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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

荒井健注 『黄庭堅』

2010年07月05日 | 文学
 『中国詩人選集第二集」第7巻。
 脳内詩人。客観世界がよく見えず。だから紋切り型の自然・事物描写しかできない。

(岩波書店 1963年4月第1刷 1973年10月第9刷)

入谷仙介注 『高啓』

2010年07月05日 | 文学
 「中国詩人選集第二集」第10巻。
 一生習作で終わった詩人。39才で早死した(朱元璋に殺された)から未熟さが残るのは仕方がないという見方もされたりするが、さて・・・・・・。第一、当時の39才で死ぬのは、“早い”と言えるのか。

(岩波書店 1962年4月第1刷 1979年2月第8刷)

小川環樹注 『蘇軾』 上下

2010年07月01日 | 文学
 「中国詩人選集第二集」第5・6巻。
 北宋の蘇軾(1036年―1101年)は、大人の通人である。同じ旧法党でも、観念的で世事に疎い司馬光とは違い、物の見方が柔軟で世情にも通じていた。だから王安石の新法には基本的には反対であったものの、募役法は現実の問題に対するよい処方箋だと、王安石の失脚後も継続を主張した。
 彼は、所謂君子/読書人の範疇に納まる人ではなかった。たとえば彼は自ら厨房に立ち、料理を作り、作るだけでなく、東坡肉(スブタ)という新作料理を考案した。この点、まさに彼は身を労さぬことを旨とする中国知識人の歴史において空前の存在であり、衣鉢を継ぐ者としてはのち清の袁枚が有るのみである。
 而して彼は、それほど世故に長けながら、同時に俗世の泥になずまず天上の詩神と遊ぶこともできるという希有の才があった。しかもその作においては、詩でも散文でも詞でもなんでもござれという万能ぶりである。そしてそのどれもが群を抜いた水準であり、そのうえ一目で蘇軾の作と判る明らかな独創の刻印が押されていた。
 彼の政敵であった王安石も、文学者として中国史上傑出した存在である。だが王の作品には、いかにも天才らしい、触れれば切れるような鋭さと一種近寄りがたい冷たさがある。一方の、蘇軾の作品の基調は、暖色と円満さである。丸みを帯びた暖かさが彼の文学の身上であった。読んでいると心地がいい。蘇軾の文学は、モーツアルトの音楽に似ている。
 蘇軾の詩文は、逆境にある時の作でさえ――あるいはそのような時であればあるほど――、余裕がある。彼は、自分と自分を取り巻く世界を相対化して観ることができた。いつも何かを見つけておもしろがることができた人である。つまり彼にはユーモアのセンスがあった。

(岩波書店 1972年3・12月)

高木正一注 『白居易』 上下

2010年06月19日 | 文学
 「中国詩人選集」第12・13巻。
 白居易の詩が平明なのは、変に字句や語順をいじくらないからである。
 それから、彼の詩には飛躍がないのも理由ではないか。伝えたいモチーフや描きたい情景を言葉にしてそのままに書いてゆくから、読み手はついて行くのに難渋しない。とくに新楽府(上巻収録)など、まるで散文の分かち書きのようである。吉川幸次郎氏は、下巻の「跋」で、白居易の文体的な特徴を「饒舌」と評している。

(岩波書店 1958年2月第1刷 1990年9月第28刷・1983年6月第26刷)

レフ・トルストイ著 木村浩訳 『アンナ・カレーニナ』 上中下

2010年06月07日 | 文学
 本当に、トルストイの文章は「押し」ばかりで「引き」がないから、読んでいてくたびれてしまう。ドストエフスキーは「押し」と「引き」がないまぜになっていて、オートマ専用の自動車免許しかもってない奴の運転するマニュアル車に乗せられたみたい、チェーホフはこれはまた全編「引き」ばかりで、それはそれで気色がわるいのだが。

(新潮文庫 1972年2月初版 1994年11月47刷ほか)

清水茂注 『中国詩人選集』 11 「韓愈」

2010年06月06日 | 文学
 三十年前、訓読の作法を覚えるために有朋堂の『唐宋八家文』を原文と参照しながら読んだときから密かに思っていたことだが、韓愈の文体は読みにくい。柳宗元もそうだ。王安石や蘇軾の文章はすんなり呑み込めたから、(これはもしかして下手なのか?)とさえ思った。
 ともあれ、案の定、詩もそうだった。聱牙とまではいかないにせよ佶屈と評する資格は十分にあるというのが、私の個人的感想である。ごつごつして、ひっかかって、実に難渋する。おなじ詩でも、李白は暢達、杜甫は重厚、而してそのどちらも読みやすい。才能の差はひとつにはこういうところに露れるかと思ったりもするのだがどうだろう。文体に一定のリズムの有無。言うまでもないことだが、漢詩の場合、李白であれ杜甫であれ韓愈であれ、かならず韻を踏むのだがら、これは内的リズムのことである。

(岩波書店 1958年1月第1刷 1990年9月第21刷)

ユーリー・ガガーリン著 江川卓訳 「地球は青かった」

2010年05月30日 | 文学
 『現代世界ノンフィクション全集』第22巻所収。

 私にとって幸福なこの日々に、私たちは宇宙船の設計技師長と知り合った。(略)肩幅の広い、快活で機知に富んだ、ほんとうのロシア人、姓名も父称も純粋にロシアふうの人物、それがその人だった。 (同書457頁)

 このあと「ソ連の宇宙開発関係者にはユダヤ系の科学者が多いので、とくにことわったものらしい」という訳者による割注がある。ガガーリンという男のくだらなさにびっくり。
 くだらないといえば、巻末荒正人氏が「人智ははてしなし」と題して書きつらねる、本巻の収録作品(*)とは殆ど何の関係もない由無し事もまたくだらないこと夥しい。

*チャールズ・リンドバーグ著/佐藤亮一訳 「翼よ、あれがパリの灯だ」
 アーネスト・ガン著/小野寺健訳 「運命とのたたかい」
 リチャード・バック著/大原寿人訳 「夜と嵐をついて」
 ユーリー・ガガーリン著/江川卓訳 「地球は青かった」

(筑摩書房 1966年6月)

アレクサンドル・プーシキン 「エルズルム紀行」

2010年05月14日 | 文学
 原題「ПУТЕШЕСТВИЕ В АРЗРУМ ВО ВРЕМЯ ПОХОДА 1829 ГОДА」。
 〈http://www.rvb.ru/pushkin/01text/06prose/01prose/0870.htm

 1835年の作品。プーシキンはその数年前の1829年、コーカサス(カフカス)地方をとおってトルコのエルズルムまで旅をした。

   Черкесы нас ненавидят. Мы вытеснили их из привольных пастбищ; аулы их разорены, целые племена уничтожены. Они час от часу далее углубляются в горы и оттуда направляют свои набеги. Дружба мирных черкесов ненадежна: они всегда готовы помочь буйным своим единоплеменникам.  (ГЛАВА ПЕРВАЯ)

 チェルケス人は私たち〔訳注・ロシア人〕を憎んでいる。私たちは、広々と広がる牧地から彼らを追い出した。村々は荒廃し、いくつもの部族が消滅した。彼らは絶えず山地の奥へ奥へと引きこもり、そこから襲撃をかけてくる。平和的なチェルケス人の友情は期待できない。彼らはいつも、反徒となったおのれの同胞に手を貸す用意ができている。(「第一章」 引用者訳)

 淡々と、いっては聞こえはいいが、なにを分かり切ったことを、こんなことは行く前から判っていたことではなかったかという気もする。ノンフィクションとフィクションで本来比べてはいけないのかもしれないが、トルストイの「コサック」のほうが、当時(といっても四半世紀以上あとになるが)のコーカサスの状況や雰囲気をよく表しているような印象を受ける。