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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

W.J.モレノほか著 『世界の教科書=歴史』 「016 メキシコ:1」「017 メキシコ:2」

2010年07月14日 | 西洋史
 W.J.モレノ/J.ミランダ/M.T.フェルナンデス著、岡部廣治編訳。
 原本は1979年出版なのに、記述は19世紀末までしかない。山崎正和氏が数年前に義務教育課程における歴史教育は不必要と言っていたが、近現代史を学校で教えなくても国家として成り立っている先例がここにある。
 
(ほるぷ出版 1983年3月初版第2刷)

Dominic Lieven 『Russia Against Napoleon』

2010年07月02日 | 西洋史
 副題「The True Story of the Campaigns of War and Peace」。
 副題のみならず、この書全体が、トルストイの『戦争と平和』を意識して著されている。
 『The Economist』の書評を見て買って読んだのだが、このレビュー以上に付け加えることなし。

  The central point made by Mr Lieven’s witty and impeccably scholarly book is that Russia owed its victory not to the courage of its national spirit or to the coldness of the 1812 winter, as some French sources have argued, but to its military excellence, superior cavalry, the high standards of Russia’s diplomatic and intelligence services and the quality of its European elite. Thanks to the intelligence he obtained, Alexander was able to outwit Napoleon, anticipating his invasion.  (『The Economist』Apr 15th 2010 「How Russia really won」)

  Russia’s subsequent two-year-long campaign in the heart of Europe, which included the battle of Leipzig and ended in Paris, was of little interest to Tolstoy whose concern was national consciousness not imperial glory.  (同)

 それにしても何をだらだらと618頁も。それからもうすこし丁寧に注を付けてくれ。一段落に一つではちょっと少ない。著者の主張すべてについての裏取りができかねる。これでは“物語”を否定するに別の“物語”を持ってくるに等しい。

(Viking, USA, Apr. 2010)

Caesar 『The Conquest of Gaul』

2010年06月29日 | 西洋史
 カエサル『ガリア戦記』。
 Translated by S.A. Handford.

 読んでみると、ガリアとガリア人についてそれほど筆が割かれているわけではなかった。地誌ではなく戦況報告なのだから、当たり前ではある。
 カエサルの文章(というか文体)は、水晶のような完璧さを誇る。それが分かったのは、この訳者の見事な翻訳による。英語として達意でありながら、英語的でないトーン――おそらくは原典のラテン語の持つスタイル――を、残している。昨日の桑田さんの他人の楽曲のカバーの話ではないが、これがほとんど超人の業であることは、同業者のはしくれとしてわかる。

Thucydides 『The History of the Peloponnesian War』

2010年06月21日 | 西洋史
 トゥキディデス『戦史(もしくは歴史)』。ペロポネソス戦争(紀元前431年 - 紀元前404年)の歴史。
 『Project Gutenberg』
 〈http://www.gutenberg.org/etext/7142
 Traslated by Richard Crawley.

  To come to this war: despite the known disposition of the actors in a struggle to overrate its importance, and when it is over to return to their admiration of earlier events, yet an examination of the facts will show that it was much greater than the wars which preceded it. (BOOK I, CHAPTER I)

 大部のこの書のなかで、価値判断らしい価値判断といえば、ほぼこのくだりのみである。それも「天道是か非か」というようなあからさまなものではない。もちろん巻末ごとに著者が顔を出して「太史公曰く」などと蝶々することもない。文化の違いといえばそれまでだが、個人的な経験から言って、これはよほど強靱な精神の持ち主にしてはじめてなし得る業である。完全に自分を押さえ込まないとできないことだ。

L. ベルネ他編著 『世界の教科書=歴史 009』「フランス:3」

2010年06月19日 | 西洋史
 本日「L. ベルネ他編著 『世界の教科書=歴史 007』「フランス:2」」より続き。
 編著者L.ベルネのほか、R.ブランション、M.バレスト、J.マシエックス。
 井上幸治/二宮宏之/田邊祐編訳、二宮素子/小野有五/豊田英子/村田伸一/久坂三郎訳。
 1979年中学校認定教科書(本巻は中学3年課程用)。

 近・現代史、および現代社会の巻。
 第2巻ですっぽり脱けていた帝国主義、植民地、近代史については、この巻が当てられている(とくに「5 ヨーロッパ列強の植民地拡大」また「8 19世紀のアジア」など)。
 むずかしい話題については生徒の年齢が上がってから教えるというのは、一つの見識だと思う。

(ほるぷ出版 1981年11月初版第1刷)

L. ベルネ他編著 『世界の教科書=歴史 008』「フランス:2」

2010年06月19日 | 西洋史
 2010年06月15日「L. ベルネ他編著 『世界の教科書=歴史 007』「フランス:1」」より続き。
 編著者L.ベルネのほか、R.ブランション、M.バレスト、J.マシエックス。
 井上幸治/二宮宏之/田邊祐編訳、赤司道和/大和田玲子/小野有五/佐藤哲夫訳。
 1978年中学校認定教科書(本巻は中学2年課程用)。

 フランス人は、13世紀の終わりごろに「一国を形成しているという自覚を持つようになった」とある。その条件は、どうやら、「すべてのフランス人が王(カペー家)の臣民になった」ことと、「13世紀には王国全土で共通貨幣が流通していた」ことであるらしい(「7 11~13世紀の西欧における権力」本書55頁)。ただこの時期にはまだ、「ロワール河以北のフランス人は,オイル語を話し,河の南のフランス人はオック語を話していた」ため、「すべてのフランス人が互いに理解し合うことができたというわけではない」(同上)ともある。

 近代史部分になっても、自国を含む帝国主義時代について一切の言及はなく、すぐ植民地が独立したあとの現代史へとんでしまう。「植民地」は、定義のなされない言葉として一カ所見えるだけである(192頁)。「奴隷貿易」も一カ所、ただしこちらは結果的にはアフリカの異教徒を教化して救った行いとして賞賛する当時(15世紀)のヨーロッパ人の文章が紹介されている(122頁)。

 ちなみに、フランスの王は、6世紀フランク王国時代に制定された「サリカ法典」(もしくはそれをもとに慣習法として定着した「サリカ法」と呼ばれるもの)によって、カペー家の一族、それも男系の者しかなれないことになっていたそうだ。カペー朝のあとを承けたヴァロア朝、そしてブルボン朝、全てそうであるという。さらには、「1204 年のコンスタンティノープル征服後に建てられたラテン帝国の皇帝家、1910年まで続いたポルトガル王家、14 世紀にナポリ王国・ハンガリー王国・ポーランド王国を支配したアンジュー=シチリア家もカペー家の分家である。現在でもスペイン王家はブルボン家であり、ルクセンブルク大公家は男系ではブルボン家の血筋である」(ウィキペディア「カペー朝」)。
 こうしてみると、カペー朝以後のヨーロッパにおける「サリカ法(典)」は、あたかもモンゴル帝国以後の中央ユーラシア世界における「チンギス統原理」を彷彿させる。

(ほるぷ出版 1981年11月初版第1刷)

ヘロドトス著 青木巌訳 『歴史』 上下

2010年06月17日 | 西洋史
 阪急梅田駅、古書のまちのある古本屋で見かけてから20年、いつかこの青木訳を読もうと思い続けてきて、ようやく辿り着いた。

 これはハリカルナッソスのヘロドトスによる研究であって、人間の功業が時のたつうちに忘れ去られるような事、また、ギリシャ人と異邦人によってそれぞれ示された驚嘆すべき偉業が顧みられなくなるような事、特に、彼等が互いにしのぎを削るに至った原因が不明になるような事がないようにするために発表するものである。 (「巻一」 上巻13頁)

 巻頭このヘロドトスの言が、具体的にはペルシア戦争(紀元前492-449年)のことを言っているのは、言うまでもない。したがって、“異邦人”とは、当時のアケメネス朝ペルシア人であることは、言うを俟たない。ヘロドトスの偉大さは、ヘラスに住まうヘレネスのギリシア人も、バルバロイのペルシア人も、人間としては同列と見、その両者が激突するまでの各々の営みを“偉業”、その“偉業”が織りなす結果を“功業”としたところにある。

 かくて、どんな点から見ても、私にはカンビュセスが、はなはなだしい狂人であった事は、明白である。さもなければ、神事や習俗をばかにするような事を企てなかったであろう。いうまでもなく、もし人がどこの人間に尋ねようと、世界中の風習のうちから最もすぐれたものを選び出せと命ずるならば、すべてを調査した上、彼等は各自いずれも自国のものを選ぶであろうというわけで、かくいずれも自国の習俗をもって、断然最も優秀なものと信じているのである。したがって、かかるものをばかにするのは、狂人以外には恐らく皆無であろう。 (「巻三」 上巻179頁)

 所変われば人の日々の営みも、ものの考え方も異なってきて当たり前である。人はその住みなす環境のなかで、そこで最適最善と思われる道を選ぶ。紀元前5世紀の人ヘロドトスにとって、それは、ことごとしく論じる必要もない自明のことであった。

(新潮社 1960年11月・12月)

サリャム・ハトィポーヴィチ・アリシェフ 『13-16世紀ボルガル及びカザンと黄金のオルダの関係』

2010年06月16日 | 西洋史
原書著者名および題名: Салям Хатыпович Алишев 『Болгаро-казанские и золотоордынские отношения в XIII-XVI вв』

 タタール人(ヴォルガ・タタール人あるいはカザン・タタール人)の起源については、Azade-Ayse Rorlich『The Volga Tatars』とほぼ同じく、折衷説。ただ、黄金のオルダの影響も考慮に入れている点、従来の折衷説として新味がある。あるいはより徹底したものといえる。というのは、著者の結論は、「(カザン)タタール人とはブルガール人・キプチャク人・バシキール人・チュヴァシ人・フィノ=ウゴル人ほか、当時のカザン・ハーン国に居住していたすべての部族や民族の融合したものである」(要約)というものだからだ(153頁)。ちなみに著者は、キプチャク人、すなわちキプチャク・ハーン国のテュルク系民族及びモンゴル人を現在のヴォルガ・タタール人の祖先の一派と正式に認める事により、政治的理由によって同民族の祖先研究においてモンゴル帝国に関係する要素を一切排除するというソ連時代の思想統制の残滓を一掃している。これでヴォルガ・タタール人の起源論争における選択肢はまず出尽くしたわけであるが、これ以上は、もはやDNA検査でも導入しないと、文献史学・考古学、あるいは文化人類学をここに加えてもよいが、歩を進めるのは困難ではないか。

(Казань: Татарское книжное издательство, 2009)

L.ベルネ他編著 『世界の教科書=歴史 007』「フランス:1」

2010年06月15日 | 西洋史
 編著者は、上掲L.ベルネのほか、R.ブランション、M.バレスト、J.マシエックス。
 井上幸治編訳、赤司道和訳。
 1979年中学校認定教科書(本巻は中学1年課程用)。

 基本的に西洋史だが、エジプト史が繰り込まれている。ちょっと驚いたが、地中海世界、あるいはローマ帝国(東ローマ帝国も含め)の一部であったことを考えれば、理屈は通る。
 歴史教科書とはいえ、社会と地理に歴史的背景の説明を付加したような作りである。これは、現代フランスの国民(すなわちフランス人)が日々くらす社会(コミューン)とそこで営まれる集団生活の、なり立ちを教えるということがこの本(第一巻)の根本目的だからであると思われる(本書27頁「8 現代社会の生活」の記述から推測)。

(ほるぷ出版 1981年11月初版第1刷)

ヴィクター・セベスチェン著 三浦元博/山崎博康訳 『東欧革命1989 ソ連帝国の崩壊』

2010年06月04日 | 西洋史
 “悪の帝国”ではなく受動的恐怖心と被害者意識に凝り固まった、疲弊した帝国というソ連像。その疲弊した帝国に私益と権力欲と自己保存から追従(ついしょう)する属州総督さながらの東欧衛星国の指導者たちの姿。とりわけ衝撃だったのは、一貫して本物の共産主義者であったというゴルバチョフ像と、祖国ポーランドのために敢えて弾圧者の汚れ役を引き受けたのではなく、実はソ連の軍事介入を懇請していた現実のヤルゼルスキ。
 著者はハンガリー出身だが、同じもの――ペレストロイカとソ連崩壊――を内側から観ればこうなるのかと、非常に興味深い。

(白水社 2009年11月)