2010年06月15日「
L. ベルネ他編著 『世界の教科書=歴史 007』「フランス:1」」より続き。
編著者L.ベルネのほか、R.ブランション、M.バレスト、J.マシエックス。
井上幸治/二宮宏之/田邊祐編訳、赤司道和/大和田玲子/小野有五/佐藤哲夫訳。
1978年中学校認定教科書(本巻は中学2年課程用)。
フランス人は、13世紀の終わりごろに「一国を形成しているという自覚を持つようになった」とある。その条件は、どうやら、「すべてのフランス人が王(カペー家)の臣民になった」ことと、「13世紀には王国全土で共通貨幣が流通していた」ことであるらしい(「7 11~13世紀の西欧における権力」本書55頁)。ただこの時期にはまだ、「ロワール河以北のフランス人は,オイル語を話し,河の南のフランス人はオック語を話していた」ため、「すべてのフランス人が互いに理解し合うことができたというわけではない」(同上)ともある。
近代史部分になっても、自国を含む帝国主義時代について一切の言及はなく、すぐ植民地が独立したあとの現代史へとんでしまう。「植民地」は、定義のなされない言葉として一カ所見えるだけである(192頁)。「奴隷貿易」も一カ所、ただしこちらは結果的にはアフリカの異教徒を教化して救った行いとして賞賛する当時(15世紀)のヨーロッパ人の文章が紹介されている(122頁)。
ちなみに、フランスの王は、6世紀フランク王国時代に制定された「
サリカ法典」(もしくはそれをもとに慣習法として定着した「サリカ法」と呼ばれるもの)によって、カペー家の一族、それも男系の者しかなれないことになっていたそうだ。カペー朝のあとを承けたヴァロア朝、そしてブルボン朝、全てそうであるという。さらには、「1204 年のコンスタンティノープル征服後に建てられたラテン帝国の皇帝家、1910年まで続いたポルトガル王家、14 世紀にナポリ王国・ハンガリー王国・ポーランド王国を支配したアンジュー=シチリア家もカペー家の分家である。現在でもスペイン王家はブルボン家であり、ルクセンブルク大公家は男系ではブルボン家の血筋である」(ウィキペディア「
カペー朝」)。
こうしてみると、カペー朝以後のヨーロッパにおける「サリカ法(典)」は、あたかもモンゴル帝国以後の中央ユーラシア世界における「チンギス統原理」を彷彿させる。
(ほるぷ出版 1981年11月初版第1刷)