笠谷幸生が亡くなりました。1972年札幌冬季五輪で「日の丸飛行隊」のエースとして70m級ジャンプで金メダル。一躍日本中が知る有名人になりました。当時の小学生男子はみんなベルトを後ろから友達に持ってもらって笠谷の飛行姿勢の真似をしたものです。あの頃の笠谷は今の大谷翔平並みのスーパースターでした。また笠谷の活躍があったから、その後の日本のスキージャンプがお家芸に成長したわけで、八木弘和、原田雅彦、船木和喜、葛西紀明、小林陵侑、高梨沙羅らがメダリストになったのも全て笠谷がいたからこそと言っていいでしょう。
札幌冬季五輪はこれまでの多くのオリンピックの中でも個人的にはかなり思い出深い大会です。小学校5年生の冬で、初めてたっぷりとテレビで観戦したオリンピックでした。もちろん授業中に行われていた競技も多かったのですが、当時の小学校では日本選手が活躍しそうな競技が行われる時には授業中でも教室のテレビで見せてくれました。冬季五輪自体が物珍しく、バイアスロンとかボブスレーとかリュージュとか初めてその存在を知りましたし、ジャンプやアルペンの中継だって多分ほぼ初めて見たのではないかと思います。
何と言ってもスターは女子フィギュアスケートのジャネット・リンで「尻もちついたのに銅メダル」というエピソードも日本中が知っていました。またトワ・エ・モワが歌うテーマソング『虹と雪のバラード』は授業でも教えられたくらい誰もが知っている名曲でした。1964年の東京五輪から70年大阪万博を経て、72年札幌五輪までの9年間は日本国民が一番幸せで未来にまっすぐに夢を抱いていた時代だったのではないかと思います。笠谷幸生はその幸せの時代のシンボルの一人でした。ご冥福をお祈りいたします。