katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

かぐやが帰ってリバティアートさんがやって来た・・・

2018-09-12 03:24:13 | 休み?
今日は・・・の前に、先日かぐやに今日あるチャンネルでタイルの特集がありますよ・・・のお知らせがあったので、見たのね。それはモロッコのタイルだったり、1cmタイルだったり、ドットのタイル画だったり、名前しか知らないが作家さんも出ていて・・・30分程度ではあったけれどね。

感想は人それぞれなんだろうが、こうして取り上げて貰うと、誰かが見ていて、興味を持ったり調べたりして、またそれぞれが発展的な気持ちになれば、流行りとまでは行かなくても、他の番組でも取り上げられたリすると、また見られて、また誰かが取り上げられたリ・・・の繰り返しになったりもする。

何しろ流行なんて一過性のものでも、それすら来ないよりもまず広まり、そこをいかにキープし継続に繋げ安定まで行くには、長い道のりになる。でもまずはそんな小さな事の繰り返しなのね。そんな繰り返しの中で、いかに見つかるか?となるのだけれど、仮に見つかったとしてもその先があったりする。

その先に残る人は飽きられないものがあるはずなのね。その時がピークでは伸びしろも無ければ、それを見られて器用な人に真似をされれば、いとも簡単に消える事になる。そうならない準備が常に出来ているか?を問われるもので、これだけ情報があるのだから、一見見つかる事も簡単そうだけれど、

逆に多過ぎて多様化すれば、昔のように巨人、大鵬、卵焼き・・・みたいな、どこの子供もみんな好きみたいな統一感には中々ならないから、分散するし、いずれにせよ、簡単では無いのだけれど・・・。ただ、何にしても誰かに興味を持たれるには、テレビは効果的である。

例えそれが自分で無くてもね。さてそんなこんなで、朝はそんな話題からで、あっという間にお昼になって、かぐやを送った後はホームズでデイ・サービスの下地彫り。すると、リバティーアートが夕方来る・・・って事になったのね。使えそうな木を持って来てくれるって話で・・・。

確かに物理的には物を貰うって話なんだけれど、精神的に言えば、貰って嬉しい気持ちと、今、何も返せないんだよなぁ・・・って気持ちが混ざったりして・・・そして決定的なのは、同じように何かを目指している・・・そんな人との話は、刺激にもなるし、へこむ事もあるのね・・・。

常に良い事と悪い事は背中合わせ。自分の気持ちがいつも通りなら、刺激として受け入れられるが、もし自分の気持ちが下がっていたとしたら?・・・それでは逆効果になる。例えば、口ではそう言っていたとしても、さっきの枕に使ったタイルのテレビの話も、嫉妬的な気持ちが大きかったとしたら?

それはマイナス要因になるし、かぐやが来る・・・なら、プラスになっても、帰った・・・では、気持ち的にはマイナスだったりするだろうし、それが日常、通常であれば、何も変わらずに単に刺激になるが、そんな中、1つ出張依頼の話が消えたのね・・・当然マイナス要素になる。

そんな気持ちである・・・って自分の心境を考えた上で会わないと、軽々しく夢だの希望だの生きがいなんてものを持った人と会うと、表現は悪いが毒なのね・・・つまり毒はワクチンにもなるし、毒は当然体に悪い。それは全て自分の体調や心持ちの問題なのね。相手では無いのね。

勿論、当然俺も毒な方向なんで、相手にもそう言う影響を及ぼす事にもなる。しかしながら、相手が来てくれる・・・って事なんで、量は判らないが、毒が欲しい・・・と思って来るのだから、投与の分量さえ間違わなければ、お互いワクチンとして刺激になるものなんだけれど・・・。

後は相手は生徒でも弟子でも無いから、質問が来てもさじ加減が難しいのね。何故なら習いたいって来る訳じゃないからね。でも、話の流れで質問が来るのね・・・例えば、仮に生徒さんだったら?質問に答える時に、そうね・・・比喩にテニスの玉出しみたいな感覚だと思って貰おうかな?

じゃこっちのコートに打ち返して下さいぃぃ・・・・って、練習をした時、もし初めてなら、オーバーしようが、ネットに引っ掛けて手前に落ちるよりも、こっちに打ち返すように・・・消極的に振らないで・・・とかみたいな最低限こっちへ・・・みたいな教え方になったりする。

それが慣れて来たりすると、今度はラインの中に入れる指示をして、ハードルを上げたりして、更に上手くなったらコースに打ち分けられるようにしたり、更に邪魔する為のボレー要員を使ったりして、更なるハードルを上げたりするだろうね。しかし、更に・・・となった時、一体何をする?

となった時、先日の大坂なおみさんでは無いが、実力があっても精神面って話のように、いくらテクニックを身に着けても、やるのは人・・・メンタルってものはテクニックだけでは乗り切れないのね。そうなると、師ってものが必要な場合がある。それが師弟関係だったりするのね。

ただ、生徒では無く弟子となると、良いですか?行きますよ・・・では無くなり、ほら立て立てぇぇ・・・になる。何故なら教えて会得して、最後にはライバルになる人達だから。当然厳しさが必要になる。生徒さんはあくまで趣味だったり、最高でも生甲斐くらいだから、苦労はそこまで。

しかしながら、弟子となると仕事をする前提だし、当然、今は俺の立ち位置程度では、それほどのプレッシャーは掛からなくても、いつかもっと上へ行きたい・・・と思っている俺の弟子では、当然その時に、その位置のままでは見劣りする訳で。当然、責任や重みって言う事も感じるだろうね。

こんな違いがあるとして、そこに男の人で更に目線としては同じような人がやって来るとなると、質問に答える場合、弟子でも生徒でも無い人への返答は一体どの程度の返しが必要なんだろうか?になる。しかも、もし本気で質問して来た場合、相手の球が早ければ早い程、リターンする球は、早さが

増す訳で・・・相手が素直であればあるほど、自分の打っている打球の強さに気が付いていないと、かなり本気な質問がやって来る訳で。しかも、流石に夢を持っているような打球は、こっちも必死に打ち返すだけなんて事にもなり兼ねないし、勿論相手が前回よりも弱っていたのなら?打球は弱いし

・・・逆に調子が良かったら、前回よりも早い打球や重い打球を打ってくるはずなのね。たった1.2回しか話していない人なんて読み切る事は難しいのね。ただ、先生をやっているのだから、質問に答えた時に相手が納得したり、せめて何かヒントやきっかけになるような返しが必要だろうし・・・

きっとそのやり取りでまた何か新しい事を気持ちとして得た時に、日々の行動を変えてくれるだろうし、それによって俺との付き合い方が、また1つ進歩や進化して行くと思うのね。しかし、本来ならその関係を作る為に信頼やら信用なんて時間の掛かるものなんだけれど・・・。

そこは同じ野望を持っている者同士・・・しかもお互いに一緒に何かをしたいと思っているのだから、本音で向き合っても悪意が無いし、刀で切り掛かって来る訳じゃない。恐らく木刀のようなもので、当たれば痛い位で済む。その向き合い方だけでも精神面を鍛えられる。

前回、会った時から今日まで一体何をしていたか?・・・何もしていなければ不甲斐なく感じるだろうし、やっていたとしてももどかしいかも知れない。勿論、まずまずかも知れないし、最高にやったって言うなら、聞かずとも風の噂くらいには聴こえてくるだろうし・・・。

いずれにせよ、色んな事を踏まえた上で、刺激として受け止められた気がするから、意外と俺はまともだったと思われる・・・のね。あはははは。




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