goo blog サービス終了のお知らせ 

書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

サマセット・モーム著 中村佐喜子訳 『作家の手帳』 から

2009年12月25日 | 抜き書き
2009年12月21日「天才とは・・・・・・」より続き。

 西の人間通、モームの天才論。

 天才とは、理想をそなえた才能である。 (21頁)
 天才は飢えるが、才能ある者は高位につき、ぜいたくする。 (22頁)

 才能とはこの場合、秀才を指すと考えてもいいし、そつのなさと考えてもいいのだろう。ひょっとしたら現実主義、処世術と、さらにもう一歩踏み込んでも良いのかもしれぬ。

(新潮社 1969年10月)

小西甚一 『日本文学史』

2009年12月22日 | 文学
 わたくしどもが永遠でないことを自覚するとき、永遠なるものへの憧れは、いよいよ深まるであろう。しかし、憧れは、どこまでも憧れであって、永遠なるものへの憧れは、畢竟、永遠なる憧れであるよりほかない。そうした憧れが、具体的には、宗教とか、藝術とか、科学とかの形において表現される。あるいは、宗教や藝術や科学などを媒介として、私どもが永遠なるものに連なりうるのだといってもよかろう。 (「序説」 本書16頁)

 永遠なるものへの憧れを持つ者と持たぬ者の間には、越えることのできない断崖が横たわっている。

 永遠なるものへの憧れは、北極と南極とのように、ふたつの極をもつ。そのひとつは「完成」であり、他のひとつは「無限」である。いま、これを藝術の世界について考えると、完成の極にむかうものは、それ以上どうしようもないところまで磨きあげられた高さをめざすのに対し、無限の極におもむくものは、どうなっていくかわからない動きを含む。わたくしは、前者を「雅」、後者を「俗」とよぶことにしている。 (「序説」 本書16頁)

 「雅にくらべて、俗がずっと不安定であ」り、「俗っぽい俗へ頽廃してゆきやすい傾向がつよい」という注釈つき。
 永遠なるものへの憧れを持たない者が俗を俗っぽい俗へと頽廃させる。また雅を先例主義・典拠主義の単なる模倣・些末な小手先藝へと形骸化させる。

 かような雅と俗との性格を、日本における表現の世代に当てはめるならば、古代は俗を、中世は雅を、近代は別種の俗を、それぞれの中心理念とし、大きく三分されるように思うのである。 (「序説」 本書18頁)

 古代とは5世紀ごろから8世紀ごろまで、中世は9世紀ごろから19世紀中ごろまで、近代は19世紀後半以後という定義。なお17世紀から19世紀前半にかけては実質において近代への過渡期で、俗と雅の混合態を中心理念とする時代であり、俗と雅の混合態すなわち俳諧であるというのが筆者の主張である。

(講談社学術文庫版 1993年9月第1刷 2000年6月第12刷)

サマセット・モーム著 中野好夫訳 『月と六ペンス』

2009年12月22日 | 文学
 エミリー・ブロンテは、姉や妹と共同で出した詩集がなんと2部しか売れず、畢生の大作『嵐が丘』も、評価されたのは死後のことだった。
 ゴッホは、生前に売れた絵はたった1枚だけであったという。しかしいまゴッホの才能を疑うものは、ひかえめに言ってもあまりいない(好き嫌いは別)。
 そのゴッホが耳を切り落とすきっかけになった、この小説の主人公ストリックランドのモデルとなったとされる、ゴーギャンもまたそうである。「ポール・セザンヌに『支那の切り絵』と批評されるなど、当時の画家たちからの受けは悪かったが、死後、西洋と西洋絵画に深い問いを投げかける彼の孤高の作品群は、次第に名声と尊敬を獲得するようになる。」(「ウィキペディア」「ポール・ゴーギャン」項)
 (こうしてみると、かつては不遇をかこちながらも、やがて才能が正当に認められた宮崎駿氏などは、まだしも幸福なのだろうと思った。)
 死後の世界があるとして、ブロンテや、ゴッホや、ゴーギャンを生前しかるべく遇さなかった人びとは、いまごろどのような顔(かんばせ)あって、彼らに対しているだろうか。何事もなかったようなふうで挨拶をかわしているか、機嫌をとって取り入っているか、「嫌いだから知らない、興味ない」で逃げるか。
 まあこれは、現世の話でもいいことだが。

(新潮社 1959年5月 1991年8月62刷)

「China: Climate Talks Were 'Positive'」 から

2009年12月22日 | 抜き書き
▲「Time.com」Monday, Dec. 21, 2009, AP / GILLIAN WONG. (部分)
 〈http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1949355,00.html

  "Developing and developed countries are very different in their historical emissions responsibilities and current emissions levels, and in their basic national characteristics and development stages," Yang said in a statement. "Therefore, they should shoulder different responsibilities and obligations in fighting climate change."

 米国の態度も自国エゴ剥き出しでひどいものだが、それでも言葉でそれを糊塗する術はさすがにうまい。それに比べて中国のコメントはこれはまた別の意味でひどいものだ。これでは「中国特色の環境破壊」、「労働者の温暖化ガスはきれいだ」というわけかと、容易につっこまれてしまう。

「日中歴史共同研究、『南京事件』は両論併記へ」 から

2009年12月22日 | 抜き書き
▲「YOMIURI ONLINE 読売新聞」2009年12月22日03時05分。 (部分)
 〈http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091222-OYT1T00026.htm?from=main1

 日本軍が37年に中国・南京を占領した際に起きた南京事件に関しては、中国側は政府の公式見解「犠牲者30万人」を譲らず、日本側も「数万人から20万人まで」など様々な説があると主張したため、両論併記とすることとした。

 中国側が両論併記を認めた。これはおそらく画期的なこと。冗談でも皮肉でもなく。

石井明 『中ソ関係史の研究 1945-1950』

2009年12月21日 | 東洋史
 東トルキスタン(人民)共和国運動(1944~1949)のことがほとんど出てこない(言及があるのは188頁および218頁の2カ所のみ)。

 ソ連は一旦は少数民族による「東トルキスタン人民共和国」の独立運動に間接的に支持を与えておきながら、第二次世界大戦後、国民党系の省政府に合流を勧めた。これはソ連が新疆に安定した政府をつくり、新疆から経済的利益を引き出すことを追求する政策をとりはじめたことを意味する。そして〔略〕国民政府・新疆省当局・中華人民共和国政府と相手は変っても、一貫して新疆の鉱物資源、石油を確保する協定の締結をめざして交渉を重ね、ついに一九五〇年三月二七日、中ソ間で石油および有色・稀少金属の探査・採掘のための二つの合弁会社をつくる協定を結ぶに至るのである。 (「第5章 新疆をめぐる中ソ交渉」 本書218頁)

 当時の中ソ国家間関係の大文脈のなかでは、点景にすぎなかったということか。

(東京大学出版会 1990年2月)

天才とは・・・・・・

2009年12月21日 | 抜き書き
●海音寺潮五郎 「山浦清麿」から 

 天才とは集中力であるという説がある。集中はやたらに出来るものではない。昔から名人肌の職人には気が向かなければ仕事をしないのが多いといわれているが、それはこのためであろう。〔略〕あるいはまた、天才はマンネリズムがきらいで、常に創造を心がけるものだから、飽きっぽい人が多い。清麿はそれだったのかも知れない。 (『日本の名匠』《中央文庫、1978年》所収、同書25頁)

●司馬遼太郎 「天明の絵師」 から

 絵師など、天才は別として、通常、絵師と称する怠け者が多い。絵師だ絵師だといって、ごろごろと昼寝などをして怠けぐらしをしている者が、この社会に多いのである。とくに呉春のような器用者というのは、多くが性格が怠け者にできている。だから世間では極道商売といっていた。 (『最後の伊賀者』《講談社文庫、1986年》所収、同書200頁)

 清麿は刀鍛冶、呉春は画家、職業は異なるが、二人の人間通作家の天才論として興味深く読んだ。作中で近代的な心理分析をしばしば行って、おしなべて人間にたいする評価が辛い――主人公にさえ――海音寺氏よりも、人間賛歌を専らにしたように一般に思われている司馬氏のほうが、かえって見方がシビアであるのはおもしろい。

板倉聖宣 「天皇制と教育」 から

2009年12月21日 | 抜き書き
 『近現代の考え方 正義でなく真理を教えるために』(仮説社 1996年11月初版 1997年6月2刷)62-75頁所収。
 初出『たのしい授業』No.73(1989年2月)の注記あり。

 それなら, 天皇は何なのでしょうか。憲法を尊重する限り, 文字通り「象徴」として扱うほかないのです。また, それで十分なはずなのです。〔略〕「陛下」「崩御」という天皇・皇后だけの特有な敬語をはじめ, 戦前の「現人神(アラヒトガミ)」天皇時代の敬語をそのまま引き継ぐから, 「人間宣言」以後の天皇でもすぐに「神」に近い待遇を受けることになってしまうのです。 (65-66頁。太字は引用者)

 「特有な敬語」を特有だからという理由だけで使用を云々するということには同意できないが、しかしそれら独特の敬語が持っているコノテーションの影響は、たしかに見逃すべきではないだろう。

「天皇は超法規的存在ではない」 から

2009年12月21日 | 抜き書き
▲「池田信夫 blog part.2」2009年12月20日 11:31。 (部分)
 〈http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51331713.html

 2009年12月14日「『天皇会見、いったん困難と伝達 小沢氏訪中控え転換か』 から」より続く。

 過去にも1ヶ月ルールに反して会見が行なわれた前例があり、〔略〕中国の国家副主席が天皇と会見するのは普通で、胡錦濤氏も1998年に副主席として来日したとき会見した (太字は引用者)
 
 先例主義の宮中では先例に背くのは罪のはず。知らずに背いたのならそれは恥。
 というより、例といふ文字をば向後は時といふ文字にかへて御心得あるべしと言いたい。

 むしろ私は、宮内庁の羽毛田長官の態度に軍部と共通するものを感じる。いったん面会を了解しておきながら、記者会見で首相を公然と批判するのは、他の官庁では考えられない。それは「天皇に関する慣例は憲法より上位にある」という戦前の感覚なのではないか。(太字は引用者)

池田信夫 「恐いのはデフレよりインフレだ - ファーガソン『マネーの進化史』」 から

2009年12月21日 | 抜き書き
▲「アゴラ 言論プラットフォーム」2009年12月20日10:00。 (部分)
 〈http://agora-web.jp/archives/853300.html

 2008年05月21日「金と貨幣と金本位制についての抜き書きと感想」に関連して。

 他方、インフレ(特にハイパーインフレ)で経済が破綻した例は数え切れない。これは貨幣が「人々がその価値を信じているがゆえに価値がある」という同語反復的な存在であることによる。人々が貨幣の価値を疑った瞬間にその価値は失われ、その信用を取り戻すことはできないのだ。 (太字は引用者)

 結局、重々しい制度のからくりの中身は、この程度のことなのか。