を自力で作った・・・それを踏まえて2回目となるが、意識として同じ・・・って言うのは見る側にも飽きるなんて目を防ぐ意味もあるし、

モチベーションとして下地がプレッシャーにもなるように・・・となると、軽い気持ちにならないように・・・やら、色んな理由を踏まえての制作なんだけれど、今度は結果を欲張るが故に、前回の方が上手く出来ている・・・ちっとも上手くなっていない・・・って気分になっているらしいのね。

ただ俺はそうには見えないと言っているんだけれどね・・・。つまり目に見えて進歩したように見えないさくらがいる。ただその目は冷静か?なのね。
今の現状であるのなら?・・・最善なのか?どうか?であって、欲張っている気がするのね。

要するにそう言う葛藤をしつつ作っていれば、結果は後から付いて来る訳で・・・。まっ良いか・・・とか、2度目だから大丈夫なんて言ったら、ばかちぃぃぃん、って話だけれど、さくらの性格上そんな事は有り得ないから、今のモヤッとした感じの制作で良いんじゃないのかな・・・・。

俺は今の状況なら随分と良く出来ている・・・と思うんだけれど。


それでキウイは?となると、ここに口出し無用だし、自分が納得するまでバックの空や葉っぱを入れ続ける・・・もはや修行みたいな話で、同じ事のくり返しって事だから、あえて言う事が無く、しかもキウイは気分では何も変わらないだろうけれど、せめて楽しい雰囲気で終われればと思うのね。

それだけでいつもと同じしか進まなくても、楽しいだけプラスみたいな話。そんな中、キウイの娘が1.2日で終わるようなものを作りたいって事らしいので、下絵を描いといてね・・・って言ってたものがやって来たので、是正して実寸くらいに拡大したんで見て貰って・・・と渡したのね。

そんなこんなで今日はおしまい・・・・。




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