katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

久しぶりに作家katsu

2013-09-24 07:45:01 | モザイク作家
今日は久しぶりにお教室が無く、丸々1日作家katsu。とは言え、池の水換えをしてから。
何しろ先日、稚魚が大量に死んだ事もあって、気になるしね・・・・。

さてしばらく振りに作品と向き合うって言うのは、大作であればある以上、難易度が
変わって来る。これが1日で完結って作品なら、時間に追われる大変さがあるが、

追われても、終わればその日に安心感はやって来る。これは慣れれば楽しみながら出来る
事にも繋がって来る。がしかし、大作は同じ事がずっと続く・・・。

同じ色、同じ形、やってもやっても、終わるのかな?・・・って果てしなさを感じたら、
気が遠くなる・・・しかし、別に・・・何が・・・って過ごせるようになれば、

それはそれで慣れって点では良いのだが、今度はのんびりして進まない・・・なんて事も
ある。しかしこれらすべてを経験して仕事となると、慣れで作業なんて事をすると、

そこには作品の重みを感じ無い。何しろ作業ってのは、幾何学模様のような繰り返しで
淡々とこなす・・・そんな工芸のような作り方であって、それなら作業で構わないが、

人としての感情・・・こんなもんをガッチリ入れようとするのなら、作業をしては駄目。
何しろまずは、こうした気持ちをきちんと持って、スイッチを入れる・・・そこから。

先生katsuは追い付け・・・と教え、作家katsuは先を走りたい・・・とむき出しで、
これでどうだ・・・位でやって行かないとならない訳で・・・・

しかしながら、俺とて人で、良くも悪くも感情で左右してしまう事もある・・・
それを何とかなるべく押えて、仕事である・・・待っている人がいる・・・・

ほらっkatsuやんなきゃ・・・って、葉っぱ掛けたり、お金が無いんだから・・・ガツガツやんなきゃ・・・って気持ちになるのを押えて、良いのかそんなで・・・

いつかその日が来て、振り返られた時に恥ずかしい作品にならないのか?平気か?って
慌てさせないようにしたり・・・ただこんな事はすべて自分の事だったりする。

それが人と関わり、自分が大切に思うような関係になると、その人達の喜びや悲しみを
背負う事になる。その気持ちこそが感受性となり、作り手としての感性なんかに繋がる。

それは自分の気持ちを強く持たないと、悲しい事を背負った場合、何も出来る事が無いのに、ただ何も出来ず、ただ思う事だけしか出来ず、何もしたくない・・・そんな気分にも

なったりする。しかし、それは言い訳であって、それとこれは別・・・と進まないとならないのが仕事なのだけれど、それを悲しいなら悲しいを表現する・・・

そんな事をするのが作家。勿論逆でも良い。悲しいからこそ楽しくなりたい・・・・と、
そんな作り方でも良いだろう。それをも越えると、こんな気持ちを抱えて、淡々と

工芸のように・・・そんな事も出来るようにもなる・・・何しろ人と違う、個性なんて
もんは、こうして見つけて行くものである・・・と考える。

勿論、これは泥臭く貧乏人の選択なしって人の進み方であって、お金を持ってエリ-トを
進むと言うのなら、お涙頂戴的人情劇ですか?ってな話にも思えるだろうが、

モノの考え方ってのは習慣だから、きちんと考えて、きちんと書き換えて行かないと、
どんどんと古くなって行く。常に付き合う人が決まっているのなら別だが。

例えば、お金を持っている人を貧乏側から見れば、お金持っているのにケチとか、
旅行に行ったとか、良い車に乗っているとか、自分に無いモノばかりで、羨ましく

思ったりする人もいる。けれど、固定資産税や遺産相続、維持費なんて事は考えない。
つまり良い所ばかりを観ている事になる。貧乏人には一切関係の無い事だらけ。

逆にお金持ちの人から見れば、何で食べたいものを食べないの?買えば良いじゃん、
って、自分がいつもしている事だから、普通に言った事でも、貧乏人には出来ない事で

それ自体がいじめにも聞こえたりもする。本当に厄介なもので・・・・
昔、鴨川でそんなシ-ンを何度と無く見た。毎年いらっしゃるような常連さんは、

最高な日を選択して連泊をしてホテルでは食事をせず、逆にそうで無い安い日に1泊して、ホテルで最高の料理を食べていたりする人もいたりする・・・・

俺にしては、どちらもお金持ちじゃんって思うのだが、大抵後者の人は、お金無いし、
なんて表現をしていたりする・・・・いずれにせよ、そんな話が聞けたのも、

宿泊客でも無く、ホテルの人間でもなく、通行人でもなく、でも毎年ここにいる人って
不思議な存在だったからであり、人の考え方を習った場所でもある。

ただここで習った事はすべて流れて行く人達との関わり方であって、1年に1回の出会い。
それならそんなに気持ちを揺らされるような出来事は起こらないが、

弟子、常連、リピ-タ-さんとなると、最低月に1回は会う事になる訳で・・・・
当然、嬉しい事や悲しい事を耳にする回数も多くなる。

それはお互いに慣れた事であって、教えるに当たっては非常に有難い事で、この方の好みは・・・って言う目安になる事もある。

ただその中には、切ない話や悲しい話も多々ある。感性、感受性なんて事に繋がる話で、
どんな事をどんな風に感じるのか?・・・ならば、これは?、じゃあこれは?って、

個人指導って言うのは、それの繰り返し。勿論、教えるのが知識なら合格とか結果が
判り易いが、モザイクに試験ってのもねぇ・・・・ならば野球やサッカ-にもあっても

良いじゃんって思うし、水泳ならタイムが目安になるだろうが・・・。
ただ本当に上手くなって超越すれば、誰が観ても凄い・・・って表現をされる作品になる

いちいちラッカンなんていらないよ・・・ってのはそう言う意味。
個性ってのは、そう言う感じさせる事であって、名乗る事では無いと思うのね。

そんな事を考えながらの1日になる・・・俺の脳に時間を与えると、そんな事ばかりを
考えてしまう・・・・良く人は考えるなっ・・・って俺に老婆心で言ってくれるが、

そうすると、どうしたら考えないように出来るんだろう?って考えてしまう・・・・
そんな時はこれ・・・。


なんだけれど、金魚とて生きる前提なら、心休まるものだが、生き物は死ぬ・・・・
そうなると、また悲しみが増す・・・どちらが良いのか?飼うのか?飼わないのか?・・・

ただひとまず金魚を観ている時間だけは、考える事を忘れる・・・


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