このところ他と違う自分を表現すべく形容過剰に
なっている人をしばしば見受けます。
40代より下では相当数いらっしゃるのではないか?
表現する人が余り多くないので、まだ目立ちませんが
プロでも怪しいので普通の若い人はどうでしょう?
こういう傾向があまり騒がれないままに続くと
教育の現場でも好ましくないことが増えてきます。
根拠があるかというと、どうも、ありそうです。
学問的な数字があるわけではありませんが。
(学者も近頃怪しいのが多いし。新書を見ると良く分
ります。
昔は新書といえど大変な集中で書かれていました。
今はベストセラーねらいばっかりでウスッペライ。
読み飛ばすと不正確な情報を与えられかねません。
学者は上手に、逃げ道を忍ばせてありますので注意!)
◎
先日のNHKFM
みょ~なナレーションの番組がありますが
そこでリスナーの名前を紹介されました。
「ヒデミさん。
なんてステキなお名前でしょう。
日が出る海、と書かれるのです。ロマンチック」
オバサンがラジオの向こうで一人盛り上がっているので
つい突っ込みたくなります。
還暦悪癖。
「今日出海を知らんみたいじゃのう、お前。
いらんこと言うから知識不足がばれるん。」
この程度のことは沢山あります。
なんでこうなっちゃった?と考えて気づきました。
ああ、他人より気の利いたことを言いたいのか、と。
昔の人は気の利いた言葉でも、陳腐な物言いに止めて
いました。
早春「今朝は梅のつぼみも寒さに震えているようです」
みたいにね。
これもそんなに褒められるものではありませんが。
近年はパタンを変えたつもりか形容を過剰にします。
他と違う自分の個性を出しているツモリらしい。
「忘れ物を思い出したかのように今朝は北風小僧が戻って
きましたね。私が朝歩いてくる公園の梅も咲きかけていた
花が風に震えていました。つぼみたちは一斉にコートの
エリを立てて春の訪れまで耐えているようです」
・・ラジオなどでありそうだと思いません?
このセンスで先生が作文指導をすると思うと、ゾッです。
シロウトがファッションショーの真似して町を歩くような
もので「みっともないからおやめなさい!」
多くの形容をし、他人と違う表現をすることが高級で
使い古された言葉は劣るという思い込みがあるので
無理をして、最後には墓穴を掘ってしまうのでしょう。
梅雨は蒸し暑い、でよいのです。
肌に湿気がねっとりとまとわり付くようでじとじとした
何だかフユカイな天候ですねえ・・書くのもキモい。
形容過剰はアホというより子供っぽさの表れでしょう。
多分、アメリカ文化に多くある幼児性に汚染されている
ので40代以下の日本人の多くがダメなのです。
(相手を思う)より(自己主張)が勝ってる。。。
開高健が形容過剰の文章を書いたのは幼児的自己主張
の芸術世界だからこそ許されるのです。
○
決まりきった言い方をするのが大人です。
長く歩いて足が棒になった、これが正しい言葉で
「足が岩みたい」とか「足が死んじゃったよ、動かない」
幼稚園くらいまでなら(可愛い)で済むのですがね。
今なら20、30で言いかねません。
志ん生や文楽は何度同じ話を聞いても笑えます。
これが大人の芸。
若い人のギャグはなぜ一回限りしか面白くないか?
大人の芸に磨き上げられていないからです。
イトコイさんなら同じギャグで笑えますね?
行きつけの店の同じ握り(こんなのあればなあ・・)
これが大人。
子供は直ぐ飽きますから回転寿司で妙な新製品を
喜びます。
本物がわからないから目先だけで喜ぶのですね。
魯山人は家で玉子かけごはんを食ってたとか。
これが大人。
○
従ってオヤジギャグが分らないのは子供。
(もちろん妙に受けたいバカオヤジのそれは
無視しなければなりません。どうしようもない!)
きまりきった世界の面白さが分らなくなった日本人は
これから更にアメリカナイズされてゆくでしょう。
本家からはバカにされつつ下手な英語でお愛想笑い
ありゃ、どこかの総理大臣みたいだね。
すみません予想外に長くなっちゃった。
次回続けますね。オヤジギャグ弁護?
なっている人をしばしば見受けます。
40代より下では相当数いらっしゃるのではないか?
表現する人が余り多くないので、まだ目立ちませんが
プロでも怪しいので普通の若い人はどうでしょう?
こういう傾向があまり騒がれないままに続くと
教育の現場でも好ましくないことが増えてきます。
根拠があるかというと、どうも、ありそうです。
学問的な数字があるわけではありませんが。
(学者も近頃怪しいのが多いし。新書を見ると良く分
ります。
昔は新書といえど大変な集中で書かれていました。
今はベストセラーねらいばっかりでウスッペライ。
読み飛ばすと不正確な情報を与えられかねません。
学者は上手に、逃げ道を忍ばせてありますので注意!)
◎
先日のNHKFM
みょ~なナレーションの番組がありますが
そこでリスナーの名前を紹介されました。
「ヒデミさん。
なんてステキなお名前でしょう。
日が出る海、と書かれるのです。ロマンチック」
オバサンがラジオの向こうで一人盛り上がっているので
つい突っ込みたくなります。
還暦悪癖。
「今日出海を知らんみたいじゃのう、お前。
いらんこと言うから知識不足がばれるん。」
この程度のことは沢山あります。
なんでこうなっちゃった?と考えて気づきました。
ああ、他人より気の利いたことを言いたいのか、と。
昔の人は気の利いた言葉でも、陳腐な物言いに止めて
いました。
早春「今朝は梅のつぼみも寒さに震えているようです」
みたいにね。
これもそんなに褒められるものではありませんが。
近年はパタンを変えたつもりか形容を過剰にします。
他と違う自分の個性を出しているツモリらしい。
「忘れ物を思い出したかのように今朝は北風小僧が戻って
きましたね。私が朝歩いてくる公園の梅も咲きかけていた
花が風に震えていました。つぼみたちは一斉にコートの
エリを立てて春の訪れまで耐えているようです」
・・ラジオなどでありそうだと思いません?
このセンスで先生が作文指導をすると思うと、ゾッです。
シロウトがファッションショーの真似して町を歩くような
もので「みっともないからおやめなさい!」
多くの形容をし、他人と違う表現をすることが高級で
使い古された言葉は劣るという思い込みがあるので
無理をして、最後には墓穴を掘ってしまうのでしょう。
梅雨は蒸し暑い、でよいのです。
肌に湿気がねっとりとまとわり付くようでじとじとした
何だかフユカイな天候ですねえ・・書くのもキモい。
形容過剰はアホというより子供っぽさの表れでしょう。
多分、アメリカ文化に多くある幼児性に汚染されている
ので40代以下の日本人の多くがダメなのです。
(相手を思う)より(自己主張)が勝ってる。。。
開高健が形容過剰の文章を書いたのは幼児的自己主張
の芸術世界だからこそ許されるのです。
○
決まりきった言い方をするのが大人です。
長く歩いて足が棒になった、これが正しい言葉で
「足が岩みたい」とか「足が死んじゃったよ、動かない」
幼稚園くらいまでなら(可愛い)で済むのですがね。
今なら20、30で言いかねません。
志ん生や文楽は何度同じ話を聞いても笑えます。
これが大人の芸。
若い人のギャグはなぜ一回限りしか面白くないか?
大人の芸に磨き上げられていないからです。
イトコイさんなら同じギャグで笑えますね?
行きつけの店の同じ握り(こんなのあればなあ・・)
これが大人。
子供は直ぐ飽きますから回転寿司で妙な新製品を
喜びます。
本物がわからないから目先だけで喜ぶのですね。
魯山人は家で玉子かけごはんを食ってたとか。
これが大人。
○
従ってオヤジギャグが分らないのは子供。
(もちろん妙に受けたいバカオヤジのそれは
無視しなければなりません。どうしようもない!)
きまりきった世界の面白さが分らなくなった日本人は
これから更にアメリカナイズされてゆくでしょう。
本家からはバカにされつつ下手な英語でお愛想笑い
ありゃ、どこかの総理大臣みたいだね。
すみません予想外に長くなっちゃった。
次回続けますね。オヤジギャグ弁護?