エミリー・ブロンテは、姉や妹と共同で出した詩集がなんと2部しか売れず、畢生の大作『嵐が丘』も、評価されたのは死後のことだった。
ゴッホは、生前に売れた絵はたった1枚だけであったという。しかしいまゴッホの才能を疑うものは、ひかえめに言ってもあまりいない(好き嫌いは別)。
そのゴッホが耳を切り落とすきっかけになった、この小説の主人公ストリックランドのモデルとなったとされる、ゴーギャンもまたそうである。「ポール・セザンヌに『支那の切り絵』と批評されるなど、当時の画家たちからの受けは悪かったが、死後、西洋と西洋絵画に深い問いを投げかける彼の孤高の作品群は、次第に名声と尊敬を獲得するようになる。」(「ウィキペディア」「
ポール・ゴーギャン」項)
(こうしてみると、かつては不遇をかこちながらも、やがて才能が正当に認められた宮崎駿氏などは、まだしも幸福なのだろうと思った。)
死後の世界があるとして、ブロンテや、ゴッホや、ゴーギャンを生前しかるべく遇さなかった人びとは、いまごろどのような顔(かんばせ)あって、彼らに対しているだろうか。何事もなかったようなふうで挨拶をかわしているか、機嫌をとって取り入っているか、「嫌いだから知らない、興味ない」で逃げるか。
まあこれは、現世の話でもいいことだが。
(新潮社 1959年5月 1991年8月62刷)