今日は午後からキウイ教室。それまではペーパー掛けなどやって下地の続き。まっ、何を作っても楽なものは無いけれど、比較的順調には仕上がりつつあり、成功するかどうか?は判らないけれど、間違いなく今後の流しのお教室の形として使えるだろうと思われる。満足しつつある下地になっている。
そんな中、みどりがネットでの知り合いから予約出来ないかと聞かれたらしく、1つでも反響があると作っていて有難い。さてそれではキウイ教室。
今日は女の子から離れて、枝の増量らしい。特に言葉はいらないだろうから、アップで・・・・。

良く生徒のエースと言うのは、まずこんな大きな作品でも別に何にも変わらずいつも通りに進められる事。あのお雛様の貝にしても、小さくても一緒。
何も変わらない姿勢。それにどんな素材でも難なく切る。しかもただ切るのでは無く、段々細く、段々太くなんて言うのも切り分けたりする。
同じ形の繰り返しって言うのは、意外と慣れると簡単なんだけれど、段々って言うのは隣同士をきちんと合わせる事が出来ないと、ゴツゴツしてしまうのね。だからそう簡単じゃないのね。それを曲げたりする・・・・その意味は・・・・。
例えばストレートをここに投げて・・・・って緩急を付けられる。こんな話が出来る。これが初歩。きちんと丸を切る、更に大きさを変えて・・・。
こんな感じね。ではそれでは曲げて・・・つまり変化球。この起動で・・・となると、きちんと曲げられる・・・つまり四角いタイルをきちんととなると
、きちんと曲げられれば筆記体が作れるって事。ここまで出来ると看板や表札が作れる。つまり大きさに関わらず、どんな文字であってもその通りにに切れるのだから。きちんとね。ではその次は?となると、その腕を持ってして、微妙にずらす・・・。ここがサジ加減。
枝は自然のもの。きちんと切ってはツルンとしてしまう。きちんとやってはいけないのね。葉っぱはこんなに小さくてはそんなに変えられないけれど、アップ゛にしたら1つとして同じものなんて無いのね。いかに同じ事をしないか?になる。そうきちんと出来るのにやらない・・・って技術。
これこそがリアル。しかもきちんと出来る人がやらない・・・それこそが着崩しなのね。出来ない人が適当にやるのでは無く、出来る人がしない。
恐らく今後も言うだろうけれど、荒俣宏さんて言う人がいて、ボタニカルアートの本を何冊も出していてね・・・・。
知らない人もいるだろうから、ザックリ言うと本物そっくりみたいな絵なのね。その本にデザインなんて勝手に自分の好きに掛けるから、本物そっくりに描けるこの人達は凄い・・・みたいに言っているのね。まっ全くその通りって話でも良いと思うのだけれど・・・・ただね、この話を俺なりに解釈するとね、
こう言う人達って、似てる・・・って絵だから、評価が低いんだろうね。だってそのものに似ていなくても自分のタッチでオリジナルを描いた画家さんは、知名度がそれぞれ高く個性的である。しかも名としても確立されている。それからすると、きちんとそっくり描いたその人達・・・つまり、
ボタニカルアートの分野はそれからすると落ちた評価だから、荒俣さんのような人が声を大にしてアピールしている・・・そんな感じ。
それを更に受け入れて考えると、音楽で言えばオリジナルを作って歌う人と、人の歌を歌い上手く歌う人の比較だったり、
オリジナル楽曲を作るミュージシャンと、楽譜通り演奏するミュージシャンの違いって言うのかな?伝わるかな?こう言う話はエリートと叩き上げみたいな関係にも思えたりするのね・・・・ただね、世の中には例外って言うものが必ずあるのね・・・・。必ず。
今の野球なんて、200本を超えるヒットを打つ人だったり、パワーのある外国人選手では無くて、日本人が打ち勝って4番を任されたり、ピッチャーもバッターもどっちもやる人だったり・・・・今までの考え方では当てはまらない人達がいる。
そうやって考えた時に、どれもこれもプロの話・・・・そう考えるとキウイを始め、みんな趣味なのね・・・趣味。
これが考え違えしては行けないのは、弟子は仕事としてやって見たい・・・だから、プロサイドに入ろうとしているのだから出来て当然。
ほら、そうやって考えたら、荒俣さんの考え方で言うのなら、きちんと出来てオリジナルも出来て・・・それでもアマチュアだってさ・・・。
ここね、ここ。良いじゃん・・・とても凄いじゃん。しかもそれならそれで、そんな腕利きのアマチュア育てるのもね。
ほら最初の頃のオリンピックの野球は、プロもアマチュアも混じってた。ただ、本気で勝つ事に力を入れたらプロだけになった。
でもね、野球の裾野の広さと、モザイク・・・・知れてるのね・・・・てっぺんの高さなんて・・・・。
凄いのはアマチュアだって普通は本気で野球に取り組んでいるのね・・・日々。所がこっちは趣味なのね、趣味。毎日なんてしてないのね。
プロが本気で毎日やっているのなら、こっちは趣味の人達・・・・同じスタイルじゃ無理なのね。
ほら、ニノがやってたエリートの人達の野球の話・・・・俺はエリートの趣味の人も育てたいのね・・・・勿論本気の人も良いんだけれど。
その人のスタイルなんだから。そう言う点でキウイの趣味って言うスタイルの中での上手さ・・・実に良い感じなのね。
先生としては、その人の持ち時間の中での最高の作品を作れる腕磨き・・・・けれど、それは先生サイドの気持ちであって、押し付けでは続かない。
ある程度の腕って言うのは、続ける事で解決するもの。そう考えると、続ける事は大事であり難しい・・・。
何しろ本人の意思なのだから・・・。そもそも良く先生が合わないなんて話を聞くが、もし先生が合わないのなら、他の先生で続ける事も出来るし、数ヶ月でも習ったのなら、数か月分の習った事で一人で作る事も可能なのね・・・・だって趣味なのだから。
どんな形であれ続ければ進歩はあるし、どんなに上手くても辞めてしまえばそこまで。そう言う点では、いつかその日が来た時の権利となる作品・・・になる。この作品は大事に進めて貰いたい・・・・そんな作品がまた少し進んだ・・・って感じ。
そんな後は、

キウイがハロウィンは?って言うので、今年はそう言う機会が無かったが、この先もまたハロウィンは来るので、何か繋がるサンプルは作って見るかっ・・・って気になったのね。
そんな中、みどりがネットでの知り合いから予約出来ないかと聞かれたらしく、1つでも反響があると作っていて有難い。さてそれではキウイ教室。
今日は女の子から離れて、枝の増量らしい。特に言葉はいらないだろうから、アップで・・・・。

良く生徒のエースと言うのは、まずこんな大きな作品でも別に何にも変わらずいつも通りに進められる事。あのお雛様の貝にしても、小さくても一緒。
何も変わらない姿勢。それにどんな素材でも難なく切る。しかもただ切るのでは無く、段々細く、段々太くなんて言うのも切り分けたりする。
同じ形の繰り返しって言うのは、意外と慣れると簡単なんだけれど、段々って言うのは隣同士をきちんと合わせる事が出来ないと、ゴツゴツしてしまうのね。だからそう簡単じゃないのね。それを曲げたりする・・・・その意味は・・・・。
例えばストレートをここに投げて・・・・って緩急を付けられる。こんな話が出来る。これが初歩。きちんと丸を切る、更に大きさを変えて・・・。
こんな感じね。ではそれでは曲げて・・・つまり変化球。この起動で・・・となると、きちんと曲げられる・・・つまり四角いタイルをきちんととなると
、きちんと曲げられれば筆記体が作れるって事。ここまで出来ると看板や表札が作れる。つまり大きさに関わらず、どんな文字であってもその通りにに切れるのだから。きちんとね。ではその次は?となると、その腕を持ってして、微妙にずらす・・・。ここがサジ加減。
枝は自然のもの。きちんと切ってはツルンとしてしまう。きちんとやってはいけないのね。葉っぱはこんなに小さくてはそんなに変えられないけれど、アップ゛にしたら1つとして同じものなんて無いのね。いかに同じ事をしないか?になる。そうきちんと出来るのにやらない・・・って技術。
これこそがリアル。しかもきちんと出来る人がやらない・・・それこそが着崩しなのね。出来ない人が適当にやるのでは無く、出来る人がしない。
恐らく今後も言うだろうけれど、荒俣宏さんて言う人がいて、ボタニカルアートの本を何冊も出していてね・・・・。
知らない人もいるだろうから、ザックリ言うと本物そっくりみたいな絵なのね。その本にデザインなんて勝手に自分の好きに掛けるから、本物そっくりに描けるこの人達は凄い・・・みたいに言っているのね。まっ全くその通りって話でも良いと思うのだけれど・・・・ただね、この話を俺なりに解釈するとね、
こう言う人達って、似てる・・・って絵だから、評価が低いんだろうね。だってそのものに似ていなくても自分のタッチでオリジナルを描いた画家さんは、知名度がそれぞれ高く個性的である。しかも名としても確立されている。それからすると、きちんとそっくり描いたその人達・・・つまり、
ボタニカルアートの分野はそれからすると落ちた評価だから、荒俣さんのような人が声を大にしてアピールしている・・・そんな感じ。
それを更に受け入れて考えると、音楽で言えばオリジナルを作って歌う人と、人の歌を歌い上手く歌う人の比較だったり、
オリジナル楽曲を作るミュージシャンと、楽譜通り演奏するミュージシャンの違いって言うのかな?伝わるかな?こう言う話はエリートと叩き上げみたいな関係にも思えたりするのね・・・・ただね、世の中には例外って言うものが必ずあるのね・・・・。必ず。
今の野球なんて、200本を超えるヒットを打つ人だったり、パワーのある外国人選手では無くて、日本人が打ち勝って4番を任されたり、ピッチャーもバッターもどっちもやる人だったり・・・・今までの考え方では当てはまらない人達がいる。
そうやって考えた時に、どれもこれもプロの話・・・・そう考えるとキウイを始め、みんな趣味なのね・・・趣味。
これが考え違えしては行けないのは、弟子は仕事としてやって見たい・・・だから、プロサイドに入ろうとしているのだから出来て当然。
ほら、そうやって考えたら、荒俣さんの考え方で言うのなら、きちんと出来てオリジナルも出来て・・・それでもアマチュアだってさ・・・。
ここね、ここ。良いじゃん・・・とても凄いじゃん。しかもそれならそれで、そんな腕利きのアマチュア育てるのもね。
ほら最初の頃のオリンピックの野球は、プロもアマチュアも混じってた。ただ、本気で勝つ事に力を入れたらプロだけになった。
でもね、野球の裾野の広さと、モザイク・・・・知れてるのね・・・・てっぺんの高さなんて・・・・。
凄いのはアマチュアだって普通は本気で野球に取り組んでいるのね・・・日々。所がこっちは趣味なのね、趣味。毎日なんてしてないのね。
プロが本気で毎日やっているのなら、こっちは趣味の人達・・・・同じスタイルじゃ無理なのね。
ほら、ニノがやってたエリートの人達の野球の話・・・・俺はエリートの趣味の人も育てたいのね・・・・勿論本気の人も良いんだけれど。
その人のスタイルなんだから。そう言う点でキウイの趣味って言うスタイルの中での上手さ・・・実に良い感じなのね。
先生としては、その人の持ち時間の中での最高の作品を作れる腕磨き・・・・けれど、それは先生サイドの気持ちであって、押し付けでは続かない。
ある程度の腕って言うのは、続ける事で解決するもの。そう考えると、続ける事は大事であり難しい・・・。
何しろ本人の意思なのだから・・・。そもそも良く先生が合わないなんて話を聞くが、もし先生が合わないのなら、他の先生で続ける事も出来るし、数ヶ月でも習ったのなら、数か月分の習った事で一人で作る事も可能なのね・・・・だって趣味なのだから。
どんな形であれ続ければ進歩はあるし、どんなに上手くても辞めてしまえばそこまで。そう言う点では、いつかその日が来た時の権利となる作品・・・になる。この作品は大事に進めて貰いたい・・・・そんな作品がまた少し進んだ・・・って感じ。
そんな後は、

キウイがハロウィンは?って言うので、今年はそう言う機会が無かったが、この先もまたハロウィンは来るので、何か繋がるサンプルは作って見るかっ・・・って気になったのね。