商品券

2015-09-26 17:51:12 | 塾あれこれ
少し前の話ですが広島市の商品券について書きました。
カミサンと二人で計4万円分、申込もうと。

抽選で外れることもなく、4万円分をゲット、
少しですが家計の足しになりました。

でも、申し込みにくい低所得者もおられたろうと思うと
アベらしい貧乏人切り捨て政治ですね。

バラまきのほうがまだマシです。

商品券を買える人でも市内のお店から遠い人は
やはり買いづらいでしょう。
ここでも平等ではありません。

我家でも近所に使える店が多くあるわけではなく
旧市内だったら違いそう、と思いました。

この例で分かる事は、税の使われ方は平等では
ありえない、という当然の話ですね。
政治の目が向いている方向も分かります。

消費税の軽減措置でも同じですね。
貧乏人は視野に入りません。


商品券にしても、一見良さそうな話ですよ。

予算に倍する消費が見込めるのですから。

ただ、本当に使ってくれればの話。

多くの高齢者は、喜んで予算以上を使うとは
思えません。
政府から戴いた分は取り込むでしょう。

高齢者には優しくない政治ですからね、
そうするのは当たり前の話です。

余裕がなきゃ、使えるものではありません。
自助努力に励みましょう。

山頭火=81

2015-09-26 09:27:21 | 句など
山『この旅死の旅であらうほほけたんぽぽ』
井 「この旅は死の旅なりやタンポポ」

山『なむあみだぶつなむあみだぶつみあかしまたたく』
井 「灯し揺れ南無あみだぶつ阿弥陀仏」

山『ひとりで焼く餅ひとりでにふくれる』
井 駄句

山『六十にして落ちつけないこころ海をわたる』
井 死ぬ死ぬ、と仰る割には。

山口恭弘先生

2015-09-25 19:49:30 | 塾あれこれ
私が30を過ぎて山口塾にお世話になった頃
塾長は50代、広島市では超有名な進学塾を
一人で「経営」されておいででした。

もちろんサポート役は何人もおられます。

でも、あのワンマンは筋金入りでしたね。

皆がピリピリしていました。
「今日は己斐教室に行ってるから、楽」なんてね。

私が存じ上げているだけでも十数年間はそうだった様です。
その後、かなり柔らかくなられてから「教育とは」などと、
似合わない言が増えたように思います。←失礼

それまでは、進学請負、専門でしたから。

もちろん、学校教育には大変な目配りもされていましたが
受験の方で手いっぱい、というのが正直なところでしょう。
休みの日がないのです。

われわれは週1で休みを戴いていましたが
塾長は休日一切なし。年中無休。

ワンマンでなけりゃやってられませんね。

バイト時代から始まって長い間講師を続けた方がおられます。
塾長をよく知るその方がぽつりと
「こんなに大きくしたのは塾長の本意じゃなかった。
 できれば小さな規模で教えるだけ、が良かったのでは」

会社経営なんて好きじゃなかった、しかしいつの間にか
それをしなければならない大きな塾になっていた、ようです。

五日市の昔を知る人は、塾長と奥さまの強烈な
ラブストーリーをご存じです。
塾の歴史もそれと並んで始まったのです。

後年の「固い」イメージとは正反対ですね。
ともかく情の篤い方でした。

「情」は会社経営には邪魔になることがあります。

経営上の決断で、Aを採りBを切り捨てる事があります。
本来はしたくないことをする必要に迫られるのです。

私はその「切り捨て」が大嫌いです。
つまり会社には一番向かないタイプですね。

塾長が、泣く泣くではあれ決断されたBの切り捨てが
私には気にいりません。
山口塾の講師で、たぶんただ一人、目立って反抗しました。

「情」の塾長はご機嫌斜め。
イタイところでしたから。
「分かってて反抗してる」のも分かるから余計に腹がたつ。

(もし私自身が塾長の立場にあれば同じことをするのに)


けれども馘首にはなりませんでした。
そこも「情」なんでしょうね。

「そこまで仰るんならクビにされたらどうですか」
「で、キミはどうするんだ」
「目の前に対抗塾を開きます」
「そこまで言わなくても」
「じゃあどうしろと仰るんですか」
「君が自分で考えてくれ」

中学部で、塾内塾のような進学クラスを設けたのも
そんなイキサツからでした。

体力と知力の一番高い時期をそこで費やしました。
早く独立していたら、と考えることもあります。
塾の他の講師は喜んだと思います。


塾を辞めてからの方が、しばしばお話をできました。

電車の中、などでばったり出会うのです。
すっきりとお話が出来ました。

(こちらが本当の塾長なんだ)・・ホントもウソもないけど。

一年ほど前、広電の宮島線でお会いしました。

「お久しぶりです。お元気そうで」
から始まる15分ほどの会話、終わる辺りになって私に向かい
「ところで、お名前は何と言われましたっけ。
 最近、物忘れが強くて。申し訳ないです。」

病気が進んでおられたのです。

絶句しました。
とっさに反応したとは思いますが絶句の修正は難しい。

でも、お嫌いな井上も消えてしまったので
それはそれで、どこかホっとしてます。
「あいつは嫌じゃった」とお思いになってたら、ね。

病気には勝てません。

人間関係の良い認知症のようでした。
やはり人間の根幹が出るのでしょうか。

山口恭弘氏死去

2015-09-25 09:41:42 | 塾あれこれ
山口恭弘、初代山口塾長が8月に亡くなられました。

葬儀はごく身内で行われ、49日が過ぎたので
連絡を頂戴しました。

静かにご冥福をお祈りしたいと思います。

ご高齢ゆえ、いつかはと思う事も失礼ながら
ありましたが、それにしても突然です。

長い間、認知症の傾向がおありでしたが
それ以外は病気もなく、亡くなられる直前まで
しっかりされていたそうです。

大往生ですね。


お線香は手向けたいと思いますが
ばらばらに来客や電話があるのも申し訳ないし
かといって世話になった講師が纏まってというのも
それはそれで故人の遺志に反する気がします。

香典などもご遠慮されるでしょう。
葬儀をされなければ実際問題としても、そうです。

だけれどもこちらの気持ちとしては
ではどうすべきか、難しいところです。


長いようで、あっという間の人生。

お世話になったことなど、しみじみ思いだしています。

山頭火=80

2015-09-24 09:54:51 | 句など
山『旅空ほつかりと朝月がある』
井 「朝の月ふたたび気づく旅の空」

山『枯草しいて月をまうへに』
井 満月かなあ、もっと別の月かなあ 

山『わが手わが足あたたかく寝る』
井 「いざや寝むわが手わが足あたたかし」

山『石ころに陽がしみる水のない川』
井 「石ころが光滲ます涸れた川」

論理と感情

2015-09-23 15:54:00 | 塾あれこれ
朝日新聞に中西寛氏へのインタビュー記事が
載っていました。
多量の活字を消費しながら内容のないものでしたね。

現在は幕末や明治のとある時期と似ているのだそうです。

笑っちゃいますよね。
マジ?

似ている点をいくつか挙げればよいわけかな。

こういうのには気を附けないといけません。

偉い方が上から目線で「~なのだよ」
我々素人は反論のしようがありません。

で、独自の解釈が続くのです。
小説家のエッセイならまだしも学者でこれですか・・・


巧妙なレッテルを貼っています。

「感情論ではなく現実を見て議論を」だって。

安保法制に反対する側は、感情的だとのレッテル。
根拠は、ご自分の意見とは違うから、らしいのです。

随分とエライ先生なのですね。
根拠のない分析はどこから来るのでしょう。
調べもせずに断じていると思われます。

そもそも、「自分は論理的だから正しい」
「反対意見は感情的で相手にならない」という考え自体が
ずいぶんと御粗末なものです。

しかし根拠のない悪口としてのインパクトはあります。

中学生や高校生の議論のレベルを思わせますね。

論理と感情は相反するものではありません。

論理の出発点には感情があるのですから。

民主主義は良し、これも感情が裏打ちしています。
国を語るには国際政治を知るべき、
「べき」、これも感情的ですよね。

価値感の出発点は、感情に基盤があります。

そこから論理が働くのですが、その路みちも
価値感、感情、が支えます。
だからこそお互いの考えが理解しあえるのです。


国際政治の現状をルル述べておられますが
それも一定の視線からです。

パワーポリティクスの分析と、危機感を吹聴するのとは
細心の注意を働かせて区分せねばならないのです。

過度の隣国警戒説は国内のファッショ主義者に利するだけ。
日本の外交官僚の無能をこそチェックすべきでしょう。

もちろんクールな分析も必要です。
ただ「平和」と唱えていれば何とかなる、とは言えません。

しかし、片方の目に理想を捉えておくのも国際政治では
大切なことです。
人間に関わることだから。

山頭火=79

2015-09-23 10:05:10 | 句など
山『死をひしひしと水のうまさかな』
井 (ひしひし)と(うまさ)と、合わない

山『ほろほろほろびゆくわたくしの秋』
井 「ほろぶ・秋」とは?

山『朝湯こんこんあふるゝまんなかのわたし』
井 らしい句ですね。久しぶり。
  わたし、とわたくしの使い分けはどうなんだろ。

山『一握の米をいただいてまいにちの旅』
井 「一勺の米戴いて旅続く」

ちょっとの会釈を

2015-09-22 16:36:57 | 塾あれこれ
久しぶりに廿日市のショッピングモールに行きました。
開店時と変わりません。
さすがにあれほどの人手じゃないけれど。

だだ広い食料品売り場はあのまま、客に不親切
レジの行列も変わっていませんでした。

お値段が高くて、これは此処では売れないだろう、
という食品が減っていました。
やむを得ないですね。

「此処らしい店」になるには時間が掛かりそうです。

ただ基本的には、小さな子供がいる若いご夫婦が
ターゲットのようで、年配の夫婦は少なかった。

特に私のように足がないものには「遠い」ですね。


そのモールで目についたのがジコチュー。

カートとカートがすれ違うときなど狭い場所があります。
で、こちらが待ってあちらを先に通してあげる、
そのときに相手の「どうも」がありません。

このモールでは5対1くらいの少なさでした。

相手がわざわざ譲ってくれるという発想がないのか
分かっていても、譲るくらい当然と思うのか。

結構なお年寄りでもそういうのが増えています。

相手への気遣いがないのですね。

私も気付かないことがあるでしょう。
ただ、「どうぞ」「どうも」をしないと気持ちが悪い。


セブンイレブンの五日市駅前店

店の人が奥から商品を出します。

わりと大きいカートですね。

こちらは客だけれど「お先にどうぞ」
そのときに何の反応もないのです。
客対応としてありえない。

それも結構トシの店員がそうなのです。

場所がいいから「持ってる」のでしょう。
しかしこれはセブンの潜在的課題かもしれません。

店員のマニュアル以外のレベルが中国人なみ。