〈http://www.youtube.com/watch?v=GEK9V4XIPkU&feature=related〉
石川ひとみさんて、凄い! 力づくでなしにラッツ&スター(というより鈴木雅之さん)をねじ伏せて、本歌を損なわずに全く別の、自分の歌にしてる。
石川ひとみさんて、凄い! 力づくでなしにラッツ&スター(というより鈴木雅之さん)をねじ伏せて、本歌を損なわずに全く別の、自分の歌にしてる。
〈http://www.youtube.com/watch?v=loZyX0YClk4&feature=related〉
朝起きて「msn 産経ニュース」「田代まさし容疑者、コカイン所持でまたまた逮捕 同伴女性は覚醒剤」を見てびっくり。昨晩寝る前にこれを視聴していたから。普段聴かないのだが、何という偶然。虫の知らせというのは本当にあるのかもしれないとさえ思った。
朝起きて「msn 産経ニュース」「田代まさし容疑者、コカイン所持でまたまた逮捕 同伴女性は覚醒剤」を見てびっくり。昨晩寝る前にこれを視聴していたから。普段聴かないのだが、何という偶然。虫の知らせというのは本当にあるのかもしれないとさえ思った。
〈http://www.youtube.com/watch?v=Tw4GWRLUmpI&feature=related〉
昔の映像かと思って観ていて、途中でそうでないことに気がついて、腰を抜かしそうになった。
昔の映像かと思って観ていて、途中でそうでないことに気がついて、腰を抜かしそうになった。
〈http://www.youtube.com/watch?v=7J21VxZWmyw〉
この「京女」のコントをながいこと見たかった。イケズな京女があたりに振りまくもの柔らかな表現にくるんだ毒舌。中島知子さんは京都生まれ京都育ちで正真正銘の京女だから堂に入ったものだ。
でもこれはまだ全国区向きに毒を手加減してある。すぐ嫌みと判る嫌みは、京都式ではない。言われた当人が気付かない(ひょっとして死ぬまで)ほどの隠微な嫌みが究極の京風である。
京都の人間て、信じれんくらい腹の曲がりくねっとんがいよーからね(神戸・明石弁)。
この「京女」のコントをながいこと見たかった。イケズな京女があたりに振りまくもの柔らかな表現にくるんだ毒舌。中島知子さんは京都生まれ京都育ちで正真正銘の京女だから堂に入ったものだ。
でもこれはまだ全国区向きに毒を手加減してある。すぐ嫌みと判る嫌みは、京都式ではない。言われた当人が気付かない(ひょっとして死ぬまで)ほどの隠微な嫌みが究極の京風である。
京都の人間て、信じれんくらい腹の曲がりくねっとんがいよーからね(神戸・明石弁)。
開戦は不可避である。開戦はこの問題を解決する究極の手段だ。釣魚台の危機は、戦争によってのみ救うことができるのだ。
日本は早く反省し、みずからの過ちを正せ。一日も早く釣魚台を返還せよ。そうすれば中国の幸福にもなり、日本にとっての幸福にもなるだろう。さもなければ、その頭上に、自分たちの命を奪う戦争が降りかかることになる。
〔略〕過ちを犯し続ける日本はふたたび戦禍の苦しみを受けろ!
最後の勝利は中国のものだ! (末尾、本書147頁。引用者訳)
何があっても人を傷つけたり、殺したりしてはいけない、それは悪いことだ、という思想(というのもおこがましいようなごく自然な考え方)は、戦後日本の最大の成果であり美点であり、人類史上に特筆すべき現代日本と日本人の貢献だと、私は思っている。そしてつねにそうありたいと念じている。
しかし、自分が当事者になった場合、この信条を通せるだろうか。私はいつも自問自答する。
たとえば、息子が殺されたり不具にされたりする(これは何も肉体的なそれに限らない)とする。復讐せずにいられるか。
私は自信がない。息子は、親の私が見てもとても優しい子で、そんなことは決して望まないだろう。それでも、親として、私は、復讐を誓うと思う。たとえば、日本人を殺すと公に宣言している、この黄偉明なる人物が、もし中国軍の一員として侵攻してきて(あるいは旅行者をよそおったテロリストとして日本に潜入して無差別テロを行って)、息子を傷つけたり殺したりしたら、私はこの者を地の果てまで追い、殺しはしないまでも彼奴が残りの一生後悔しつづけるくらいの返報をするだろう。
黄氏よ、安心したまえ。これはすべて仮定の話だ。君の宣言が13年経っても一向に実現しないように、君がこれからも実際には何もしないかぎり、私も何もしない。
――どうやら私はまだ修行が足らないらしい。まともに馬鹿の相手をしてしまった。
(廿一世紀概念有限公司、香港、1997年5月)
日本は早く反省し、みずからの過ちを正せ。一日も早く釣魚台を返還せよ。そうすれば中国の幸福にもなり、日本にとっての幸福にもなるだろう。さもなければ、その頭上に、自分たちの命を奪う戦争が降りかかることになる。
〔略〕過ちを犯し続ける日本はふたたび戦禍の苦しみを受けろ!
最後の勝利は中国のものだ! (末尾、本書147頁。引用者訳)
何があっても人を傷つけたり、殺したりしてはいけない、それは悪いことだ、という思想(というのもおこがましいようなごく自然な考え方)は、戦後日本の最大の成果であり美点であり、人類史上に特筆すべき現代日本と日本人の貢献だと、私は思っている。そしてつねにそうありたいと念じている。
しかし、自分が当事者になった場合、この信条を通せるだろうか。私はいつも自問自答する。
たとえば、息子が殺されたり不具にされたりする(これは何も肉体的なそれに限らない)とする。復讐せずにいられるか。
私は自信がない。息子は、親の私が見てもとても優しい子で、そんなことは決して望まないだろう。それでも、親として、私は、復讐を誓うと思う。たとえば、日本人を殺すと公に宣言している、この黄偉明なる人物が、もし中国軍の一員として侵攻してきて(あるいは旅行者をよそおったテロリストとして日本に潜入して無差別テロを行って)、息子を傷つけたり殺したりしたら、私はこの者を地の果てまで追い、殺しはしないまでも彼奴が残りの一生後悔しつづけるくらいの返報をするだろう。
黄氏よ、安心したまえ。これはすべて仮定の話だ。君の宣言が13年経っても一向に実現しないように、君がこれからも実際には何もしないかぎり、私も何もしない。
――どうやら私はまだ修行が足らないらしい。まともに馬鹿の相手をしてしまった。
(廿一世紀概念有限公司、香港、1997年5月)
ちかごろはだいぶ大雑把になってきたが、と注釈つきながら、「日本人は他人に厳しいが自分にも厳しい」、しかし「台湾人は他人にも自分にも甘い」、だから台湾人は「自分たちには真似ができない、立派な精神性だ」と尊敬した、それが、日本統治時代を経験した世代の台湾人が戦前の日本人(日本国家ではない)を評価する理由であるという(「第3章 豊かな日本に萌える台湾人」本書140頁)。ましていまの若い台湾人は、そのような昔のそれも軍国主義日本を好きなわけではない、彼らが好きなのは、今日の豊かな日本、平和な日本であり、その中で暮らす穏やかで優しい今日の日本人なのだというのが、著者のメッセージである。
自他ともに厳しいところは、過ちを徹底して反省することも含まれる。したがって、保守派が非難してやまない「自虐史観」なるものも、一種の自分への厳しさへの表れであるといえる。逆に「過去に誇るべきことも多い」という保守派が提示する歴史観のほうが、どことなく中国や北朝鮮の「自慰史観」と通底するものがあると筆者は感じる。 (「第3章 豊かな日本に萌える台湾人」本書141頁)
自虐も自慰も過ぎたるはおよばざるがごとしという一点を忘れなければ、これまた肯綮に当たる言である。
ちなみに著者は、中国人や韓国人について、これまた「もちろんこれは全体的傾向だから」との断りを入れたうえで、「自分に甘く他人に厳しい」と評する(「第1章 日本と台湾の歴史的絆」本書43頁)。これについても、大体においてそうであろうと思う。だから彼らは飽きることなく同じ事を言い、同じ事をし、結果として同じ事態を招来するのである。
(扶桑社 2010年9月)
自他ともに厳しいところは、過ちを徹底して反省することも含まれる。したがって、保守派が非難してやまない「自虐史観」なるものも、一種の自分への厳しさへの表れであるといえる。逆に「過去に誇るべきことも多い」という保守派が提示する歴史観のほうが、どことなく中国や北朝鮮の「自慰史観」と通底するものがあると筆者は感じる。 (「第3章 豊かな日本に萌える台湾人」本書141頁)
自虐も自慰も過ぎたるはおよばざるがごとしという一点を忘れなければ、これまた肯綮に当たる言である。
ちなみに著者は、中国人や韓国人について、これまた「もちろんこれは全体的傾向だから」との断りを入れたうえで、「自分に甘く他人に厳しい」と評する(「第1章 日本と台湾の歴史的絆」本書43頁)。これについても、大体においてそうであろうと思う。だから彼らは飽きることなく同じ事を言い、同じ事をし、結果として同じ事態を招来するのである。
(扶桑社 2010年9月)
同名の「生きている人と死んだ人」(『文藝春秋』1986年11月掲載)を読む。雑誌が出た時に読み、単行本になった時も早速買って読んだ。1986年といえばまだ私は二十代半ばである。しかしもともとこの人の文章とのつきあいは十代からだ。十代からこの人の作品に親しんでいると、深甚な影響を受ける。この人は生者と死者を区別しない。私もそうなった。もともとそんな性格だったのか、それともこの人の影響でそうなったのかはわからない。
ただ私の場合、氏とは違って人生のアルバイトでも浮世の傍観者でもない。私は、どちらかといえば死者のほうをより好む。死者の知己の増えるのは大歓迎だが、生きた人間の知己がこれ以上増えるのはできるだけ御免蒙りたい。立派な友人、尊敬すべき知人ならすでに十分に持っている。死んだ人間はこちらから話しかけないかぎり何も言わないけれど、生きた人間は、こちらの都合に委細かまわず的はずれの下らぬことばかり言ってくるのが大抵である。うるさくて邪魔である。いまの私はまあ人間嫌いの部類に属するだろう。とすれば隠者か。しかしあちら側から見ればダメの人であることは氏と同じか。
(文藝春秋 1988年11月)
ただ私の場合、氏とは違って人生のアルバイトでも浮世の傍観者でもない。私は、どちらかといえば死者のほうをより好む。死者の知己の増えるのは大歓迎だが、生きた人間の知己がこれ以上増えるのはできるだけ御免蒙りたい。立派な友人、尊敬すべき知人ならすでに十分に持っている。死んだ人間はこちらから話しかけないかぎり何も言わないけれど、生きた人間は、こちらの都合に委細かまわず的はずれの下らぬことばかり言ってくるのが大抵である。うるさくて邪魔である。いまの私はまあ人間嫌いの部類に属するだろう。とすれば隠者か。しかしあちら側から見ればダメの人であることは氏と同じか。
(文藝春秋 1988年11月)
YouTube。
〈http://www.youtube.com/watch?v=0n3WvPkSWWw&feature=related〉
めっちゃ高画質。見ていて心地がいい。
親愛なる桑田さん、手術成功おめでとうございます。回復も順調とのこと、なによりです。私のほうは、このところ、毎日寝る前のひととき、2007年ライブツアーのDVDを観ています。復帰される日を気長に待とうと思います。
〈http://www.youtube.com/watch?v=0n3WvPkSWWw&feature=related〉
めっちゃ高画質。見ていて心地がいい。
親愛なる桑田さん、手術成功おめでとうございます。回復も順調とのこと、なによりです。私のほうは、このところ、毎日寝る前のひととき、2007年ライブツアーのDVDを観ています。復帰される日を気長に待とうと思います。