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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

山下和美 『不思議な少年』 2

2010年09月07日 | コミック
 説得とはすなわち・・・・・・/信じ込むことを教えることなのですか・・・・・・? (「5 ソクラテス」、ソクラテス)

 なぜか突然この漫画を読みたくなった(締め切り間近の仕事があるというのに!)。ちかごろ自分の直感を信じるようになっている。何故かわからなくても、たいていその時の自分が何を求めているかを無意識下で知っていて、自分に命じているようだからだ。そして大体においてそれは当たっている。直感に従った結果、私は必要とするものを得、必要とする答えを得る。今回は、どうもこのソクラテスのエピソードとこの台詞を求めていたような気がする。
 私は、「自分が知らないことを知っている」ソクラテスの後を慕おうとした二十歳のころの自分の心持ちを、今の時点でいまいちど確認する必要があったのだ。この世にはゴルギアスの徒が主流であり、そして世にときめき、世俗的な尺度で言えば正しいのも彼らであるが、それは私とは関わりのないことであり、まして私の誤りであることを意味しないのである。初心忘るべからず。もともと別の世界の住人なのであった。僕は忠義をなすつもり、諸君は功業をなすつもり。貴方がたの忠告や指導など、大抵の場合何の役にもたたないどころか、却って真実から遠ざかる結果になる。

(講談社 2002年6月)

成田美名子 『花よりも花の如く』 8

2010年08月25日 | コミック
 テレビドラマで始めて現代劇を演じることになった憲人。役作りに打ち込むうち、役と自己同一化していく。

 ここしばらく岡崎藤哉の気持ちでいましたが/そのためでしょうか
 映画「エイリアン」のように/体内に岡崎藤哉が巣くい/私を支配し/食い破って出てきたような
 そして役者の業というのか/私はそれを/ゾクゾクしながら見つめている
 (本書17-18頁)

 気分としてよくわかる。翻訳者も、原作者を演じるという点、役者と通じるところがおおいにあると、私はつねづね思っている。原著あるいは原作者と同じ(自分が探り当てた)気持ちを作って、はじめていい翻訳ができる。少なくとも自分が納得できるできばえにはならない。翻役者とでも称すべきか。ただし、これは人文科学、なかでも文学・歴史系の翻訳に限るかも知れない。
 ともかくも、私の場合、そのときどきの仕事の種類によって精神的におおいに影響を受ける。簡単にいえば、性格が変わる。そしてそれを楽しんでいる。福澤諭吉はたしか「一身にして二生を経るがごとし」と言ったが、訳(役)者の私はそれどころではない、幾生も生きる気分だと。
 以前はそんな自分の翻訳者としてのありかたを、リー・ストラスバーグのメソード演技法になぞらえていた。メソード演技法を、自分なりに翻案のうえ、仕事のなかに組み入れて行ったりもした。だが、ある時期から、それでは対象が何であっても結局自分の文体にひきつけて訳してしまうことになると思って、極力使わないようになった。何を演じても同じなのは大根役者である。
 畢竟、私の翻役者としての“演技”は、ステラ・アドラーの「テキストを緻密に読み、想像力を働かせる」手法や、「感情の記憶」ではなく「感覚の記憶」による「置き換え」を用いよとしたウタ・ハーゲンのそれに期せずして近いものらしい。取り組む相手と自分の“サイズ”の差を縮めるのに最も苦しむ。

(白泉社 2010年7月)

佐々木倫子 『Heaven?』 全6巻

2010年06月27日 | コミック
 基本的にドタバタなのに、画が異様に動かない。まるで粘っているかのように static である。レストランが舞台なのに、出された料理が全然美味しそうでない。プラスチックの見本のように無機質である。この作者の漫画は好きだが、この作品は嫌い。すべてが不適で不快。

(小学館 2000年8月~2003年10月)

高橋ツトム 『地雷震 DIABLO』 1

2010年06月04日 | コミック
 続編は、失望するのが怖くて長いこと手に取らなかったが、間違っていた。

 お前らは人間を捨てすぎだ 国益の前に隣人を愛せ (朴太・パクテヒョン)

 飯田響也復活。
 映画化するなら誰がいいかと思う。日本の俳優ではあてはまる人がどうも思いつかない。もちろん自分が芸能界に疎いせいだろうが。
 思いつくのは、若い頃のアル・パチーノである。『ゴッドファーザー』の頃の。それも「Part II」ではもう駄目で、「Part I」、しかも後半、ケイと再会するシーンのパチーノ、そしてカルロに泥を吐かせたあとクレメンザに殺させるのをずっと見ているパチーノ。

(講談社 2010年2月)

羅川真里茂 『いつでもお天気気分』 3

2010年05月31日 | コミック
 高校二年生男子三人組の青春グラフィティ。主人公は赤馬竜次。他愛もないといえば他愛もないお話だけれど、この漫画、わりと好きなんですよ。

 正直者はバカを見る 結構じゃん?/俺は正直者をバカにする奴が嫌いだね (「ガラスの姿」での赤馬の台詞)

 たしかに赤馬竜次はかっこいい。しかしこの巻で一番かっこいいのは副主人公の眉村進之介。たいして面識もない後輩の女の子のために、横暴な三年生を前に、身を挺して彼女を護ろうとする。かっこいいじゃないか。
 進之介は、非力で、赤馬や連れの矢野秀のような上背もなく(赤馬は身長183センチ、矢野は194センチ。眉村は160センチ)、赤馬の生まれつきの秀麗なルックスも、矢野の天性の優しい雰囲気もない。だがその持ち前のまっ直ぐな心だけで、御堂琴音を惹きつけた。人として、これほどかっこいいことがあるかい?

(白泉社 2004年12月)

西村ミツル原作 かわすみひろし漫画 『大使閣下の料理人』 19

2010年05月22日 | コミック
「倉木大使の懐刀(ふところがたな)と呼ばれている方ですね」
 と、金田外相の娘に語りかけられた大沢公は、
「はい それです」
 と、何のてらいもなく答える(「Order 224. 出世か?愛か?③」)。
 この主人公のトレードマークである、邪気のないニコニコ顔のせいで、鳥肌こそ立たないが、何度読んでも静かな凄みを感じるくだりである。
 大沢公は、この時点ではすでに、エリゼ宮の厨房で史上二人目の外部シェフとして各国首脳の晩餐会の料理を作っている。だから確かに、もはやただの料理人ではなくなっている。しかしそれはあくまで料理人としての話であって、「懐刀」というのはそういった次元とは異なるものを指す言葉だ。だから、あるエピソードであったように、底知れぬ知謀で敵味方を問わず恐れられる大使倉木和也をタレイランに、そしてその倉木に仕える公邸料理人の大沢公をカレームになぞらえるのは解る。だが「懐刀」と聞くと、私など、長野主膳あたりを連想してしまうのである。いやこれは例が極悪。

(講談社 2004年5月)

山上たつひこ 『中春こまわり君』 II

2010年05月19日 | コミック
 大学の同じクラスに、福島君そっくりな奴がいた。スポーツマンで、体が筋肉隆々なところまでそっくりだった。その連れが、オフコースの清水仁さんにそっくりだった。道でオフコースファンの女の子に取り巻かれたというくらい似ていた。その彼女はといえば、これがまたジュンちゃん(『がきデカ』の頃の)によく似ていた。嘘のようだが本当の話。

(小学館 2010年5月)

西村ミツル原作 かわすみひろし漫画 『大使閣下の料理人』 11

2010年05月07日 | コミック
 前半は前巻から引き続きタイ編、後半は沖縄編。
 この間グリーンカレーを作ったら(ただしココナッツミルクがなかったので牛乳で代用)、上の息子に「からくて食べれへん。もう作らんといて」と怒られた。では今度は豚足と昆布を煮込んで足ティビチでも作るかね。親の趣味出過ぎ?

(講談社 2001年11月)