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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

佐口透 『新疆ムスリム研究』

2009年12月19日 | 東洋史
 現在は刀郎人と漢字で表記されるドーラーン人は、厳密にはウイグル族ではないらしい(「V タリムの水辺ムスリム 1 ドーラーン人の歴史と民族誌」)。彼らは半遊牧のイスラム教徒で、オアシス都市に定住するイスラム教徒(サルト)が現在ウイグル人と呼ばれる人びとだから、当然違うであろう。また彼らは、以前(たとえば清朝時代)は、風習や言語の違いによって一般のサルトからは差別される存在であった。この点、エイヌと同じ。
 また清代のロプノール湖沿岸には漁労を主たる生業とするロプ人がいた(V タリムの水辺ムスリム 2 ロプ人の歴史と民族誌」)。現在の彼らについては言及がないからわからない。

(吉川弘文館 1995年2月)

孔健 『日本人は永遠に中国人を理解できない』

2009年12月19日 | 人文科学
 中国人はものごとを、ゆっくり長期的に考えるのが好きだ。日本人は明日のことしか考えないが、中国人は十年先、百年先を考えたがる。 (「第四章 日本人が中国ビジネスで成功する秘訣」 本書171頁)

 中国人のなかには「ものごとを、ゆっくり長期的に考えるのが好き」な人間の割合は日本人より高いかもしれない。反対に日本人は中国人よりも「明日のことしか考えない」人間の割合が高く、また、中国人には「十年先、百年先を考えたがる」人の割合は日本人よりも高いかもしれない。これをこんなふうに、中国人ひとりひとりがこう、日本人ひとりひとりはこう、と決めつけてしまうと、論理の飛躍になる。

 中国人はプライドが高い。中国人は一度喧嘩したり侮辱されたら、その相手とは二度と話をしないし、十年は口をきかない。絶対に忘れないし相手を許しはしない。 (「第六章 日本人は、つきあいが気の毒なくらい下手」 本書241頁)

 じゃあ私は中国人なのかな? これにそうとう近いぞ。
 冗談はさておいて、

 山東省出身者は実直でまじめである。絶対に裏切らない。(「第五章 これからの中国は危ないのか?」 本書219頁)

 も、そうである。「上海人は計算高い」の十把一絡げとおなじ類で、「日本人が中国ビジネスで成功する秘訣」だの「日本人は、つきあいが気の毒なくらい下手」だの「これからの中国は危ないのか?(=もちろん危なくない)」だのといった、御叱正鞭撻御教示はありがたくいただくとして、その処方箋としてこんなステレオタイプを渡されて現地へ後生大事に持って行ったら、中国でのビジネス成功など到底おぼつかないだろうに。

(講談社+α文庫版 1999年1月)

「中国交渉団のトップ『ダライ・ラマは嘘をついている』と非難」 から

2009年12月16日 | 抜き書き
▲「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」2009年12月8日、「新華網」、翻訳者:鈴木智子。 (部分)
 〈http://www.tibethouse.jp/news_release/2009/091208_china.html

 中国共産党中央委員会統一戦線工作部(UFWD)の朱維群副部長は、グローバル・タイムズ紙の独占インタビューに応じ、ダライ・ラマ法王が先頃、「中国は私がチベットの独立を志向していないことを承知している」と述べた言葉を否定した。
 朱は七日月曜日、記者にこう語った。「ダライ・ラマはまたしても嘘をついた。私はダライ・ラマ特使との交渉において政府を代表する立場にある。私を含め中国側交渉チームの誰も、ダライ・ラマが独立運動を放棄した、などとは考えていない。」

 馬鹿で無礼なメッセンジャーボーイの勝手思案なんか聞いてない。責任者を出せ。

ウィンストン・チャーチル著 毎日新聞社編訳 『第二次大戦回顧録 抄』

2009年12月16日 | 世界史
 私は、もし日本軍に対して「無条件降伏」を押しつけるならば、アメリカ国民やイギリス国民の生命を、大いに犠牲にしなければならないということを告げた。なんとか将来の平和と安全のために必要な条件を認めさせ、その上でその他の必要な要求を認めさせて、日本軍の名誉を生かしてやることと、日本民族の生きる道を与えてやることを考えるべきだと、私は思った。これに対してトルーマン大統領は、真珠湾を奇襲攻撃した日本軍に、軍事的名誉などというものは、全くないと、そっけなく答えた。 (「一九 日本、敗戦へ」 本書281頁)

 しかしチャーチルも、原爆は日本上陸作戦を行った際に失われたであろう「百万のアメリカ人とその半数のイギリス人」そして「敵と味方」の生命を救うことになったと、その使用自体は肯定している。
 マーガレット・サッチャーもたしか、自身の回顧録で第二次世界大戦中の原爆使用について、これとほとんど同じ論理を展開していた。ただサッチャーには、チャーチルのような、相手をよき敗者にしてやる、そして同時にそれによっておのれにとって将来の禍根をも同時に取り除くといった、重層的な思考は見られない。

 一、二回のすさまじい爆発のうちに、全戦争が終わりを告げる光景が浮かんできた。この時私が瞬間思いめぐらしたことは、私が常々その勇気を感嘆している日本人たちに、この恐るべき新兵器が現われた時、どうして日本人の名誉を救う口実を見つけ出し、またむだに生命を捨てることから、救ってやろうかということだった。 (「一九 日本、敗戦へ」 本書280頁)

 だがチャーチルは、これと同時に、日本は、原爆を使用せずとも、遅かれ早かれ戦争継続は不可能になっていただろうとも記している。

 日本の敗北は、すでに原爆投下以前に定まっていたのである。日本に対する破壊的攻撃は、空と海からつづけられ、分散して内海に難を避けていた日本艦隊の残存艦船は、一隻一隻がねらわれ、七月末には日本海軍は事実上存在しなかった。 (「一九 日本、敗戦へ」 本書283頁)

 こうしてくると、以下のくだりは予想される後世の指弾に備えての巧妙な予防線張り、老獪なアリバイづくりとして聞こえてくる。

 この原子爆弾という兵器を使うことに、イギリスが賛成したのは、まだ実験が行われていない七月四日だった。最後的決定権は、トルーマン大統領にあった。 (「一九 日本、敗戦へ」 本書280頁)

(毎日新聞社 1965年 中央公論新社 2001年7月)

シュテファン・ツヴァイク著 原田義人訳 『昨日の世界』 全2巻

2009年12月16日 | 文学
 第二次世界大戦の最中、1941年に、ツヴァイクが追憶し描き出す1910年代の世界――主としてヨーロッパ世界だが――は、興味深い。戦争(第一次世界大戦)が始まると諸国民は愛国心に燃えあがり、「敵を殺せ」と熱狂的に叫んだ。敵を殺すのが憚るところのない正義であり、愛国心の精華だった。しかしその一方で、詩人の一片の詩、作家の一遍の文章が、国境や文化を超えて人びとの心を揺り動かした、そんな時代だったという。

 あの頃には言葉はまだ力を持っていた。まだ言葉は、「宣伝」という組織化された虚偽によって、死滅するほど酷使されてはいなかった。人々はまだ書かれた言葉を聞き、それを待っていた。〔・・・〕道徳的な世界良心は、まだ今日のように困憊し尽くし灰汁(あく)を抜かれてはいなかった。その良心はあらゆる明白な虚偽に対して、また国際法や人道の侵害に対して、数百年来の確信の全力を挙げて烈しく反応したのであった。〔・・・〕一人の偉大な詩人の自発的な宣言〔ロマン・ロランの『戦いを超えて』〕は、政治家たちのあらゆる公式の演説よりも千倍も多くの効果を及ぼした。 (下巻、358-160頁)

(みすず書房 1973年6月第1刷 1979年9月第3刷)

「【社説】親日派リストの扱いに見る現政権の韓国観 (下)」 から 

2009年12月16日 | 抜き書き
▲「Chosun Online 朝鮮日報日本語版」2009/12/16 07:57:11。 (部分)
 〈http://www.chosunonline.com/news/20091216000008

 真相究明委〔親日反民族行為真相究明委員会〕は発足以来、金日成(キム・イルソン)一派の武装闘争論を正統と見なし、それ以外の独立運動に対してはあからさまに異端視しただけでなく、親日という物差しで残酷に処断した。

 やはり左派の隠れ蓑でした。日本のかつての左翼とおなじく、同胞の愛国心を破壊し、国家の凝集力を弱くして、外国からの侵略を容易にするための、自国の歴史の暗黒化と文化伝統の破壊であろう。

『東トルキスタン共和国憲法』を読む

2009年12月15日 | 政治
「東トルキスタン共和国亡命政府」ウェブサイト〈http://uy.eastturkistan-gov.org/〉掲載。

英語版名「THE CONSTITUTION OF EASTERN TURKISTAN GOVERNMENT-IN-EXILE OF EASTERN TURKISTAN REPUBLIC」
 〈http://en.eastturkistan-gov.org/constitution/


ARTICLE 4: THE COAT OF ARMS OF THE STATE: Nine points on both the right and left of the Crescent moon with the Bismillah Formula inscribed in the middle of the Crescent. Three stars above the mouth of the Crescent with a cordon joining the points there below. The eighteen points represent the eighteen Turk clans living in Eastern Turkistan, while the three stars symbolize the States of Göktürk, Qarakhanids and Uighurs that were previously founded in Eastern Turkistan (Enclosure B).

(日本語版:第4条 国章は新月の両側にそれぞれ九つの円を持ち、底部にある二つの円は一本の帯で結ばれており、新月の中央には花文字で「優しいアラーの名によって始める」との言葉が記されている。新月の両端には三つの星が左右対称に施されている。十八個の円は東トルキスタンに生活する十八の突厥民族を象徴し、三つの星は東トルキスタンにかつて存在した突厥ハン国、ウイグル国およびカラハン国を表す。《付図B参照》)

 英語版中の太字は引用者による。通常、people(民族)とされるところが clan(氏族)となっている。Turk clans の集合が Turk people(テュルク民族)ということなのだろう。ウェブサイトの別の箇所(亡命政府設立直後に発表された「東トルキスタン共和国亡命政府政府声明」2004年9月17日)では、自分たちは東トルキスタンに居住する人びとすなわち東トルキスタン人(Eastern Turkestanis)もしくは東トルコ人(Eastern Turks)を代表するものだという立場を明確に述べている。これは反対にいえば、東トルキスタンはそこに現に居住している人びと――伝統的に大多数がイスラム教を信仰するテュルク系民族という限定がついているが(この問題については後述)――のものだと言っているわけで、さらには古い歴史ではどうだこうだということをほとんど言わない点、非常に平明で、好感がもてる。突厥(西突厥)、カラハン朝、ウイグル国(西ウイグル王国)云々についても、すべてそのときこの地にいたテュルク民族の建てた国だといえば、それは正しいわけで、どこからも苦情は出ない。
 この東トルキスタン共和国亡命政府の行き方は、大ウイグル族主義とは一線を画し、またただし宗教はイスラームを国教とするが、他宗教の信教の自由も保障してイスラーム一辺倒も避けている点では、じつに素晴らしいものであるといっていい。

 しかし、いくつか懸念がある。
 先ず第一に。
 たとえば第6条に気になるくだりがある。

ARTICLE 6: THE LANGUAGE, RELIGION AND CAPITAL OF THE STATE: The state language of Eastern Turkistan Republic is Uighur Turkish. Kazak Turkish and Kyrgyz Turkish are used as national languages. Religion: The state religion is Islam. The State respects and protects other religions and fully guarantees the rights of religious practice. Capital of the State: Urumchi.

(日本語版:第6条 国語、宗教および首都
 東トルキスタン共和国の国語はウイグルチュルク語とする。《カザク語、キルギス語などその他チュルクの言語を民族の言語とする》。
 宗教は、イスラム教。同時に国家はその他の宗教およびその信徒の各種権益を保護し尊重する。
 首都はウルムチとする。)

 'state language' は公用語、いわば国家の言語である。'national language’は国語、国民を構成する民族・氏族の言語。つまり東トルキスタン共和国とは、実際には東トルキスタンに住む十八の「トルコ氏族」といいながら厳密にはウイグル、カザフ、キルギス三氏族だけの国民国家を目指しているのである。ほかの十五の氏族はどうなるのか。
 第二に、「東トルキスタン人」が、東トルキスタン(新疆ウイグル自治区)内に居住するいわゆるテュルク系諸民族だけを意味しているのだとすれば、それもまた問題である。  
 現在新疆ウイグル自治区にはテュルク系以外にも、モンゴル(オイラット)族、タジク族、シボ族、満族、オロス族をはじめ、十数個をかぞえる非テュルク系民族が居住している。彼らはどうするのか。彼らは自らの帰属する民族を名乗る権利と固有の言語を公用語・国語とする権利を奪われることになる。
 先に触れた「政治声明」の、東トルキスタン人(東トルコ人)について定義した箇所があるのを見られたい。

As the name “Eastern Turkistan” implies, this vast region has for centuries been the land of the Eastern Turks, who are Muslim by faith, Caucasian by race, and whose native language is not remotely related to Chinese.  ( "DECLARATION OF THE FORMATION OF THE GOVERNMENT-IN-EXILE OF THE REPUBLIC OF EAST TURKISTAN", September 14, 2004, Capitol Hill, Washington )

(日本語版「政府声明」に該当部分の訳なし。拙訳:「『東トルキスタン』という名称は、この広大な地域が数世紀のあいだ、宗教においてイスラム教徒であり、人種においてコーカソイドであり、その母語が中国語とはいささかかも関係のない東トルコ人の土地であったことを示している。」)

 コーカソイドでない(あるいはそうは見えない)者は「東トルコ人」ではないというのであろうか。定義としてひどく無神経な印象を受ける。それなら大方のキルギス族ははねられてしまうのではないか。
 それに、ダフール族やシボ族、回族といった東トルキスタン内のモンゴロイド系住民(回族以外ほぼ非イスラーム)についてはどう処遇するのか。彼らも短くは18世紀以来、長きはそれ以前から数百年、東トルキスタンに住んでいる、れっきとした土着の住民である。そしてそれに比べれば新参者とはいえ、いまでは新疆ウイグル自治区総人口の約半数を占めるに至っている漢族(中国人)は? 革命成った暁には彼らはすべて国外へ追放するのか。
 最後に、第四に、テュルク族にしてイスラームを信奉しない者がいれば、その者をどう扱うのか。
 これら四つの疑念を総じるに、つまり、東トルキスタン共和国亡命政府は、「大(東)テュルク主義」とはいわないが、「東トルキスタン人」とは何かについての突き詰め方が中途半端であるということだ。

マルコ・ポーロ著 愛宕松男訳注 『完訳 東方見聞録』 全2巻

2009年12月15日 | 東洋史
 13世紀末成立のこの書で、マルコ・ポーロはすでにチャガタイ・ハーン国とオゴデイ・ハーン国の領域――中央アジア・東西トルキスタン地域――を、「大トゥルキー国」という名で呼んでいる(第2巻「第7章 大トゥルキー国事情」ほか)。
 この「大トゥルキー国」という言葉、ユールの英語訳では 'Great Turkey' になっているのだが、どんなもんかね。「大トゥルキー国」も相当な物だが。

 ところでこのマルコ・ポーロも自身直接的な見聞と伝聞と区別しない(たとえば日本に関する記述)。昔の人だから仕方がないといえばそれまでだが、玄奘李志常の例もある。やはり個人的な性格もあるのだろう。この人にはハッタリ屋的なところがあったようだ。
 後世の好事家や研究者の立場から言わせてもらえば、書いてあることをおいそれとは信用できないし、危なくてうっかり使えない。
 
(平凡社ライブラリー版 2000年2月)

「女性の理想の結婚相手は公務員!安定、高給、高福利―中国」 から

2009年12月15日 | 抜き書き
▲「レコードチャイナ」2009-12-15 00:21:32、翻訳・編集/中原。 (部分)
 〈http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=37945

 「できるなら公務員の人と結婚したい」と話すのは、今年大学を卒業したばかりの王(ワン)さん。彼女は卒業した大学の講師となり、自身の仕事が比較的安定しており、結婚相手にも安定していて給料が比較的高い人がいいという。そしてそれが公務員ならベストというわけだ。

 いま中国は好況のまっさかりである。日本なら景気がよければ民間企業、それも有卦に入っている業種や会社の“エリートビジネスマン”(雇い人にエリートなんぞいるか!)と結婚したいという声が増える。安定した公務員との結婚を望むのは不況の時だ。中国では、反対らしい。好況だ、バブルだと浮かれて舞い上がってしまわないところ、さすが4000年の治乱興亡の歴史をもつ中国の人びとである――というふうに感心してしまっては、意図的に仕掛けられた貶日慕中の罠にはまってしまう。
 公務員はお上である。お上は権力を持っている。権力は金に換わる。それも表に出ない金だ。中国では公務員こそがエリートなのである。彼らの収入は「安定していて比較的高い」のではなく、「安定しているうえに実際はとても高い」のだ。そして上にいけばいくほど高く、無限大に近づく。この王さんという女性が語ったとかいう、「できるなら公務員の人と結婚したい」理由のなかで、真実はおそらく「公務員ならベスト」の所だけだろう。