書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

源了圓 「明治維新と実学思想」

2014年10月16日 | 日本史
 坂田吉雄編『明治維新史の問題点』(未来社 1962年4月)所収、同書19-118頁。

 本稿では直接に論じられてはいないものの、読後、あらためて、横井小楠の思索において「理」とは何を意味したかが気になった。なぜ横井は『大学』の「明明徳新(親)民」(注1)を、「明徳を明かにし、そうすれば次いで民を新たにできる」の通説の解釈を取らず、無理な「民を新たにするために明徳を明かにする」と解釈しようとしたのか(注2)。

 注1。大學之道,在明明,在親民,在止於至善。
   大学の道は、明徳を明らかにするに在り、民を親(あら)たにするに在り、至善に止まるに在り。(維基文庫『大学章句』)
 注2。文法的には、「明明」「在親民」「止於至善」の三者はすべて並立の関係にあり、その間になんらの時間的前後関係も因果関係も認められない。

 ほか注目したのは、神田孝平の存在が重視されている点である。その高評価の理由は、彼が幕末蕃書調所で西洋数学を教えていた事実と、また洋学者として、日本近世思想史のなか、実学史の分野において、重要な位置を占めるという判断による。
 さらには、加藤弘之さえもが、「学問の目的」(『加藤弘之講演全集』3所収)において真理の探究そのものに価値を置く学問観を表明していることにより、著者の実学史において高い席次を与えられていることが驚きであった。

宋真宗 「勧学文」を読む

2014年10月16日 | 東洋史
 宋真宗 
 「勧学文
 読んだのは礪波護『唐の行政機構と官僚』(中央公論社 1998年8月)の教示による。

 なるほど確かに、「経書はあたかも打出の小槌のごとく、良田も高堂も僕従も美女も、ことごとくこの中から打出せる」(同書62頁)の旨が書いてある。そして最後は「男児平生の志を遂げんと欲すれば 六経勤めて窓前に向かいて読め」と、締め括ってある。富と地位と権力とセックスが男子一生の志なのであろうか。そして経書を読む、つまり学問することの究極の目的はそれかと、索然とした思いに囚われないでもない。
 なお中国語版ウィキペディアには「勸學詩」の名で項目が立てられていて、原文も収録されているが、そこでは「六経」が「五更」となっている。これなら「明け方まで勉学に励め」という意味になる。

 富家不用買良田,書中自有千鍾粟。
 安居不用架高堂,書中自有黃金屋。
 娶妻莫愁無良媒,書中有女顏如玉。
 出門莫愁無人隨,書中車馬多如簇。
 男兒欲遂平生志,五更勤向窗前讀。