goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ウィリアム・V・バンガート著 上智大学中世思想研究所監修 『イエズス会の歴史』

2014年01月08日 | 西洋史
 追補部分執筆者:クラウス・シャッツ
 翻訳担当者:岡安喜代、村井則夫(追補部分翻訳)

 極東部分しか見なかったが、自身の活動が、中国や日本の歴史や思想にどのような影響を与えたかという視点は、“イエズス会の歴史”という主題上、全くなかった。西洋技術や科学の紹介は、あくまで布教のための道具にすぎなかったという認識である。それが現地においていかにして受け入れられたか、あるいは受け入れられなかったかに、筆者の関心はない。

(原書房 2004年12月)

宮崎市定 「明夷待訪録當作集」 正続

2014年01月08日 | 東洋史
 『東洋史研究』24-2、1965年9月、211-214頁同25-2、1966年9月、216-222頁

 以上、我がブログの過去エントリー「宮崎市定 『公孫龍子の研究』」より続きのメモ。
 著者の正続全篇の前置きとして曰く、黄宗羲の『明夷待訪録』は、版本の多い中国の物の通例として諸版の間、もしくは同一の版本の中でさえすら誤字が多く、勢い「どうしても分からぬ時は、こうなくてはならぬと見当をつけ」なければならなくなる。そして著者はそれこそが「本当の本の読み方」でもあると続けて、「あらゆる科学のあらゆる分野において、仮説を設定することが、その最初の着手であると同時に、その最後の結論でもある」のだから、大いにその仮説を立てるべしと主張する。
 宮崎氏はただにかく主張されるのみならず、著者はそれを自身実行して、おのれが論理的におかしいとみなした文字を誤字と断定し、それを同著の別の部分――これも著者が同じく同じ文脈と断じた箇所にある同様の文字――を以て填めるという作業を繰り返えしてゆく。
 仮説を立てることこそ科学であるという氏の主張に異論はない。しかしである。氏は、同様の方法を、著者は「公孫龍子の研究」においても使っておられるのだが、この場合であれその場合であれ、仮説を立てるのも、原著を理解しようとするのも、すべて著者の「理性」もしくは「論理」である。それが黄宗羲の、また公孫龍のそれらと同じという保証は何処にあるのだろうか? 

宮崎市定 『史記を語る』

2014年01月06日 | 東洋史
 何度目かの通読。
 『史記』で司馬遷は儒教の経典『春秋』、就中公羊伝の解釈に近い立場を取っていることは解った。それで素王である孔子を庶民の列伝ではなく封建諸侯の世家に入れたことも了解した。だが彼が「善いことを褒め、悪いことを貶める」春秋学の原則に沿って筆を執るとき、具体的な基準は何であったか。呉王ひ(さんずいに鼻)の伝記を世家ではなく列伝に下したこと、韓信を「淮陰侯列伝」としてやはり列伝に落としたことは、たんに皇帝に向かって謀叛を企てたからか。周辺民族を、そのありようについて実質を見ず、世家に入れずに列伝に加えたのは夷狄であるからか。

 司馬遷は儒家の立場から、総ての価値の基準を、中国の伝統的な帝王政治に置くので、外部に独立している民族集団は、たとえその君王であっても、これを庶民以上の価値はもたないものとして、列伝の中に記述するに止めるのである。 (「Ⅱ 正史の祖」本書31頁)

 本当にこれだけなのだろうか?

(岩波書店 1979年5月)

ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳 『ギリシア哲学者列伝』

2014年01月06日 | 伝記
 上巻。ソクラテスはさておき、プラトンの哲学と言説に関する説明がどうも変に思える。ウィキペディア同項によれば、内容的にかなり怪しいらしい。各章の構成も筆致も相当雑で、概して読み物の類いかという感想。言行・逸話集としてなら『世説新語』のほうが編纂上の注意も行き届いていて、内容文章ともによくできているし面白い。
 中巻。ゼノンの章はおもしろかった。こちらが無知で、初めて聞く、そして真贋の区別もつかぬ話が、多かったからかもしれないが。
 下巻。ピロラオスが地動説を唱えた事。ただ彼がどうしてその逆転の発想を思いついたのかは書かれていない。レウキッポスが原子論を最初に唱えた事。これも同様。最終第10巻はエピクロス一人で、1章の分量も多い。第3巻をやはり一人で占めるプラトンと並んで、彼がなぜいわば優遇されているのかは、分からない。

(岩波書店 1984年10月/1989年9月/1994年7月)

岡白駒 「蔵志序」

2014年01月06日 | 自然科学
 (テキストは早稲田大学蔵書
 
 山脇東洋『蔵志』に岡が寄せた序文。
 「凡そ技は術有りて後ち道有り。道は以て術を行う所也」と、通念と逆のことが書いてあって面白い。現実に存在する技術を駆使する為に思想が形作られるという視点は珍しく、興味深い。
 「聖人が天下を治むるも亦た唯だ之の如くす。故に詩書礼楽は古は之を四術と謂えり」と言う岡は、続けて、「宋儒は術の字を諱んで専ら道理を主とせり。道は何を主と為すかを知らず」、であるのにその空論を天地自然の原理だと偉ぶってこの世の全てに適用させようとしたものだから、例えば医の世界では死ななくてもよい病人が死ぬことになったと、散々にこきおろしている。

『岩波講座東洋思想』 7 「インド思想 3」

2014年01月05日 | 東洋史
 インド思想、とりわけヒンドゥー教における時間の観念は、「世界は『無始以来』生成と破滅を繰り返し、かつそのあいだに、我々生きとし生けるものは、きわめて短い周期で輪廻転生を行なうということになっている」。これは、言葉を変えていえば「非特異性、非一回性の時間論となっており」、「キリスト教の、とくにアウグスティヌスの展開した、特異的、一回性の直線的時間論と大きな対照をなすものとなっている」(以上、宮本啓一「4-5 時間・空間・因果性 一 時間 1 宇宙論的時間」本書135頁から)。
 
 この観点に立ったとき、輪廻転生の原理となっている善悪の因果応報の原理が鉄則であるとともに、こうした長い時間のスパンのなかにおいては、善悪が泡沫のごときものであるという考えも生じてくる理屈になる。 (同、135-136頁)

 時間がめぐるものなのであれば、前回の因が今回の果となると同時に、今回の果は次回の因となるのであろうか?

 「時間」と訳されうる代表的なサンスクリット語としては、カーラ(kāla)が挙げられる。〔略〕カーラなる時間について定式的な発言をしているのは、ヴァイシェーシカ学派、ニヤーヤ学派である。この両学派によれば、時間というものは、ものごとの生起の先後(ないし人の長幼)、同時、異時、経過の長々しさ、速やかさなどについての観念の根拠となるものであり、地、水、火、風、虚空、方位(空間)、アートマン(ātman 自我)、意(思考器官)と並ぶ実体(dravya)の一つである。単一にして極大であるが、たとえば太陽の移動などの運動によって局限されて、個々の細かな時間として現れて見えるのであるとされる。そして、時間は、それを成立せしめるいかなる原因も持たないものであるから、常住であり、無始無終(始めもなく、終わりもない)である。
 (「2 時間論」136-137頁)

 ?

 また、時間は極大であるから、一切のものごとの基体であるといえる。初期のころには、単純に、両者の関係は結合関係〔略〕であるとされていたが、後世には、時間的限定性関係〔略〕という、きわめて特殊な関係であると考えられるようになった。 (同、137頁)

 よくわからない。

(岩波書店 1989年8月第1次発行 1991年11月第2次発行)

Durham, G. Homer "Introductory Readings in Political Science"

2014年01月02日 | 社会科学
 著者のG. Homer Durhamという人についてはWikipediaに項があるが、政治学の博士号を持っていることと、著書の名前以外、学風や学説については何も言及がない。
 この著書はそのリストにも入っていないものである。内容は、しごく普通の、政治学を学ぼうとする徒むけの、入門書であり、ソクラテス、プラトンからロック、ミル、モンテスキュー、そして米国独立宣言といった定番の基本文献や古典からのさわりの部分が並んで収められている。
 ただ、ウッドロー・ウィルソンの著書"The State: Elements of Historical and Practical Politics"が一章を立てて紹介されていることが目を引く。国際連盟・連合関連(核問題含む)の資料も収録されている。

(Bookcraft, Salt Lake City, 1948)

B.L.ウォーフ著 池上嘉彦訳 『言語・思考・現実』

2014年01月01日 | 人文科学
 これも、前項と同じく過去の書評の再掲(2002年9月4日欄)。目的も同じ。

>引用開始

 人間は言語によって現実の世界を分節し言語によって経験をまとめる、したがって言語が違えば認識・思考・世界像も違うというのが言語的相対論である。ベンジャミン・リー・ウォーフ(1897-1941)はこのもっとも尖鋭な主張者であった。
 彼は、当時の言語学において暗黙の前提であったところの、西欧語を基準にした他言語の分析と評価を、真っ向から否定した。彼は、言語学の背景にある西洋的思考やその基礎にある文化は、単なる一価値体系にすぎず、なんら全人類に共通する価値ではないとしたのである。
 その証拠としてウォーフはポーピ語を挙げる。このネイティブ・アメリカンの言語においては「時間とか速度とか質料といった西欧社会で行われる様々の一般概念が、整然とした宇宙像を構成するのに何ら必要欠くべからざるものとされていない」(160頁)。
 “われわれはflash(きらめく)という動作が行われる場合もit(それ)とかlight(光)という動作主を立て、it flashed(きらめいた)とか a light flashed(光がきらめいた)と言わなくてはならない。しかし、きらめくことと光は同一のものである。ポーピ語ではきらめきはrehpi(きらめく、きらめきが起る)という単一の動詞で伝えられる” (185頁)
 “現代の科学は西欧の印欧語を強く反映しているが故に、われわれ自身が現によくやっている通り、状態と認める方がふさわしいと思われるような場合にも動作や力を認めるということをする” (185頁)
 “西欧文明は言語を通じて現実の予備的な分析を行ない、それを正そうとすることもなく、最終的なものであるかのごとくその分析に執着するのである” (186頁)
 ウォーフの主張を、当時の西欧中心主義的風潮への警鐘という目的で誇張されたものだとする意見がある。あるいは師のサピアならばそうかもしれないが、このような意見はまさに、西欧文明と価値に染まった人間が、「現実の予備的な分析を行ない、それを正そうとすることもなく、最終的なものであるかのごとくその分析に執着する」態度の現れでは無かろうか。
 ウォーフはそんな所に留まっていない。極北の地にまで達してしまっている。
 “印欧語やその他の多くの言語では、二つの部分から成り立つ文型にきわめて目立った地位が与えられている。この二つの部分はそれぞれ名詞と動詞という違った部類に基づいて構築され、それらの言語ではそれぞれに違った文法的な扱い方を受ける。(略)この区別は自然から由来するものではない。それはすべての言語は何らかの種類の構造を持たなくてはならないという事実から生じた結果であるに過ぎず、これらの言語ではたまたまこの種の構造を旨く利用するようになったということなのである。ギリシャ人、とりわけアリストテレスは、この対立を構成化し、理性の法則ということにしたのである。その時以来、この対立は、論理学では、主語と述語、行為者と行為、ものとものとの間の関係、対象とその属性、量、作用、といったさまざまな形で述べられてきた。そしてさらに文法に則って、これらの部類のもののうちの一つはそれだけで存在しうるが、動詞という部類は他の部類、すなわち「もの」の部類に属するものをひっかかりとしないと存在できないという考えが定着するようになった” (181頁)
  ウォーフは、西欧言語の世界像のもとである「ユークリッド的」もしくは「ニュートン的」空間認識は普遍性をもつものではないとした(138頁および142頁の注12)。さらに、“機械主義的な考え方(注・西欧の論理のこと)は、「平均人民」が日常西欧の言語を使う際に自然と使われる統語論の一つのタイプに過ぎず、それがアリストテレスと中世および現代における彼の信奉者によって固定化され強化されたものにほかならない”(174頁)と断定するのである。
 これはつまり、帰納と演繹は全人類に普遍的な思考形式ではないといっているに等しい。

>引用終わり

 基本的に、チョムスキーの意見と対立するところの、言語的相対論。

(講談社 1993年4月)