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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

種村和史 「詩經解釋學の繼承と變容 : 北宋詩經學を中心に据えて(要約)」

2017年10月25日 | 東洋史
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 非常に興味深い。漢唐の詩経学者は権威ある経典の詩経に書かれている内容はすべてその権威のゆえに絶対的に正しき説として扱わねばならず、「国風・周南・螽斯」の「イナゴは嫉妬しないゆえに子だくさんである」もまたそうであるとして、「それを合理化するために、さまざまな努力を行った」(「第1部「歷代詩經學の鳥瞰」)。これは辻褄が合うようにするという意味では「合理」的と言えるだろうが、こんにちでは、「イナゴは嫉妬しないゆえに子だくさんである」というのはどういう証拠があるのか、そもそもイナゴは嫉妬するという証明はなされているのか」と問うのがより合理的ではないか。このあたり著者氏は私と疑問点を同じくされているだろうか。当時の「合理」と現在の「合理」の違いに留意し、その差をどう論旨また北宋時代詩経解釈学の評価に組み込むか。さらにまた、これをも含めて、「要約」を覧て抱いた私の同じ研究対象への、また氏の論文詳細への、内在的かつ外在的な疑問(複数)への答えはあるだろうか。ぜひ一読したいと思う。東方書店による紹介