書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Michael Khodarkovsky 『Where Two Worlds Met: The Russian State And the Kalmyk Nomads, 1600-1771』

2013年04月10日 | 東洋史
 カルムイク人(オイラット人トルグート部その他)がヴォルガ河畔から新疆(ジュンガリア)へ戻ったのは故郷に帰るためであって清に帰順するためではない。もちろん彼らは、そのことが清の支配下にはいることとは承知していたが、それは故郷にもどるうえで受け入れなければならない結果である。まして乾隆帝が勘違いして碑まで立てて嘉したように、あるいは現在の中華人民共和国が現在の状況をそのまま当時の世界に投影して言うように「故国(清あるいは現在の中国)へ回帰する」ためなどではない。彼らの故国はジューンガル帝国であったのだから。だから帰還を指揮したウバシ・ハーンは中華民族の英雄などではない。カルムイク人自身の英雄である。(いま調べてみると、さすがに『维基百科』「渥巴锡」項は「先祖代々の故郷に帰った」と書いてある。)
 と言うことがよく分かる内容。index、bibliographyともに使える。

(Cornell Univ Pr; New版 2006, originally published in 1992)。