論理と感情

2015-09-23 15:54:00 | 塾あれこれ
朝日新聞に中西寛氏へのインタビュー記事が
載っていました。
多量の活字を消費しながら内容のないものでしたね。

現在は幕末や明治のとある時期と似ているのだそうです。

笑っちゃいますよね。
マジ?

似ている点をいくつか挙げればよいわけかな。

こういうのには気を附けないといけません。

偉い方が上から目線で「~なのだよ」
我々素人は反論のしようがありません。

で、独自の解釈が続くのです。
小説家のエッセイならまだしも学者でこれですか・・・


巧妙なレッテルを貼っています。

「感情論ではなく現実を見て議論を」だって。

安保法制に反対する側は、感情的だとのレッテル。
根拠は、ご自分の意見とは違うから、らしいのです。

随分とエライ先生なのですね。
根拠のない分析はどこから来るのでしょう。
調べもせずに断じていると思われます。

そもそも、「自分は論理的だから正しい」
「反対意見は感情的で相手にならない」という考え自体が
ずいぶんと御粗末なものです。

しかし根拠のない悪口としてのインパクトはあります。

中学生や高校生の議論のレベルを思わせますね。

論理と感情は相反するものではありません。

論理の出発点には感情があるのですから。

民主主義は良し、これも感情が裏打ちしています。
国を語るには国際政治を知るべき、
「べき」、これも感情的ですよね。

価値感の出発点は、感情に基盤があります。

そこから論理が働くのですが、その路みちも
価値感、感情、が支えます。
だからこそお互いの考えが理解しあえるのです。


国際政治の現状をルル述べておられますが
それも一定の視線からです。

パワーポリティクスの分析と、危機感を吹聴するのとは
細心の注意を働かせて区分せねばならないのです。

過度の隣国警戒説は国内のファッショ主義者に利するだけ。
日本の外交官僚の無能をこそチェックすべきでしょう。

もちろんクールな分析も必要です。
ただ「平和」と唱えていれば何とかなる、とは言えません。

しかし、片方の目に理想を捉えておくのも国際政治では
大切なことです。
人間に関わることだから。

山頭火=79

2015-09-23 10:05:10 | 句など
山『死をひしひしと水のうまさかな』
井 (ひしひし)と(うまさ)と、合わない

山『ほろほろほろびゆくわたくしの秋』
井 「ほろぶ・秋」とは?

山『朝湯こんこんあふるゝまんなかのわたし』
井 らしい句ですね。久しぶり。
  わたし、とわたくしの使い分けはどうなんだろ。

山『一握の米をいただいてまいにちの旅』
井 「一勺の米戴いて旅続く」