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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

遠方からのリピ-タ-さん教室

2013-09-03 14:23:00 | モザイク教室
今日は午後からのお教室なので、それまでは作家katsu。


何しろ難しいのは、しばらく離れている作品作り。先生katsuが続く毎日は、人と向き合う大変さがある。しかしながら、こう毎日続くと、反復練習のように、

段々と先生らしくなって行く。難しさは同じ人に説明している訳では無いので、
同じ事を毎日言う事もあるし、逆に毎日質問が違う事もあり、しっかり理解しないと、

質問に詰まる事もあるだろう・・・がしかし、かなりそれも上達した。
しかも、いきなり無茶ブリの当日下地何て言う事にも対処出来るようにもなった。

しかし、良い事と悪い事は背中合わせ・・・・先生katsuは充実するなら、当然作家
katsuの時間が少なくなる。ただ作家katsuも相当やって来ているし、時間だけなら、

今までの経験値でヘタになる事は無いじゃん・・・なんて、安易に思われる人もいるだろうが、そんな単純なものでは無くて・・・・ん・・・そうね・・・こんな比喩は?

毎日、一緒に暮らしている夫婦は毎日の生活リズムがあるでしょ?だからあんまり変わらないはず。でも、単身赴任だったりすると、帰って来たり、いなかったり・・・となると

いる時間といない時間の過ごし方は変わって来るでしょ?しかも、考え方をしっかりしないと、どっちが日常なのか?と思ったりもする事もあるだろう・・・・。

いない方が当たり前となると、いる時間が非日常になるだろうし、慣れるまで時間も
掛かったりする事もあったりするだろう。何しろ生活リズムが変わるのだからね。

これがきちんと、いる方が日常なのだが、長く不在なのだ・・・と思う事が出来ると、
毎日が揺るがない気がするのね・・・つまりこれに当てはめると、

俺は作家katsuでも先生katsuでも一緒と考えられれば、空いている時間はすべて作家
katsuになれば良いだけである。しかも、それすらも間違っていて、

作家katsuも依頼品があり予約もあるのだから、本来空いてはいない。空けているだけで
その時間を割いて先生をやっている。しかし、割いていると言うよりも、ほぼ毎日、

先生をやっているのだから、誤解するとメインが先生にも思えるようになっている。
つまりこうした確認を自分自身でしないと、作家をおろそかにし、合い間にこなす・・・

そんな気持ちになったりする・・・・それでは良い作品にはならない。
時間で解決するものじゃないのね。人間と言うのは感情の生き物だったりする・・・・

そこを前面に出す作り方もあれば、淡々とお坊さんのように向き合うような作り方もある
そんな事までは判って来たのだけれども、それすらも理解すると本当に困るのは、

作る時間が無い事では無く、しばらく振りに向き合う作品と何も変わらず最初の気持ちで
向き合う気持ちを整える精神的なものが大事で、それが出来ないと心は揺れる・・・・

ほんのちょっとの時間じゃ進まないし・・・とか、片付け無いとならないし・・・とか、
作家katsuがおっくうになる・・・そんな気持ちと向き合う事になる。

これが歳をとった人達が変わって行った姿・・・つまり根気が無くなり言い訳ばかりの
あの姿なのだ・・・俺はあの人達と違う人生を過ごさないと、あの程度で終わる・・・・

しかしあの程度の人達は、家族もあって・・・今更、あの人達と同じ事をしていたら、
あの人達の持っているモノが無い以上、それ以下になると言う事を意味する・・・・。

怖わっ・・・絶対、そんな事にはなりたくない。そう考えられないと時間に流される。
徹底的に拾い集めた時間の中でも、しっかり向き合う事が出来るようになるのなら、

きちんと時間のある時は向き合える・・・ってなる。けれど、まっ良いかっ・・・って
短い時間を捨てる癖を付けると、自分の納得する時間が無いと向き合えない癖が付く。

しかも、それはどんどんと向き合う時間が長くないと、出来なくなる癖となり習慣になる
・・・しかし、そんな時間はそうそう訪れない・・・・悪循環の始まりなのだ。

何しろコツコツ拾わないと、おっくう・・・・この言葉に飲み込まれて行く・・・・
何とも素晴らしいハ-ドルと向き合わせて貰える・・・自分磨きの作品なのだな・・・

中々きついが、精神面を鍛えるには非常に持って来いである。
以前は続け様でやって来て、今は少しずつしか出来なくて・・・それでも昔の場所を

見ては、こうかな?こうかっ・・・って昔をなぞるように、進めて行く・・・・
けれど、あっと言う間に時間は過ぎる・・・けれどやらないと終わらない・・・・

実に人生のようで、自分と向き合って行かないと作品はそのままで、助けるのも自分だし
流されるのも自分。俺らしいと言えば、俺らしい作品でもある・・・・。

おっと長くなったが、お教室。実は犬の作品はご主人の作品だったが、奥さんも一緒に
やったらしいのね・・・・作品の内容は非常に良いし、とても素敵である。

がしかし、奥さんの作品を見た瞬間、なるほどねぇ・・・と思う節があった。


何があって、ご主人の作品をやって、自分の作品は途中なのか?・・・・
今ぺきぺきの白で割りと大きめなひし形が7枚あるが、これは直したパ-ツで、

実はここに大きさのバラバラな、形もいびつなひし形とは言えない、でもきっとひし形って感じにしたかったんだろうなぁ・・・?ってパ-ツが置かれていた・・・のね。

それが意味する事は?切れなかった・・・同じひし形がきちんと・・・
けれど、先に進みたいが感として、張ったら変だと思うし、でもモザイクはしたい・・・

じゃご主人の作品に一緒に参加・・・と考えるととてもスマ-トである。
そこで、そのひし形のような形に違和感を感じませんか?の質問から始まる事になる。

すると、えっと・・・・ダメですか?と聞くので、ダメかどうかは自分自身の問題ですが
もし、きちんとひし形を統一したかったが、出来なかったからこれで良いと思ったのなら

最悪です。相当なダメですね・・・と言うと、そう思ってやったけど上手く行かなかった
・・・と言うのね。やっと本音が出た。まずきちんと自分と向き合っていなかった。

ここが問題。そしてまず心の是正から。えっと、ぺきぺきだし出来るって判断しました・・・ね?と質問すると、えっ・・・・あっ、はい・・・って言うのね。

まずここ。ひし形なんて切り方教えましたっけ?と聞くと、いえ・・・って。
ですよねぇ?じゃもしぺきぺきでひし形を切るのが、一番難しいパ-ツだったとしたら?

どう思います?って聞くと・・・えっ?そんなに難しいんですか?となる・・・・。
はい、まず決定的な間違い。それが絶対やってはいけない思い込み。

料理教室なら、2.3回包丁の使い方を習ったら、飾り包丁も出来ると思ったようなもの。

まず初めて切る形であるのなら、出来るって判断で始めるのではなく、出来るのかな?
である。最初のモザイクの時は、おっかなびっくり切れるかな?・・・だったはず。

これが初心を忘れてはならない・・・・って意味なのである。それが謙虚さである。
きちんと自分と向き合う姿勢。そしてその気持ちでやって見て、何が出来なくて、

何処が変なのか?逆に出来ている事は無いか?・・・ここを徹底的に見る。
その上の是正なのね。なのに、出来たらラッキ-、出来なきゃまっ良いか・・・なら、

先生いらずなのね。材料の手配しか必要は無いのね。

習うと言うのは、恐らく習慣って字の1つが入っているのだから、同じ事が出来るように
何度と無く繰り返し姿勢を整えて向き合わせる・・・そんな事だと思うのね。

ラクをしないように・・・きちんと基本通りやれているかどうか?とね。
それが1人で出来るようになると、慣れるって言葉が付いて、習慣となる。

つまり習慣は1人で出来るようになる・・・そんな意味が含まれる。
つまりただ1人で出来た・・・これなら習わなくても良いはず。

それをこれが出来たのなら、これ、そしてこれ、・・・って壁を乗り越えて行くと言うのなら、きちんと向き合うべき。それを○が切れたらなんでも出来る・・・・みたいな、

じゃ次は1cm・・・そんな簡単なら先生はいらない。しかもいつも以上に言うのは、
すでに先生になりたい・・・・って言う目的を持っているから・・・・。

ただ趣味なら、それならこんなには最初から言わない・・・がしかし、先生となると、
話は違う。責任ってものがある。しかも、katsuに習った・・・と言うだろう。

ならば、きちんと習得して頂きたい。つまりそれがまずは習う姿勢となる。
モザイクが好き・・・じゃなく、モザイクの先生になる為の習得である。

では更にこれを見て貰おう。


ここでは珍しい作品だが、世間では良く見るモザイクである。自宅で作ったもので、
ここで目地入れを指導したのだけれど、こうして1人でも作れる。

こうして楽しむ事も出来るし、これなら教える側でも出来るんじゃないのかな・・・・?
ただこれじゃない事を遠方から習いに来るのであれば、まずは姿勢からとなる。

そのまずは・・・の第一歩。出来ると思い込まない。常に新しい形、素材、色、なんでも
初めてであるのなら、緊張感を持って初心の気持ちのように臨む事。

そして、失敗する事も想定して。これについてはこの方の場合で、常に失敗するかも・・・なんて思うような人は、バランスの話なので、逆にいけるかも・・・と思う事。

ただ思う事・・・では丸投げでは指導になっていないから、あえて書くと、そう思える根拠を拾い集める事。何でも良いから小さい事でもね・・・根拠をね。

要するに、人ってのは思い込んでいるとは意識せずに思い込んでいて、脳はしっかり
思い込んでいる。こんな図式になっている。

だから本人は意識をしていない以上、思い込んでいないと言う人もいる。
ここが厄介。意識が無いから意識していない・・・と無意識で単純に思い込む。

もし意識していたとするのなら?くらい考えられれば、まだ立て直す事が出来るが、
良くある話で、今回の場合、本来ひし形が良いのだけれど、1人でやったが出来なかった

だから、きっとダメかも知れ無いから進めなかった。しかし、モザイクはやりたいので、
ご主人の作品を一緒にやった・・・・何もしなかったんじゃない・・・ってアピ-ルにも

思える・・・それなのに、このひし形はこれで良いんですか?って質問は、一生懸命やったのに、ダメならダメって言えば良いじゃん・・・とか、えっ、ダメなの?とか、

やっぱりダメだったかぁ・・・とか、ほっ、やっぱダメですよねぇ、良かったぁぁぁ、
だと思ったんですよぉぉぉぉ・・・・とか、こんな理由からだと思うのね。

ただ出来ないながらも、ひし形風味って置いてあった・・・そんな感じのパ-ツを
ここからやっただろうな?・・・って場所が判るので、ここからでは無く、ここから・・

と、その場所から始めて貰う。しかも上下を平行にさせる為のテクニックを教えて、
それを意識させる。そうね、ボ-リングはピンを見ずに手前のしるしを見る・・・って、

そんな感じな事。それと握り具合の確認。音的には、ガチン、パリッ、シャリシャリ。
こんなタッチになるような握り方となる。そして、刃の入れ方も注意する事。

たったこれだけで、こうしてきっちりひし形が切れるようになった。
ほら、テクニックだセンスなんていくらでも教えられるのね・・・・ちゃんとね。

そんなこんなの指導の元、表札は自宅で張り終わるのも許可したのね。
だから新作。



って訳でこうなった。ちょっとここでは変わった仕上がりになると思うのだけれど・・・
そしてご主人は・・・・


コロを巧みに切ってある。いずれにせよ、少しずつタイルを切るって行為に慣れた感じではある。こんな事を繰り返すのなら上手くなるし、後は素敵なサンプル作りかもね・・・

ここが一番難しいが、いかに素敵な提案出来るか?そしてその価格は?って事が、
付きまとうのね・・・宣伝の仕方とかね・・・・それが教室を開催するって段取りになる

いずれにせよ、材料の手配やら、そう言った事すべてを教えないとならず、
技術も当然だが、先生になりたい・・・・ここはそんなハ-ドルもある。

また違った教え方となる・・・・とそんな話も踏まえると、簡単に深夜・・・・
そんな訳でお開き。




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