最近の中国哲学の一論考をある方面から教えられる。読後、宋代の数学にたいする明代の数学にも比すべきかとの感想をいだく。指向と広がりの次元がそもそもに異なる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
「出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください」と、注文が付けられている。
脚注欄をみると引用文献のほとんどに引用頁が示されていない。先ずはこのことを指すのだろう。資料を頭から読んで自分で探せというのだろうか。あとは参考文献だろう。これはウィキのこのシューベルト項に限ったことではなく上は碩学の論著から下は学生のレポートに至るまで実物に接して思うのだが、参考文献とは、「筆者が論著を書く際に参考にした文献」なのか、それとも「さらに知りたい読者が読んだあとで参考にすべき文献」なのか。
いずれにせよこれもどこを参照した、あるいはすべきなのか、頁数もしくは例えば章数など最低でも明示すべきだろう。本当なら本文中に随時注をつけてここはなにを参考して記述した旨表示すべきである。私は、人がそれをしないことが理解できない。
「出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください」と、注文が付けられている。
脚注欄をみると引用文献のほとんどに引用頁が示されていない。先ずはこのことを指すのだろう。資料を頭から読んで自分で探せというのだろうか。あとは参考文献だろう。これはウィキのこのシューベルト項に限ったことではなく上は碩学の論著から下は学生のレポートに至るまで実物に接して思うのだが、参考文献とは、「筆者が論著を書く際に参考にした文献」なのか、それとも「さらに知りたい読者が読んだあとで参考にすべき文献」なのか。
いずれにせよこれもどこを参照した、あるいはすべきなのか、頁数もしくは例えば章数など最低でも明示すべきだろう。本当なら本文中に随時注をつけてここはなにを参考して記述した旨表示すべきである。私は、人がそれをしないことが理解できない。
『尚書』「泰誓上」の「惟天地萬物父母,惟人萬物之靈」の“霊”は、『尚書正義』の注によれば「精髄」という意味らしい。この世に存在するすべての物(生物を含めて)がはぐくみ育てる存在だからという理屈である。例によって論に証拠はないが。これも備忘に。
というのは『徒然草』第211段で兼好法師はこの句を踏まえて、「人は天地の霊なり」と書いているのだが、どういう意味で使っているのだろうと気になったからだ。御坊はどの注で『尚書』を読まれたのだろうと。
ここでのあらまほしき先達は小川剛生氏なのだが(同氏訳注『徒然草』角川ソファイア文庫、くだんの文は196頁)、同書「解説」を読むと、この『徒然草』は何のために書かれたのか、また誰に宛てて書かれたのか(読者層は奈辺か)もはっきりしないという。おのれの無知と鈍感さに驚く。
というのは『徒然草』第211段で兼好法師はこの句を踏まえて、「人は天地の霊なり」と書いているのだが、どういう意味で使っているのだろうと気になったからだ。御坊はどの注で『尚書』を読まれたのだろうと。
ここでのあらまほしき先達は小川剛生氏なのだが(同氏訳注『徒然草』角川ソファイア文庫、くだんの文は196頁)、同書「解説」を読むと、この『徒然草』は何のために書かれたのか、また誰に宛てて書かれたのか(読者層は奈辺か)もはっきりしないという。おのれの無知と鈍感さに驚く。
Googleで「対訳」で検索すると、まず最初に、
たいやく 【対訳】
1. 原文に並べて訳文を示すこと。その訳文。
2. その語句に対して訳語だけ示すこと。 「―辞書」」
と出る。 江戸時代の初期の蘭和辞書を見るとおおよそ第2番目の対訳辞書のようなものである。暗記してもオランダ語はマスターどころか上達もしない。基本的に語彙レベルでの条件反射的反応を学ぶのみであるからだ。しかもその対訳が、その語のもつ概念の日本語による定義であるのか、あるいは言い換え的の説明か、またあるいは当時の日本語と日本社会において対応する事や類似する物の単なる対置か、作った本人もよく区別していないだろうと思われる。
和蘭の辞書も同様で、「湯(スヒモノ)」の対訳がただ「ソップ」だったりする。「生」=「ラーウー」とか(なんだそれは)。たとえば『蛮語箋』(1798) を見ればいい。
たいやく 【対訳】
1. 原文に並べて訳文を示すこと。その訳文。
2. その語句に対して訳語だけ示すこと。 「―辞書」」
と出る。 江戸時代の初期の蘭和辞書を見るとおおよそ第2番目の対訳辞書のようなものである。暗記してもオランダ語はマスターどころか上達もしない。基本的に語彙レベルでの条件反射的反応を学ぶのみであるからだ。しかもその対訳が、その語のもつ概念の日本語による定義であるのか、あるいは言い換え的の説明か、またあるいは当時の日本語と日本社会において対応する事や類似する物の単なる対置か、作った本人もよく区別していないだろうと思われる。
和蘭の辞書も同様で、「湯(スヒモノ)」の対訳がただ「ソップ」だったりする。「生」=「ラーウー」とか(なんだそれは)。たとえば『蛮語箋』(1798) を見ればいい。
「訓読ができる」のと「漢文が読める」のとは異なる。たとえば漢字の語彙や熟語の対応する訓読を機械的に暗記すれば、初見の漢文でも誦み下しはできる。しかし読解できているかどうかとは必ずしも重ならない。これを端的に言えば、訓読法をマスターしていても白文の句読は切れない。つまり読めない。荻生徂徠の現代漢語学習、漢文の中国音での音読推奨の理由のひとつがこれである(訓読は対象言語の読解に非ずという認識)ことを知ったとき、徂徠という人をたいへん尊敬した。
それで思い出すのは、塞外史の研究者は史料・先行研究の双方の必要上、複数の言語ができなければならないし、またできて当然というところがあって、それを誇りとするのもわかる。だがそれがときとして漢文軽視――あんなものは読む必要はない――となるのは極端へ振れすぎではないかと思えることだ。
従来の漢文史料一辺倒かつ金科玉条扱いの反動としてそうなったのであろう。どうせ中国側の都合で歪曲したろくなことしか書いてないという主張は、私としては別の角度から首肯しないでもない。だがそれは別として、読まないで、あるいは読めないで、「読む必要のない内容である」と結論するのは非論理的ではないか。
しかしながら、こういった思案は、最初から読もうとしない、あるいは読もうとしても白文の句読が切れない、つまり読めない漢文資料を「読む必要はない」と断じる時勢に乗る塞外史家や、もともと地方志の税の部分を判じ読み或いは数字を拾い読みしてあとは舶来の理論体系もしくは多少モディファイした先行研究の結論を取捨選択適用するのが主たる作業のある種の中国社会経済史家には、これは迂遠はおろか無用の事柄であろう。とくに後者にとってはテクストはいわばあらかじめ定まっている自説を開陳するための材料、ダシにすぎない。訓読をかたちのうえで止めただけで精神はこれまでどおりに訓読、あるいは判じ読み・拾い読みの道を行かれればよいと思う。
それで思い出すのは、塞外史の研究者は史料・先行研究の双方の必要上、複数の言語ができなければならないし、またできて当然というところがあって、それを誇りとするのもわかる。だがそれがときとして漢文軽視――あんなものは読む必要はない――となるのは極端へ振れすぎではないかと思えることだ。
従来の漢文史料一辺倒かつ金科玉条扱いの反動としてそうなったのであろう。どうせ中国側の都合で歪曲したろくなことしか書いてないという主張は、私としては別の角度から首肯しないでもない。だがそれは別として、読まないで、あるいは読めないで、「読む必要のない内容である」と結論するのは非論理的ではないか。
しかしながら、こういった思案は、最初から読もうとしない、あるいは読もうとしても白文の句読が切れない、つまり読めない漢文資料を「読む必要はない」と断じる時勢に乗る塞外史家や、もともと地方志の税の部分を判じ読み或いは数字を拾い読みしてあとは舶来の理論体系もしくは多少モディファイした先行研究の結論を取捨選択適用するのが主たる作業のある種の中国社会経済史家には、これは迂遠はおろか無用の事柄であろう。とくに後者にとってはテクストはいわばあらかじめ定まっている自説を開陳するための材料、ダシにすぎない。訓読をかたちのうえで止めただけで精神はこれまでどおりに訓読、あるいは判じ読み・拾い読みの道を行かれればよいと思う。
「まなざし」という言葉を比喩として使っている社会史の著作を見る。「まなざし」というのは学問的にはあまり使わない語彙であろう。さらには比喩(この場合隠喩)であり、学問的著作では基本的に比喩は避けられる。比喩は修辞であって、学問が旨とする論理的な思考や表現の精確さと厳密さとを損なうからである(“死んだ隠喩”をのぞく)。この著者は、みずからがいま新たな比喩を使っていることを自覚しているかどうか。
中国近現代史研究畑では内藤湖南を読んだことのない人もいるだろうな。偉い先生が「内藤湖南は右だから私は読まずにきた」と公言していれば、後進やとくに教え子はちょっと手は出せないのではないか。それにそれが、自分の視座と研究手法には湖南や旧中国は知る理由と必要性がないという理屈ならば、それは正しいのだし。
五十音順(イロハ順でもよいが)の国語辞典と漢字辞典は、仮名(およびアルファベット)のみの語彙を含む含まないという以外に、その編纂制作の精神において何がどう違うのだろう。とくに後者が漢字を含む熟語成句まで立項した場合、その垣根はますますぼやけると思うが。
この漢字辞典には近代以前の、たとえば『節用集』のようなもののも含めている。
例えば『早引節用集』は漢語をその日本語読み(音訓を問わず)でイロハ順に並べている。「〔同書は〕掲出字の振り仮名の文字数、すなわち仮名で書いた場合の文字数を基準にして分類・排列された節用集」(松井利彦『近代漢語辞書の成立と展開』笠間書院1990年11月、第1章「節用集から漢語辞書へ」、同書19頁)
付言すると、もとになった『節用集』は部門別排列になっている。部門別排列とは、伝統中国における字書類、例えば類書の排列順、つまり漢語及び漢語世界におけるカテゴリー分けと分類項目の立て方とその順番である。
※参考。佐藤貴裕「早引節用集の分類について」(『文芸研究』115、1987年5月掲載、同誌67~78頁)https://www1.gifu-u.ac.jp/~satopy/ronhayabikibunrui.pdf
また、高梨信博「近世節用集の序・跋・凡例--早引節用集」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第3分冊 47、2001年掲載、同誌3-14頁)http://ci.nii.ac.jp/naid/120000792555
なお、いま紹介した同じ高梨信博氏による「早引節用集の成立」(『国文学研究』113、1994年掲載)では、「節用集」の部門別排列から「早引~」のイロハ順への変化については、前者が編纂者本位あるいは〈意味〉による分類であったのに対し後者では利用者本位もしくは〈訓読(ヨミコエ)〉つまり発音によるそれへと変わったからだという説明が与えられている。
これはどう解釈すべきか。
この漢字辞典には近代以前の、たとえば『節用集』のようなもののも含めている。
例えば『早引節用集』は漢語をその日本語読み(音訓を問わず)でイロハ順に並べている。「〔同書は〕掲出字の振り仮名の文字数、すなわち仮名で書いた場合の文字数を基準にして分類・排列された節用集」(松井利彦『近代漢語辞書の成立と展開』笠間書院1990年11月、第1章「節用集から漢語辞書へ」、同書19頁)
付言すると、もとになった『節用集』は部門別排列になっている。部門別排列とは、伝統中国における字書類、例えば類書の排列順、つまり漢語及び漢語世界におけるカテゴリー分けと分類項目の立て方とその順番である。
※参考。佐藤貴裕「早引節用集の分類について」(『文芸研究』115、1987年5月掲載、同誌67~78頁)https://www1.gifu-u.ac.jp/~satopy/ronhayabikibunrui.pdf
また、高梨信博「近世節用集の序・跋・凡例--早引節用集」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第3分冊 47、2001年掲載、同誌3-14頁)http://ci.nii.ac.jp/naid/120000792555
なお、いま紹介した同じ高梨信博氏による「早引節用集の成立」(『国文学研究』113、1994年掲載)では、「節用集」の部門別排列から「早引~」のイロハ順への変化については、前者が編纂者本位あるいは〈意味〉による分類であったのに対し後者では利用者本位もしくは〈訓読(ヨミコエ)〉つまり発音によるそれへと変わったからだという説明が与えられている。
これはどう解釈すべきか。
「日本人は非論理的で西洋人は論理的」といった話をまた、然るべき学位学歴を持つらしい方が真面目(? 少なくとも字面からはそうとうかがえる)に、ツイッターで論じておられる。ゆえに私も繰り返す。その「論理的」というのは何ですか。「論理」とは何でしょう。それは一つですか。どうして一つしかないと分っているのでしょう。
ロシア・ソ連史における古儀式派ひいては宗教一般(まずはロシア正教各派ほか)が同国・地域の歴史の進行に重大な関係があったと認めて着目する専門家の論著を閲読する。これまでその存在と重要性が無視されてきたと云うのだが、それほど重要なら無視してきた(ソ連が無くなって何年経つか)ほうがおかしかっただろう。そうじゃないか。