『東西文明の交流』5 「西欧文明と東アジア」(平凡社 1971年7月)、第三章。同書245-301頁。
重農学派は「自然法」ということを説く。これはたんなる自然の法則であるばかりでなくいっさいを予見する全知全能の造物主が人間の最大幸福という究極の目的を実現するために設定した法則であり、したがってまた道徳的本質としての人間に対する行為の規範でもあるというのである。自然の法則と道徳的規範とを全然同一としてしまう考え方は、西洋にはほとんどないもので、中国思想の特色であると小林市太郎氏は述べている〔注1〕。 (本書291頁)
注1。巻末参考文献リストから判断して、小林市太郎『支那思想とフランス』(弘文堂 1939年)のことか。リストに小林氏著作は2つあげられている。いま1つは『支那と仏蘭西美術工芸』(弘文堂 1937年)。同書447頁。
農業、すなわち土地とともに働く職業だけが生産的機構であり、他はすべて直接性w産に関係しない従属機構にすぎないと主張するのであるが、これは中国古来の農本思想と密接な関係があると思われる。なお彼〔注2〕は中国の皇帝が親耕籍田の儀礼を行っていることに感激し、ルイ一五世に説いてこれを行わせたという。 (同上)
注2。フランソワ・ケネー。
重農学派は「自然法」ということを説く。これはたんなる自然の法則であるばかりでなくいっさいを予見する全知全能の造物主が人間の最大幸福という究極の目的を実現するために設定した法則であり、したがってまた道徳的本質としての人間に対する行為の規範でもあるというのである。自然の法則と道徳的規範とを全然同一としてしまう考え方は、西洋にはほとんどないもので、中国思想の特色であると小林市太郎氏は述べている〔注1〕。 (本書291頁)
注1。巻末参考文献リストから判断して、小林市太郎『支那思想とフランス』(弘文堂 1939年)のことか。リストに小林氏著作は2つあげられている。いま1つは『支那と仏蘭西美術工芸』(弘文堂 1937年)。同書447頁。
農業、すなわち土地とともに働く職業だけが生産的機構であり、他はすべて直接性w産に関係しない従属機構にすぎないと主張するのであるが、これは中国古来の農本思想と密接な関係があると思われる。なお彼〔注2〕は中国の皇帝が親耕籍田の儀礼を行っていることに感激し、ルイ一五世に説いてこれを行わせたという。 (同上)
注2。フランソワ・ケネー。