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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

小野蘭山 『重訂本草綱目啓蒙』

2014年01月30日 | 料理
『復刻 日本科学古典全書』第9・10巻(朝日新聞社 1978年9月・10月)所収。

解題部分で三枝博音氏が、明・李自珍『本草綱目』の、小野蘭山による独自の注解釈付き翻訳もしくは訳者自身の学問構想による大がかりな翻案であるこの書を著すにあたり、小野が方以智物理小識』を屡々引用していることに注意している。私は、この選択が著者の見識の一端を示していると思う。
 もう一端は、本書各項目の体裁に現れている。『本草綱目』のような、産地の他は薬用効果のみに偏する実利重視ではなく、「形状・性質を純客観的に、且つ細密に記述するという態度を取っている」(三枝博音「解説」)。

杜預 「春秋左氏伝序」

2013年12月19日 | 料理
 冒頭、
 
 春秋者、魯史記之名也。記事者、以事繫日、以日繫月、以月繫時、以時繫年、所以紀遠近、別同異也。故史之所記、必表年以首事。年有四時。故錯舉以爲所記之名也。 (テキストは例えば『近代デジタルライブラリー』石川鴻斎述「春秋左氏伝講義」を見よ)

 とあって、時を示すに「何年+季節+何月+干支日」と記すのが『春秋』の体例であると杜預は指摘している。
 これは、逆に言えば、以後の文言文の書き手がこの時の表記法を取るならば、それは『春秋』(およびその注疏)の文体、即ち語彙・表現、そして必然的にその世界観に倣っている、もしくは束縛せられているということを意味する。読み手はそれを心得て対せねばならないであろうということだ。
 ――といいつつ、実のところ、「春秋左氏伝序」のそのあとは私にはよくわからない。そもそも杜預が前提として措定するような(本人は帰納的に見つけたと言いたげだが)、首尾論旨一貫した“大義”は、はたして『左氏伝』に、そしてその奥にある『春秋』に有ったのか。杜預自身、『左氏伝』は「其文緩、其旨遠(その文は緩く、その旨は遠し)」と認めているではないか。

原作西村ミツル 作画天道グミ 『ヘルズキッチン』 4

2013年12月18日 | 料理
 「『ヘルズキッチン』1」 より続き。

 この巻に初登場する雲井蜜郎を見て、田村由美『BASARA』の那智かと驚いた。外見、髪型、関西弁、父親は大物。ただしこちらの方が性格がキツい。あるいは周囲や他人のことを考えないから自分がそのままストレートに出る。那智も生地はこんなものだろう。

(講談社 2011年7月)

古松崇志 「10~13世紀多国並存時代のユーラシア (Eurasia) 東方における国際関係」

2013年07月27日 | 料理
 『中国史学』21、2011年10月、113-130頁。原文旧漢字、以下同じ。

 例えば、外交のさいの言語については、契丹や金では北方の諸国・諸集団との交渉において支配者集団の言語である契丹語や女真語も使用しており、宋との交渉でもっぱら用いられた漢語がすべてだったわけではない。外交儀礼については、契丹・宋間の儀礼をはじめとして、中国王朝の賓礼の影響が強調されているが、前後の時代も含めたユーラシア諸国家との儀礼との比較考察はまったく不十分である。澶淵の盟締結により両国皇帝家どうしが取り結んだ擬制家族関係にしても、10世紀の契丹と沙陀の関係にさかのぼるものであり〔略〕、中央ユーラシアのテュルク系遊牧民の風習との関連を想起させる。いずれにせよ、外交関係のさまざまな要素について、今後は、狭い意味での中国史の範囲を越えて、ユーラシア規模の視野から再検討していく必要がある。 (「4. 多極化時代のユーラシア東方をどうとらえるか――『澶淵体制』の提起」124頁。下線は引用者)

 下線部のみ疑義あり。北宋―遼の皇帝は兄弟の関係であるが、契丹―沙陀のそれは親子関係だった。しかもそれは契丹から与え下した関係である。ちょっとちがうのではないか。沙陀―漢人(あるいは沙陀―沙陀)の義児(仮子)関係は、結局は主従関係の強化形態であるから、対等者同士の関係であった遼―北宋のそれとは意味が異なるのでは。

うえやまとち 『クッキングパパのレシピ366日』

2012年07月19日 | 料理
 『美味しんぼ』に較べ、手間と時間を惜しまず地道にそのとおりやれば何とかなりそうなレシピが基本であるようだ。『美味しんぼ』に出てくる料理は、センスがあれば手間と時間が(ある程度)省けるかわり、センスがないと最初からどうにもならないレシピが多い。レパートリーを増やすために重宝するのはコチラだが、本音で挑戦したいのは、アチラ。

(講談社+α文庫 1996年12月第1刷 1997年11月第6刷)