この人の『東周英雄伝』(全3巻、講談社)は傑作である。これを読んで、おのれの日本人としての感性に無自覚なままで軽々しく中国(および台湾)の事象を観たり論じたりしてはならないとまで思わされた。
さてこの画集だが、司馬師がどういうわけか朴訥なぼんち、というかまるで鈍くさいあほぼんなのが意外だった。曹丕が線の細さにぎりぎり陥らない才気走った美男に造型されているというのに、おなじ大家の二代目でこの差は何処から来たものか。司馬師は曹丕におとらず場数を踏んでいるだろう。地方的有力者の中途半端な――袁紹の袁氏ほどの全国的な名家でもないかわり、曹操の曹氏のような宦官の家という卑しまれる家でもなくという意味――家系の出のために、かえってそれがゆえに過剰に家柄に固執し誇りの拠り所とする、いわば虚勢の雰囲気があってもよかったかもしれない。だがということは、田舎者の雰囲気を前面に押し出した鄭問氏の描法は、その点に限れば良かったということか。
一方、司馬懿はまさにこのイメージ。私に画才があったらまさにこの顔に描いているだろうという容貌だ。ただ若いころはもうすこし軽量級だろう。なにせ出仕した当初は曹操直属にしてもらえず、「小僧ニハ小僧ヲ配スルガヨカロウ」とばかりに息子の曹丕(当時まだ十代半ばだった)付きにされたという経歴の持ち主である。歳を重ねてからは知らぬが若い頃の中途半端な家柄誇りも子の司馬師と同じ。
(角川書店 2002年8月)
さてこの画集だが、司馬師がどういうわけか朴訥なぼんち、というかまるで鈍くさいあほぼんなのが意外だった。曹丕が線の細さにぎりぎり陥らない才気走った美男に造型されているというのに、おなじ大家の二代目でこの差は何処から来たものか。司馬師は曹丕におとらず場数を踏んでいるだろう。地方的有力者の中途半端な――袁紹の袁氏ほどの全国的な名家でもないかわり、曹操の曹氏のような宦官の家という卑しまれる家でもなくという意味――家系の出のために、かえってそれがゆえに過剰に家柄に固執し誇りの拠り所とする、いわば虚勢の雰囲気があってもよかったかもしれない。だがということは、田舎者の雰囲気を前面に押し出した鄭問氏の描法は、その点に限れば良かったということか。
一方、司馬懿はまさにこのイメージ。私に画才があったらまさにこの顔に描いているだろうという容貌だ。ただ若いころはもうすこし軽量級だろう。なにせ出仕した当初は曹操直属にしてもらえず、「小僧ニハ小僧ヲ配スルガヨカロウ」とばかりに息子の曹丕(当時まだ十代半ばだった)付きにされたという経歴の持ち主である。歳を重ねてからは知らぬが若い頃の中途半端な家柄誇りも子の司馬師と同じ。
(角川書店 2002年8月)