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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

毛里和子/増田弘監訳 『周恩来 キッシンジャー秘密会談録』から

2008年07月15日 | 抜き書き
 「文書10 第4回周恩来・キッシンジャー会談」(昭和46・1971年10月22日)。

 周恩来総理 我々は日本と敵対したくありません。平和と友好とを望んでいます。
 キッシンジャー博士 総理が意味する「平和と友好」の政策とはどういうことでしょうか?
 周恩来総理 ええ、それは台湾当局を承認せず、中華人民共和国のみを承認するということ、対外的膨張の両翼として、台湾と朝鮮半島に対する野望を放棄すること、中華人民共和国の領土保全を尊重することです。
 (本書195頁)

 本日「楠田実編『佐藤政権・2797日』上下から」の続き。
 つまり、①中華人民共和国のみを承認しないこと、②中華民国の存在を存在として認めて従来通りの関係を続けること、②韓国と国交を正常化すること、③米国から沖縄を返還されること、④日米安保条約を継続することが、周恩来(あるいは当時の中国政府)の言う、「日本軍国主義」の定義だった。
 馬鹿らしい、としか少なくとも今となっては言いようがない。おそらくは当時の中国の国内政治状況上の必要(保身も含めて)から、こんな露骨に手前勝手でその上低能な建前論――中国語でいえば「原則」――を、大まじめに主張しなければならなかった周恩来も気の毒に。安保を破棄したらその結果は日本の再軍備ではないか。同じ会談の中で日米安保条約「ビンの蓋」論を持ち出したあたりに、周の本音がちらりと窺えないか?

(岩波書店 2004年2月) 

楠田実編 『佐藤政権・2797日』 上下から

2008年07月15日 | 抜き書き
 文革中、アラブ連合を除いては総引き揚げだった在外公使を、十二月〔昭和45・1970年〕までに三十三人赴任させるなど、中国外交の方も活発になりつつあった。日本に対しては、四月十九日妥結した日中覚書貿易の政治会談コミュニケで「沖縄返還はペテンであり、日本本土の沖縄化に通じる」「日本軍国主義の復活はきびしい現実になっている」などと激しい攻勢をかけてきた。日本政府は四月二十一日の閣議で「誤解だ」とする統一見解を発表し、佐藤首相は四月二十三日の衆議院内閣委員会で「日本が軍国主義化しているという周恩来首相の発言は内政干渉もはなはだしい」と反論した。 (中野士朗「第五章 絶頂のかげり」、下巻187-188頁)

 当時の情勢下で中国は、佐藤内閣が重視している日米安保条約の堅持を非難した。日韓国交正常化も批判の対象であり、沖縄返還も危険視された。
 昭和四十四〔1969〕年十一月の「核抜き・本土並み・七二年沖縄返還」を決めた日米共同声明が、一方で「韓国の安全は日本自身の安全にとって緊要である」との“韓国条項”や、「台湾地域における平和と安全の維持も、日本の安全にとってきわめて重要な要素である」との“台湾条項”を含んでいたことに対しても、中国は佐藤内閣を激しく攻撃した。以後中国側は、「日本軍国主義の復活」まできびしく取り上げるようになり、両国政府間の関係は全く冷え切った。 (岸本弘一「第六章 総仕上げと幕引きの苦難」、下巻220頁)

 昭和四十六〔1971〕年三月一日に調印された同貿易〔日中覚書貿易〕政治会談共同コミュニケには、①日本が軍国主義を復活させ、アメリカ帝国主義のアジアへの侵略と拡張に加担している、②日本側として日華平和条約は不法、無効であり、廃棄すべきだとの立場を明らかにした――などの点が含まれており、これに岡崎〔嘉平太〕代表だけでなく、古井喜実、田川誠一の両自民党代議士が署名していることが問題とされた。 (岸本弘一「第六章 総仕上げと幕引きの苦難」、下巻221頁)

(行政問題研究所  1983年12月)

「中央日報 Joins.com」2008.07.15、「日本、『独島紛争化→返還要求』が狙い」から

2008年07月15日 | 抜き書き
 日本の文部科学省が14日に公表した中学校の新学習指導要領の解説書(社会編)は(中略)従来の「領有権の主張」を超えて「返還の要求」までしたものといえる。独島を国際社会で紛争地域化し、国際司法裁判所に持ち込むというのが日本政府の狙いだ。このため日本は相当な資料を収集しているという。
  〈http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=102436&servcode=A00§code=A10〉

 “彼は何におびえているのかね?” (シャルル・オクレール談)

加藤周一編 『ハーバート・ノーマン 人と業績』

2008年07月10日 | 伝記
 1990年の「ライアン報告書」により、ソ連のスパイという嫌疑は濡れ衣であったことが確定した由。
 このことに関し、ウィキペディアの英語版も、無実説を取っている。

Wikipedia, "E. Herbert_Norman"から

Between 1950 and 1952, during the McCarthy Era, Norman was suspected of being a Communist and possibly a Soviet agent. Allegations centered on his involvement with various communist societies during University, and suspicion of various decisions he help made during the Japanese occupation, including allowing the Japanese Communist Party to continue while other parties were banned. Norman was eventually exonerated, but American diplomats remained wary of Norman's presence in the upper echelons of External Affairs. Norman was fiercely protected by Secretary of State for External Affairs Lester Pearson, a longtime friend. This created a variety of diplomatic conflicts with the U.S. Department of State, who refused to send sensitive information through Norman. Norman was eventually made Ambassador to New Zealand, both to placate American authorities and to isolate him from the stress and scrutiny of American intelligence.

In 1957, these suspicions were revived in the United States Senate Sub-Committee on Internal Security. In April of the same year he committed suicide in Cairo,where he had been serving as Canada's ambassador to Egypt, by jumping off of the Swedish Embassy, leaving a brief note. The Canadian public at the time was horrified, and the incident caused some harm to Canada-U.S. relations.

The circumstances surrounding Norman’s death continue to provoke controversy today. Dr. John Howes has suggested during a lecture for the Asiatic Society of Japan that Norman took his life because he was concerned that the Communist allegations could jeopardize the negotiations during the Suez Crisis. Norman is buried in the protestant cemetery in Rome.

 しかしウィキペディアの日本語版は、スパイ説に左袒している。

▲「ウィキペディア」、「エドガートン・ハーバート・ノーマン」から

 最近では冷戦崩壊後におけるベノナなどの機密解除や、当時の関係者の記録などからソ連とつながりがあったという疑いが濃厚となっているが、カナダ政府はノーマンに関する機密情報を現在も公開していない。

 「ライアン報告書」の内容がわからないから、これ以上進みようがない。
 ベノナ計画(Venona project)については、週末にCIAのウェブサイトから Venona: Soviet Espionage and The American Response 1939-1957 (大部の上に手書き文書!)をダウンロードして、多少とも読んでみる。

(岩波書店 2002年1月)

思考の断片の断片(62)

2008年07月08日 | 思考の断片
 本欄今月7日「思考の断片の断片(61)」から続く。

 ▲「ダライ・ラマ法王日本代表部事務所」、「2008年7月5日、ダライ・ラマ法王の特使、ロディ・ギャリ氏による記者発表」から
 〈http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080705_envoy_briefing.html〉

 中国側は、ダライ・ラマ法王が今回のチベットでの騒動を扇動し北京五輪を妨害しているとする根拠のない主張を貫き通せないとようやくわかったらしく、今度は、ダライ・ラマ法王が暴力、テロ行為、北京五輪の妨害を支持することがないようにしてもらいたいと我々に要請しはじめました。それに対し我々は、思いつくかぎりの強いことばで、「ダライ・ラマ法王に対してそのような要請が必要であるなどと思う者などひとりもいない。そのような卑劣な行為に対するダライ・ラマ法王とチベット人の非暴力の闘いは世界中の人々の知るところであり、称賛さえされている」と述べました。一方で、チベット青年会議がダライ・ラマ法王の中道のアプローチを支持せず、チベットの独立を求めていることは事実ですが、彼らに暴力的なテロ組織のレッテルを貼ろうとする中国の主張については、我々は断固として否定しました。ダライ・ラマ法王は「分離独立は求めていない」と公の場でこれまで繰り返し明言しておられるのです。

 別に中国側はダライ・ラマとチベット独立急進派(もしくは過激派)とを分けたわけではないのか。中国側の「要請」は、過激派の仲間でないというならその証しを行為で示せと言っているだけのようでもある。どのみちこれでは今回の協議にチベット側にとって「重要な進展」などありはしない。

 我々は、協議の間ずっと、第一に話し合わなければならないのはチベットにいる人々の福利についてであり、ダライ・ラマ法王個人の地位や亡命政府のことではないと言わねばなりませんでした。

 いまだにこのレベルの話をしているのか。私の知る限りでも、中国側の議論の立ち位置は10年前と同じである(→「東瀛論説」http://toueironsetsu.web.fc2.com/、「東瀛小評」1998.10.1、「日経新聞のお粗末なチベット特集記事」)。正確にいえば1981年、胡耀邦総書記時代に出された「ダライ・ラマの帰国に関する五カ条の方針」の時から変わっていない。チベットの土(くに)とその地に住む人びとすべてに関わる、公(おおやけ)の問題を、ダライ・ラマ個人の利益という私(わたくし)のそれに限定する、いわば矮小化する。
 中国側はやはり、ダライ・ラマと真剣に対話する気はないのだろう。

  折れぬなら死ぬまで待とうほととぎす  子胥

思考の断片の断片(61)

2008年07月07日 | 思考の断片
▲「時事ドットコム」2008/07/07-01:25、「『急進派の不支持受け入れ』=ダライ・ラマ側との対話進展主張-中国」
〈http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2008070700011〉

 【北京6日時事】新華社電によると、中国共産党統一戦線工作部の当局者は6日、北京で1、2の両日に行われたチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世の特使との公式協議について、ダライ・ラマ側が独立急進派「チベット青年会議」を支持しないことを表明し、対話に「重要な進展」が得られたと語った。
 ただ、特使のロディ・ギャリ氏は5日、最大限の強い表現で青年会議不支持の要求を拒否したと主張していた。

 チベット側にとっては、中国側がダライ・ラマと「チベット青年会議」などの独立急進派とを分けて認識する立場を示したことが、今回の対話(3月のチベット“暴動”後に行われた公式・非公式の協議)で得られた「重要な進展」と言えるのだろう。

▲「MSN産経ニュース」2008.7.7 09:02、「ダライ・ラマ特使がテロ活動抑え込み受け入れ」
 〈http://sankei.jp.msn.com/world/china/080707/chn0807070901005-n1.htm〉

 双方の主張は完全に食い違っており、チベット問題にも関心が集まる主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)に合わせ、情報戦の様相を呈してきた。(共同)

 要は、10月の再協議へ向けた、双方火花を散らす駆け引きの一コマということだろうか。

 ところで、3月のチベット“暴動”で、ラサの商店街で店のシャッターに物凄い勢いで蹴りを入れていたチベット僧は、本当に僧侶だったのか。 
 韓国の米国産牛肉全面輸入反対デモの参加者にただのごろつきが混じっていたり、洞爺湖サミット反対デモに過激派が「市民」の看板を掲げて紛れ込んでいると聞くと、ついつい疑り深くなってしまうのである。チベット語、話せるか?

「The New York Times」98/10/2、「World News Briefs」から

2008年07月05日 | 抜き書き
 副題「Dalai Lama Group Says It Got Money From C.I.A.」。
〈http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C0CEFD61538F931A35753C1A96E958260〉

The Dalai Lama's administration acknowledged today that it received $1.7 million a year in the 1960's from the Central Intelligence Agency, but denied reports that the Tibetan leader benefited personally from an annual subsidy of $180,000.

The money allocated for the resistance movement was spent on training volunteers and paying for guerrilla operations against the Chinese, the Tibetan government-in-exile said in a statement. It added that the subsidy earmarked for the Dalai Lama was spent on setting up offices in Geneva and New York and on international lobbying.

The Dalai Lama, 63, a revered spiritual leader both in his Himalayan homeland and in Western nations, fled Tibet in 1959 after a failed uprising against a Chinese military occupation, which began in 1950.

The decade-long covert program to support the Tibetan independence movement was part of the C.I.A.'s worldwide effort to undermine Communist governments, particularly in the Soviet Union and China.

 CIAによるチベット亡命政府やチベット人ゲリラへの資金援助を含む諸支援を取り止めさせたのは、ヘンリー・キッシンジャーとリチャード・ニクソンだという。その理由は、中国へ行くため(Tim Weiner, Legacy of Ashes: The History of the CIA, Anchor Books, New York, 2008, pp. 349-350.の記述による)。 

「BBC NEWS」, 「Direct China-Taiwan flights begin」

2008年07月04日 | 抜き書き
 10:06 GMT, 4 July 2008.
 〈http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7488965.stm〉

  "The mainlanders will be our guests," Taiwanese Premier Liu Chao-shiuan said Thursday.
  "I hope we can work together to impress them with the Taiwanese people's good nature, politeness, passion and hospitality."

 同日早朝の台湾調査船による尖閣諸島周辺日本領海内への侵入は、けだし御祝儀の一環。

ヒサミチ 「『好きになった』メモ」2008年6月7日、「ネットで『死ね』と言われたら」から

2008年07月03日 | 抜き書き
 〈http://hisamichi58.blogspot.com/2008/06/blog-post_07.html〉

 「死ね」「殺す」平気でネットに書き込むのは、「話せばわかる」と本気で考えてる人たちで、話してもわかんないのが口惜しいの だから相手を殺さずに「死ねばいいのに」と書き込むの 本気の殺意は隠すわな いい年こいて、彼らはいまだに「本気」が何だかわかんないんだよ 自分の憎しみをキッチリ表現できないんだよ 

 自分で自分の首を絞める馬鹿。ブチャラティとプロシュート兄貴に怒られる。

 早い話がバカにつける薬はない 人は話してもわからない

 そのとおり。
 
 読者よこの件ネットに限らない 嫌な思いをしたときに、これだけは忘れないでほしい 
世間にイイ人おもしろい人はたくさんいる 君の時間は限られている 

 ああ、そうだな。

思考の断片の断片(60)

2008年07月03日 | 思考の断片
▲「MSN産経ニュース」2008.3.3 22:07、「天洋食品、従業員を大量一時解雇か ギョーザ中毒事件」
 (http://sankei.jp.msn.com/world/china/080303/chn0803032208014-n1.htm)

 中国製ギョーザ中毒事件で、河北省石家荘市にある製造元「天洋食品」が3日、従業員を工場に集め、退職申請書を配布したことが分かった。事件が長期化し工場再開のめどが立たない中で、工場側が従業員の大量一時解雇に踏み切った可能性があり、一部従業員は既に退職したことを認めた。一方、天洋食品は共同通信の取材に「何も話すことはない」と確認を避けている。

 確認を避けるのがミソである。幾通りもの解釈を許すためである。

▲「Yahoo!知恵袋」から
 〈http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1315292748〉

 ●「解決済みの質問」2008/3/11 20:49:55

 天洋食品で従業員を全員解雇したようですが、これは中国側の責任だと白状しているようなものではありませんか?どうして日本側の責任にされてしまうのですか? (chebi03さん)
 
 ●「ベストアンサーに選ばれた回答」2008/3/11 20:56:43

 それは違います。/あの事件以降、製造会社は操業が停止していて儲ける事ができませんし、大きな取引先であった日本からの受注が0になった以上、解雇したくなくてもせざる得ない状況なのであって、解雇=責任を認めたと言う事ではないのです。 (lololololol2chさん)

 「ベストアンサーに選ばれた回答」ではこのあと、「もっと別の根拠を持ってして責任を認めさせないといけません。」とあるが、これは不可能ではないかと思える。なぜならそのためにこそこんな曖昧な状況で従業員を解雇したのであろうからだ。
 だが、あの解雇はやはり、暗黙の裡に責任(と言う言葉が悪ければ、事件の原因は自分たち、それも従業員にあるという事実)を認めた結果だと、私は思う。
 だが面子を守るために、表向きは、口に出してそうと言うわけにはいかないのである。

▲「MSN産経ニュース」2008.02.15 21:10、「『工場こそ最大の被害者だ』天洋食品が公開 毒ギョーザ」
〈http://sankei.jp.msn.com/world/china/080215/chn0802152026002-n1.htm)

 中国製ギョーザによる中毒事件で河北省出入境検査検疫局とギョーザの製造元の「天洋食品」などは15日、記者会見し、底夢路工場長は「われわれこそ事件の最大の被害者だ」と述べ、工場内での毒物汚染は「不可能」と言い切った。

 責任を認めるどころか、己の面子を守るため、相手がすべて悪い、自分にまったく落ち度はないと、大向こうに向けて派手にミエを切る、切らざるを得ない。
 ちなみに天洋食品はまだ存続しているらしい。HPは閉鎖されていない。

▲「河北食品进出口集团天洋食品厂」
  〈www.tianyangfood.cn〉