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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

朱鈞侃/潘鳳英/顧永芝 『徐霞客評伝』

2014年05月30日 | 伝記
 明末清初の中国における科学的思考様式の出現について、限界があったとか独自の歴史的発展によるとか過去の関連研究のようないじましい留保をつけずに当時宣教師を通じて流入してきた西洋の科学技術の影響によると綺麗に認めているのは進歩といえば進歩だが、こんどは反対に、その時代に生きていたからというだけの理由で徐霞客の業績までを無条件にそうとしてしまうのはどうであろうか。傍証のみで直接証拠が提示されていない(この著者連の手法ではできない)。根拠なしの肯定はいつでも根拠なしの否定に転じうる。

(南京 : 南京大学出版社 2006年8月)

森銑三 『佐藤信淵』

2014年02月01日 | 伝記
 『森銑三著作集』第九巻(中央公論社 1971年5月)収録。もと1942年出版。

 読むに、佐藤とは当時のいわば“意識高い系”だったのだという感想を持った。森氏は、著書や書簡でおのれのプロフィールをしきりに盛る佐藤の虚喝癖と机上の空論であるかそうでなければ他者の剽窃であるその実質貧弱な学識を厳しく指弾しつつ、同時にそうせざるを得なかった佐藤という人間存在に一掬の涙を注いでいる。その人格形成の原因が、生まれた身分と育った境涯か、それとも生得のものであるかについては、踏み込んではおられないけれど。

ディオゲネス・ラエルティオス著 加来彰俊訳 『ギリシア哲学者列伝』

2014年01月06日 | 伝記
 上巻。ソクラテスはさておき、プラトンの哲学と言説に関する説明がどうも変に思える。ウィキペディア同項によれば、内容的にかなり怪しいらしい。各章の構成も筆致も相当雑で、概して読み物の類いかという感想。言行・逸話集としてなら『世説新語』のほうが編纂上の注意も行き届いていて、内容文章ともによくできているし面白い。
 中巻。ゼノンの章はおもしろかった。こちらが無知で、初めて聞く、そして真贋の区別もつかぬ話が、多かったからかもしれないが。
 下巻。ピロラオスが地動説を唱えた事。ただ彼がどうしてその逆転の発想を思いついたのかは書かれていない。レウキッポスが原子論を最初に唱えた事。これも同様。最終第10巻はエピクロス一人で、1章の分量も多い。第3巻をやはり一人で占めるプラトンと並んで、彼がなぜいわば優遇されているのかは、分からない。

(岩波書店 1984年10月/1989年9月/1994年7月)

辻静雄 『エスコフィエ 偉大なる料理人の生涯』

2013年12月16日 | 伝記
 エスコフィエは小男で、若い頃は厨房では自分で考案したハイヒールを履いていたそうな。料理場の熱気はいまでも大変なものだそうだが、設備の悪かった昔はそれがより一層で、背が低いとストーブの熱にそれだけ早くやられてしまうからだった。
 ロンドンのカールトンホテルで部下として働いていたホーチミンとの関わりについては、とりたてて言及はない。

(復刊ドットコム版 2013年9月)

アーサー・ウェイリー著 加島祥造/古田島洋介訳 『袁枚 十八世紀中国の詩人』

2013年12月10日 | 伝記
 彼が公然と女弟子を取り、しかも当時の価値観からする世間の倫理的指弾に些かも動じなかったことについては、彼の好色もあるだろうが、それとは別に、その生涯において、幼時から周囲に教養あり才気ある女性が入れ替わり立ち替わり常に存在し、性別で決して人の優劣は決まらぬという尊敬すべき実例が身近に有り続けたということもあるのではないか。
 この伝でおもしろいのは袁枚よりも彼を取り巻く人間と状況である。彼を彼たらしめる有縁の人々の生きた様だ。
 もっともいちばん面白いのは、英国から出ることなく、これほどの漢語能力(日本語もだが)と学識とをみずからの裡に集積したアーサー・ウェイリーという怪物学者だが。

(平凡社 1999年3月)

湯志鈞 『荘存與年譜』

2013年12月04日 | 伝記
 開いて吃驚。浅文言で書いてある。出版社は台湾だが、著者紹介によれば著者は中国(大陸)人で、1924年生まれの人だという。『康有為伝』の筆者でもあるが、当初思い出せなかった。
 それはさておき、この書によれば、荘は二十歳の時に(乾隆三・1738)、科挙の第二段階である郷試に落ちた後、郷里で「算術」の学習に没頭したとある。更に二十三歳(乾隆六・1741)の項には、ふたたび科挙に落ち、『数理精蘊』という書籍を購って「推算(計算)」を研究したという。
 『数理精蘊』とは、康煕帝の時代に編纂された「一部融中西數學於一体,內容豐富的『初等數學百科全書』」(維基百科「御製数理精蘊」項)である。 中を覗いたことがないから、私も此処に書かれている事柄以外はその妥当性をも含めて何も言えない。
 手許にある狩野直喜『中国哲学史』、梁啓超『清代学術概論』(小野和子訳)、銭穆『中国近三百年学術史』には、いずれも荘存與についての紹介と評価が、程度の差はあれ有る。だがそれらはすべて公羊学者としての言及であり、数学者としてのそれはない。『清史稿』「疇人伝」にも彼の名は見えない。疇人とは天文学者にして暦学者であり、その必要上数学者でもあった者の謂であるから、荘が数学のみに関心を持ち、天文暦学にはなんらの業績がなかったからとすると、阮元や羅士琳が著した正続の『疇人伝』にも伝は立てられていない可能性が高い。

 付記

 例えば梁啓超は、『清代学術概論』で荘存與の学風を(数学者ではなく公羊学者としてのそれ)、彼の『春秋正辞』を例に、「科学的帰納的研究法をも用いていて、論理は一貫し、判断は正確であって、清人の著述のなかではまことにもっとも価値ある創作である」(小野和子訳、平凡社東洋文庫)と評している。だが根拠となる引用や説明がなにもない。梁という人はこういうことをすぐ言いたがるところがあったように思える。「こういうこと」というのは、「西洋にいまあるものは中国にももともとあった」といった類いの国粋的見地からする発言である。この『清代学術概論』ではとくにそうだ。「清代の学術研究が科学的精神にあふれたものであった」(「三十二 科学の未発達」同書335頁)というおのれの結論に持って行きたいがための牽強付会ではないのか。

 12月14日再付記

 正編・続編・三編(諸可寶撰)・四編(黃鍾駿撰)の『疇人伝』すべてに荘の伝はない。

(臺北 臺灣学生書局 2000年8月)

李甦平 『朱之瑜評伝』

2013年11月02日 | 伝記
 朱之瑜は朱舜水の本名(諱)。
 おおむねのところ、朱は正統的な儒教(朱子学)の徒であるという評価である。
 では朱の偉い所以は何か。この書の言うところは以下の四点である。

 1. 空疎な観念を持てあそぶのではなく実学を目指した。
 2. 日本の思想史、特に水戸学に影響を与えた。
 3. 董仲舒を評価し、今文学・公羊学を重視した。彼は常州学派の“開源者”である。
 4. 明に忠誠を尽くし清に抵抗した(漢)民族の志士である。
 
(南京大学出版社 2009年6月)

阮元 『疇人伝』

2013年10月31日 | 伝記
 中国歴代の暦算学者の伝記集。「疇人」は『史記』の語に因む。参考
 1799(嘉慶四)年刊。つまり乾嘉の学の産物である。
 阮元は王年孫を通じて戴震の学派の流れを汲み、清朝考証学の最盛期にそれを集大成する役割を果たした存在であると同時に、宋学を批判しつつも漢学を墨守することなく、自身の創見(ときとしてかなりの僻見)を陳べるのを辞さなかった点、次の時代の今文学派への橋渡しとなる学風を持っていたと評される(狩野直喜『中国哲学史』「阮元」条)。

 巻三十六に黄宗羲の伝がある。阮元は評して曰く、「博覧群書、兼通歩算」。歩算とは算術、数学のこと。
 この書にはあっと驚くような以外な人物が「疇人」として収録されている。
 反対に、入っていないこともある。清代に限って言えば、例えば、
 1. 戴震は入っている。(これは当然である。)
 2. 顧炎武は入っていない。(これもまあ妥当な判断かと思う。)
 3. 恵棟、王鳴盛といった呉派も入っていない。(これも同様。ただし銭大も入っていないのは少し意外。)

 なお、この書は時代順、王朝毎にその時代の人物の伝が配列されているが、三国時代、蜀漢からは一人も挙げられていない。魏・晋は各一名づついる。理由はわからないが興味を惹いたので記しておく。

(北京 中華書局 1991年 文選楼叢書版)