書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

矢沢利彦 「西洋文化と中国文化の交流」

2014年10月18日 | 世界史
 『東西文明の交流』5 「西欧文明と東アジア」(平凡社 1971年7月)、第三章。同書245-301頁。

 重農学派は「自然法」ということを説く。これはたんなる自然の法則であるばかりでなくいっさいを予見する全知全能の造物主が人間の最大幸福という究極の目的を実現するために設定した法則であり、したがってまた道徳的本質としての人間に対する行為の規範でもあるというのである。自然の法則と道徳的規範とを全然同一としてしまう考え方は、西洋にはほとんどないもので、中国思想の特色であると小林市太郎氏は述べている〔注1〕。 (本書291頁)

 注1。巻末参考文献リストから判断して、小林市太郎『支那思想とフランス』(弘文堂 1939年)のことか。リストに小林氏著作は2つあげられている。いま1つは『支那と仏蘭西美術工芸』(弘文堂 1937年)。同書447頁。

 農業、すなわち土地とともに働く職業だけが生産的機構であり、他はすべて直接性w産に関係しない従属機構にすぎないと主張するのであるが、これは中国古来の農本思想と密接な関係があると思われる。なお彼〔注2〕は中国の皇帝が親耕籍田の儀礼を行っていることに感激し、ルイ一五世に説いてこれを行わせたという。 (同上)

 2。フランソワ・ケネー

本居宣長 「うひ山ぶみ」

2014年10月18日 | 人文科学
 大野晋/大久保正編集・校訂『本居宣長全集』1(筑摩書房 1968年5月)、1-30頁。

 詮(セン)ずるところ学問は、ただ年月長く倦(ウマ)ずおこたらずして、はげみつとむるぞ肝要にて、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみかゝはるまじきこと也、いかほど学びかたよくても、怠(オコタ)りてつとめざれば、功はなし、又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし、されど大抵は、不才なる人といへども、おこたらずつとめだにすれば、それだけの功は有ル物也、又晩学の人も、つとめはげめば、思ひの外功をなすことあり、又暇(イトマ)のなき人も、思ひの外、いとま多き人よりも、功をなすもの也、されば才のともしきや、学ぶことの晩(オソ)きや、暇(イトマ)のなきやによりて、思ひくづをれて、止(ヤム)ることなかれ、とてもかくても、つとめだにすれば、出来るものと心得べし  (4頁。原文旧漢字)

 このくだりを読んで(正確には冒頭から此処に至るまでまでのくだりを含めて)、宣長というのは偉い人だと思った。

幸田正孝 「本草から植学へ(二) 宇田川榕菴『植学啓源』の成立」

2014年10月18日 | 日本史
 『実学史研究』XI(思文閣出版、1999年5月)収録、同書43-82頁。

 植学とは西洋植物学のこと。
 我が国また中国の本草学に慣れ親しんできた榕菴が、西洋の植物学の存在を知ったとき、そこには本草学には無い、ある原理原則があると感じた。彼はそれを“菩多学(Botanica)究理”と呼んだ。
 
 榕菴、菩多学究理ノ初ハ文化丙子之秋なり。 (『(観自在)菩薩楼随筆』一冊七五葉。同書43頁に引用)

 彼の『植学啓源』に序文を書いた箕作阮甫は、この“菩多学究理”を説明して、

 本草は名に就きて物を識すに過ぎず。〔中略〕角ある者は牛、鬣ある者は馬と知るが如し。甚しくは究理とあい渉らざるなり。いわゆる植学は、花・葉・寝・核を剖別し、各器の官能を弁析すること、なお動物の解剖あるがごとし。真とに究理の学なり。 (同書44頁に部分的に引用あり、この引用は原文を訓読)

 と記している。

林文孝 「中国における公正 生存と政治」

2014年10月18日 | 地域研究
 三浦徹/岸本美緒/関本照夫編『比較史のアジア 所有・契約・市場・公正』(東京大学出版会 2004年2月)所収、同書225-243頁。

 李贄は全ての人々にとり公正な社会を希求し、李贄を批判した王夫之は君主に臣民への公平を期待した。私の違う角度から捉え直すと、前者は機会の均等を、後者は結果の平等を正義と見なしたのかと思えるか、どうだろうか。

渡辺慧 『認識とパタン』

2014年10月18日 | 自然科学
 子供に限ったわけではなく、大人でもたいていの概念は、実例、もっともっともらしくいえば、「範例」(パラダイム=paradigm)を通して学ぶのであって、内包だとか外延などは学者の無用の産物にすぎません。 (本書29頁)

 「無用の産物」は言い過ぎではないかと思うが、興味深い指摘であり研究である。

(岩波書店 1978年1月)