書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

リチャード・ドーキンス著 日高敏隆ほか訳 『利己的な遺伝子』 

2005年07月13日 | 自然科学
 著者は冒頭まもなく念を押している。

“まず私は、この本が何でない〔原文傍点〕かを主張しておきたい。私は進化にもとづいた道徳を主張しようというのではない。私は単に、ものごとがどう進化してきたかを述べるだけだ。私は、われわれ人間が道徳的にいかにふるまうべきかを述べようというのではない。私がこれを強調するのは、どうあるべきかという主張と、どうであるという言明を区別できない人々、しかもひじょうに多くの人々の誤解をうける恐れがあるからである” (1「人はなぜいるのか」 本書18頁)

 こういう人は沢山いる。
 以下、興味ぶかい箇所の抜き書き。

“私自身の感じでは、単に、つねに非情な利己主義という遺伝子の方にもとづいた人間社会というものは、生きていくうえでたいへんいやな社会であるにちがいない。しかし残念ながら、われわれがあることをどれほど嘆こうと、それが真実であることに変わりはない” (1「人はなぜいるのか」 本書18頁)

“もしあなたが、私と同様に、個人個人が共通の利益に向かって寛大に非利己的に協力しあうような社会を築きたいと考えるのであれば、生物学的本性はほとんど頼りにならぬということを警告しておこう。われわれが利己的に生まれついている以上、われわれは寛大さと利他主義を教える〔原文傍点〕ことを試みてみようではないか” (1「人はなぜいるのか」 本書18頁) 

“利他主義と利己主義の(略)定義が行動上のものであって、主観的なものではないことを理解することが重要である。私は(略)利他的に行動する人々が「ほんとうに」かくれた、あるいは無意識の利己的動機でそれをおこなっているのかどうかといった議論をしようとはおもわない。(略)当の行為が結果として、利他行為者とみられる者の生存の見込みを低め、同時に受益者とみられるものの生存の見込みを高め、さえするならば、私はそれを利他行為と定義するのである” (1「人はなぜいるのか」 本書20頁)

“DNAの真の「目的」は生きのびることであり、それ以上でもなければそれ以下でもない” (3「不滅のコイル」 本書77頁)

 この書の批判者だけでなく、私が直接間接に知るかぎりの賛同者の多くもまた、ドーキンスの言う利己主義(そして利他主義)を、道徳的・主観的なものとして理解している。
 ところでドーキンスは以下のように但し書きしている。

“われわれの遺伝子は、われわれに利己的であるよう指図するが、われわれは必ずしも一生涯遺伝子に従うよう強制されているわけではない” (1「人はなぜいるのか」 本書19頁) 

 批判者も賛同者も、ここは読まなかったのか?

(紀伊国屋書店 1994年11月第13刷)