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katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

リバティさんの外構工事の撮影をかぐやと・・・

2018-11-27 07:47:22 | 休み?
今日はかぐやと一緒にリバティさんの外構工事の撮影に・・・。何しろ連日工事中は電気を付けて・・・って感じだから、ちゃんとした画像が無かったし、ブログ用なら俺のでも何とかなるけれど、ホームページとなるとね・・・かぐやが撮る方がね。そんなこんなのスタート。

ただ朝って訳にも行かないし、昼に掛かるのもね・・・って良さげな時間に伺って、順調だったのに脚立を忘れて帰ってしまって引き帰したり、大事なモノを紛失ってな事があったりして・・・それはアトリエに戻ると落っこちていて問題無かったんで・・・なんだか踏んだり蹴ったりなんで、それなら・・

と、いつもはやらない事って事で、残りの時間は雑貨屋巡り。何しろアカシアを使ったトレイをもう少し垢抜けたものにならないかな?・・・ってのもあって、こんな時にしか他のモノは見られないので、駆け足ではあったけれど、いくらか見る事が出来たのね・・・



何しろこう言う外構工事みたいな話とは違って、自分では使わないキッチン用品は使うような女の人の意見が無いと、何が良くて何が悪いのか?さっぱり判らないし、もっと言えば方や見た事の無いものを作ろうとするのと、方や既にあるもの・・・つまり比較しにくいものと比較されるもの・・・。

全く意味の違うもの作りなのね。当然価格にしたって既にあるものはこんな値段で買える・・・って事になり、例え機械で作っているのではない手作りなモノであっても、それを理解して貰えるには相当な目利きだったり、それを販売するような人だったり、一般には判りづらい。

しかし逆にこんな外構工事の場合、見た事が無いから凄い・・・凄いから高い・・・の想像だったり、一体誰に頼めば良いのか?と判断も困ったりするらしいのは、色んな声を聞くので、判っているのね。ただ既存にあるものとは違って、何処にでもある・・・とは思われない。

作り手のプライドだけの話なら、それでも構わないけれど、何しろ仕事なんで片手間の話じゃなくてね・・・趣味の話じゃないから、何かを始めたら必死に追及しないのなら最初から何もしない方が良いのね。何しろモザイクとしてのものなら、何でも喰い付く貪欲さは持っているのだけれど、アクセサリー

には流石に手は出ないが、キッチン用品ならギリギリ俺も出が出せそうな分野でもあって・・・ただそれは気分的なもので、何しろ知識が無さ過ぎるのね・・・とにかく折角の機会・・・情報収集には良い時間だったのね。

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棟梁とリピーターさんと一緒に道の駅へ・・・・

2018-10-07 22:38:44 | 休み?
今日は棟梁とリピーターさんと一緒に埼玉から茨城の間にある道の駅を4つ、はしごしたのね。実は販売をするに当たって、今までとはちょっと違うような場所で・・・と考えて、道の駅ってどうなんだろうか?って話をしたら、棟梁が良く実家に行く時に通る・・・って言うので、案内がてらに一緒に・・

って言って貰ったのね。そんなこんな話から3人で行く事になったんだけれど、俺が時間を間違えて・・・8時半の約束だったんだけれど、9時前に到着で良かったかな?・・・・と、棟梁の近くのコンビニで時間調整をして・・・15分前で完璧だったはずなのに、遅刻って事になっちゃって・・・。

そんなこんなの出発。4つ廻る予定で、1つ目まで大体、棟梁の家から1時間。ただ余り遠乗りしないし、人を乗せているし、いつもよりも更に慎重になんて言ってたら、到着しませんよ・・・・って棟梁に茶化されたりして・・・トホホなのね。ただ道は空いていたし難なく到着。


こんな場所なのね。ここで近いうちに販売予定。その後、茨城までの間に3つ見に行ったものの、非常に条件が厳しいものがあり、最低月に2回は来て下さい・・・とか、敷金的なものが発生したり、そう考えると1つ目の所はハードルが低く、すんなり決まったのね。

そんな中、駐車場でみんなが注目したのがこれ。


それが途中ですれ違ったんだけれど、道の駅で手続きをしていたし、それからしばらく経っての話なんで、偶然とと言えば偶然。しかし、これが3台連なっていたら、そりゃ誰でも目が行っちゃうよね?そしたら棟梁が乗りたいぃぃ・・・って。まっ、これも趣味趣向の話で、何でも繋がるのね・・・。

いずれにせよ、茨城の4つ目も見て予定通りになって、ちょっと遅めのお昼も食べても、思ったよりも早かったのね。そしたら棟梁がお寺や神社でやってているモノ作り市手的な場所があるから、今から行きませんか?となり、調べて見るとやってて、それじゃ・・・都内へGO。

場所は上野らしく、道中今度はこんなのに・・・。


水陸両用のバス。フォルムが普通の車と全く違うんで、気が付いたんだけれどね・・・。初めて見たのね。そんなこんなで到着。何しろ棟梁が行った事ある場所ばかりだから、迷う事無く全てがすんなり。


ただ、どうやら今日は民族的な団体の貸し切りみたいで、多国籍な感じの雰囲気があり、そんな中、モンゴルの模様を発見。何か行った事のある所の模様は懐かしいやら、違和感が無く、そもそもきっと割と好きなんだろうな・・・。

って、さっきの話に戻ると、棟梁の趣味趣向の話なんだけれど、さっきのバイク、ここのお寺、外国の模様・・・何か通ずるモノ無いかな?もし、仮にさっきのバイクをね、日光東照宮の一部として彫ってあったとしたら?例えば、色を無くして形として捉えたら?きっと全てが棟梁の好み。

その時に、ここの多国籍の模様、神社仏閣ってものは、チャイハネってお店の服だったり、作務衣を着ている俺には受け入れやすいし、所があのバイクはちょっと・・・・って、ここいらがさじ加減の話。似てはいても、ここから違うみたいなね。

当然、リピーターさんも一緒に来るくらいだから、趣味趣向は似ているんだろうし、でもきっと良く聞けば何処から違うか?はっきり見えて来るものはあるのね。別にじぃぃぃと見ている訳じゃ無いけれど、何に眼を取られたのか?って割かし興味があるのね。あはははは。

ただ情報過多はまとめるのが大変になるし・・・今日はお教室じゃないし・・・目的は達成したし、手続きは完了したし、と言う訳で今月末に道の駅の敷地内で3人で行く事になって、ひとまず終了。そんな訳で、アトリエに戻って休んだ分って気持ちと、人のを見た刺激と、そんな時間の中・・・


1つ作って帰宅。




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かぐやが帰ってリバティアートさんがやって来た・・・

2018-09-12 03:24:13 | 休み?
今日は・・・の前に、先日かぐやに今日あるチャンネルでタイルの特集がありますよ・・・のお知らせがあったので、見たのね。それはモロッコのタイルだったり、1cmタイルだったり、ドットのタイル画だったり、名前しか知らないが作家さんも出ていて・・・30分程度ではあったけれどね。

感想は人それぞれなんだろうが、こうして取り上げて貰うと、誰かが見ていて、興味を持ったり調べたりして、またそれぞれが発展的な気持ちになれば、流行りとまでは行かなくても、他の番組でも取り上げられたリすると、また見られて、また誰かが取り上げられたリ・・・の繰り返しになったりもする。

何しろ流行なんて一過性のものでも、それすら来ないよりもまず広まり、そこをいかにキープし継続に繋げ安定まで行くには、長い道のりになる。でもまずはそんな小さな事の繰り返しなのね。そんな繰り返しの中で、いかに見つかるか?となるのだけれど、仮に見つかったとしてもその先があったりする。

その先に残る人は飽きられないものがあるはずなのね。その時がピークでは伸びしろも無ければ、それを見られて器用な人に真似をされれば、いとも簡単に消える事になる。そうならない準備が常に出来ているか?を問われるもので、これだけ情報があるのだから、一見見つかる事も簡単そうだけれど、

逆に多過ぎて多様化すれば、昔のように巨人、大鵬、卵焼き・・・みたいな、どこの子供もみんな好きみたいな統一感には中々ならないから、分散するし、いずれにせよ、簡単では無いのだけれど・・・。ただ、何にしても誰かに興味を持たれるには、テレビは効果的である。

例えそれが自分で無くてもね。さてそんなこんなで、朝はそんな話題からで、あっという間にお昼になって、かぐやを送った後はホームズでデイ・サービスの下地彫り。すると、リバティーアートが夕方来る・・・って事になったのね。使えそうな木を持って来てくれるって話で・・・。

確かに物理的には物を貰うって話なんだけれど、精神的に言えば、貰って嬉しい気持ちと、今、何も返せないんだよなぁ・・・って気持ちが混ざったりして・・・そして決定的なのは、同じように何かを目指している・・・そんな人との話は、刺激にもなるし、へこむ事もあるのね・・・。

常に良い事と悪い事は背中合わせ。自分の気持ちがいつも通りなら、刺激として受け入れられるが、もし自分の気持ちが下がっていたとしたら?・・・それでは逆効果になる。例えば、口ではそう言っていたとしても、さっきの枕に使ったタイルのテレビの話も、嫉妬的な気持ちが大きかったとしたら?

それはマイナス要因になるし、かぐやが来る・・・なら、プラスになっても、帰った・・・では、気持ち的にはマイナスだったりするだろうし、それが日常、通常であれば、何も変わらずに単に刺激になるが、そんな中、1つ出張依頼の話が消えたのね・・・当然マイナス要素になる。

そんな気持ちである・・・って自分の心境を考えた上で会わないと、軽々しく夢だの希望だの生きがいなんてものを持った人と会うと、表現は悪いが毒なのね・・・つまり毒はワクチンにもなるし、毒は当然体に悪い。それは全て自分の体調や心持ちの問題なのね。相手では無いのね。

勿論、当然俺も毒な方向なんで、相手にもそう言う影響を及ぼす事にもなる。しかしながら、相手が来てくれる・・・って事なんで、量は判らないが、毒が欲しい・・・と思って来るのだから、投与の分量さえ間違わなければ、お互いワクチンとして刺激になるものなんだけれど・・・。

後は相手は生徒でも弟子でも無いから、質問が来てもさじ加減が難しいのね。何故なら習いたいって来る訳じゃないからね。でも、話の流れで質問が来るのね・・・例えば、仮に生徒さんだったら?質問に答える時に、そうね・・・比喩にテニスの玉出しみたいな感覚だと思って貰おうかな?

じゃこっちのコートに打ち返して下さいぃぃ・・・・って、練習をした時、もし初めてなら、オーバーしようが、ネットに引っ掛けて手前に落ちるよりも、こっちに打ち返すように・・・消極的に振らないで・・・とかみたいな最低限こっちへ・・・みたいな教え方になったりする。

それが慣れて来たりすると、今度はラインの中に入れる指示をして、ハードルを上げたりして、更に上手くなったらコースに打ち分けられるようにしたり、更に邪魔する為のボレー要員を使ったりして、更なるハードルを上げたりするだろうね。しかし、更に・・・となった時、一体何をする?

となった時、先日の大坂なおみさんでは無いが、実力があっても精神面って話のように、いくらテクニックを身に着けても、やるのは人・・・メンタルってものはテクニックだけでは乗り切れないのね。そうなると、師ってものが必要な場合がある。それが師弟関係だったりするのね。

ただ、生徒では無く弟子となると、良いですか?行きますよ・・・では無くなり、ほら立て立てぇぇ・・・になる。何故なら教えて会得して、最後にはライバルになる人達だから。当然厳しさが必要になる。生徒さんはあくまで趣味だったり、最高でも生甲斐くらいだから、苦労はそこまで。

しかしながら、弟子となると仕事をする前提だし、当然、今は俺の立ち位置程度では、それほどのプレッシャーは掛からなくても、いつかもっと上へ行きたい・・・と思っている俺の弟子では、当然その時に、その位置のままでは見劣りする訳で。当然、責任や重みって言う事も感じるだろうね。

こんな違いがあるとして、そこに男の人で更に目線としては同じような人がやって来るとなると、質問に答える場合、弟子でも生徒でも無い人への返答は一体どの程度の返しが必要なんだろうか?になる。しかも、もし本気で質問して来た場合、相手の球が早ければ早い程、リターンする球は、早さが

増す訳で・・・相手が素直であればあるほど、自分の打っている打球の強さに気が付いていないと、かなり本気な質問がやって来る訳で。しかも、流石に夢を持っているような打球は、こっちも必死に打ち返すだけなんて事にもなり兼ねないし、勿論相手が前回よりも弱っていたのなら?打球は弱いし

・・・逆に調子が良かったら、前回よりも早い打球や重い打球を打ってくるはずなのね。たった1.2回しか話していない人なんて読み切る事は難しいのね。ただ、先生をやっているのだから、質問に答えた時に相手が納得したり、せめて何かヒントやきっかけになるような返しが必要だろうし・・・

きっとそのやり取りでまた何か新しい事を気持ちとして得た時に、日々の行動を変えてくれるだろうし、それによって俺との付き合い方が、また1つ進歩や進化して行くと思うのね。しかし、本来ならその関係を作る為に信頼やら信用なんて時間の掛かるものなんだけれど・・・。

そこは同じ野望を持っている者同士・・・しかもお互いに一緒に何かをしたいと思っているのだから、本音で向き合っても悪意が無いし、刀で切り掛かって来る訳じゃない。恐らく木刀のようなもので、当たれば痛い位で済む。その向き合い方だけでも精神面を鍛えられる。

前回、会った時から今日まで一体何をしていたか?・・・何もしていなければ不甲斐なく感じるだろうし、やっていたとしてももどかしいかも知れない。勿論、まずまずかも知れないし、最高にやったって言うなら、聞かずとも風の噂くらいには聴こえてくるだろうし・・・。

いずれにせよ、色んな事を踏まえた上で、刺激として受け止められた気がするから、意外と俺はまともだったと思われる・・・のね。あはははは。




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アシストタイムウダガワさんとびれっじさんへ

2018-09-11 08:56:17 | 休み?
今日はかぐやと一緒に挨拶廻りみたいな1日・・・まずはアシストタイムウダガワさんに。先日、お知らせしたように、お店を辞める事になったので、作品を引き取りに伺う・・・先日伺った時に引き取る事も出来たが、かぐやが来る今日にした。それはここに置いた最初からの付き合いでもあったから。

俺は先日、ご挨拶もして感慨深い気持ちにもなったが、かぐやにはそんな事になったのは伝えてあったが、聞いたのと実際では受けるダメージは大きく違うもので・・・・。何しろ販売場所と作り手の関係以上のお付き合いだったし、かぐやもここには何度も来ているから、顔見知りでもある。

そんな中で、短い時間だったけれど、思い出話やら、先日の住宅展示場のいきさつやら・・・すると、担当者さんがいらしたらしく、チラシが置いてあったのね・・・ただ他にもお客さんがいて、棚の作品を降ろし終わった頃に最後の1つがこの作品で・・・脚立に乗ってウダガワさんが外してくれて・・・

ただ何だかあっけないような、戻って来ては行けないような・・・複雑な気持ちを抱えておしまい・・・そして最後に頑張って・・・と握手された。
また1つ何か背負ったような気もしたし・・・いや、今まで以上にってだけで、何も変わってはいない・・・ただちょっと・・・そんな気分。

その後、今度は二子玉川の展示販売に使った作品を、びれっじさんに・・・結果としては元に戻しに行った感じではあるけれど、そこはびれっじさんも判ってくれていて、次も何か探しますから・・・・って。そうね、何しろ繰り返す事。その繰り返しが出来なくなると終わってしまう。

何しろ本質がモザイクに関係ある事なら、何でもやる・・・そんな事の繰り返し。今日の1日はそんな気持ちの確認にもなった・・・そんな1日。

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祭りの後はかぐやが帰って・・・

2018-06-05 06:59:37 | 休み?
ニクオンも終わって、昨日の夜みんなで荷物を片付けてくれたので、そのお陰でこの2日間で出来なかった事を確認して、かぐやがいる間にやれる事を・・と言う事で、昨日、仕上げた作品を忘れて帰ってしまった方への発送とか、新規の中学生の準備、DIYの副資材の注文、テントのオモリの返品やら

・・・これで半日終了。その足でかぐやを羽田へ。そうね、それがいつも送って行く道中で、オリンピック会場になる場所を通るんだけれど、日に日に出来上がっているのね・・・それを見ると、いつも思うのは、意味は違うんだけれど、徳を積むなんて言葉があったりして・・・。

大まかなら、良い行いを礼を受けずに天に貯金みたいな考え方みたいな話なんだけれど、大事なのはそれによってどうなるのか?って教えだったりするのね。そんな行為は人に見せる行為では無いし、話す事でも無さそうなのね。そもそもこんな話は葬儀の時のお坊さんのお説法で聞いた話なんだけれどね。

じゃこんな考え方が、頂点にあったとするでしょ?・・・ここまでは習った話だからさ・・・でもここからは、だったらさ・・・って話。だからインチキ臭い話なのね・・・それを受けての俺の考えだからね。じゃ、このオリンピック会場・・・・みんなこの暑い最中、せっせと作っているのね。

これを無償で作っているなら、徳を積む感じになるけれど、賃金が発生しているのだから、仕事って徳を積むにはならないのね。ただ、完成した建物は人の為になるものなのね・・・ほらぁ・・・天に貯金って最高なポイントは付かないかも知れないけれど、テストだって丸じゃない三角あるでしょ?

何か貯金してんじゃないのぉ・・・って考え方なのね。それがね、徳を積むって、人知れず・・・って行為だし、これです・・・って話じゃない、フワァァとしたもんだと思うのね。けれど、人それぞれ、何と無くこんな感じ?ってものがあったりして、それをはっきり説明するとボランティアみたいな・・

そんな言葉になったりするんだろうけれど、恐らくそれです・・・って言葉のもんじゃないと思うんだけれどね。おっと、話を戻して、オリンピック会場の話ね。それがどうしたって事なんだけれど、誰もが見たら大きさに圧倒するし、ビルならのっぽやら四角かったり、見慣れていても、見せる建物だから

見応えもあるし、メイキングだし、何も無かった所に・・・なのね。興味があろうが無かろうが、平地に恐竜が現れた感じになる。後は感受性の問題だけ・・・それをどう感じるか?ってね。まぁ、普通に生きていたら見逃すし、何の必要性も感じなくても良い事だったりするしね。

ただ、必要な人には必要なのかもね・・・って。それでね、徳は積んで無いんだけれど、何かを積んでいる感じがすんのね・・・人の為にもなるのだから・・・しかも、もしかしたら取り壊すかも知れないものを・・・これがね、大阪万博の太陽の塔なら壊されない。けれど、壊したものは沢山ある。

勿論、残って活躍する施設もあったりする。さっきの眼に見えない徳を積むのと、目に見えて、無償じゃなくて、人の為にもなって、徳は積んでいないんだけれど、何かを積んでいたとしたら?・・・これを賃金だけの為にやっていたとしても・・・ね。心持ち1つだったりすると思うのね。

例えば、目に見えるこの恐竜みたいな建物のように、見えるものは積んでいるのが判る。積んだものが大きいか?小さいか?誰の眼にも。けれど、徳は漠然としていて、積んだ事も積んでいる行為も、何が積む事なのか?判らないで、ボヤッとしたまま、説明つかずのまま漠然。

けれど、毎日、時は過ぎて行く・・・気が付く事も無く。それを気が付く事の無いまま過ごして行くのなら、大事な人を亡くした時に、お坊さんの説法を40分聞く事になるんだろうし、それすら聞く耳を持たずに悲しむのも良いだろうし、答えは無いのだけれど、そんな事が五感に触れてしまうと、

観るもの全てに感情ってものが沸くもので・・・・だから、歳を取ると今まで見えなかったものや、感じなかったものが、感受性ってものが揺らされて、思わぬ涙だったり、たわいも無いものが刺激的に見えたりするものだったりしてね・・・。恐らくこんな事からだと思うのね。

それで、もしそうなら、徳を積む的発想なら、例えば労作展だとしたら、何日積む?って話なのね。ほら簡単でしょ?要するにオリンピック会場は世界の人に見せるのね・・・そりゃ生半可って訳には行かないでしょ?じゃ、労作展は?何日積めば報われるのかな?・・・ただそれだけ。

提出しないって事は無いのだから、1日で完成なら1日積んだだけだし、10日なら10日積んだだけ。そして、何処からかオリンピック会場に見えたりするのね・・・誰の眼にも。ただそれだけ。そして、全てそう考えれば、自分の持ち時間を何に何時間積んだか?って話なのね。

それを何かを目指している人達は、寝る事以外の時間のほぼ全てに注いでいるだけの事。しかも、必ず報われるかどうか?答えの無いままにね。だから、一般的では無いだけなのね。そして、そっち側に行きたいのね、俺は。だから、報われる結果が何か?じゃなくて、残り時間を全部つぎ込みたい。

ただそれだけ。ってこう聞くと、ドン引きぃぃになるでしょ?けれど、単純に子供のいるお母さんって、お母さんの時間を何時間使うのかな?って考えれば、別にそんなにビックリする事でも無くて・・・要するに家族のいない俺は、それも全部つぎ込めるのね・・・。

ただ言い方を変えると、それしかやる事が無い・・・とも言える訳ね。だから心持ち。けれど、必死な時間は必死で忘れる。けれど、ひとたびやり切った後だったりすると、こんな時間帯は、ポッカリ・・・になりやすい。何とかロスってみたいにね。ここが隙を突かれる時間帯なのね。

目に見えない・・・けれど、1つやり切った。一緒にやったかぐやが帰る。これが夜なら、言い訳をして、今日はこのまま帰ろうかな・・・って言うのも言えるが、アトリエに戻って3時頃。流石にそれでは、単なるサボりにも思える。戻ってやらなきゃ・・・って気持ちと、何かなぁ・・・って気持ち

が複雑な感じになったりするのね。だから、やらなきゃ・・・って口にして・・・けれどね、そこで何かを考えなきゃいけない事なんて、手を出すと、答えが出たりすれば良いけれど、結局何も出ずなんて事になれば、何してたんだろう・・・って追い込まれる事になる。

そこで、失敗は絶対に無く、必ず結果が出て前に進める事をしたい訳で・・・。それがデイ・サービスの下地ね。戻ったらそれをしよう・・・って決めとかないと、何しようかな・・・になると、慌てて余計な事をしたりして、へこみたくないからね・・・。

これもまた小さく徳風味を積む話でね・・・きっと俺はモザイクを積んでいるんだろうね・・・モザイクに関わる事なら、何でも積むってね。こうしていれば、何ポイントか?積んだ事になるだろうから・・・。目に見えない事を積むのは、平常心みたいな、毎日の繰り返しみたいな普通の時にね。

こんな日にやる事じゃないと思うのね・・・そんなこんなで戻って下地を作って、ん・・・気分転換も無く、かぐやが自宅に着いて連絡があって・・・気分転換にいつもより早めに帰ろうかな?・・・・って言うと、そうすれば・・・って言われたんで、そこから1時間粘ってから早目の帰宅。

そんな切り替えしか思い浮かばなかったのね・・・。


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かぐやが帰って・・・生活の立て直し

2018-04-23 07:51:25 | 休み?
今日は午後すぐにかぐやが帰る事になっていて、それまではアトリエで片付けをしたり、作品の写真を撮ったり、事務的な事だったり・・・そんな中、昨日の世田谷アートフリマで作った根付風味の小物の目地をして・・・完成。そんなこんなで送る時間になって・・・。

ただ、こんな早い時間に帰るのも珍しく、例えば夕方だったりするとアトリエに戻ってどうする?って事になり、数時間何かをすると、帰宅の時間になり、明日に・・・って切り替えられたりする。かと思えば、昔なら金魚屋さんに息抜き・・・なんて事もあったし、ちょっと前なら、新木場に銘木・・・

何て事もあったりした・・・けれど、金魚は場所の問題もあって辞めてしまったし、銘木はもう色々あるし・・・となると、行く場所も無く・・・こんなると逃げ道無しで、アトリエで作品作り・・・なんて事になり、いきなり日常に・・・って事になる。

そもそも良く若手芸人さんなんかが、営業はきつい・・・なんて言っているが、例えばその理由の1つとして考えられるのは、ライブなんて掲げられている場合は、ある程度来るお客さんが確保されていたり、その人を知らない人は少なかったりすればアウェイ感は少なくて済む。

けれど、知らない土地で、ゆかりの無い場合、新地を開拓みたいな話だと、誰かな?とか、何かつまんないね・・・とか、ダメージの大きい事もあったりする。勿論、開拓なのだから、ハイリスクハイリターンなんだけれどね。つまり俺の場合もほとんど同じで、招かれたようなイベントでは、宣伝されて

知られた上での参加となるけれど、エントリーみたいな場合は、開拓なのだから、それは簡単には行かないのね。まぁ、イベントの後って言うのは、良くも悪くも緊張感もあり、終われば疲労感も残るし、そんな中で非日常から日常に・・・って事になると、結構大変なのね。

これがかぐやの場合、家族がいるからお母さんに戻ると、夕飯を作らないとならなくなったりして・・・いきなり現実に戻らないとならないが、俺は特に変化が無いのね・・・こう言う事は物の取りようだったりして、戻せるって言うのは必然であり、戻される・・・では、戻れたとしても偶然的。

いずれにせよ、俺には強制的なものが無い分、自由でもあり、その分、その自由さが楽にもなるが、規制も自分でしないと、ただのルーズにもなる。
だからある意味、日常は繰り返しなんで、慣れてしまえば安定感も増すが、慣れてしまった分、飽きたりもする。

逆に非日常はいつもと違って慣れるには時間が掛かるし、緊張感も増すし、ただ新鮮なんで刺激的である。ただ日常から非日常になっても、結局日常に戻さないとならないので、そこが非常に大変なのね。それが子供なら夏休みの後の立て直しだったり、大人でも大型連休の後の仕事みたいな話。

それが人に見られる仕事ってのは、日々の練習を舞台で披露みたいな話になり、上手く行かなければストレスになり、上手く行けば報われるのかも知れないが、祭り事の後は孤独が待っている・・・って話。それが夕方から・・・ってのと、まだ明るいうちとでは、そんな違いがある・・・って説明。

そんな時間の長さをただアトリエで何かをする・・・って強制で戻したとしても、無理矢理になるからストレスが掛かる・・・それを何とか誤魔化すのが、ラジコってラジオのアプリ。それにはタイムフリーって機能があって、過去1週間の聞き流ししてしまった番組が聴ける・・・って凄技があって、

何とか気分を変える・・・って時に使い勝手が良いのね。そんな訳で何とか誤魔化し誤魔化しして・・・こんな感じ。


簡単なものでは無いから、少し本気にならないとならず・・・昨日のように話掛けられても大丈夫って感じからは少し離れる。当然、切っては置いて、置いては切って・・・の繰り返しでやっと入った・・・ってパーツの連続になると、時にはチェッって気持ちにもなる。

それをラジオで笑いを誘ってくれるような事を言ってくれると、気持ちも楽になったりして・・・これが落語のようにオチに行くまでの内容をしっかり聞いていないと、はぁ?って判らなくなるようなものを聞きながら・・・って時は、同じパーツの繰り返しなんかには良いし・・・。

それを音楽だったら、ノリなんてもんを利用すれば気分良く進めたり、バラードでじっくり・・・って言うのなら、そんなのも良いと思うのね。ただそれは日常なら良いけれど、非日常を味わった後では、乗れないし、じっくりバラードでは、うっかり感情移入なんかしてしまえば、悲しくなったり

・・・それでは逆効果。ある意味、馬鹿馬鹿しくくだらない位が良いのね。そんなものだと、全てが聞き流せるし、もっと言えば残らない。そうした中、このグレードで2つも出来ると結果も喜べるし、ちょっとだけ良い気持ちになったりもする。そんなわずかな満足感があると、ホッとする。

こんな気分には、落ち着くが欲しいのだから・・・だからホッとしたい訳で。それなら安心の簡単なものが良さそうだけれど、簡単過ぎては楽をするし、仕上がった結果も普通だったら、何でこんな事してんだろう・・・みたいな、そうね、俺は女の人じゃないけれど、マリッジブルーのような、

幸せなのに憂鬱みたいな感覚と似ていて、それは明日の未来よりも過去を振り返る気持ちが多くなってしまったのが理由の1つだと思うのね。その分量のバランスを崩してしまった・・・そうね、あっちを立てるとこっちが立たない・・・みたいなものにも似ているね。

それには振り切る為の明日が無いと中々抜け出す事は出来ないもので・・・。月並みだけれど、夢だの希望だのってね。所が歳を重ねると、そんなもんはいつしか持てなくなるもので・・・。じゃどうする?ってものが、歳を重ねないと判らない・・・それが生きがいなんてもんだったりする。

それは若い時には無理なのね。何せ若い時は勝ち負けの2つに1つの考えになりがちだし、共有する余裕すらも無い。ただこんな気持ちが、いつしか覚悟が出来たりすると、残酷だがどっちか寄りになって進もうとする。それは時として夢や希望のある奴は残酷だった話。

逆にそれと向き合っている側は、同じようなものがあればバランスが良いが、そこには大抵喪失感が生まれたりする。こんな事を昔、弟弟子が亡くなった時に教わった気がするのね。ただ、それは月並みだが、時間が解決した・・・って感じに思えるが、それだけじゃなくて、モザイクがあるから。

これでバランスの全てを取っているのね・・・生きる事の全てにして・・・つまり1つに絞っちゃった訳ね。所が1つに絞るとその代わりは無いし、そこに喜びも悲しみも共有しているから、一喜一憂ばかりしていると、気持ちが振り回される。ただ本気だからそう言う気持ちになる訳で・・・。

本気じゃ無ければ無くなっても平気になる。つまりその程度だったって事。厄介なのは人ってそう簡単には割り切れない訳で・・・。単に大人は経験値で折り合いの付け方が上手くなるだけ。でもその本気度が増せば増す程、折り合いが付けにくいもので・・・。

そうね、今は割と裕福な家庭が多いから、兄弟で奪い取るみたいな感覚よりも、譲り合うなんて事が多いだろうし、スポーツで本気に勝敗を決めるような場合以外、共有の仕方が若い頃から上手くなっただろうね。それを空気を読むなんて表現したりしてね・・・。

当然、かつてと違っているとしたら?良い事と悪い事は背中合わせなんで、それが良い事とするのなら、悪い事は良く聞く、キレる・・・なんて事だろうが、これも当たり前で、単に折り合いの付け方が上手くなっただけで、所詮我慢は限界がある。要するに日頃穏やかそうに見えたのは、バランスが

整っていたからであって、そのバランスが崩れてしまった時や、何かを失ったり、環境や状況が変わっても、自分を変えられないと窮屈になったりもする。簡単な話で全ては対応能力なんだろうね。こうした振り返りをして、そんな時に自分はどう立て直す?って考えて置けば、その重みに応じた、

自分へのケアが必要な訳で。その時に掲げる大義名分が俺の場合は、何があってもモザイク出来りゃ良いだろっ・・・なのね。そうすりゃ孤独にはならないし、夢にも繋がる、わずかながら応援してくれる人もいる・・・なら、前向かないと・・・ってね。

やらなきゃならない理由がある・・・ただ、非日常からの立て直しって言うのは、その分量に寄ってなんで、その分量を間違えると、服用した薬を間違えたくらいに自分に跳ね返って来るもので・・・。一応、戻っているとは思うが、決めるのは俺じゃなくて向き合った人である。

ただそこに不安がある状況では問題があるが、過信も卑下もいらないのね。日常なのだから。ただ単に元に戻っただけでは、成長が無いのね。そもそも先生だの、師匠なんて名乗るのなら、物事の後は、いくらかの成長は欲しいもので・・・今日よりも明日であって、同じままでは生きられない。

成長し階段を上がれば、当然責任を背負う。だから昨日のままでは背負えない。前を向くってのはこの繰り返し。

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確定申告の準備とみどりとカルビ

2018-02-19 08:15:14 | 休み?
今日は確定申告の準備だったけれど、午後から急きょみどり教室となったんで、それまでの間にやれるだけ・・・。そんな中、来たのは来たんだけれど、かぐやと話している話の大元はみどりなんで、今の状況を話して意見を貰おうとするが、左程進展無し。

そんな訳で、お教室と言うよりもそっちの話だらけだったので、ほとんど進んでおらず画像は無し。そんな所に仕事を終えたカルビがやって来て・・・。
まっ、そんなこんなで難しい話はそこまで。その後は、明日のデイ・サービスの支度。

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野暮用とその後は根付風味の小物

2018-01-29 23:22:38 | 休み?
今日は夕方まで野暮用があって、帰って来てからは根付風味の小物。世の中の便乗的なモチーフで、パンダなんてもんを初チャレンジ。それとモモンガ。色々とやって見ているのね・・・それと今まで作ったモノをかぐやに送ったんで、いよいよネットで販売準備完了。

何だかんだ60個位あったのね・・・興味があったら覗いて下さいませ。

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雪の影響で・・・

2018-01-24 00:48:21 | 休み?
今日は本来、棟梁とみどりの相席教室だったんだけれど、あいにくの雪・・・2人共に車だし、何かあったら大変って事で中止となる。となると、無理してアトリエに行く事も無くなって・・・それなら自宅で・・・とモンゴルの下絵。

かぐやと以前の振り返りをまずした訳なのね。そもそも、例えば以前はどんな形で作ったのだろうか?となると、言いたい事を文字を隠して見たりして、色合いもあくまで額縁と考えて、割と地味に抑えたりもしたのね。それがローマの時は、色合いは抑えたが、

金魚を入れたりして和も取り入れたりもしたのね。それは大きな違いはローマの場合、日本語が話せる先生がいたりして、こちらの意図も伝わりやすかったのね。だからチャレンジもしやすかったのね。ただ流石にモンゴルも3回目となるとね・・・。

そこで社長さんに相談したのね。1回目は何をやっても初めてなので新鮮。勿論、ここで気に入られなかったら2回目は無かったはずだから、1回目は問題無かったと思うのね。となると、同じ部屋内なら1回目を引き継ぐような雰囲気のまま、あまり変えずに行ったのね

・・・そんな事を踏まえての3回目は場所が変わって、大学から国立の美術館。ここが考え方1つで変わって来るのね。そもそも大学なら3回目となり、また同じデザイン・・・なんて感じにもなるかも知れないが、場所が変われば1回目・・・。

しかも感じが良かったから頼まれたとしたなら、何の問題も無いじゃない?・・・・ってのが1つの考え方。それを、そこにご参加される先生の側に立った場合、やはり3回目な意識があれば、1回目の良さよりも、また・・・って気持ちにもなるかも知れない。

要するに慣れって話。それと、人の感じ方。例えば大学と国立美術館。同じ感覚に思えるかな?ここは正直に答えれば国立と言われると、大学よりも上な場所にも思えたりする。そうね・・・あくまでイメージね。個人の見解で言うのなら、新宿コマなら、ジーパンで

大丈夫な気がするが、明治座だの、帝劇って言うと、スーツに革靴な気がするのね。方や学生、方や大人で更にハクがある。そんな感じにね・・・って事は、カジュアルとフォーマルって比較にすると、どっちよりになるか?みたいな話なのね。

それが複雑なのは、じゃ大学ではどんなの作った?って言うと、おふざけ無しの完全フォーマルを決め込んだのね。そうなると、更に国立だからフォーマルに・・・とするべきなのか?それともテレビ業界で良く使われる、新参者が爪痕を残す的な発想で言うのなら、

折角の国立・・・katsu色出せば・・・みたいな考えもある。ただ、あくまで額縁である・・・って事と、先生方がメイン・・・って事を考えると、控えめにして来た事は事実。そんな振り返りをしていると、かぐやが今回は色を使いたいですよねぇ・・・と言う。

確かにモザイクの醍醐味の1つとして色合いは大事だったりもする。だから、今回は俺もそうしたいと思っていたのね・・・。だからこそ、社長さんにこう言う事が考えられる中、どう考えますか?・・・って聞くと、遠慮無く・・・と言われたのね。

その時点で今までとは変えても良い・・・と言う事にしていたのね。じゃ何をどう変える?って言うのは色合い。じゃ大義名分として、何をどうする?って事にした時、好き勝手に・・・って訳には行かない。そこでモンゴルに関係するもので色が使える・・・

そんなモチーフ。そんな事を踏まえての落書き・・・こんなのが良くあるモンゴルに関係あるもの・・・これをどうやって組み合わせるか?・・・上手く行けば、かなり色が使えるようになるのね。果てさて・・・。

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みどりとかるびとびれっじさんに・・・

2018-01-03 09:18:50 | 休み?
今日は午後からみどりとかるびと一緒にびれっじさんにご挨拶・・・昔なら、初売りなんて事で金魚を買う楽しみもあったけれど、今は場所の事情もあって飼えないんで、ご挨拶のみ・・・。それとお正月だからって事もあって、今日は確認だけなんだけれど、

看板やら、飾って貰っている作品の補修もしたかったので、現状を知りたかったのもあったのね。そんな訳で数日後に出直して、今度は補修の為に伺う事になったのね。昔ならもっとマメに行ってたんだけれど、何しろ飼って無いし・・・ただそうなると、こんな機会

しか話す事が無くなってね・・・イベント会場でお会いしてもお互い忙しいしね・・・でも、金魚がらみのイベントは大抵びれっじさんの紹介なんで、そんな事もあってご挨拶だけでも・・・って事で。ちなみにみどりは買ってたけれど。

そんなこんな1日・・・また今年も何かさせて貰えるのかな?

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