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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

ひじかた憂峰作 たなか亜希夫画 『リバースエッジ 大川端探偵社』 1

2011年10月01日 | コミック
 こちらは『迷走王 ボーダー』以来の最強タッグですね! これも面白いです! 主人公の一人村木は、世界放浪しなかった蜂須賀のような、バイク事故(?)を起こさなかった久保田のような。あるいは、ボクシングをやらなかった土岐正造のような。ファンの幻視(笑)。

(日本文芸社 2009年10月)

田村由美 『7seeds』 20

2011年07月15日 | コミック
 昨日読んだ。今日になって、どういうわけか無性に手塚治虫さんの『どろろ』(全4巻、秋田書店)が読みたくなった。しかしいまは持っていない。
 しょうことなしにインターネットでいろいろ探しているうち、ここに辿り着いた。この百鬼丸の姿を見て、理由がわかった。夏のAチームの安居のたたずまいと雰囲気が、百鬼丸(とくにアニメのほうの)にそっくりなのである。痛々しさが。
 田村さんがそれを――安居が百鬼丸の俤を宿していることを――意図していたかどうかは知らない。

 追記というか無駄話。アニメの『どろろと百鬼丸』(はじめは『どろろ』、フジテレビ系、1969年)は、放映時見ていて、いまでもよく憶えている。いつだったか『アニメージュ』の歴代アニメ人気キャラクター&担当声優アンケートといったふうのコーナーで、百鬼丸と野沢那智さんが第一位になっていた記憶がある。私も、『どろろ(と百鬼丸)』そして百鬼丸は、手塚作品(マンガ・アニメを問わず)のなかで、『ブラック・ジャック』と並んですきである。マンガ版の『ブラック・ジャック』で、ほとんど唯一、ブラック・ジャックと対等に張り合えたのは百鬼博士だけだったかなと思うほど好きである。(ドクター・キリコはブラック・ジャックの影法師だから、例外。)

(小学館 2011年7月)

荒木飛呂彦 『ジョジョの奇妙な冒険』 60 「コロッセオの男に会え!」

2011年06月15日 | コミック
 この第5部『黄金の風(黄金なる遺産)』、読み直すたびに思うが、チョコラータという奴、『ジョジョ』シリーズを通して一番むかつく悪党だ。第2位は第6部『ストーン・オーシャン』のブッチ神父。第4部の吉良吉影は嫌いというより気持ちが悪い。DIO は好きです。大好きです。第7部『スティール・ボール・ラン』で「ザ・ワールド」のスタンドを使う DIO が出てきて感激でした。ついでに右手の人差し指をこめかみに突っ込んで頭の中をぐりぐりかき回してほしかった、なつかしのナイフ攻撃をするんならどうせ。実に。ちなみに現在までの『ジョジョ』シリーズで一番好きなのは第5部で、一番すきなキャラクターはブチャラティ。誰か賛同者はいませんかー?

(集英社 1998年10月)

彩花みん 『ごん太を殺せ!』

2011年04月15日 | コミック
 浦谷年良氏のドキュメンタリー『「もののけ姫」はこうして生まれた』(1998年)のなかで、架空の「映画化検討会」で取り上げられた原作(これは短編集で、書名となっているのはその一本)。短編だから当たり前ではあるが、無駄なところやだれたところが一瞬もない、緻密で手抜きのない作りというほか、宮崎監督とあまり共通項のなさそうなドタバタ・コメディーである。しかし単行本収録に際し途中の空き空間を利用して書き加えられた作者のコメントを読んで、なんとなく納得できたような気にもなった。

 考えてみたら 私は 絵を描きたいわけでもないし、お話 作りたいわけでもない〔略〕
 単に 自分の考えたキャラクターを 動かしたいだけのために 漫画描いてるので〔略〕

 
 宮崎監督も、どこかで「自分は普通の(実写)映画を作っているつもり」みたいなことを言っていたなあと。
 そして、キャラクターを動かすというのは、斜め裏から言い換えると「この人がこんなことするわけがない」(同上における宮崎語録の一つ)と思えるようになることではないか。ならば、最初からきっちり確定したプロットがあるはずもなく、執筆中に――絵コンテなら絵コンテを書いているうちに――ストーリーも結末もどんどん変わっていくだろう。
 そういえば、『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、『バガボンド』の制作手法について、井上雄彦氏も同じことを言っていたなと思い出す。「ストーリー作りにはあまり関心がない」と。「人間がきっちり描けていれば、その人が何をしてもしなくてもそれが物語になる」、「あの人たちのところへ自分が出向いて行って『どうですか』と聞くようなやり方」等々。同番組、別のカットで、仮眠を取っている井上氏の背後の本棚に、宮崎監督著の『出発点 1979~1996』があった。

(集英社 1994年7月)

高橋ツトム 『スカイハイⅣ』

2011年03月01日 | コミック
 前よりストーリーが優しくなったという評がどこかであったが、見るからにきついのは『地雷震 diablo』のほうに任せてということで。
 もっとも私は優しくなったとは思わない。100%の悪人も善人もいないと見極める立場を優しいと言うか。人それぞれに事情がある、と。

 “いったいボク達は何を信じればよかったんですか?”
 “答えはキミの中にしかない 信じられるモノは自分で決めるしかないの” 
(「#5 heven」)

 見様によってはこれほどきついことはない。

(集英社 2010年8月)

二ノ宮知子 『のだめカンタービレ』 7

2010年10月04日 | コミック
 つーかなんでヴァイオリンまで弾けるんだ? (「Lesson 40」)

 現在(第24巻)、のだめと千秋は日本にもどっていて、舞台も仲間もむかし懐かしくかつての日本編とほぼ同じとなっているが、その日本編といえば、この巻のこのあたりが私的には圧巻の箇所。
 千秋の音楽に関する天才ぶりというか、に対する悪魔のような執着が存分に発揮されるところ。R&Sオーケストラの団員だけでなく、読者に対しても。千秋の圧倒的な“力”の前に屈服するしかないメンバー。そのときそれに応えられたり、対抗できたり、あるいは千秋の強烈な個性の圏内に牽きこまれずその磁場を受け流すことのできた人々が、のちのちまで登場し、作品世界で活躍し続けることになる。黒木、清良、菊地がそう。
 それにしてもテレビと映画で千秋を演じた玉木宏さん、このシーンをカットすることなくかつ完璧にやれていたら、ファンの連想は、「のだめの上野樹里と千秋の玉木宏」ではなく「千秋の玉木宏とのだめの上野樹里」になっていたかもしれないのにな。

(講談社 2003年10月第12刷 2007年2月第27刷)