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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Clarence Irving Lewis, "Mind And The World Order: Outline Of A Theory Of Knowledge "

2016年07月20日 | 抜き書き
 The rationalist prejudice of an absolute human reason, universal to all men and to all time, has created an artificially exalted and impossible conception of the categories as fixed and unalterable modes of mind. ('The Nature Of The A Priori', p. 233)

 The assumption that our categories are fixed for all time by an original human endowment, is a superstition comparable to the belief of primitive peoples that general features of their life and culture are immemorial and of supernatural origin.
 ('The Nature Of The A Priori', p. 234)

(NY: Dover Publications, January, 1991. Originally in 1929 https://archive.org/details/MindAndTheWorldOrderOutlineOfATheoryOfKnowledgeClarenceIrvingLewis)

赤松紀彦/小松謙/山崎福之編 『能楽と崑曲』

2016年07月18日 | 抜き書き
 出版社による紹介

 小松謙「能楽と崑曲は似ているのか?」より。

 つまり、能楽と崑曲が似ているのは、舞台や上演形式の条件が似通っていることが大きな原因となっているのです。〔略〕同じような上演方法をとる演劇は、同じような性格を持ちやすいのです。
 (本書96頁)

 おそらく、能楽は別に中国演劇の直接的な影響を受けて生まれたものではないでしょう。 (同上)

(汲古書院 2009年9月)

聶莉莉 『「知識分子」の思想的転換 建国初期の潘光旦、費孝通とその周囲』 

2016年07月18日 | 地域研究
 出版社による紹介

 本書は、できるだけ価値判断を避けて、むしろダイナミックな歴史的現場の状況に近づくことに力を入れ、様々な要素が複雑に絡み合っていた『事実』から、知識分子の集団的思想転換に至る文脈を探求したい。この作業は、その時代の政治的仕組みを把握することに帰結する。
 (「第一章 2 研究の視点」)

 「いつ」「だれが」「何を」「いかに」の究明に徹し、「なぜ」については触れない、論じないということ。

(風響社 2015年12月)

バルトリハリ著 赤松明彦訳注 『古典インドの言語哲学』 全2巻

2016年07月17日 | 抜き書き
 下巻、訳者による「解説」から。

 〈単語〉はまた、意味の上から、三種類に区別される。〈実体〉(dravya あるいは sattva)を表示するもの(dravyavacana)、〈属性〉(guna)を表示するもの(gunavacana)、〈行為〉(krivyā あるいは bhāva)を表示するもの(krivyāpada)の三つである。
 〈実体〉(dravya あるいは sattva)とは、個物あるいは、〈属性〉の基体である。〈実体〉は、「これ」とか「それ」といった代名詞によって意味されるというが、バルトリハリの主張である。〈属性〉(guna)とは、基体によって保持されるものであり、同じ種に属する基体の区別はこの〈属性〉によってなされる。〔中略〕
 〈行為〉を評自慰する単語(krivyāpada)とは、もちろん動詞のことである。ただし厳密に言えば、〈行為〉は動詞語根は表示する意味である。
 (202頁)

 西洋においては、固有名の問題は、モノの側の分節を前提として、それに対応する名称という枠組みの中で常に考えられてきたと言ってよいだろう。これに対して、インドでは、そしてハルトリハリにおいては、常にはじめに言葉があったのである。世界の分節は言葉によってなされるのである。固有名もまた世界に限定を加えるという機能をもつ〔後略〕。 (217頁)

 言葉として考えられているのは、世界分節化の「意味(作用)」を担った日常的な言語そのものではない。ここに言われる言語は、そのような世界を背後から根源的に支え、真理全体をそのうちに含む、それゆえ『真理』そのものとしての「言葉」である。すなわち、ブラフマンとしての言葉なのである。ブラフマンは超越的な最高実在であると同時に絶対的な「言葉」そのものである。
 (220-221頁)

(平凡社 1998年7月・8月)

柴垣和三郎訳 『数学における発見はいかになされるか 第1巻 帰納と類比』

2016年07月17日 | 自然科学
 ポーヤ・ジェルジ著。

 一般化と特殊化の概念にはあいまいな,あるいは不審な点は少しもない.ところが類比のことを論じ始めるときは,あまりしっかりとしていない地盤の上に足を踏み入れるのである.
 類比〔引用者注。analogy〕は一種の相似である.つまり比較的一定なかつ比較的概念的な水準の上での相似である,といえばいえるだろう。〔略〕もし,あなたがその一致する面をはっきりとした概念にまで縮約しようと思うなら,あなたはそれらの相似なものを類比であるとみなすわけですね.
 (「Ⅱ章 一般化,特殊化,類比 4 類比」本書13頁)

 うら若い婦人を花にたとえるとき,詩人は何か相似を感ずるのでしょうね.がふつうは類比は予期しないのです.事実,彼らは,情緒的水準をはなれたり,その比較を何か測定可能なものあるいは概念的に限定できるものに縮約しようとすることは,ほとんどないのです. (同上、13-14頁)

 ここからわかるように、著者は“相似”という語を、数学(におけるそれのような、厳密な定義をもった言葉として使っているわけではない。「お互いに似ていること」という程の、ごく一般的な意味において使用している。

 二つの系は,もしそれらがそれぞれの部分の明白に定義できる諸関係において一致するならば,類比である.  (同上、14頁)

 要するに、詩人の婦人=花のたとえが直観によるように、類比のもとになる相似は、「証明的ではない」(注)。
 
 。本書同章「7 類比と帰納」における、ジャック・ベルヌイの発見にたいするオイラーの信頼の論拠についての形容。23頁。

(丸善 1959年1月)

久保田哲 『元老院の研究』

2016年07月17日 | 日本史
 自由民権運動が「世論」を背景にしたのに対し、元老院(明治8・1875年-明治23・1890年)は「輿論」を体現せんとしたという著者の見取り図。そして「世論」は「民情」(民衆感情)、「輿論」は公論であるという注釈(「第四章 明治十年代前半の元老院 二 明治十三年の元老院」本書104頁)。「民情」とはそれまでの文化や習慣に基づく心性である。それは個人、それまでの伝統的な社会、そして藩の存在に基づく心性である。それに対して「公論」(また「公議」)とは“(近代)国家”を前提とした思考であるらしい。

(慶應義塾大学出版会 2014年10月)

平野直子 「【SYNODOS】現代『保守』言説における救済の物語」

2016年07月17日 | 社会科学
 http://synodos.jp/society/17157

 私には、ある種の日本人における合理主義的・近代的もしくは科学的な思考の退潮を表現しているように見受けられる。観察―仮説―検証の三段階のうち、最後の検証の部分が閑却されつつあるような。あるいは仮説の部分にしても、それを導く推論が、帰納・演繹ではなくもっぱらアブダクションのみに依るようになりつつあるかのような。

『説文解字』の「从」の字の訓読について

2016年07月17日 | 思考の断片
 同書の「説解」にある「从(従)」という語を、普通は「従う」と依順の意味に取る。だがこれを「従(よ)りす」と由来を示す用法と見て、そう読んだらいけないのだろうか。例えば「照」という字を、許慎は「从火昭聲」と解釈するが、これを、「火よりす。昭の聲なり」と訓じるのはだ。

内藤湖南 『爾雅の新研究』

2016年07月17日 | 抜き書き
 テキストは『青空文庫』から。

 最後に問題となるのは釋獸釋畜の二篇であつて、其の成立に就いては疑問がある。元來釋獸の中には既に釋畜に屬すべきものを含んでゐる。即ち豕子豬より牝※[#「豕+巴」、34-17]に至る部分の如きはそれである。然るに釋獸の後に釋畜一篇があつて、特別に六畜に關することなどを釋してゐるのは、或は此の二篇が二度に時代を異にして出來たのではないかと考へられる。郝懿行も其の豕が六畜の一で、釋獸の中に在るのは誤つて置かれたものとしてあるが、寧ろ二度に出來た爲と看る方がよいと思ふ。或は釋草より釋獸に至る各篇は元來詩其他の古書の解釋として先づ出來てゐたのに對し、釋畜だけが後から附益せられたものと疑ふことも出來るのである。

渡邉義浩 『三國志よりみた邪馬臺国 国際関係と文化を中心として」

2016年07月17日 | 東洋史
 出版社による紹介

 陳寿が、東夷傳最大の字数を費やして倭國の条を執筆した理由は、景初年間に公孫淵を『誅』滅し、その結果として『東夷』を『屈服』させた司馬懿の功績を称揚するためなのである。 (「第一篇第六章 国際関係よりみた倭人伝」157頁)

 その根拠は、同じ頁に挙げられる『三国志』「東夷伝」の序部分のなかで、著者による下線の引かれた部分である。

  而公孫淵仍父祖三世有遼東,天子爲其絕域,委以海外之事,遂隔斷東夷,不得通於諸夏。景初中,大興師旅,誅淵,又潛軍浮海,收樂浪、帶方之郡,而後海表謐然,東夷屈服 (引用は書き下し文)

 この二つの短い下線部から、どうしてそのような結論を導きだすことができるのか、私にはよくわからない。

(汲古書院 2016年4月)