katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

梟のモザイク

2011-05-10 06:34:58 | モザイク作家
日高氏が来た。特に拾う話は無くunidyに行かない?と誘われるがまま同行。
金魚の餌を買って帰る。


昔、アトリエに人が来なかった時には、すがるように話す事だけでも楽しかった・・・・
それからストリ-トなんかを始めると、銀座や近所の公園まで観に来てくれたのも

嬉しかった・・・。それから団体のお教室、出張のお教室なんかをやるのに、
一緒に仕込みをやったりした・・・・。

それから作品を仕込みから一緒に作った・・・そしてやはり出張もした。

それがみんなが一緒・・・・となってから仕込みをするような事はほぼ無くなり、
当日だけの参加になって行った・・・・。

奴が離れた訳じゃないのだろう・・・。以前はお願い・・・と頼めば来てくれただけ。
しかしね、それは期待感があった以前なら相手のモチベ-ションが上がるから、

それは楽しみ半分で来れただろう・・・・が、いつしかそれが成立しなくなったのだろう
何故ならずっとお願い・・・は言っている方も言われている方も辛かろう。

ならば当然ずっと・・・では無くここぞって時に・・・となる。
所がここぞって場合、相当過酷な状況である事は間違いない。つまりこう言う事になる。

何回も頼んで何回かに1回無理と言われてもそれは一見大した話じゃないように聞こえる
では重要な1回頼んで、もし無理ってなったとしたら・・・?

そうつまり頼む事が無くなってしまう・・・と言う事になってしまう・・・

ただそれは昔よりも随分と楽になったんだけれどね・・・お互いに今の方が。
けれど昨日の続き。ダメ-ジって言うのは蓄積されるものなのね・・・・

頼む方は楽に頼んでいる訳じゃない・・・少なくとも俺はね・・・何やっても折半。
しかしね、頼まれた方は余裕次第な話な訳だ。男の場合なら、収入が安定していて

暇がある・・・こんな時は二つ返事で、おぉぉぉぉ。と言ってくれるが、
同じ事を仕事が暇で来ている様な時に言うと、えぇぇぇとなったりする。

良くある話。同じ人が気分1つで変わったりする・・・・俺はそれが大嫌い。
そうならないように・・・そうはなりたくないと常に思う・・・・

そもそも職人って言うのは特にそう言う生き物である・・・自分の父のように・・・

話を元に戻す。けれど数回に1回無理って言うのと1回なのに無理は一見違うように
思えるだろうがこんなものは数字のマジックに過ぎない・・・・

もしその数回の1回が一番大事な1回だとしたら・・・。
とても簡単な事。俺はそこに常に視点を置く。つまりすべてどれも1回だって事。

俺は何をしてもいつでも同じ1回の繰り返しを心掛ける。値段だけで作品を作らないし、
人数でやる気を変えるようなお教室をしないように・・・と。

そう心掛けの練習みたいなものが今日の日高氏に同行・・・・・あの時行って置けば。
これが後の祭りのような発言・・・・

大事な人を亡くした時にこんな思いをする・・・そんな事が時にあったりする。

こんな時は大抵、その人と同行した場所、場面、ふっと思い出してしまうような余裕、
その逆の寂しい時・・・・こんな時に振り返る・・・・

つまり思い出は良い事も悪い事も一緒に付いて来る・・・その弱気の時に・・・・

この作品は後向きの自分を威嚇・・・そんな意味でもある。
旦那さんを亡くした奥さんからの依頼・・・・そんな軽いものでは無いのだから・・・

しかしただの威嚇をしても仕方ない。そこまで頑張る必要性は少ない。
お婆さんなのだから・・・。だから威嚇とは? こらぁぁぁぁくらいで良い。

でも大事なものを失う・・・そう言う気分を味わったのかも知れない・・・














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